超進化アンチテーゼ

悲しい夜の向こう側へ

syrup16g全曲レビューその66「明日を落としても」

2016-07-22 22:20:55 | Syrup16g全曲レビュー











明日を落としても            「Free Throw」
                    「delayedead」収録













たまに、この世のどこにも自分の居場所がないような感覚に陥る時があります
誰にも通じず、誰にも伝わらず、誰とも分かり合えない
それは(肌で)知りたくなかった事実、
だけど、確かにそこにある現実・・・。
取り繕えば、波風立てないように頑張れば、そこそこマシな日常が得られますけど
本当の自分すら必死に隠して我慢しなきゃいけないような人生って何なの?って思う時があります

正直に書けば、
彼のような感覚が欲しかった
彼女のようなセンスが欲しかった
そう思ってしまう時もあります
なんで自分だけここまで他人に怯えて過ごさなきゃいけないのか、なんて間違った事を思ってしまう時もあります

自分の限界を知る、、、という事は想像以上に残酷で悲しい事です
頑張れば頑張っただけ都合の良い様に利用されて
頑張らなければ勿論何も無い
あの時、
誠意を尽くした結果が「これ?」っていう、どうしようもない事実が目の前に、意識の中に転がってると
もうどうしようもなく悲しい、、、やり切れない気分になって涙がポロポロと零れて止まらないんです。

一度や二度の失敗で~とは言いますけど、
人生には「これを逃したらダメ」ってチャンスがあるんです
それを逃してしまった、不条理に奪われてしまった・・・と思うと
中々立ち上がる気力も
もう一度頑張ろうって気持ちも沸いてこない
そんな時に最大限に作用してくれるのがこの「明日を落としても」なんですね。



つらい事ばかりで
心も枯れて
あきらめるのにも慣れて

したいことも無くて
する気も無いなら
無理して生きてる事も無い




本当は誰もが辛いことなんて分かってる
だけど、それで自分の辛さが不意になるなんてことはない
なぜなら、
この痛みも、
この悲しみも、
きっと他人には分からない
あなたには分からない
自分だけのものだから
自分だけの痛みだから
それを他人と比べて「まだ自分は恵まれてるな~」で済む方がおかしいと思う

神様は手を抜かない、って言葉には「なるほど。」とは思うけど、
せめて頑張った時だけは、
誠意を見せてる時だけは、
後押ししてくれたっていいじゃないですか?
そんな事もついつい考えてしまう
なぜ自分だけ?
そう考える事は愚かな事だとはっきりと思います
だけど、理屈としては分かってても、周りが上手く行って
自分だけ不条理で不意になってる現実があったらそりゃ泣きたくなりますよ
踊らされっぱなし、騙されっぱなし、後だしジャンケンされまくりでもうどうしたらいいのかも分からない
こんなに辛いことや嫌なことでめいっぱい包囲されてしまうなら、その上で成り立っている「生」にどのくらいの価値があるのか?って話ですよね

このまま無理して我慢して生きたとして、一体何が幸せなのか
取り繕って、偽って、それで得た日常に一体何の価値があるのか
もう完全に分からない
どう仕様もない
だけど、はっきり言ってそういう人間になってしまった
鼻クソや路傍の雑草みたいに思われる人間になってしまった・・・という事なんですよ
頑張れば頑張るだけむしろ幸せから遠ざかって行く気がして、それを考えるとこういう気持ちにもなるよね、、、って個人的には思います。


泣きたい時には泣けばいいし、
悲しければめいっぱい悲しめばいい
なぜ、
つらい時に笑わせる?
つらい時に前を向かせる?
それで救われるか・・・って言ったら俺は救われない
せめて、悲しい時は悲しいままに
泣きたい時はポロポロと泣いていたい
マイナスにぶつけるプラスは不意になるだけ
ならば、マイナスにマイナスをぶつけてこんな気持ちを完全に昇華したい。って思う(そういえば昇華Tシャツありましたね)
そういう気持ちにさせてくれるのがこの曲です、という事なんですよね。つまりは。

自分の限界を知る、というのは
もう人間のセンスの問題ですから
素直に生きていれば、自分のダメなトコロなんてボロボロ出て来ます
愛せない理由も愛されない理由もそりゃもう山ほど出て来ます
だとしたら、そんな自分に見切りを付けて身投げしたっていい
そんな気分の時に聴くと最大限に作用してくれる、
自分にとってはそういう曲でもあります。
もう何もかもを諦めて、
遠い世界へ―――。
限界まで追い詰められたら、それも一つの手だと思うんですよね。
時折そういう気持ちに本気でなったりもするので、その意味でも沁みついて離れない、聴き手の心に最大限に響いてくれる名曲なのではないかな。と
この曲に関してそう・・・はっきりと思います。



アコースティックギターがバンドアンサンブルに気持ち良く絡むアレンジが小気味良くて聴いてて単純に美しさを感じる曲でもあります
歌詞は重たいけど、メロディと演奏はとてもポップで、聴き心地がよくて、だからこそスッと心に入って来る良さがある
純粋に「良い曲」だからこそ、素直に歌詞が頭に入って来る、というのもあると思うんです
この曲はsyrup16gの楽曲の中でも特にそれを強く感じる楽曲の一つです

そして、間奏の泣きのギターソロがまた素晴らしい
悲しみという根源的な感情の美しさを
これでもか、とまで表現しているサウンドは聴けば聴くほど堪らない気分になってきます
音で感情を表現する、という部分にまで踏み込んでいる楽曲なのでセンセーショナルな歌詞も重要ですが
それ以外の部分にもまた注目して聴いて欲しい一曲になっている、と思います。


ただ、どうしたって
どう言い訳したって、
結局誰がどうしてくれるもんじゃない
最終的には、自分で明日を拾うしかない。
そういう事も(間接的に)示唆してくれるような、
そんな一曲でもある・・・とも個人的には思っています。
逆説的には、ある意味どん底からの再起を促す様な楽曲でもあると感じる。
それもまた(いちファンとして)非常にsyrup16gらしくて素敵かと。













どうしようもなく悲しい気分になって、
どうしようもなくこの曲が聴きたくなったので、
久々に書きました。
また、そういう気分の時には全曲レビュー書くと思うので
気が向いたら見てやって下さい。

人間はどこまでも無責任で、冷たくなれる。
ゲームをリセットする感覚で人間関係も不意に出来る。そんな残酷な現実は・・・忘れないで下さい。それだけはどうしても伝えたかった。




Syrup16g全曲レビューその65「Honolulu★Rock」

2015-09-28 13:45:51 | Syrup16g全曲レビュー








6周年の雑記を書いたばかりですが、約1年ぶりにこの企画を更新します。
この企画はここで始まったものなのであくまでここで完遂したい・・・という気持ちからです。
と言う訳で久々のSyrup16g全曲レビュー、です。














Honolulu★Rock            ミニアルバム「Free Throw」収録















この曲を初めて聴いたのは中学生の時かな?
先に「COPY」を聴いていた為「すごく明るくてポップな曲だなあ。」って当時は単純に感じていて
そんなライトな感覚もこれはこれで悪くない、良い曲だね。なんて思ってたりしてました

実際アレンジはとっても軽快で疾走感もあって、サクサク聴ける小気味良いロックンロールになっています
ちょっと音質は懐かしさを感じますけど、それはそれで良い意味でフレッシュさを感じられて素敵であります
口ずさみやすいメロディや跳ねるようなリズム感も手伝って、
シロップの中でも随一にポップなナンバーに仕上がっているとは今でも感じます
要するに際立って聴きやすい一曲・・・という事ですね。


ただ、当時は未だ経験が浅く、
この曲が持つ「本当の意味」までは感じられてなかった、とは今聴くとしみじみ思いますね。



冷たい人だねって君は背中向けた
僕はむしろ君の太陽になろうとしてたのに


赤の他人が如何に相手を想いやるか
その戦いにおいても僕は敗者だった



・・・当時はライト感覚で聴いてた曲が、今ではちょっと泣きそうになりながら聴いている、
っていうのもよくよく考えれば面白いですよね その、年齢や経験で感じ方も変わって来る~というのが
表現に於いて最も楽しくて愉快な部分なのかも、なんて思える好例ですね(自分の中で)

正直な話、どんなに強く想っても届かない、遠くに感じる事も多々あります
いや、振り返ればそんな経験ばっか大人になってからして来た気すらしています
だけど、世の中をふと見渡すと絶対にそんな人ばかりではなくて
そこで初めて

「ああ、俺は敗者だったんだな」

と、強く感じて、ふと泣きそうな気持ちになってしまう
この曲はそういう感情をスッと誘発させるような効果を持っていて
でもそれも楽曲自体が軽快なアレンジでかつ口ずさみやすいメロディラインだからこそ、
自然に聴き手の中に入って来るんだと思うし、
そういう意味では実は内省的な表現と相性の良い曲調でもあるのかもしれない・・・と
ここ数年は新たに感じたりもしてましたね

本当は太陽になりたかった、
でも気が付けば距離感を間違えて“熱さ”だけを感じさせてしまい
結果的に照らす事も温める事も出来ずに残したのは冷たい、薄情という印象のみ
一聴すればポップで軽快なシロップにしてはライト感覚のロックンロール、だと思う方もいるかもですが
歌詞の方は結構に沁みる出来栄えで、かつ歌に関しても水面下の感情が密かに伝わって来るような、
実は相当カタルシス満点の「空しさ」に満ちている楽曲だとも個人的には感じる一曲です。


多分心が通じ合うなんて
一生ないから


これが感覚的に、肌で分かってしまうと結構辛いですよね・・・。
「なんだか遠いな」「届かないな」って一度でも感じた事があるなら是非聴いてみて下さい。
そういう曲だとも思います。













余談ですが、武道館ライブの時にこの曲会場で流れててね、
あのでっかい会場でこの曲が掛ってるのはちょっと違和感がありつつも
でもなんかその違和感がすっごく良かったなあ・・・って思い出があります。
その時も明るさの中に漂っている空しさを感じていたのかもしません。
密かな名曲。



Syrup16g全曲レビューその64「Anything for today」

2014-02-02 19:07:39 | Syrup16g全曲レビュー



















今回は思い出の一曲です。


















Anything for today              アルバム「delayed」収録



















私的な話ですが中高と友達が一人もいなくて
ずっと窓の外をぼーっと眺めていた記憶だけが色濃く残ってるんですけど
そういう・・・退屈な感じとか何もなかった感じを正に想起させるような一曲で
今だからこそ、でもなく
当時からこの曲で描かれている風景は自分そのものなんじゃないか、なんて事を思いながら聴いてた曲です
だから、ものすごく個人的に思い入れの強い楽曲ですね


君はひとりで
君はひとりぼっちで
いつでも空とばっかり
話してた


私は席替えでいつも教室の隅、しかも窓際を引く事が多かったので
余計に自分の孤独感を強く意識しながら過ごしていた学生時代でした
その辺の席になるとただでさえあまり話す機会もないのに
更に他人と接したり注目される機会が減って
益々孤立しちゃうというか
いつしかそんな空気にも慣れて気が付けば窓から何もない空を眺めている事が多かった
教室には沢山の人がいるはずなのに、何故か(実質「何故か」ではない)自分だけが取り残された感覚
澄み渡った青い空を見てると尚更そんな自分の惨めさを実感出来たんだけど、同時に
そこだけが唯一明るく悪くない気分になれる場所だった気もする
そういう停滞した退屈感だったり
達観の末に受け入れた孤独感だったり
多感な時期の色々な情感が4分間の中に詰まっていて個人的にはずっと昔から大切に聴いている曲
個人的にはなんか寂しい時に部屋の隅で体育座りを聴きながらじっくりと聴くのが好きでした
理屈云々ではなく
歌声や雰囲気からそういう退屈や孤独が滲み出ている
だからこそ自分の思い出や感情に作用して気持ち救われるような、そんな楽曲です
違う言い方をするならば、そんな寂しい感情やしがない過去に寄り添ってくれる楽曲、とも言えると思います

私はこの楽曲を聴くと必ず学生時代の風景を想起します
あの退屈で、だからこそいとおしくもあったあの時代の風景
個人的にはそんな経験や記憶があればあるほどより芯に響くような曲かな、と
ただ、その分少し甘い切なさみたいなものも付随してくるのが特徴と言えば特徴ですかね。
この曲はちょっと自分の中では特別に近いポジションの一曲かもしれません。
ある意味自分の切り貼りみたいで。


ちょっと派手さも感じられるイントロから
少しシックになるAメロ、そして雄大さを感じさせるサビと
割とメリハリが上手く付いていてその意味でも聴いてて飽きない楽曲ですね
アコースティック・ギターの音色も流麗で小気味良く間奏の部分では意外と激しさも感じられたり
歌詞自体は物悲しさも溢れてますけど、その分そんな人々の「存在」を確かに歌ってくれる
掬いあげてくれるような感覚もあったり
案外寂しいだけの楽曲でもないかな、とは最近になって感じるようになりました
その意味でも推しておきたい一曲ですね 単純にグッド・メロディだとも感じるので。


















そこには無くて
そこには何も無くて
イノセントなんてとっくに
放棄した


このフレーズも問答無用で大好きです。
望みも、期待も、「そこ」には何一つ存在しなかった
気が付けばそんな場所だらけです(それもまた「仕方のない」事ではありますが)。
純粋な気持ちも失わざるを得ない。
それでも続けるしか選択肢はないわけですけど、時折モヤモヤした気持ちになったら
こういう場所に帰ってくればいい。そんな風に思います。





Syrup16g全曲レビューその63「神のカルマ」

2013-12-14 15:11:01 | Syrup16g全曲レビュー




















今年最後のSyrup16g全曲レビュー(たぶん)。2009年から細々と続けています。























神のカルマ               アルバム「coup d'Etat」収録


















Syrup16gは憂鬱な気持ちを吐き出すロック~として一般的には認知されてると思うんですが
個人的な見解だと五十嵐隆が歌ってる内容はある種普遍的でもあると思うんですね
友情を歌うのも良い
愛情を高らかに歌うのも悪くない、けど


「ああそう HELLO
 あんた 嫌い」


まあ、こういう感情もやっぱりある訳です
それを出すか出さないかの違いだと思うんですけど
別にどっちが偉いとか正しいなんて事柄を言いたい気持ちはないし
そこに優劣を見い出すのは非常に馬鹿らしい
けれど、こういう心情描写を描く事によって救われる気持ちも世の中には存在する、という事だけです。
この曲では個人的な解釈ですと他人の価値観や思想に容易く介入し掻き乱していく「日常」に対して
幻滅したり憤っていたり、放心している状況を描いていると思ってるんですけど
それもまた受けるのは「仕方ない」ダメージの一つなわけで
そこが気になって脳内にこびりつく事も茶飯事で
逆に言えば自らが傷付いている様を晒す事によってそういう行為に対する警告を行ってる、とも
私個人的な考えで言えばそう思います 何に価値観を見い出す事すら憚られる嫌な時代
でも自分がこういう価値観を持っているのも
自分がこういう思想を持っているのも
自分が決めたようでその実自分では決めていない、ただ元々「そうだった」だけ
つまりは神のカルマ=業、である だからそれに対して卑屈に思う気持ちも反省する気持ちも本来必要ない
そこで迷う事があっても、それに対する懺悔や代償を支払う必要なんて本当はないんです
ただ「そういう」人間だっただけ
だからそのままで、自由なままでいても許される
そのくらいの「正しさ」はどうか尊重されて欲しい・・・と
そういう願いが込められている曲だと私は思っています
本来であれば鳴る必要のないサイレンがあちこちで鳴っているよ、って。

不用意な邪測や自分のストレスを晴らす為だけの嘲笑、価値観を染め上げようとする行為は
きっと簡単に他人の精神を蝕んで取り返しの付かないダメージを与える
もしかしたらそのダメージがあまりに大きすぎて
立ち止まって混乱する事を余儀なくされるかもしれない
だけど、それが自分の生まれ持ってるものだと本気で思えるのなら罪悪感を払う必要もなく
自分の価値観の赴くままに歩いてると感じれてるならそれはそれで悪い事じゃない
この曲はボロボロに侵された精神状態を描いてる曲ですけど
散々否定されたとしても、結局は神のカルマ、自分自身は自分自身でしかない
それに俯きながら、つまずきながら、それでも「自分」で居ようとする心境を描いている曲でもあるのかも
最後のレンタルビデオ~のフレーズが聴き手に意志の確認を促しているようにも聴こえる
そんな自己否定に対するペーソスと、
自己否定に対するアンサーが同時に鳴っているような曲だと思います
最終的に「俺は俺だ 君は君」って強く思うためにあるようなナンバー。

嫌いな人は嫌いなままで、好きなものは好きなままで。そんな風に歩いていけばいい。
普遍的な「落ち込み」「嫌悪」を歌いながらもその実真っ直ぐでもあるのかもしれません。
初期を代表する名曲の一つ。



この曲はベースの躍動感が素晴らしくアンサンブルの迫力も相当に聴き手に伝わって来る曲ですね
煌きながら儚さも放っているギターサウンド、どっしりしたリズムを刻むドラムと合わさって
バンド演奏に聴き入るだけでも相応のカタルシスを感じ取れる楽曲になっています
その上サビの憂いのあるメロディー、
ラストの放心状態をきれいにカットして歌っているフレーズの痛切な叫びも胸に響く
歌詞の奥深さやある種の普遍性にプラスして楽曲自体も際立って印象的なテイストになっています
例え否定されたとしても、
それが取り繕ってない本当の自分ならば
否定されていたとしても「正しさ」は宿っているはずだから。
「それはそれでいいんだ」ってペーソスだけでもない意思も感じられる曲ですね。
さり気に「自分を貫く」という行為に関しても問いかけてるのが尚素敵です。
















この曲を初めて聴いたのは勿論学生の時でしたが
あまりにリアリティのある状況描写に驚き独特のカタルシスを得た記憶があります
心の置き場がなくなったときに、独りでそっと聴くような一曲です。




Syrup16g全曲レビューその62「月になって」

2013-09-22 14:10:16 | Syrup16g全曲レビュー



















月になって                  アルバム「HELL-SEE」収録

















この全曲レビュー企画はそもそも「犬が吠える」が突如解散し不安で
また五十嵐隆が前線に復帰するのを願って始めた全曲レビュー企画なのです
これが終わる頃には復帰してるといいな、と思ってましたが
終わる前に復帰し
そして先日UKFCで念願の、5年半ぶりの五十嵐隆の生声を聴く事が叶いました
始まる前から感無量でしたが、始まったらもう何度も泣きそうになってしまった位感慨深いステージで
その姿はとてもエネルギッシュで生命力に溢れているような感触が確かにありました

でも、一旦始めた企画ですから最後までやり通したいと思います
まだ、自分にとって大切である種の救いにもなった曲たちが残っているので。
なったというか、未だに力を貰っていますけどね。








この「月になった」を聴いたのは学生の頃で
その頃から物悲しさと優しさが同居しているこの曲が大好きでした
私はSyrup16gで一番好きなアルバムが「HELL-SEE」なんですけど
その頃も今もかなりの頻度で聴くような求心力と存在感が溢れている楽曲ですね
大人になって、「何か」になれた実感がはっきり言ってゼロだからこそ
胸に沁みるような・・・
だけど、この曲に関してはそのまんま「何もなかった」学生時代に於いても自分にとってよく機能していて
ふと時折空しさを感じては一人で浸っている、無心に聴くような、そんな曲でもありました。

何よりも、この曲はメロディが凄く良いんです
Syrup16gはそもそもが美しいメロディを逐一鳴らしてきたバンドですけど
その中でも一聴きした時からズバ抜けたメロディだな、と深く感じていました
淡々と、でも感情も水面下では籠もっているような静かな歌声から
アンニュイさがそのままメロディになったような、
切なくも繊細なメロディが広がっていく音像は何度聴いてもグッと来ますし
真剣に感じざるを得ない雰囲気が込められています
理屈抜きで表現すれば、心情の吐露がそのままきれいに零れ落ちていくような儚さがあって
それに触れるのが堪らなく気持ちよく、また沁み入る楽曲・・・というのが個人的な見解ですね。

タイプとしてはバラッドに属すると思うんですが
心地良く鳴らされる序盤からサビではその感情の吐露を表現してるかのように音が静かに白熱していく
そういう楽曲構成もまた面白く後になればなるほど感情移入をせざるを得ない作りになっているのが素敵な曲。










「ありのまま何もない君を」

人並みに努力して、頑張ったつもりで、自分なりに懸命に生きているつもりでも
結局理想にも平穏にも、豊かさにも届かず不満と劣等感と不安だけが残っていく日常
特に人生の過ち等犯しておらず
人道にも外れず
真っ当に生きようとしてもそこには「何もない」という心情が常に付き纏って虚無感から逃れられない
自分のままで、自分を貫き通して、自分を保った結果「何もない」という感触に辿り着くならば
最終的に感じる想いは俯いてしまうような空しさでしかない
そこからはきっと逃れる事は出来ない


「子供じゃないから
 言葉じゃないから
 そばにいるだけ
 今はこれだけ」

そしてこのフレーズも個人的に大好きなフレーズです
子供のようにふてくされて立ち止まれるほどの時間と余裕はもうない
言葉で励まされるほどの根源的な自信もとっくに失くしている
でも、そんな時にそばにいてくれれば
いなくならないでくれれば
きっとまた立ち上がれる時だって訪れる
「存在」そのものが自分にとってのエネルギーに変わっていく、ということ。
そういう繊細で情景を感じさせるフレーズの妙はやっぱり冴えてるなと思います。


個人的な見解ではありますが、
この曲はある種自分自身に向けて鳴らされてる曲なんじゃないか・・・と思う時があります
「自分(心)」がいなければ「自分(思考)」が今存在していられる事もないから
何も思わず何も責めずにただその存在を認めてあげる歌詞にも感じられて
結果的に「何もない」なんて思えてしまう自分に対して
苦しくて嘆きの心情を吐露してる曲にも聴こえる
だからこそ他者に対する意味合いだけでなく更に深く深く響くような曲なんじゃないかと
頑張っても、いくら努力して願っても到達出来ない場所は確実に存在する
その現実に対して必要以上に空しさを感じてしまった時に
側に居てくれる、
何も言わずに寄り添ってくれるような・・・
結論と致しましては私にとってはそういう曲ですね。
作中から漂ってくる哀愁と劣等を認めなければいけない悔しさに胸が熱くなる一曲でもある。
そんな色々な角度から聴いて色々な心情を感じる事が出来るのが何よりの長所かもしれません。名曲。
















「掴めそうで 手を伸ばして
 届かないね 永遠にね」


でも、こういう悔しさがあるから人は立ち止まる事を踏み止まれるのかもしれません。
今の自分の敗北をしっかり受け止めて感じて、もう一度前に進む為の歌なのかも。
人は後ろ向きだって歩いていける生き物ですから。
無理に前向きになんてならなくていい。