諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

神道が先か、水の女・祓いの女が先か。伊弉諾尊が先か、瀬織津姫が先か。その1

2024年05月05日 02時16分27秒 | 瀬織津姫
こんな御題目、神職だったら卒倒するかも知れんです。スピリチュアルな人はこんな考え、及びも付かないと思います。

神職の方々は信仰から神道を考える。記紀を疑わない。真実と捉えている。

スピリチュアルな方々は如何様。自分を神格化しているだけ。神道の知識など何もない。神様で人を騙して金儲けしているだけですから。

さて、上記のタイトルですが、瀬織津姫は水の女・祓いの女と呼ばれた人間の女性達がモデルだったと言う説から考えました。

極論、歴史と学術の面から瀬織津姫を考えたいと思い、考え考え語りたいと思います。

さて、天皇家に通称・お湯殿の上の女房を呼ばれる女性による、天皇を祓い清める儀式があります。

天皇の衣装を着替えさせる事で穢れである古い衣装を脱ぎ捨て、新しい衣装に着替え祓い清めをする。

これは蛇の脱皮から来ている。天皇も蛇の様に脱皮させ新しい姿となる。脱皮こそが究極の祓い清め。

脱皮は死した身体を脱して、新たな身体で生きて行く死からの黄泉帰りの行為と言えます。

蛇は冬眠する。冬眠は死と考えられていた。そして春となり冬眠から目覚めて地から這いあがる。更には脱皮する。

蛇こそは生と死の世界を行き来する存在。その蛇をモデルとしたのが天皇家のお湯殿の上の女房の儀式であると考えます。

そのお湯殿の上の女房の儀式ですが、それと同様の儀式も庶民の民俗に残っています。その庶民の祓い清めの儀式のお手伝いをするのが。「祓いの女、水の女」と呼ばれる人間の女性達による儀式です。

私の故郷、福島県いわき市に流れる好間川や鮫川、そして南会津の沼沢湖では織姫伝説が残っています。

何故、川や湖に織姫の伝説が残っているのか。

織姫が織るのは反物です。衣装です。つまり「祓いの女、水の女」が庶民の衣類を脱がせ、水で身体を清める。そして清くなった身体に着せる。その手伝いをするのが「祓いの女、水の女」。

その儀式はどこから来ているのか。

それは伊弉諾尊が穢れた黄泉の国から逃れて現世に戻って来た。黄泉の国での穢れを阿波岐原の水で祓い清めた。

天皇家に伝わるお湯殿の上の女房の儀式、祓い清めの女・水の女の儀式、そして伊弉諾尊の阿波岐原での祓い清め。

この3つの祓い清め。その源流はどれなのか。


続く。



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