Minolta Dynax 9 SAL 50mm F1,4 T-Max 400 Firenze
今年は世界的巨匠、黒澤明監督の生誕100周年、イタリアでもその偉大な経歴を綴った記事が雑誌、新聞などに掲載されている。
実は黒澤監督の世界的デビューというのはイタリア、ヴェニス映画祭に1951年、イタリアのネオリアリズム映画を中心に日本市場を調査、売り込みにきていたあるイタリア人女史がこの映画を見ていたく感激、なんとしても招待したいと親会社大映に出向いて、“この映画は訳が分からん、、日本の恥をさらすだけ、、”と否定的だった大映の永田社長を説得してしぶしぶ了解させた、、、さらに字幕まで断られた彼女は“なんとしてもこの素晴らしい映画を陽のあたるところへ”と願い、自費でこっそり字幕を仕上げ、ヴェネチアまで郵送した、、というエピソードを持っている。GHQからまだタブーとされていた時代劇(軍国主義を蘇らせる危険があるとのことで)の観閲をなんとかクリアーして生まれたその作品は海外の巨匠たちに計り知れない影響を与えたが、そのきっかけは映画を心から愛する一人のイタリア人女性の情熱から生まれたのだった。黒澤監督は自伝で受賞後態度が豹変した大映の永田社長(自分の功績だと高々に宣伝しまくった)をまるで映画『羅生門』のエピソードそのままではないか、、、と皮肉った
真実は一つではない、、、己の都合によって解釈が変わる、、、黒澤監督の最高傑作は自分もこの『羅生門』だと思います。当時の技術では絶対不可能といわれた太陽を映像の中に見事に収めたハイキーなB&Wは冒頭の雨が滴るシーンとの対比が強烈、、、何度見ても鳥肌が立ちます。溝口監督の作品でも活躍したカメラマンの宮川一男は見事に完全主義、クロサワの要求に応えた。1982年、50年間に及ぶヴェネチア映画祭、金獅子賞の中の金獅子賞に満場一致で選ばれた席で選考委員でありクロサワ監督をおおいにリスペクトしていたフェリーニは
『我々映画人はクロサワから多くのことを学んだ。クロサワは映画界にとって最大の恩人である。どれだけ感謝しても足りるものではない。映画祭50年にあたり、もっとも優れた映画を1本選べというなら、私は迷わず『羅生門』を推挙する。この偉大な映画を世界で最初に見出したのが、我がヴェネチアだったという事実は、イタリア人にとって何よりの名誉である』、、と感慨深く語っています。