諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

お風呂の怖さ、祓い清めの怖さ。 その2

2013年11月30日 13時10分53秒 | 霊体・恐怖

続きます。

実は天皇家にお風呂での祓い清めの儀式があります。大嘗会です。天皇に天羽衣を着せて祓い清めをします。羽衣を脱がせる事が祓い清めとなります。その介添えをする女性は御禊の女御、中臣女、御湯殿の上の女房と呼ばれています。

これ、大変重要なのですが、この女性たちは瀬織津姫がモデルとされています。

しかし、更に時代を遡ると川の瀬で禊の介添えする女性がいて、その女性たちが瀬織津姫のモデルとの考えもあります。つまり瀬織津姫のモデルは名の無い人間の女性だった可能性があるのです。

この話は判断材料が少ないので私も明快に答えられないのですが、何れ又語りたいと思います。

さて、お風呂もまた祓い清めの儀式であり、気を緩めてお湯に浸かるべきではないと何となくお分かりいただけたと思います。

ここで一つ悲しいお話をします。私が通っていたブログ主に現実に起きた話です。

このブログ主さんは、地元某私大の教授です。私より少々年上だと思います。変わった姓だと思っていましたが、実家は先祖代々のお寺です。姓は伏せますが、仏教の教えからの姓なのだと思います。

このブログ主さんのブログも神社・仏閣中心のお話をされています。それで私もブログに寄るようになった訳です。

更にこのブログ主さん、福祉関係の大学教授だけあって、津浪被害地に生徒を連れ熱心にボランティア活動もしています。大変素晴らしい方だと思いました。震災で塞ぎ込んでいる私とはえらい違いです。

そのブログ主に不幸が起きました。23才の娘さんがお風呂で亡くなったのです。2011年の12月初旬の話です。

ブログ主さんお宅は仙台の中心地から少々距離があります。娘さんは通学等に不便を来たし自宅と通学地の中間地点にアパートを借りていました。、海に近い仙台のベッドタウンにです。

そして3.11の東日本大震災。海沿いの娘さんのアパートにも津浪が到達。命は助かりましたが被害を受け、ブログ主の娘さんは自宅に戻ってきました。

娘さんはその後大学を卒業。地元の銀行に就職。自宅から仙台の中心地にある銀行に、時間を掛けて通勤してました。大変仕事熱心で頑張り屋さんだったようです。

銀行の業務は激務です。その上、取らねばならない資格が多いのです。

娘さんは仙台としては遠い自宅から通勤し銀行業務をこなし、資格試験の勉強をしていた訳です。睡眠時間を削って。娘さんはここ数日、夜を徹して勉強して試験に臨みました

そして資格試験当日。十分な手ごたえがあった様です。そして試験を無事終え、一緒に資格試験を受けた銀行の仲間との飲み会に出席。それで帰宅が深夜になり午前1時頃にお風呂に入った模様です。

ブログ主さんは午前5時頃に風呂場の灯りを不審に思い、湯船につかり亡くなっている娘さんを発見しました。

大変不幸な事故です。娘さん、頑張りすぎたのでしょうね。そして疲れ果ててお風呂で寝てしまったのか、お湯のショックで亡くなったのかは判りませんが、通常のコンディションであるなら亡くなる事は無かったと思います。

せめて飲み会でのアルコールが入っていなかったなら助かっていたかも知れません。若さ故に過信も有ったと思います。偶然に偶然が重なった事もあるでしょう。悔いても悔やみきれないと思いますね。

資格試験の結果は97点で見事合格してました。難しい試験で合格ラインが60点です。そこまで頑張ら無くてもと出来の悪い私は思うのですが、それが彼女のポリシーだったのでしょう。ブログ主さんが可哀想で掛ける言葉も有りませんでした。

その後、ブログ主さんは荒れました。「神仏を信じていたのに」、「ボランティアもしてたのに、被災者に尽くしていたのに」等々、荒れた発言が目立ちました。

自宅のお風呂で亡くなったのです。自宅が事故現場です。毎日のお風呂で娘さんを思い出す筈です。大変辛い人生になってしまわれた訳です。荒れて当然ですし、そりゃ精神にも異常をきたすと思います。

その後、ブログでのブログ主さんの口調は変わり、ある日、大阪の橋本市長をトリックスターと称してコケ落としの書き込みをしていました。

私はコメントで「それでも橋本市長に期待したい」と書いたら、橋本市長は公務員の給与削減を提示していて、橋本市長の主張が通ればブログ主さんの勤める私大も国からの援助金が削減される。私大の給与形態は公立大学に順ずる。当然、自分の給与も下がると書き込み、「自分の生きたかを愚弄するのか」的な発言をされ激高。

それて私、ブログから追放されました。そんな人ではなかったんですが、それだけ心が病んでしまったのだと思います。

ブログ主は完全に人が変わってしまいました。驚く程に。でも私がその立場なら私もそうなるでしょう。私なら仕事も投げ出すと思います。辛すぎますよ。

私も思うのです。神は不公平だと。善に生きても不幸は生じる。悪に生きても幸運が舞い込む。理不尽で不条理です。

それは仏門の血筋であっても避けられません。いや、神に対して念じる仏門の血筋だからこそ避けられないのかも。何が良くて何が悪いのか全然判りませんわ。

どうすれば人生を平穏に過ごす事が出来るのか。

それを知る為に神道を調べているのですが、まだまだ判らない事ばかりです。判る訳無いのかも知れませんがね。

それは兎も角、今の私に言える事はお風呂は気を付けて入らねばならぬと言う事だけです。お風呂は祓い清め。神聖な儀式ですから。

これだけは本当に確かだと断言できます。お風呂へは必ず掛け湯をして真摯な気持ちでお入り下さい。くれぐれもお気を付けて、油断めさらずに・・・・・・・・・・・。

 

ではでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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お風呂の怖さ、祓い清めの怖さ。 その1

2013年11月29日 02時09分41秒 | 霊体・恐怖

BSで「野天湯にGO」と言う番組が不定期に放送されています。

栃木県だか群馬県だかで普通のOLやっている温泉研究家の山田べにこさんが出ている番組です。

この山田べにこさん、もう3300以上の温泉を制覇したらしいです。殆ど登山だったり沢登だったりする温泉にも出かけています。

私、山田べにこさんの事、結構タイプです。化粧っけがない田舎の女性って感じがいいです。話し方も丁寧でちゃんと敬語が使えるし仕草もチャーミング。都会にはいないタイプの人です。

考えてみれば、私の故郷の福島県に多いタイプです。まあ、近隣の県在住だから当たり前ですね。世知辛い仙台にあんな女性は少ないと思います。仙台の女性は気が強いし、ズルイ所がありますからね。

もっともクレーバーでなければ、残念ながら仙台では生きていけないのかも知れませんが・・・・・・・・・。

まっ、それはいいんですが、山田べにこさんが番組で毎度毎度口酸っぱく言い続けているフレーズがあります。それは「掛け湯を必ずしましょう」と言う事です。

意外だと思うのですが、お風呂で死んでしまう方は毎年17000人いるそうです。交通事故死が4000人台ですから3倍以上です。大変な数字だと思います。

掛け湯して体をお湯に慣らしてからお風呂に入らないと、血圧が上がったり下がったりで体がショックを起こし、心臓が止まる事がありえるのです。だから山田べにこさんは「掛け湯しましょう」と言っている訳です。これ、凄く大事な事だと思います。

実は私の弟も何度か風呂で死にぱぐっています。理由は血圧では無いですが、弟は重度の無呼吸症候群で、風呂に入ったまま寝てしまって何度も溺れているんです。

そう言う私も無呼吸症候群で、毎日CPAPを付けて寝ているのですが、あれは中々慣れないです。毎月4750円のCPAPレンタル代を医者に払わなきゃなりませんし、金欠病故困ったもんです。

20キロ、いや15キロ位痩せれば無呼吸も緩和されCPAPを医者に突っ返せるのですが、中々痩せないですしね。ホント、困ったもんです。

話をお風呂に戻します。

お風呂って何の為にあるのか。それは体を洗う為。体を清める為です。これって滝行とそんなに変わらないのではないでしょうか。

滝行は修験道の修行と言えますが、その場には必ず滝行に熟練した者が付き添って行なわれています。

滝行は祓い清めの儀式です。気合を入れてやらないと自分の命も祓い清められます。つまりへたすりゃ死にます。だからこそ滝行を行う者が死なない様に熟練者が付き添っていないと大変危険と言う事です。

それはお風呂でも同じ事が言えると思いますね。

 

つづく。

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兎渡路。

2013年11月26日 01時36分45秒 | 伝説

私の故郷、福島県いわき市豊間に「兎渡路」と言う地名があります。「となりのトトロ」じゃ無いですが、「トトロ」と呼ぶようです。

この「兎渡路」ですが、いわき市で一番津浪の被害が多かった地域と言えます。

「兎渡路」を直訳すればその名の通り、「兎が渡る路」となります。でも少々疑問です。

だって「兎が渡る」と言う事は、「兎が道を横切る」、「兎が川等を渡る」と言う意味になります。これ、変だと思います。

「渡る」よりも「通る」の方がピッタリ来るのではないでしょうか。「兎通路」でいいと思うのですが、何故に「兎渡路」なんでしょうね。

まあ、「兎渡路」の方が語呂が良いからなのかも知れません。多分、その説が一番有力だとは思います。

でも兎渡路の津浪被害を見て、この場所は津波が来る。「兎渡路」とは津浪の通り道と言う意味じゃないかと思えるのです。

何時もの通りアイヌ語で「兎」を考えます。「兎」はアイヌ語で「イセポ」と発音します。この「イセポ」ですが、「伊勢風」って事じゃないでしょうかねぇー。

更に「イセポ」は「兎」の他に「三角」を意味します。

よく「兎」は「白波」と形容されますが、白波は海を飛び跳ねる兎の様に見えるからだと思います。そして白波を形で表すと「三角」と言えます。つまり、「三角」も「白波」です。

「兎+波」で「波乗り兎」。「三角+波」で「三角波」、つまり「大津浪」を意味します。っと言うことは「波乗り兎=大津波」になるのではないでしょうか。「伊勢風」も台風と考えられますので、尚更そう思います。

1100年前にも貞観の大津波が襲来し、「兎渡路」の地域は甚大な被害を受けた。それを知らせる為に「大津波が渡った路」という意味で「兎渡路」の地名になったのではないでしょうか。

まあ、地震・・・・・・・・・・じゃなく、自信は無いですけど。

 

ではでは。

 

 

 

 

 

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遮光器土偶を考察する。 その5

2013年11月25日 00時01分24秒 | 神道

続きです。

梅原猛さんの説での疑問点は、遮光器土偶の足を壊す事で蘇りを防ぐ事ですね。何故、足を壊すと蘇りを防げるのでしょう。

「生まれ変わっても足が無ければ歩けない」って事なんでしょうか。この点が少々弱いと言うか、今一納得いかないですねぇー。まあ、大まかは当たっていると思うのですが、まだ足りない部分があると思います。

取りあえず、遮光器土偶に似ている神様を考えてみたいと思います。

特徴は「閉じた目」、「女神」、「片足が無い」と言う点でしょうか。この三点をクリアする神様っているのでしょうか。私の知識では見つかりません。

しょうがないので、「女神」の条件を外します。そうすると似ている神様が出てきます。その神は恵比寿様です。

先ず「片足が無い」点ですが、恵比寿様は毎夜毎夜??ボートに乗って、三島溝咋姫の住む島に夜這いに通っていました。そして朝、鶏が鳴くと、規則正しく帰って行きました。

そしてある日、鶏がコケコッコーと鳴いた。恵比寿様は「あれ、もう朝? やばい」と思い、急いで帰っていったんです。

しかし、余りにもあせっていたので、ボートのオールを海??に流してしまったんですね。しょうが無いので恵比寿様は、自分の足でオール代わりにバシャバシャとボートを漕いだ。そしたら鮫??に足を噛まれたと言う伝説が残っています。

鮫??に噛まれた足は切断されたかは知りませんが、恵比寿様の絵や像って大抵座っていますよね。これって、足が悪いからかも知れませんね。

恵比寿様と同神とされている「水蛭子神」で考えると、もっと判りやすいかも知れません。

水蛭子神はイザナギ命・イザナミ命が最初に産んだ子です。しかし、女神のイザナミがHに誘ったと言う事で、3年経っても立つ事が出来なかった。そして気の毒にボートに乗せられて海に流されたんです。

つまり、水蛭子神も足が悪かった。そして「蛭」って目が無い。目が見えない。これって遮光器土偶に共通していると思います。

残りは「女神」であると言う点です。これは恵比寿様のもう一つの名前・事代主で説明出来ます。

事代主の「事代」は「巫女」を表します。つまり事代主は「巫女の主」です。巫女に宣託する神です。理由は省きますが、巫女に宣託する神は女神の筈です。つまり、事代主は女神の可能性があると思うのです。

恵比寿様の妻神である三島溝咋姫の別名「活玉依姫」といいます。「玉依」とは「魂が寄る」。つまり「玉依」も巫女を表します。しかも「活」の字は「生きている」と言う意味です。

つまり、三島溝咋姫こと活玉依姫は恵比寿様の妻と言うより、巫女の可能性も有ると考えられます。そして巫女は女神の宣託を受けるのが勤め。っとすると事代主は女神でなければならない筈です。

実は私の家の居間にも大黒様と恵比寿様のお面が飾っているのですが、前々から疑問に思っていました。

何で親子の神様がセットで祀られているのかと。北朝鮮の金親子じゃないんだから、普通、夫婦で祀るのではないかと、何時も思っておりました。

だとすると大黒様と恵比寿様は夫婦。即ち大国主と事代主は親子じゃなくて夫婦で、大国主がニギハヤヒ命なら、事代主は瀬織津姫だ・・・・・・・とは断言しませんが、可能性はあると言うが、何かしら関連があるかも知れません。

っと言う事で、私は「遮光器土偶=恵比寿様」と今の所考えています。かなり乱暴ですが(大汗)。

勿論、妄想の範囲です。また考えが変わったら、また書きますね。

 

ではでは。

 

 

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遮光器土偶を考察する。 その4

2013年11月23日 20時33分01秒 | 神道

ここでチョット遮光器土偶に詳しい、梅原猛さんの説を掻い摘んで書いときます。

「先ず、アイヌ人は鏡を嫌う。写真はもっと嫌う。呪いをかけられる恐怖から。だとしたら縄文人はもっとその恐怖が強かったと考えられる。

遮光器土偶だけでなく、猪や熊の土偶にも線状の紋様が施されているが、それは呪術と関係がある。ましてや遮光器土偶は人間を模している。しかし、人間の像を作ることは縄文時代はタブーであった。アイヌ人同様、呪いをかけられる心配から。

だから遮光器土偶は人間の筈は無い。おそらくは死霊。

死霊は何はらかの鎮魂を必要としてる。それは子供を妊娠したまま死んだ女だから。お産で死んだり、妊婦のまま死んぬ事は穢れた死霊を意味する。穢れは祓う必要がある。

それで遮光器土偶が作られ、祭りが行なわれた。土偶の殆どが女性で乳房が付いているのは祖の為。そして穢れた死霊を遮光器土偶に移し、墓のように土偶を石と共に埋められた。

遮光器土偶は必ずどこかが壊されている。とくに片足が無い。完全体は存在しない。

何故壊されるのか。死霊が再び蘇るのを阻止する為。

遮光器土偶の目に付いてはよく判らないが、アイヌ人の考えでは死んだ人間は、目のある死体と目の無い死体に分けられる。

目のある死体は東の空に昇天して再び蘇る。目の無い死体は西の空に消えて、再び復活する事は無い。

つまり遮光器土偶が大きな目をして深く閉じられているのは、目のある死体を表現している。何か不幸な死に方をした女である。

その女の死霊を鎮め黄泉の国に永久の闇に閉じ込めるのではなく、明るい東の空に返して再生させたいが為に遮光器土偶が作られたと思う」っと言う事です。

私の低い読解力では「遮光器土偶の片足が無いのは死霊が蘇らない為で、遮光器土偶は死霊を再生させる為」と言うのがワケワカメです。どういう意味なんでしょう。

私、何度読み返しても判りません。もしかしたら梅原猛さんもワケワカメになっていたのかも知れんですね。

ただ一つだけ判った点があります。この梅原猛さんの考察は熊野権現の信仰と同じです。

女性が子供を宿して死ぬ事ほど不幸は無い。そしてその死に方をすれば、妖怪・うぶめ鳥(人の乳房がある鳥の妖怪)になってしまう。

熊野権現はそれを避ける為、直ぐに子供を産んだ。産んでから殺された。それだけ重要事項である。それは何としても避けなければならない。その考えから遮光器土偶が存在する。

それも一つの考え方だと思います。

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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