谷川ニコ「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」3巻読了。
一言で表すなら「げんじつ!」って感じですかね(笑
現実が嫌だからせめて漫画の中では・・・っていうのが常套句なのに
何故自分はこの作品大好きなんだろう、と思うんですけど一番の理由は
こういうのはこういうので気分が落ち着くというか
ある種の処方箋というか
自分が歩いてきた道のりの一部というか。まあ要するに本当の意味で何も無い日常なんですよね
仲間もいない話す相手もいない、恋人もいなけりゃ家族と仲が良い訳でもない
そんな空っぽだけど、空っぽだからこそ強くもある人間の話。
空っぽっていうのは一見弱そうに見えますが
その実、空っぽだからこそ逃げる事も出来るし傷付かない選択肢も選べる
まあその代わりに特にこれといった喜びも幸せもないんですけどね(笑
その空っぽの器の中に何かを入れられそうになると戸惑ってしまうところだとか
空っぽだからこそ無防備で無体性で、誰も守ってはくれない
だから些細な事で傷付く
些細な事で傷付くのも人生経験をある程度避けてるからで、それもまた自業自得ではあるんですけど
まあ理屈では分かっていても身体と心が付いていかない事の方が多いですからね。
なまじ他人との絡みが既刊よりも少なかった分
ますますぼっち的な心象が際立って広がっている安定と継続の3巻目
1巻2巻のようなインパクトに溢れた笑い話が少なくなった分シンプルに寂しさに浸れる巻になりました
友情愛情的な世界も世界で素敵ですけど、こういう真に空っぽな世界観もあるんだよ、という話
それをここまで徹底して描けてるのは正直凄いなと
どこまで行けるかも気になりますけど(笑
どの話も均等に好きなんですけど、存在感ない友達いないのに限って
やたら貧乏くじ引かされるのもまたリアルですよね。そういう時って誰も庇ってくれる人がいないからか
通常以上に惨めな気分に陥ってしまうものなんですよ。励ましとか一切期待出来ないですから
自分の中だけに溜め込むしかないっていう
教科書を忘れて存在感の無さ云々で何とかしようと目論むエピソードが好きなんですが
ああいうのって逆に大人しくしてる奴ほど当てられる仕組みになってるので
余計に厳しいんですよね
目立ってて調子の良い人間は基本的に好印象ですから
怒られるのも厳しくされるのも結局は智子側の人間ってのがリアルでした
「リアルに感じた」ではなく、リアルね。身をもって何度か経験してるので間違いありません(笑
川の氾濫にはしゃいで怒られるシーンとかも正直気持ちはよく分かるなあ・・・。
普段寂しく振舞ってて時折ハイテンションになると途端に打たれる
あれもあれで勘弁して欲しいなあ、と思うんですけど(笑
妄想ばっかりで世界が殆ど開かない
のは、やっぱり妄想ばっかりしてるのが悪いんですが
それもまたあの年代ですと財力も経験もないからああいう顛末を迎えるしかないという
学生時代にこの漫画に出会えてたらきっとある種のバイブルになってただろう(笑
それくらい半分、いや半分以上が自分の自伝に感じる最新刊
必要以上に辛気臭い内容になってるので
確実に読み手は選びます
けど、誤解を恐れずに言えばもうこの漫画はそこまで広く読まれなくとも
本当にこの子、智子を分身だと思えるような人だけが読んでれば良いのだと思います
万人に好かれるというよりはニッチな層に大ウケってタイプの作品なので
でも、そういう人達が案外沢山存在していて
徐々に広がっていって一つの現象を起こせたらそれはそれで素敵ですね。
「あの時」感じた寂しさや悔しさ、空っぽがきれいに詰まってる特定層に向けての処方箋的なコミック
ぼっちの生き様がどれだけ世間様に反骨をかませるか、来年以降の展開にも期待、ですね。
ゆうちゃんもゆうちゃんで、今の時点では非現実的な友達というか
刹那的な、一時的な幸福として描かれてるのもまたちょっと厳しい感じがしますね(笑)。
どうせ独りの時間が多くなるだけだから作業を引き延ばすのもまた分かるなあ・・・。
後は身内が自分よりも人気者で友達に恵まれてるのも分かる。
挙げてけばキリないですけど、
それでもギリギリ他人に対する優しさを保っている智子は素敵だとも思いました。
弟の看病は半分贖罪みたいなもんだな(笑
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