日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

№.106私の語る「システム」論から、改めて日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える際の留意すべき点を述べるとき―孫崎享氏と植草一秀氏の「主張」を導きの糸としてー(続・続)

2023-12-30 | 日記
№.106私の語る「システム」論から、改めて日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える際の留意すべき点を述べるとき―孫崎享氏と植草一秀氏の「主張」を導きの糸としてー(続・続)




(最初に一言)


 前回記事は、私の主張を、日頃の私としては珍しく久しぶりに「理路整然?」と要約できたと感じられた「くだり」があったので、それを引用貼り付けることから、今回記事は始めるとしよう。




ーーー(引用貼り付け、開始)


 もし仮に、自由と民主主義、人権、法の支配、平和といった普遍的価値の実現の歩みとしての普遍主義と、覇権システムにおける力(暴力)の行使とそれを介した「支配―従属」関係の歩みが表裏一体の関係にあるとすれば、私たちの日本国憲法の支持・礼賛の態度は再考されるべきであるはずなのだ。ところが、これまた何度も述べてきたように、民主主義の実現の歩みと帝国主義の歩みは、個々バラバラの次元で語られてきたことから、両者の相互関係についての考察は何も深まることはなかった。というより、むしろそれらの関係考察から背を向けてきたのである。


 私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉は、実はその普遍主義と重なることから、もし民族主義を組み込んだ(前提とした)自由民主主義と帝国主義との両者の関係を描くことができないのであれば、それは同時に普遍主義について正鵠を射る論の展開は期待できないことを意味する。さらにそこから、私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉についても述べることはできなくなるのだ。


 それは、何を意味するのだろうか。すなわち、スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスそして米国へと続く歴代の覇権国の興亡史を描くことができないというばかりか、次期覇権国はどこの国となるのか、それははたして中国となるのか等々の私たちにとって大切な議論さえ、満足にできないことを意味するのだ。それこそ、私の語る「システム」とその利害関係者層にとっては、これほどにはないと思えるほどの好都合な、それこそ「システム」の提供する学問・研究であるに違いない。


ーーー(引用貼り付け、終わり)




 このくだりは、要するに私たちの諸個人間、諸集団間、諸共同体間に見い出される人間関係における差別と排除の関係に目を向けなければならないことを指摘していると同時に、残念ながら、これまでその関係を的確に捉えることができなかったと述べているのだ。そうした関係としては、文字通りに差別し排除する側と差別され排除される側との、強者と弱者との、富める者と貧しき者との、つまりはそれらを総じて「親分ー子分」関係として私は位置づけ理解している。


 結局のところ、その関係は「支配」と「従属」の関係としての「帝国主義」として描くことができる、と私はみている。その際に問題となるのは、そうした帝国主義関係をどのように描けばいいのかということである。私はこれまでにも何度かそれを図式で示してきたが、ここで少し簡単にそれらを図式で表してみたい。


 先ずは①覇権システムにおける関係を示す{[ ]→(×)[ ]→×[ ]}、②世界資本主義システムにおける関係を示す{[Aの経済発展(衣食足りて)]→(×)[Bの経済発展(衣食足りて・足りず)]→×[Cの経済発展(衣食足りず)]}、③世界民主主義システムにおける関係を示す{[Aの民主主義の発展(礼節を知る)]→(×)[Bの民主主義の発展(礼節を知る・知らず)]→×[Cの民主主義の発展(礼節を知らず)]}の各々の関係に見いだされる〈→(×)→×〉の関係が帝国主義を示している、と私はみているのである。


 さらにそこから、①②③の相互関係とそれらの関係に見られる帝国主義関係を描くことができるのだが、ここではそれについては省略したい。それを踏まえて述べるとき、私たちの学問・研究のレベルはすこぶる思わしくないというか低すぎるということだ。孫崎氏は戦後史を、日本に対する米国の圧力と、それに対する日本の忖度を描いたものの、そこからはっきりと①に示される「親分ー子分」関係を前提としてつくられてきた差別と排除の関係から構成される覇権システムそれ自体と向き合い、その枠の中での戦後史と日米関係を描くまでには至らなかったのではあるまいか。(*誤解のないように一言。私は孫崎氏の論が悪いとかダメであると言っているのではない。)


 また植草氏の資本主義論や民主主義論は、①で示されるあからさまな力と力のぶつかり合いを介した自己決定権の獲得とその実現を巡る争奪戦の歩みとしての諸個人間・諸集団間・諸共同体間の人間関係を基礎としてつくり出されてきた覇権システムとも,同時にまたそれと密接不可分の関係にある②③で描かれる資本主義と民主主義のシステムとも結び付けられない議論に終始しているのではあるまいか。(*誤解のないように一言。私は植草氏の論が悪いとかダメであると言っているつもりはない。)


 もっとも、そうした問題点はあるものの、両氏の議論から、私たちは改めて『昭和史』で描かれた歴史を描く際の問題点に向き合うことができたのは事実ではなかろうか。それは(ア)帝国主義の歴史を、(イ)(ウ)の次元と結び付けないままに、従来通りの(ア)だけの次元でもってしか描くことができないということ、(イ)民主主義と独裁・専制主義の対立・敵対関係の歴史も同様に、(ア)(ウ)の次元と結び付けないままに、ただ(イ)の次元でしか描くことができないということである。


 そうした態度は、(ウ)民族主義の歴史を(ア)(イ)の次元と結び付けないままに、ただ(ウ)の次元でしか描くことができないという問題へと繋がってくる。だが、こうした研究態度から導き出される問題点に、私たちはこれまで何の不思議さも感じることなく、(ア)(イ)(ウ)の次元の問題を個々バラバラに描いてきたのである。一体どうしてこのようなあまりにも杜撰(ずさん)というか、深く追求・考察しないままに済まされてきたのだろうか。


 私にはどうしても納得がいかないのだ。「概念が違う」云々の問題で終わらせてしまってはいけない。私からすれば、なんとおかしな話ではないのかということだが、これまでの学問・研究はそうではなかったのだ。たとえば、民主主義と帝国主義を「水」と「油」とか「歴史の良い点(長所)」と「悪い点(短所)」というように、見事に両者の関係を問わないままにスルーし続けてきたのだ。


 それこそたとえて言えば、〈「白杖」に伝わる人の「優しさ」と「残酷さ」〉で表現されているように、優しさと残酷さの担い手は個々別々の人間ではなく、同一の人間であり、彼や彼女が手にしている白杖も個々バラバラの誰かのそれではなく、そうした優しさと残酷さが、同時に交錯しながら伝わる同一の杖であるということだ。それゆえ、白杖を手にした私は、私の中の優しさと残酷さがどのような関係にあるのかを、相互に結び付けて捉えることを迫られるのだ。


 その際、私の良い点と悪い点という具合に分けることもできなくはないのだが、〈「優しさ」の中の「残酷さ」〉と〈「残酷さ」の中の「優しさ」〉を、そのような二項対立的観点でもって描くことはできないのは確かではなかろうか。私という人間は、それほど簡単にどこからどこまでが良い部分であり、逆にどこからどこまでが悪い云々では語られない。その関係は、まさしく「共時態的」なそれとして、重層的に位置づけ理解されるべきではなかろうか。


 私たちの歴史は、いわばそうした諸個人によって担われることから、①②③あるいは(ア)(イ)(ウ)の歴史は、相互に密接不可分に、複雑に入り組んだ歴史とならざるを得ないのではなかろうか。それらの様相を、たとえうまく描くことができないからと言って、勝手に私たちの都合に併せて個々バラバラにしてしまうとすれば、それはそれで何かもったいないような、そこからはるかに重大かつ大切な何かが抜け落ちていくようで、それはやはり少し立ち止まって今一度、再考した方がいいと私は強調しておきたいのである。




(最後に一言)


 私の語る「システム」論とそこで提示された〈「システム」とその関係の歩み〉としての1970年代までのモデルと70年代以降今日に続くモデルは、今回記事で論述してきた問題点を鑑みながらつくり出したものである。勿論、そこにはまだまだ改良・修正すべき点も多々あるのは言うまでもないのだが、それにもかかわらず、これまでの「政治学」という学問・研究が見事にスルーしてきた歴史を描く際の分析視角と分析枠組みを提供できたのではあるまいか。もっとも、これまた何度も言うように、「それがどうした」なのだが。


 今年もあっという間に過ぎようとしている。私もあとどのくらいなのかはわからないものの、何とかしてそれまでには書き残したことがないようにとの思いで、これからも生ある限り、書き続けていきたいものだ。これまでお付き合いいただいた読者の皆様には感謝するばかり!



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№.105私の語る「システム」論から、改めて日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える際の留意すべき点を述べるとき―孫崎享氏と植草一秀氏の「主張」を導きの糸としてー(続)

2023-12-26 | 日記
№.105私の語る「システム」論から、改めて日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える際の留意すべき点を述べるとき―孫崎享氏と植草一秀氏の「主張」を導きの糸としてー(続)




(最初に一言)


 前回記事の補足を今回記事ではしておきたい。




 前回記事の最初の方のくだりで、私は以下のように述べていた。ーーー私の「システム」論で語るモデルに関連して言えば、1970年代までの{[A]→(×)[B]→×[C]}のAにこれまでの覇権国と中心国が、Bに半周辺国が、Cに周辺国が、また1970年代以降の今日に続き形成され発展中の{[B]→(×)[C]→×[A]}のモデルでは、Bにかつての半周辺国が、Cに周辺国が、そしてAに(かつての)覇権国と中心国が、それぞれ位置している。ーーー、と。


 このくだりで述べていたのは、1970年代以降のモデルで描くBの半周辺国の中から、今後の覇権国が台頭してくるということであり、1970年代までのAの(かつての)覇権国・中心国(グループ)からはもう二度とは出てこないという話であった。これに関しては、既に何度も論述してきたが、詳しくは拙著『21世紀の「日本」と「日本人」と「普遍主義」』(晃洋書房2014年)の88-91頁の図式のモデルを参照されたい。


 また、前回記事で彼らの論考を取り上げて批判的に論評していた孫崎亨氏や植草一秀氏は、私から見ても良心的な物書きであるのはよく理解しているのだが、彼らが描く物語からは、決して次の覇権国としての中国の台頭云々に示される、そこへと至る私たちの歩みに関する仮設さえ描くのは非常に困難であるという話を、前回記事でしていたのだ。その大きな理由としては、彼らは当然のことのように日本国憲法を、また市民革命にその起源をもつ普遍的価値を支持・礼賛?することによる、と私はみている。


 もっとも、それは彼らだけに該当するものではない。彼らと対立する論者にも、そして私たちを日々「洗脳」し続けるメディアも、従来の社会科学や人文科学に従事する研究者も例外ではない。これまでの民主主義論や資本主義論に依拠する限り、私たちの明日の姿を見通すことのできる仮説を提示するのは、ほとんど絶望的であると言うしかないのだ。それは、「システム」を守護する利害関係者には大変に都合のいいことであるに違いない。


 すぐ上のくだりに関して、少しここで付言しておきたい。アの安倍元首相でさえ、普遍的価値を前提とした自由、民主主義、人権、法の支配、平和といった共通の価値観云々とことあるごとに強調していた。その意味では、誤解を恐れない言えば、表面的には、共産主義よりも自由民主主義万歳を強調していた共産党とほとんど同じ地平に立っていた、と私はみている。元々、日米安保体制の相手側の米国は市民革命のモデル国であり、自由民主主義の模範とされていた。


 その米国は、その一方において、覇権システムにおける覇権国として弱肉強食の世界の頂点に立って世界の安全と平和に「親分」としての立場からにらみを利かせていたのである。こうした米国の市民革命起源の普遍的価値と普遍主義の歴史と、覇権システムにおける覇権国としての力(暴力)の行使の歩みを結び付けて考察することは是非とも必要な作業であったはずなのに、どういうわけなのかそれが見事にスルーされ続けてきたのである。


 もし仮に、自由と民主主義、人権、法の支配、平和といった普遍的価値の実現の歩みとしての普遍主義と、覇権システムにおける力(暴力)の行使とそれを介した「支配―従属」関係の歩みが表裏一体の関係にあるとすれば、私たちの日本国憲法の支持・礼賛の態度は再考されるべきであるはずなのだ。ところが、これまた何度も述べてきたように、民主主義の実現の歩みと帝国主義の歩みは、個々バラバラの次元で語られてきたことから、両者の相互関係についての考察は何も深まることはなかった。というより、むしろそれらの関係考察から背を向けてきたのである。


 私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉は、実はその普遍主義と重なることから、もし民族主義を組み込んだ(前提とした)自由民主主義と帝国主義との両者の関係を描くことができないのであれば、それは同時に普遍主義について正鵠を射る論の展開は期待できないことを意味する。さらにそこから、私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉についても述べることはできなくなるのだ。


 それは、何を意味するのだろうか。すなわち、スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスそして米国へと続く歴代の覇権国の興亡史を描くことができないというばかりか、次期覇権国はどこの国となるのか、それははたして中国となるのか等々の私たちにとって大切な議論さえ、満足にできないことを意味するのだ。それこそ、私の語る「システム」とその利害関係者層にとっては、これほどにはないと思えるほどの好都合な、それこそ「システム」の提供する学問・研究であるに違いない。


 こうした普遍主義と帝国主義の歩みを結び付けない・結び付けて考察できない態度は、孫崎氏や植草氏を始めとした左翼・革新系と目される論者においても、先の安倍元首相と彼に群がった右翼・保守系と目される論者にも、ほとんど変わるところはなく、自由・民主主義と帝国主義との両者の関係を同じ次元で結び付けて考察することはなかったのだ。私から見れば、右も左も同じパラダイムを前提とした上での彼らの主張と立場を異にしているということである。


 それゆえ、私の語る「システム」にとっては、これほど都合のいいことはない。なぜなら、普遍的価値の実現の歩みとしての普遍主義は、覇権システムにおける力の支配を前提としていることから、もし普遍的価値の実現の歩みと帝国主義の歩みの両者の相互不可分の関係の姿が、私たちに可視化され暴露されてしまうならば、それは「システム」とその利害関係者層にとって、不都合な真実となったはずである。


 逆に、私たち8割のこちら側の国民にとっては踏んだり蹴ったりの結果しか残さないのだ。もし、今の時点で、何度も言うように、次の覇権国として中国が台頭するに至る〈「システム」とその関係の歩み〉についての流れを、私たちこちら側の人間集団があらかじめ、仮説としてでも了解できていれば、私たちが今何をなすべきかについて、少なくとも今よりは少しはましな道を選択するのではなかろうか。と、言いつつも、これまでの私たちの歩みを踏まえれば、それもほとんど期待できないとの思いに襲われてしまうのだ。これまたどうしようもないことだが。


 その意味でも、本当は左翼とか革新系とみられている研究者にはもっと頑張ってほしいのだが、残念ながら彼らのほとんどが日本国憲法、市民革命由来の普遍的価値の積極的支持者であることから、先へと進めないのだ。私は「日本国憲法」について、ことあるごとに批判的観点から論述してきたが、その理由は、憲法が私たちのどのような人間関係の下で施行されているのかを考えるとき、それが「親分ー子分」関係に端的に象徴されるように、差別と排除の関係を前提とした社会の中でその権利・義務関係が規定されているからに他ならない。


 たとえば、人間の自由や平等に関して、親分の考えるそれと、子分の考えるそれとは同じではなく、むしろ大きな違いが存在しているからだ。すなわち、親分というか強者の側の差別し排除する側の想定する自由や人権、平等の捉え方と、子分というか弱者の側の差別され排除される側のそれとは、当然ながら異ならざるを得ないからだ。憲法で、国民の文化的で人間らっしい最低限度の生活保障云々の規定があったとしても、その理解の仕方や解釈は、社会を動かしている少数の強者の側のそれらが優先することから、逆に言えば、憲法はそうした支配(親分)と従属(子分)の関係を隠蔽すると同時に、正当化する機能を果たしていると言うことができるのである。


 それは〈「公共の福祉」に反しない限り〉の文言にある「公共」「福祉」「反しない限り」という内容の位置付け方においても、当然ながら差別し排除する側と差別され排除される側において、その「公共」の位置付け方・解釈の仕方が異なることから、いつも強者に親分の側に有利に働くのは必至となる。こうした状況・状態は、市民革命を経験した英・米・仏国の基本的人権宣言がなされた当時の社会でも、まったく変わらない。それはトマ・ピケティ著『21世紀の資本』においても垣間見られるのだ。


 それゆえ、私は問わざるを得ない。どうして多くの国民はこうした不利益をもたらす憲法をこれほどまでに礼賛するのか、と。そこには、憲法のあるべきとされる理念の力でもって、私たちの差別と排除の関係から構成される社会が変革できるとの思い込みがあるのかもしれない。本当に、そうだろうか。そんなことができると信じているのだろうか。私たちの人間関係における親分と子分、強者と弱者、差別し排除する側と差別され排除される側の関係は、人間社会が続く限り永久に変わることはない、と私は残念ながらみている。


 そうした「親分ー子分」関係に見られる差別と排除の関係を前提としてつくられたのが他ならぬ近代憲法であり、それに端を発する日本国憲法であることから、憲法を絶対視するのは危険である、と私は言わざるを得ないのだ。もっとも、そこには憲法が制定された歴史的背景もさることながら、私たち人間社会における差別と排除の関係を当然とする、私たち人間存在の在り方が何よりも問題とされるべきであるのは言うまでもなかろう。


 それを断った上で言うならば、さりとて、こうした人間関係を別の何かに代えられるほど私たちは力を持ち合わせていないし、そのような力をつけるすべもないというのが、これまた残念ながら私たちの、とくに8割のこちら側の国民の抱える問題である、と私はみている。私たちが力をつけるのも、また失うのも、自己決定権の獲得とその実現のために力と力のぶつかり合いを介した「親分ー子分」関係に見る差別と排除の関係から構成される覇権システムを前提とすることを踏まえるとき、私にはそれなりのその場しのぎの物言いさえも苦痛となるのだ。


 私は孫崎氏や植草氏の論を「素直に」理解する限り、占領期に覇権国の米国から押し付けられた日本国憲法を素朴に礼賛することはできないのだ。彼らの論は、そうした私の見方を裏打ちしてくれる?、と私はみている。日本と日本人が、市民革命時の天賦人権宣言とそこで謳われた普遍的価値、そしてその価値を体現している日本国憲法を尊重し続けることに対して、私の語る「システム」は大歓迎するのは間違いなかろう。




(最後に一言)


 「親分ー子分」関係にある親分の米国の憲法で規定されている人権と子分の日本のそれとの間には、相当の格差が存在しているのを私たちは沖縄を含む日本にある米軍基地を介した米軍の軍事訓練とそれに伴う民間人の犠牲者に対する向き合い方の由々しき違いにも見ることができるのではあるまいか。ここにも、覇権システムにおける「親分ー子分」関係を前提とした親分の力(暴力)の行使に対して無力な子分の側の憲法とそこに体現された自由、民主主義、人権、平和の力の無さに、改めて気がつくのではあるまいか。


 ここにも、覇権システムとその下における「親分ー子分」関係に組み込まれた民主主義の格差関係を鑑みるとき、覇権システムの暴力関係が、私たちを支配していることに、今さらながら痛感するのではあるまいか。私はそのようにこれまで考えてきたし、そう考えるしかなかったのだ。思えば哀れな私という人間であったことを、身をもって痛感する次第だ。


 最後に、2023年12月24日放送の「サンデーモーニング」での松原耕二氏の発言には驚いてしまった。氏によるとウクライナは民主主義国だから、ロシアのような独裁国との戦争において不利な戦況に立たされるのは、「民主主義国であるが故の様々な縛りの存在ゆえに当然」云々の発言。それならば、イスラエルは民主主義国なのに、中東の非民主主義諸国をはじめパレスチナに対して、どうしてあれほどまでに無法な暴力行使をし続けられるのか。


 また第2次世界大戦に勝利したのは民主主義国陣営の英米覇権連合率いる連合国であり、敗北したのは日・独・伊の独裁専制主義国ではなかったろうか。更に戦後の米国は中東やアアフリカの独裁国家に繰り返し戦争を仕掛けながらも、そのほとんどの戦争で圧倒的な勝利を収めたのではなかったろうか。いずれにしても、松原氏のその場面での発言はあまりにも唐突過ぎていたように、私には感じられたのだ。誰かの利害関係に忖度?したのでばと思ってしまった。


 確かなことは、民主主義国だから、独裁専制主義国だから云々の議論はおかしな話とならざるを得ない。むしろ、ここでも親分の民主主義国化、子分のそれか、親分の独裁国化子分のそれかといった覇権システムにおける「親分ー子分」関係が、何をさておき論の前提に優先されるべきである、と私は言わざるを得ないのだ。多くの論者は、覇権システム、資本主義システム、民主主義システムにおける相互の関係についての考察など試みたことがないのではあるまいか。


 もう一つは、昨日のBS8チャンネルの夜の8時から10時頃までの報道番組。これもまたひどい話のオンパレード。私はそのほとんどを聞き流しているのだが、昨日は桜井よしこ氏?と他の一人が中国の現状について論評していたが、中国がよほど嫌いと見えて冷静かつバランスある話など最初から期待もできないそんな内容。私の語る「システム」がご推奨の番組の一つだと思うのだが、もう何も言う気にもなれない。



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№.104私の語る「システム」論から、改めて日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える」際の留意すべき点を述べるとき―孫崎享氏と植草一秀氏の「主張」を導きの糸としてー

2023-12-22 | 日記
№.104私の語る「システム」論から、改めて日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える際の留意すべき点を述べるとき―孫崎享氏と植草一秀氏の「主張」を導きの糸としてー




(最初に一言)


 私の主張は、日米関係や資本主義と民主主義の関係を論ずる際において、覇権システムとそれを前提としてつくり出されてきた世界資本主義システム、世界民主主義システムの三つの下位システムから構成される一つの「システム」の枠の中で、それらに関する問題を位置づけ捉え直すことが是非とも必要であるということである。




 孫崎氏の『戦後史の正体』や植草氏の「民主主義」論に関して、私自身もそうした見方に真っ向から反対するつもりはないのだが、そうかと言ってもろ手を挙げて歓迎することもできないというのが私の本音である。両氏と私の間には、日米関係や資本主義と民主主義を語る際において、大きな隔たりがあると言わざるを得ないのだ。それは、(最初に一言)で指摘したことと密接に関係している。


 具体的に言えば、日米関係というとき、私はいつも覇権システムにおける〈覇権国―中心国(グループ)―半周辺国(グループ)ー周辺国(グループ)〉の関係の中の米国と日本の関係を、それと関連して世界資本主義システムにおける〈覇権国―中心国―半周辺国ー周辺国〉の関係の中の米国と日本の関係を、またそれらのシステムと関係して世界民主主義システムにおける〈覇権国―中心国―半周辺国ー周辺国〉の関係の中の米国と日本の関係を絶えず念頭においている。


 私の「システム」論で語るモデルに関連して言えば、1970年代までの{[A]→(×)[B]→×[C]}のAにこれまでの覇権国と中心国が、Bに半周辺国が、Cに周辺国が、また1970年代以降の今日に続き形成され発展中の{[B]→(×)[C]→×[A]}のモデルでは、Bにかつての半周辺国が、Cに周辺国が、そしてAに覇権国と中心国が、それぞれ位置している。なお、資本主義と民主主義の関係について語る際も、日米関係を語る場合と同様に、これら三つの下位システムとそれらにより構成される一つの「システム」の存在を銘記しておくのは言うまでもない。


 さらにもう少し付言すれば、戦後史を語る際も、資本主義と民主主義の関係を述べる際も、私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉を前提とした歴史の枠の中で位置付け直す必要があるということである。覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムは、「史的システム」の次元で論述されるものであり、理念とか理想といったいわゆる「あるべきとされる」次元と折り合いをつけながら分析されるべきではない、と私はみている。こうした点を踏まえるとき、植草氏の論は多分にこの傾向が強い論である、と私には思われる。


 こうした私の主張を前提とするとき、「戦後史」とそこでの日米関係は、1070年代を分水嶺としてその内容・性質は、やはり変容していると言わざるを得ない。これについて言及する前に、孫崎氏の主張する戦後一貫して続いた米国による日本支配について、もう少し広い文脈の下に置き直して考察する必要性を私は感じるのだ。すなわち、米国による日本支配・従属化は、一体何のためであったのか。換言すれば、歴史のある時期において米国に日本支配を迫ったのは一体いかなる「圧力」であったのかという問題である。


 すなわち、日米安保条約とそれに関連する日米行政協定の下での日本支配は、私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉のさらなる発展とその強化のためであったとするのが、私のこれまで同様の応答と言うか主張である。その際、その「システム」の歩みは1970年代までの{[A]→(×)[B]→×[C]}と、70年代以降から今日に続く{[B]→(×)[C]→×[A]}に識別される。それゆえ、これら二つの「システム」の内容・性質に対応して、日米関係における米国による日本支配・従属化の内容・性質もそれぞれ異なる、と私はみているのである。


 このような観点から戦後史とそこでの日米関係を捉え直すとき、おそらく孫崎氏の描いた「米国からの圧力」「米国の意向」と結び付けられた歴史とは異なるさらに深刻な〈「システム」からの(構造的)圧力〉と〈「システム」の意向〉に気がつくに違いない。その意味では、孫崎氏の著作は、私の語る「システム」とそれが抱える宿痾を考察するための導きの糸であるには違いない。


 ここで上述した孫崎氏の主張とそれに関する私の主張を踏まえながら、植草氏の民主主義論に迫ってみよう。植草氏の民主主義論に関しては、〈阿修羅・総合アクセスランキング・瞬間〉に掲載された〈民主主義機能不全の理由(植草一秀の『知られざる真実』)
http://www.asyura2.com/23/senkyo292/msg/680.html 投稿者 赤かぶ 日時 2023 年 12 月 19 日 18:00:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU〉に依拠していることを断っておきたい。


 植草氏の「民主主義」と「資本主義」に関する論を、孫崎氏の『戦後史の正体』の主題目である戦後の米国による日本支配・従属化と結び付けてみるとき、そこから何が見えてくるだろうか。親分である覇権国の米国に支配され続けてきた子分の日本の関係は、まさに覇権システムにおける「親分ー子分」関係を物語っている。その意味では、資本主義や民主主義といった次元とは異なるものであり、資本主義は元より民主主義の次元でもっては語れないのがこの覇権システムの次元に関わる話である、と私は強調したいのだ。


 それゆえ、私はこの覇権システムの次元で語られる「親分ー子分」関係における自己決定権の獲得とその実現における力(暴力)と力(暴力)のぶつかり合いを介した争奪戦の歴史を、先の植草氏の記事と結び付けて捉え直すとき、そこからどのような問題が見えてくるのか、それについて少し以下で述べてみたい。植草氏の先の論考には、元よりこうした自己決定権を巡る力と力のぶつかり合いを介した「弱肉強食」の世界は視野の外に置かれている。


それに代わって植草氏が強調するのは、---
資本主義の運動によって生じるのは弱肉強食の社会だ。市場原理にすべてを委ねれば圧倒的少数の支配者と圧倒的多数の被支配者に二極分化される。---資本主義の運動法則によってメリットを得るのは圧倒的少数の勝者である。---。植草氏の民主主義理解によれば、ーーー民主主義は国民多数が意思決定者であり、国民多数の意思に沿う政治を実現させるものと捉えられる。ーーー。


 それゆえ、植草氏は、民主主義の実現は、資本主義の弱肉強食の世界の現実を前にしては、民主主義の実現はできないとみている。その理由として、植草氏は「経済社会の資本主義化」を指摘する。すなわち、ーーー資本主義化とは、言い方を変えれば際限のない格差拡大。一握りの圧倒的支配者と大多数の奴隷への二極分化である。―ーーと述べる。そうした現実に対して、植草氏は、「民主主義が機能するなら資本主義の運動に歯止めがかけられる。」と言うのだ。その理由は、[民主主義では多数の意思が現実の決定に反映されるはずだからだ。」とのことだ。


 こうした植草氏の論を、今一度、覇権システムの次元における「親分ー子分」関係に見られる「弱肉強食」の世界と結び付けて捉え直してみたい。資本主義の弱肉強食云々の以前に、既に覇権システムの次元におけるそれが、私たちの社会を規律する原理として機能している、と私はみている。そもそも私たちの共同体としての国家は、力と力のぶつかり合いを介した自己決定権の獲得とその実現の歴史にその起源をもつことに注目すべきである。


 すなわち、それはナショナリズムの歴史の中に鋭く刻印されている。国際関係を見渡すとき、まさに力というか暴力が支配し続けてきた点を看過してはならないのではあるまいか。さらに言えば、こうした覇権システムの世界を前提としながら、そこから「親分ー子分」関係を基にした親分に都合のいい「衣食足りて礼節を知る」営為の世界的ネットワークの関係がつくり出されてきた、と私はみているのだ。


 と同時にまた、そうした関係の構築によって覇権システムはさらにその基盤を強化されてきた、と私は強調したい。それゆえ、覇権システムにおけるこうした親分と子分の力と力の格差関係が、当然ながら[衣食足りて]の営為としての資本主義と「礼節を知る」の営為としての民主主義の世界システムの形成と発展の歩みにおいて、力と力の格差関係を反映せざるを得なくなる、と私は考えるのだ。


 たとえば、戦後の米国と日本の資本主義と民主主義の関係を見るとき、以下のような問題が提起されるのではあるまいか。すなわち、親分の米国の資本主義の弱肉強食化と子分の日本のそれとは、いかなる関係にあったのか。また米国の資本主義の弱肉強食の力は、日本の民主主義の実現に際して、どのような悪影響を及ぼしたのだろうか。さらに、米国の民主主義の実現と日本のそれはいかなる関係を構成したのか等々、と改めて考察されるべき多くの問題である。


 こうした点を踏まえながら、以下に植草氏の論を引用貼り付けておく。ーーーところが、現実には、民主主義の制度が採用されているにもかかわらず、多数の意思ではなく、少数の意思に沿う政治が行われ、社会の弱肉強食化が進行している。民主主義が正常に機能していない。その理由を考察することが重要になる。キーワードは「情報」。「メディア」と言い換えてもよいだろう。多数の市民がものごとを判断する際に必要不可欠なもの。それが「情報」である。政治と社会と支配する圧倒的少数者=すなわち巨大資本は「情報」を支配しようとする。「情報支配」=「メディア支配」こそ、民主主義の制度下で資本主義の根本原理が押し通されるキーファクターなのだ。ーーー


 ここに引用貼り付けた内容は、これまでの論の展開でも述べていたように、覇権システムにおける親分の米国と子分の日本の関係を念頭において捉え直すとき、植草氏の主張はかなりの修正の余地があるように思われる。たとえば、日本の民主主義の機能不全の大きな理由としては、資本主義の次元の問題云々という以前に、覇権システムにおける親分の米国による日本支配の現実が重くのしかかってくるのではあるまいか。そうした「親分ー子分」関係を前提とした上での資本主義と民主主義の次元の問題が登場してくるのではあるまいか。


 そもそも、覇権システムにおける親分の米国の圧倒的力の前で、子分の日本はその自己決定権としての主権の獲得とその実現も、それゆえ「独立」さえも実現できていないのだ。そんな現実を前にして、資本主義がどうのとか、民主主義がどうのなどの議論などちゃんちゃらおかしな話ではなかろうか。さらにそれに付言して言うならば、親分の米国の民主主義がおかしな状態になっているのは、米国の資本主義の抱える問題が影響しているというだけでは済まされない。


 私は植草氏の主張をすべて否定するつもりはないのだが、そこでの問題は、覇権システムにおける親分としての米国が抱える問題がまずは俎上に載せられて考察されるべきである、と私は言わざるを得ないのである。米国民自体も、米国が覇権システムの中で覇権国の親分として行動することによって、それこそ多大の不利益というか害悪を被っているのは否定できない現実であろう。


 それゆえ、私たちは歴史のある段階において、どうしてある特定の国が覇権システムの頂点に位置することを迫られるのかといった問題と向き合う必要があるのだ。それは覇権国の興亡史とそれに関連した問題考察へと私たちを導くはずだ。いずれにせよ、ここから私たちは、改めて覇権システムにおける「親分ー子分」関係を前提とした力と力のぶつかり合いを介した自己決定権の獲得とその実現の歩みとそれが抱える問題に真正面から取り組むことを求められることになる、と私はみている。


 そうした問題究明を不問に付したままでの資本主義と民主主義の関係を問う作業は、私たちの世界が抱え続けてきた重要な問題から私たちの目をそらすことに手を貸すだけではあるまいか。ロシアのウクライナ侵攻においても、またイスラエルのパレスチナに対する容赦ない暴力行使においても然りの問題である。それは私たちが強者と弱者、差別し排除する側と差別され排除される側の関係をつくり出す「親分ー子分」関係を前提とした人間関係から足を洗うことができないという諸個人、諸集団、諸共同体間における人間関係を担う人間が人間であるために抱え続ける「業」にも似た宿痾である、と私は考えるのだ。


 こうした私の問題意識を前提とするとき、以下の植草氏の主張はあまりにも牧歌的な話でしかないように思えて仕方がないのだ。植草氏は続けて、次のように述べている。すなわちーーーメディアコントロール、情報統制の罠を打ち破ることが必要だ。その想いから情報発を始めた。一人の情報発信は大河の一滴でしかない。しかしながら、情報空間に一筋の風穴を開けることは重要だ。インターネットの情報空間を支配しているのは巨大資本である。これに立ち向かい、圧倒することは至難の業だ。しかし、情報統制、メディアコントロ-ルを打破しない限り、現状の打破は難しい。重要なことは真実の情報を発掘して、これを口コミで拡散することだ。微力であるが一歩ずつでも前進しなければならない。ーーー


 誤解のないように付言すれば、植草氏の主張を批判する資格など毛頭私にはないのは承知しているし、ある点だけに限定して見るならば、何も植草氏は間違ったことを述べているわけでもないのも確かであろう。だが、それにもかかわらず、私にはこうした植草氏の論で立ち止まってしまうならば、それこそ私の語る「システム」はほくそ笑むばかりだと言わざるを得ないのだ。こうした問題点は、孫崎氏にも該当する。孫崎氏の主張も、〈「システム」とその関係の歩み〉には痛くもかゆくもないのである。本当に失礼極まりない物言いだが、それを踏まえてもなお、私はそういうしかないのだ。




(最後に一言)


 既に以前のブログ記事においても、孫崎氏や植草氏の論を取り上げながら批判的に論及してきたのだが、それがいつの記事化をいまは思い出せない。そして今回、また改めて上述したような話をここまで書いてきた。最後に、孫崎氏と植草氏の主張を踏まえるとき、私には占領期のどさくさのさ中に米国から「押し付けられた日本国憲法」を、そのままありがたく受け入れるのには躊躇してしまうのだ。


 もっとも、そんな頭の中の妄想話をいくらしても、現実世界では親分の米国の力でもって受け入れさせられてしまっているのは確かなことだ。だが、それを踏まえてもなお孫崎氏や植草氏の論に従うとき、それほど素直に受け入れることもできないのではあるまいか。憲法は米国による日本支配の道具として押し付けられたとみることも可能である。私は金の成る木としての「システム」のさらなる発展のために、「あの戦争」が引き起こされ、そして敗戦後の日本と日本人を「システム」の発展に貢献させるために、憲法が付与されたとみている。


 それに付言すれば、憲法第9条によって日本人は覇権システムとそれが抱える問題に対する思考停止に陥ってしまったのではあるまいか。もっとも、第9条に関係なく、親分の米国は子分の日本に対して何でもありであったのは、日米安保条約と日米行政協定の存在からもうかがうことはできるから。それもまた確かなことであったが、それを踏まえても第9条の存在は、やはり日本人の戦争や平和に対する深い洞察力を磨くに際しての障壁となったのではあるまいか。いまとなっては、「禍根」と言うしかあるまい。


 それによって、私は相当に深刻な問題に遠からず日本と日本人は直面するとみている。それは覇権国として中国が台頭することに伴う問題だ。日本人は戦後、否それよりももっと以前から、つまり開国以降からであるが、英・米覇権連合の支配のもとにおかれ続けてきたことから、自分の頭で世界を見渡して行動することは不得手である。もっとも、覇権システムの中の子分として生きざるを得ない現実がそこにあるから、必要以上に「ああできたのに」云々の物言いは避けたい。


 それはそうだとしても、「現実の選択肢」はもとより、「仮説としての選択肢」の幅があまりにも狭すぎて、覇権システムや「システム」の「制約」を前提とした上での、「日本の政治の〈可能性〉と〈方向性〉について考える」ことができないのだ。私はこれが至極残念ではらわたが煮えかえる思いなのだ。私たちが向き合うべきは、私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉である。


 すなわち、「米国からの圧力」や「米国の意向」、あるいは「政治と社会と支配する圧倒的少数者=すなわち巨大資本」をその中に組み込んだ「システム」と向き合うことが最低限、いま求められているのである。ところが、どうしてもこの地点までたどり着くことができないままである。こんな状況・状態の中で、憲法改正に向かう動きが活発?となっている。そして、改正反対、改正賛成、そのいずれでもない云々の話となるのだろうか。


 ここでも私は言わざるを得ないのだが、そうした憲法改正論議は、どのような「土俵(舞台)」を前提としてなされているのか、と。これが全く見えてこないのだ。失礼ながら、孫崎氏も植草氏も彼らの主張の背後にあるはずの土俵というか舞台が見えてこないのだ。森が見えていないのに、日米関係や資本主義や民主主義を語っても、そこから先へとは到達できないのではあるまいか。


 中国というお隣の大国がもうすぐ覇権国となろうとしている。それをあろうことかこれまでの覇権国であった米国が後押ししているとすれば、いま憲法改正する意味はどこにあるのだろうか。兎に角、今の自民党の裏金問題の取り上げ方一つを見ても、主役は私たち日本と日本人ではないことが一目瞭然だろう。それはいつも外圧により引き起こされるのだが、その際私たちの思考は、いつも米国がとかCIAがどうの云々の議論となる。どうして、その際、そこに別の要因を考えることができないのだろうか。


 私に言わせれば、ここにも森が見えないままに議論している論者が多すぎるのだ。仮説としての選択肢を増やそうとしないのだ。もうこの辺でやめにしておきたいのだが、それでは米国を、覇権国の米国を動かしている「正体」は何であるのか。これについて考えるとき、そこからおそらくこれまでとは異なる風景が見えてくるかもしれない。




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№.103私の語る「システム」論から、改めて前回記事(№102)を書きながら思い知らされたこと

2023-12-11 | 日記
№.103私の語る「システム」論から、改めて前回記事(№102)を書きながら思い知らされたこと




(最初に一言)


 前回記事でイングランド銀行(英蘭銀行)についていろいろと確認する中で、「戦争」がいかに時の支配者層とそのお仲間連中に私腹を肥やす最たる例である、と改めて思い知った次第。「システム」の発展とその強化の歩み(「高度化」)に奉仕する戦争という意味では、今も昔も何も変わるところはない。




 イングランド銀行の創設は、第二次百年戦争と言われた英仏戦争における戦費調達を目的としていたが、そこにはオランダ資本をはじめ英国のユグノーたちの資金が投入されていた。当然ながら、戦争が長期化し戦費がかさむことになれば、出資(投資)者たちの見返りとしての利子も増えるだろう。さらに、その戦争を介して、今でいう世界的な多国籍企業の先駆けともいえる当時の英・蘭両国の西インド会社や東インド会社の企業活動もまた、そうした戦争特需?の恩恵に与る形で、それらの会社の株主たちと彼らの私的権力の拡大に寄与したのは間違いない。


 そうした歩みは、覇権システムとそれを前提とした世界資本主義システムの形成と発展に貢献すると同時に、それらの二つのシステムの正当性と合法性を担保・保証する形で世界民主主義システムがつくり出されていく、と私はみている。それはいわゆる普遍的価値として知られるようになる自由、民主主義、人権、法の支配、平和といった一連の価値であるが、その名の心地よい響きに反して、その実現の歩みとしての普遍主義は、黒人奴隷貿易や彼ら奴隷の強制労働の場となったプランテーションとそこから産み出された砂糖や綿花に代表された世界商品に刻印された残酷な歴史と密接不可分の関係にあったのである。


 これらの出来事を、前回記事を書きながら改めて思い出した次第だが、私たちはそれにもかかわらず、今なお普遍的価値とその実現の歩みの抱える宿痾を、イスラエルのパレスチナ住民に対する容赦ない「公開処刑」を目の当たりにしているこの瞬間においても、改めて見直そうとはしないのだ。もう何をかいわんやなのだが、これもまた、私の前に厳然と立ちはだかる揺るぎもしない現実だということだ。本当につらいものである。


 いずれにしても、「戦争」を介した私的権力者集団の金儲けの仕組みというかそのネットワークは、今日のウクライナ戦争でもまた今のイスラエルによる戦争でもほとんど変わるところはない、と私はみている。それゆえ、世界の「8割のこちら側の国民」はそれこそ、これまで一体何をしてきたのか、と私たちの無為無策を嘆くしかないだろう。と同時に、それ以上に「システム」の直接的利害関係者層とその支持者である「2割のあちら側の国民」の手にした圧倒的な軍事力・政治経済力・社会文化に及ぼすヘゲモニーの強大さを、改めて痛感するのみ。


 私からすれば、メディァの情報をウノミにする者も、それに対して懐疑のまなざしを向ける者も、等しく「システム」のかごの鳥でしかない。どうしようもないのだ。最初から出鼻をくじかれてしまっている。普遍的価値、日本国憲法、国連憲章の抱える問題点を、私の語る「システム」論との関連からああだこうだとどんなに論及したところで、所詮は「独り言」でしかないのだ。本当に寂しい限り。私の抱えてきた鬱の原因もここにあるのは明らかだ。




(最後に一言)


 もうチャバンに付き合うのもほとほと――なのだが、さりとてこのまま生を終えるのも悔しい限り。まあ、静かに消え去るのみ。ただ、もう少しだけでも抗ってはみたい、今の自分に対して。




(付記)


 それにしても奇妙だ。いま急に自民党の裏金問題がメディアで盛んに取り上げられ、特に「安倍一族」は激しく攻撃されている。何か少し前の「ジャニーズ」関連の問題の取り上げられ方とそっくり。後者は英国のBBCが報じたことから、日本でも報道解禁?となったような流れであるように、私には思われた。それに対して、後者は、米国による報道解禁?だろう。いずれも、「外圧」によって、はじめてまるでそんなことには気がつかなかったかのような日本国内での報道合戦である。


 もう自民党は解党か解体しなければならないのかもしれない。安倍元首相が政権から離れる少し前から、米国は日本で今後子分として動いてくれる(米国の利害関係を最優先に考慮する)「保守政党」の再編成を目指す動きに着手していたように、私には思える。その中核を担うのは日本維新である。そこに自民党から出てきた勢力と国民民主と日本保守党とその他の保守を自任する政党が統合されていくのではあるまいか。


 「8割のこちら側の国民」は、少し前のブログ記事でも紹介した『女性自身』のWEBアンケート調査を参考にすれば、自民党を割って出た勢力と合体した内閣誕生を支持する、と私はみている。残念ながら、このままではそうなる可能性は大だ。その意味では、今の自民党を襲ったお金の問題は、米国にとっては「神風」であろう。もっとも、その風は米国自体により吹かれたに違いないだろうが。


 それにしても野党は何を考えているのか。「市民連合」との協議をした云々の記事があったが、この危機感のなさは何なのか。そんな暇があれば、泉房穂前明石市長の前で、次の総選挙では一先ず「一つの政党」として選挙戦を戦うとの決意表明をしていれば、また違う流れが生まれたかもしれないのに、残念。勿論、まだ先はわからないし、断定もしたくはない。


 それはそうだとしても、やはりこのままいけば、覇権国の米国に奉仕する、その意味では「米・中覇権連合」の発展とその強化に奉仕する、さらにまたその意味では、{[B]→(×)[C]→×[A]}で示される〈「システム」とその関係の歩み〉に奉仕する政権誕生となるしかあるまい。ただでさえ、親分連中のの意向に沿う形で「日本」と「日本人」は生きざるを得ないのに、このままでは、そうした「制約」を前提としたうえでも、なおできることは何かを考える内閣の樹立さえも到底叶わぬ夢となるのは必至ではあるまいか。



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№102私の語る「システム」論から、改めて「米・中覇権連合」の発展とその強化の下で、{[B]→(×)[C]→×[A]}に示される〈「システム」とその関係の歩み〉が、中東地域でその印を着々と刻ん

2023-12-09 | 日記
№102私の語る「システム」論から、改めて「米・中覇権連合」の発展とその強化の下で、{[B]→(×)[C]→×[A]}に示される〈「システム」とその関係の歩み〉が、中東地域でその印を着々と刻んでいる様をみるとき(続)




(最初に一言)の前に議論の前提として共有しておきたい点とは―「関係」枠的思考の重要性についてー


 そもそも米国は誰がつくり出したのか、また、どのようにしてつくられたのか。そうした観点から中国やロシア、英国やイスラエル、そして日本を位置づけ理解し直すとき、そこから何が見えてくるだろうか。


 これまで何度も述べてきたように、私は国際政治や国際関係、あるいは日本政治を語るとき、何よりも「関係」枠を基本としながら、繰り返される世界・セカイの出来事を考察することを基本的立場としている。たとえば、米国は米国一国でつくられたわけではない。それは中国もそうだ。英国も、また日本もそうである。ロシア革命時のロシア・ソ連も、「冷戦」崩壊以降のロシアもまたそうだ。今なお米国の軍事的がとても強力であり、凋落化傾向を示すと言えども、なお覇権国として存在する米国をつくり出したのは、ただ米国一国の力と米国一国民の努力のみで話し得なかったということを、いつも銘記しておく必要がある。


 何度も論及してきたように、その米国は、私の語る「システム」(〈「システム」とその関係の歩み〉)の中で、形成され、そして発展し、その歩みを今日まで辿っているのだ。その「システム」とは、覇権システム、それを前提としてつくられてきた世界資本主義システムと世界民主主義システムの三つの下位システムから構成される一つの「システム」のことだ。


 今また歴史を振り返るとき、米国の英国植民地からの「独立」戦争は、1776年である。当時の英国は「産業革命」と言われてきた工業化の飛躍的展開を見る頃である。「システム」の歩みを踏まえれば、英国の世界の工場、そこから覇権システムの頂点に位置する覇権国へと台頭させるためにも、米国を植民地から独立国家へ変貌させる方が望ましかったのだ。


 当時その発展のさ中にあった{[A]→(×)[B]→×[C]}で示される〈「システム」とその関係の歩み〉の高度化のためにも、Aに英国がBに米国が位置することは必要であったと言える。米国がCの地位に位置したままで、英国の植民地の地位に甘んじていては、差別と排除の関係の格差バネの強度をより強化して「システム」の高度化の実現に貢献する上で、その役割を十分に担うことは難しかったからだ。それゆえ、「システム」は英国に対して、英国からの米国の独立を迫った、と私はみるのだ。


 そのための戦争であり、決して深刻な対立・分裂・分断へと向かうそれではなかった。それは以前の英蘭戦争とその後の英国と蘭国との統一関係にも類似している。戦争を契機として、英国は米国を介しながら新大陸における市場の開拓を企てると同時に、米国のその後の主権国家・国民国家に向けての強固な基盤づくりを後援することによって、その地ならしに手を貸した、と私はみている。


 その意味では、「システム」の演出というしかあるまい。その際、特筆すべきは、その後の英米戦争を介して、米国は先住民族であるインディオの共同体を破壊し、その領土と資源を略奪し尽くしたのだが、ここには米国を独立させた英国の深慮遠望が見え隠れしているように私には思えて仕方がないのである。 金の成る木としての「システム」の発展とその維持・拡大を踏まえるとき、覇権システムの親分連中の画策する戦争ほど、「システム」の底辺に追い込まれた諸共同体やそこに暮らす者たちにとって、これほど悲惨極まりない出来事はない。


 今回のイスラエルによるハマス攻撃を介したパレスチナ住民に対する非道な暴力行使に接しながら、私は米国によるインディオに対する理不尽な歴史を思い出した次第だ。この歴史がなければ、米国の国民国家建設も、また覇権国へと至る歴史もなかったであろうから。それゆえ、何がそうした歴史における蛮行を、米国と米国民にさせたのか。その問題を究明することが当然の課題となるであろう。それを探っていく中で、英国を世界の工場へと導いたのは、そうした力を英国に付与したのはいかなる歴史であったのかを問うていくとき、先述した英蘭戦争の相手国である蘭国の存在を確認できる、と私はみている。


 当時の蘭国は覇権国の地位を手にしていたが、その蘭国が英国との戦争を重ねる中で、当の英国は主権国家そしてその後の国民国家建設に向けての地歩を固めていく。そして蘭国は英国と統一連合国家を樹立し、両国の緊密な協力関係がつくられることになる。蘭国の銀行資本はイングランド銀行創業時の基盤づくりに役立てられた。そうした関係を「システム」はつくり出すことによって、さらなる「システム」の高度化を目指すことが可能となるのである。


 こうした「覇権連合」の形成と発展そしてその強化へと至る歴史は、今度は英国と米国の関係の歩みにおいても繰り返されるのだ。そして、それがこの20-21世紀転換期における米国と中国との関係の中にも垣間見られるのだ。そして注目すべきは、それらの覇権連合の形成期と発展の時期において何度も繰り返される戦争ということである。それゆえ、私の語る「システム」の歩みを的確に位置づけ理解するためには、一国枠の観点ではなく、関係枠から捉え直す必要があるのだ。


 これに関して付言すれば、前回記事の最後で私は以下のように述べていた。すなわち、ーーーなお、誤解を恐れずに付言すれば、これまた何度も強調してきたように、もし私たちが糾弾すべき対象を探し求めるとすれば、それは私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉の全体像それ自体に求めるべきであり、それゆえ、「システム」を担い支えるどこかの国や利害団体・機関、国民や利権勢力集団を、各々の論者の都合のいいように、その「システム」から勝手に取り出して、槍玉に挙げることでは決してない、ということである。ーーー


 誤解のないように、ここで少し言及しておくと、たとえば、どこかの国を俎上に載せて批判・非難することは絶対にダメである、と私は言うつもりはない。だが、その際、私がここで拘泥しているように、〈「システム」とその関係の歩み〉をいつも念頭におきながら、その全体像の中に位置するどこかの国やその関係利害団体・機関を非難・批判することは、当然のことである、と私はみている。それではいつものように、話を進めていきたい。




(最初に一言)


 私が前回記事で読者に伝えたかったのは、イスラエルとハマスを介したパレスチナに対する終わりの見えない暴力行為を、米国の指示を背後に得ているイスラエル、さらには英国とその支援国だけを俎上に載せて批判しても、そこからは何も先には進めないというか先も見えてこないということである。何度も繰り返すのだが、〈「システム」とその関係の歩み〉の全体像を先ずは前面におきながら、今回の暴力問題を論じることが求められているということだ。


 換言すれば、私たちの議論からあまり注目されていない動きにも目を向ける必要があるということだ。たとえば、中国の一帯一路構想の実現の歩みと、今回の問題はどのように関係しているのかという視点も必要ではないか。ここでも誤解のないように言えば、私はそれでもって、その構想実現がおかしいとか、中国が悪い云々の論をしているわけではない。これまた何度も言うように、誰かが悪くて、別の誰かが正義を体現している等々の話ではない。善悪で片付けられるものではないし、どちらかが白で、またどちらかが黒だ云々の話で済まされることなど、毛頭ないのだ。


 それを踏まえて言うならば、米国がこれほどまでにイスラエルの止めどない暴力を支持し続けているのかと言えば、私の語る〈「システム」とその関係の歩み〉である{[B]→(×)[C]→×[A]}のさらなる発展つまりは「システム」の高度化実現のためである、と私は言わざるを得ない。もしそうであるのならば、そのためにはこの図式の先頭に位置する中国を今以上に強力な国家へと、すなわち覇権国へと導くように、米国はその役割を担うことを、「システム」から要請されている、と私は考えるのだ。


 それゆえ、米国のイスラエル支持を、たとえいきなり中国のためだと言うことを控えたとしても、結局のところ、米国は中国のために動いている、そのように「システム」によって動かされているのだ。そのためにニクソン訪中があったのだ。その後の中国の改革・開放と世界の工場、それに伴う巨額な外資の中国国内への流入。それによる中国国内の混乱と動揺が予想されたに違いない。それを回避するためには、その前にどうしても強力な中国国家を創造しておく必要があった。


 すなわち、ちょっとやそっとの国内国外からの衝撃ではぐらつかない国家が求められたのだ。そのための、中国の文化大革命であり、それ以前の大躍進政策であったのだ。さらに、それと連動する形での、米国のベトナム戦争である。米国はその戦争によって世界の製造業国から金融・サービス国家へと産業構造の転換を図ると同時に、その後釜に中国を選択したのだ。そしてその中国へ、戦争を介して稼いだ米国の巨額な民間資本を投入して改革・開放と世界の工場へと続く道を、「システム」は準備していたのだ。少なくとも、私はそうみている。


 さらに中国の改革・開放から世界の工場へと至る歩みの期間、それと奇妙な形で連動するように、アフガニスタンとの泥沼の戦争へ、「システム」はソ連を導いていく。そしてそれに伴う国力の疲弊とソ連解体。これによって、ソ連はBグループにおいて中国の後塵を拝するのが決定的となる。また、その対ロシア戦争との関連から米国に訓練されたイスラム教徒の軍人たち。それがまたその後の「システム」の高度化のための金の成る木の戦争を湾岸諸国で展開するという流れをつくり出す。そうした歩みの中で、先の{[B]→(×)[C]→×[A]}で描かれる〈「システム」とその関係の歩み〉のさらなる発展となる。


 以上は、これまた何度も言うように、私の「仮説」にすぎないのだが、少なくとも、これまでのブログ記事でも述べていた話である。それゆえ、今回のイスラエルの武力行使、その前のロシアの場合もそうだが、すべては、こうした「システム」の高度化を念頭において捉え直した方が、これまで提示されてきた様々な分析よりは、より的確な見方となるのでは、と私は考えているのだ。




(最後に一言)


 前回記事の続きとして、今回記事を書き始めたのだが、途中から少し論の展開が変わってしまった感じがする。とはいえ、それでも前回記事に対する私の応答はそれなりにできたとは思う。兎に角、世界もセカイも大変な事態に直面しているのは間違いない。

(追記)


 これも何回か指摘してきたことだが、世界の「多極化現象を語る論者が多いのだが、それに対して私は、それは私の「システム」を構成する三グループであり、それゆえ「三極化」でしかない。さらに、覇権システムの中の三極化ということは、その三グループの中からやがては覇権国が登場するということであり、その意味では一極化として位置づけ理解できることである、と私はみている。ただし、その場合でもその一極化はあくまでも覇権システム、そして「システム」を前提としていることであり、この後者の観点がより重要であることを私は強調しておきたい。


 今、イタリアが中国の一帯一路構想から離れた、離脱した云々の話がネットでも話題となっているようだが、別にその出来事は大きな話ではない。〈「システム」とその関係の歩み〉から見れば、イタリアが離脱しても、その歩みそれ自体に大きな影響を与える者ではない。イタリアの代わりはいくらでも見つけられるということだ。そのように、私はみている。


*先ほどの記事投稿後に、これらの点について触れることを思い出したので、記事を「下書き状態」にして追記のくだりを書いた次第。



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