Kオジサンの新・山歩きの記

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鷲峰山(ジュウブザン)(682m)&金胎寺(コンタイジ)行場めぐり

2012-02-29 23:11:59 | 水曜会

「ジオンの山歩記」さん主宰の水曜会で京都府和束町の鷲峰山(682m)に行ってきました。
天気予報では朝の内は雨が残っているが、回復すると言っていました。
向かう途中は雨でしたが、現地近くでは雪で真っ白になっていました。
今回のメインは行場めぐりですが、朝のうちは雪があり、先に鷲峰山へ行きました。

金胎寺入口(9:28) ― 鷲峰山登山口(9:36) ―  多宝塔(9:44) ― 
鷲峰山山頂(9:47~9:50)  
― 金胎寺(10:04)   ― 行場の辻(10:21)   ― 
東の覗(10:30) ― 西の覗(10:38)
― 胎内潜り(10:54) ― 五光の滝(11:16)
 ― 鐘掛(11:30)  ― 行場の辻(12:32) 
― 金胎寺(12:48)  

この後、昼食は車からザックを持ってきて、かわらけ投げ場で取りました。その頃には晴れてきていて、東の視界が広がっていました。

鷲峰山の近くを東海自然歩道が通っています。東海自然歩道から鷲峰山へは簡単に行くことができます。鷲峰山の山頂から、晴れていたら琵琶湖や比叡山が見えたのですが、思わぬ雪景色となりました。
この後、金胎寺へ行き、300円払って行場めぐりを時計回りで回りました。東の覗きや西の覗きがあり、巨岩から下界を見下ろすと身の縮まる思いがします。私は怖く、覗くのを止めておきました。
急な下りには鎖が下がっていたり胎内潜りを通過して千手の滝、後光の滝を見ながら、回って上りに向かいました。
護摩壇、鐘掛、小鐘掛と上りが続きました。滑りやすい岩で落ちたら命がありません。慎重に注意を払って、必死に登りました。行場への寺の受付の地図には蜂の戸渡りと在りましたが現地では蟻の戸渡りとなっていました。どちらが正しいのでしょうね。蟻の戸渡りが正しいのでしょう。蟻が通るくらいの狭い場所です。鐘掛まで上がって来た時は、下るに下れない。もう、前進あるのみです。必死になって上りました。

険しいコースでした。岩に赤ペンキで右足をかけるとか、左足をかけると描いてありました。どの方向
へ進むかも、印が付いていました。千手の滝や五光の滝がありました。行場で修行をするのですから滝に打たれて、修行もしたりするのでしょう。

どうにか、注意を払って通過してくることができました。再び行きたいとは思わない程、厳しいコースでした。


スタート前。これから鷲峰山に向かいます。



金胎寺への道。一面の雪で白くなっていました。



ここを東海自然歩道が通過していて、標識が設置してありました。



東海自然歩道の案内板。



自然歩道の地図を見ます。



自然歩道の地図。



金胎寺に来ました。



金胎寺から鷲峰山に向かいます。
途中に多宝塔がありました。



鷲峰山の説明プレート。
大和の大峰山に対して「北大峰」と称されたとあります。
今の時代には鎖が垂らされていますが、綱があったかも知れませんが、当時、このような鎖は
無かったことでしょう。
それに、修験者の行場として女人禁制になっていたのでしょう。



枝先が凍っていました。



金胎寺の行場受付に貼ってあった、行場めぐりの地図。



東覗



岩の上に立ってみます。



西覗。



急な下り道。慎重に降りていきます。



鎖に掴まって岩を降ります。



胎内岩潜り。下へ降っていきます。



胎内岩潜りから出てきました。



五光の滝まで下りてきました。



しがみついて、必死に進みます。



鎖を掴みながら上ります。



岩の上に到達です。



鎖を掴みながら上ります。



岩の上に到達です。



鎖を掴みながら上ります。



岩の上に到達です。



鎖を掴みながら上ります。



キツイ場所を通過してきてホッとします。
たどり着いてFさんから「こんなトコに登って来れたで、剣に行けるワ」と声が出ました。
剣岳へ登れるだけの技量が有ったと言うことですネ。



お昼の時間となりました。
野菜たっぷりのラーメンです。



稲荷すし。キンピラゴボウ。黒豆。切干だいこん。お漬物、色々の食材。この後、
ぜんざいとコーヒーが出ました。



晴れ上がって東の空が明るかったです。



帰路、信楽の町はたぬき一色です。
朝はこのたぬきたちに雪が掛かっていました。



最後に
険しいコースを行って来れた自分の体力を喜んでいますし、誘いの声を掛けて貰えたことが嬉しいです。
山登り&ウオーキングを始めて今回で、500回目を迎えました。
500回目の節目としては、ズ~ット記憶に残る山に登れました。



コメント (2)
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 金比羅山(383m)  明王山(384.5m)  猿啄城(265m)

2012-02-22 11:31:39 | 各務原歩こう会

 今日は「各務原歩こう会」のお誘いを受け、飛び入り参加で行って来ました。
歩こう会と言っても道を歩くのでなく、山を歩くことを主にしています。
この各務原歩こう会は各務原市の社会教育講座がスタートで、講座の終了後にクラブとして結成された団体です。
今回は各務野自然遺産の森を出発して明王山。猿啄城を回って戻るというコースを辿りました。高齢の方が多いグループですが、皆さんは健脚でした。

各務野自然遺産の森(9:05) ― 健脚の道駐車場(9:24)~(9:27) ― 金比羅山(10:06)~(10:15) 
― 明王山(10:25)~(10:35) ― 猿啄城(11:24)~(12:03) ― 猿啄城駐車場(12:30)~(12:43) 
― 北尾根 ― 高圧線鉄塔下(13:02)~(13:08) ― 分岐(13:59) ― 迫間不動奥の宮(14:15)
 ― 迫間野菜販売所(14:23)~(14:41) ― 各務野自然遺産の森(14:57) 




出発前。ミーティングで今日のコースの説明がありました。


各務野自然遺産の森。プレートと地図。



この階段から健脚の道が始まります。



金比羅山に到着しました。
金比羅山は各務原市で一番高い山です。



巨大なタワーと明王山の山頂。
既に沢山の人が訪れ、賑わっています。



明王山へ到着しました。



明王山の山頂からの眺望。
今日は歩いていて、ず~と御嶽山が見えました。



明王山で下がっていたプレート。
プレートでは378mと成っていますが、各務原市の都市計画図では384.5mとなっています。
このプレートの下で記念に写真に納まる男性が何人かいました。
ご自分の登山記念になるからでしょう。
誤った高度表示は、正しいものにして欲しい物ですし、会の名は裏側にして欲しいものです。
プレートに名があって、ここへ登ったと言う威示表示に思えます。



猿啄城が近づいてきました。
城の向こうに見えるのは美濃加茂市と木曽川です。



お疲れ様でした。
猿啄城に到着です。



猿啄城から下を見下ろすと木曽川が見えます。
春から秋にかけて、この渓流をライン下りの遊覧船が進みます。



猿啄城の駐車場で休憩をしてから、北尾根を目指して登り始めました。



迫間不動奥の宮へ到着しました。



長い階段を下りてきて、迫間不動の横へ降りて着ました。
沢山の幟旗が信者から寄進されていました。



各務野自然遺産の森へ到着です。
お疲れ様でした。


最後に
「各務原歩こう会」に飛び入り参加させて貰いました。
飛び入り参加させて貰ったのですが、メンバーは私よりも年長者の方ばかりでした。
歩きながらの会話で孫の話。確定申告の話など色々でした。
メンバーの中には、「みのハイキングクラブ」にも加入している人がいて、山の話で盛り上がりしました。
初対面でも暖かく迎えて貰えたことが嬉しかったです。

コメント (2)
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ぐるり浜名湖一周ウオーク④ 「奥浜名湖を歩く」 12年2月18日

2012-02-20 14:09:47 | ぐるり浜名湖一周ウオーク

浜名湖を5回のコースに分けてウオーキングし、一周を歩きます。
今回は第4回で、細江町気賀から舘山寺まで浜名湖の北東を歩きました。

今回の参加者は23名で、元気な高齢者ばかりでした。
歩き始めは気賀の街の中をぐるっと歩きまわり、ゴールの舘山寺では館山を周回して浜名湖の景色を楽しむことができました。


気賀関所(10:19) ― 細江神社(10:53) ― 浜松市北区役所(11:22) ― 澪つくし橋(11:32)
 ― 伊目の秋葉山常夜灯(12:06) ― 東名高速ガード下(12:42) ― 舘山寺総合公園前(12:57)   
― 舘山寺駐車場(13:00)~(13:45) ― 浮見堂(14:05 ― 舘山寺(14:14) ― 富士見岩(14:35) 
― 穴大師(14:43)  ― 山水館欣龍(14:51) 


主催者から渡された地図。


今回の奥浜名湖は歴史が深く、古く万葉集で詠まれたりするなど文学碑が数多くあり、文化あふれる地でもあります。気賀関所の北側に細江図書館があり文学広場として整備され何基かの文学碑がありました。

細江町は気賀関所や姫街道の気賀宿本陣があったりした歴史のある街です。
スタートして細江の町の中を巡りました。

最初に訪れたのが堀川城将士終焉の地碑です。
桶狭間の戦いの後、徳川家康が遠州を攻略した時に堀川城を攻めて、多くの人を殺戮しました。
この説明板にはその場所が獄門畷という地となったと解説してありました。
歴史が教える残虐な面です。

この後、本陣前公園、引佐郡役所跡、細江神社、気賀関跡を巡り北区役所に着きました。

文化財に指定された産屋とその説明板。



ウオーキングリーダーが細江神社で説明していました。


気賀関跡の標柱と説明板。


巡った細江町の各所に切り絵を表現した案内板が設けて有りました。


浜松市北区役所。表に澪標(みをつくし)の模型と説明板が設置してありました。
この澪標は旧細江町の町章になっていました。


浜名湖の最深部である引佐細江を右にして歩きます。
普段なら、穏やかな湖面でしょが、風が強く波が立っていました。

みをつくし橋を渡ります。


ボートの係留場の横を歩きます。


ずら~と並んだボート。


湖岸を歩きます。
遠くに見えるのは東名高速の浜名湖橋です。


歩いた道は浜名湖周遊自転車道として整備されたものです。


湖岸の道路は浜名湖周遊自転車道として整備されていて、私たちの横を自転車が抜けて行きます。


浜名湖の自然。渡り鳥が飛来してきて、翼を休めていました。



東名高速のガード下を通過します。



今日のお昼の弁当。
風がとても強く、参加者全員がバスの中で食事を取りました。


湖岸を歩きます。
先に見えるのは浮見堂です。
中国の寒山寺に由来する鐘が設置してありました。




舘山寺の北側に聳えるのが舘山(たてやま)です。
海抜50メートル程の小山で、三方を海に囲まれています。
舘山の最高の地点に三角点があるのでなく、湖岸西のとさか岩の脇に三角点があります。
北側に富士見岩があり、白雪を冠した富士山を確認することができました。


舘山寺境内に咲いていた水仙。芳香を放っていました。


舘山寺の遊歩道を歩きました。


富士見岩から北側を眺めると東名高速の橋が見下ろせました。


富士見岩から遠くに富士山を望む事が出来ました。


浜名湖周辺は温暖な土地で柑橘類の栽培が盛んであり、店の前や自動販売機で売られていました。


左は佐久米駅に停車するディーゼルカー。右は舘山から見えた船。
どちらもユリカモメが餌を貰っていました。


今回のウオーキングでこんなに歩きました。

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一宮友歩会・第36回ウォーク例会 河川探訪シリーズ 堀川編Part1  堀川沿いを歩く  

2012-02-05 08:07:17 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第36回ウォーク例会に参加しました。
今回は河川探訪シリーズとして堀川を歩くコースのPart1です。


主催者から渡された地図

道徳公園(9:20) ― 宮の渡し(10:05~10:11) ― 一番割観音堂(10:33~10:43) ― 
断夫山古墳(11:06~11:09) ― 元興寺(11:44) ― 正木公園(12:12~12:45) ― 
古渡城跡(12:57~13:06) ― 塩釜神社(13:51~14:04) ― ささしまライブ(14:23) ― 
稲穂稲荷(14:55) 


参加者は66名で、いずれも元気な高齢者ばかりでした。
今回は名古屋の街の中を歩きましたが、東海道五十三次の宮の渡し、古墳があったり城跡があったりと、旧跡を訪ね知識を深めることができました。
特に印象に残ったのは切支丹を処刑した場所があったことです。切支丹と言うと、長崎など九州の方のイメージでしたが、尾張地方でも弾圧があったことを知りました。
今回の印象は現地で解説を受け「生きた学習」と感じました。学ぶこと、知ることが面白いです。


今回は道徳公園が集合場所でした。会長のTさんの挨拶で始まり、この後ラジオ体操をして、
ウオーキングを開始しました。


ウオーキングの隊列に先頭はリーダー。最後尾にはアンカーが付きます。
この他に旗を持った役員が信号などの場所で安全に渡れるよう注意を払ってくれました。


堀川沿いを歩きます。
先方の高架橋は新幹線です。
かつて、昭和の初め頃、この道路沿いに電車が走っていたと説明がありました。


堀川沿いに小型船舶の造船所が並びます。
冬の渡り鳥が翼を休めていました。


七里の渡し。江戸時代にここから桑名へ船で渡りました。
七里の渡しといいますが、潮の干満によっては十里を航行しなければ成らないときがあったようです。
このあたりは伊勢湾台風で大きな被害を受けました。伊勢湾台風30年を迎え、解説版が設置されていました。


隊列が堀川沿いを進みます。



空襲を受けた跡の残るコンクリート壁の説明です。
当時、愛知時計電機の工場があり空襲を受けました。
軍需工場で標的になったのでしょう。

又、この場所は江戸時代には海であって、干拓によって陸地になったそうです。
今の状態からはこの場所が海面だったとは想像できません。


空襲を受けたコンクリート壁と解説版。



断夫山古墳まで来て、トイレ休憩です。
断夫山古墳はこの地方で、最大級の前方後円墳です。木が茂り全体の大きさがわかりません。


先日の雪が残る熱田記念橋を渡ります。


名古屋国際会議場へやってきました。


強化プラスチックで作られた巨大な騎馬像。
題は「幻のスフォルツァ像」で元はレオナルド・ダビンチで、コンピュータを使い復元したとなっていました。



正木まで来ました。鼓線橋の下を東海道線。名鉄電車。中央線の列車がひっきりなしに通過します。



切支丹の刑場跡の説明と栄国寺。


古渡城跡での解説。資料を読みながら聞きます。


塩釜神社で宮司から説明をうけます。
この塩釜神社は名古屋城の築城の際に塩釜市から運んできました。
今の、塩釜神社の支店のようなものです。


塩釜神社の正しい字。
書くことができません。


ささしまライブへ来ました。林立する名古屋駅のビル群が見え、ゴールはもうすぐです。


今回のウオーキングのカウントです。
たっぷり歩きました。

 

 


 

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