ふうちゃん本舗

のんびりおじさんの社会科見学

焼きプリンに見る日本の技術

2018-09-30 12:00:03 | 街を徘徊して


スーパーで売られているプラスチック容器に入った「焼きプリン」
はて?どうやって作っているのだろうと思いました。

表面は焦げていますが、容器部分は焦げてもいないし、
溶けてもいない。不思議ですよね。

これは(簡単に言うと)3つのことから実現できているそうです。

1つ目は、焦げ部分を作るために、プリン上にゼラチンの薄い膜が作られていること。

2つ目は、その膜に160℃の熱を加えるときれいな焦げ色になること。

3つ目は、容器に160℃に耐えられものが使われていること。

これらによって自然な焦げ目色の「焼きプリン」が実現できています。

ここに辿り着くまでは技術者のかなりの試行錯誤があったものと思います。
商品化まで少なくとも1年以上はかかっているのではないでしょうか。

ちなみに、この方法で24年前に森永乳業から特許が出されていますが、
今は自由に使える技術になっています。

また、森永ビビダスヨーグルトの蓋にヨーグルトが付着しないというのも、
森永乳業と東洋アルミとの共同開発品を使っているからです。
蓋にはランダムに非常に細かい突起(顕微鏡で見ないと分からない)が作られています。
蓮の葉を模したものですが、このような加工ができる技術は日本のお家芸でしょう。


ファントムが九大に墜落してもう50年か

2018-09-23 09:28:34 | 街を徘徊して
福岡空港ビルは改築移転中ですが、まもなく完了。
民営化され「空港=アミューズメントパーク、遊びにおいで」とCMを流しています。
引き続き滑走路が延伸される計画です。

以前は「福岡空港」とは言わず、
米軍の飛行場でしたので「板付(イッタ、ズッケ):厚木のように地名呼」と言っていました。
それを民間機が利用していました。

当時はベトナム戦争で使う、ファントム戦闘機が頻繁に離着陸を繰り返していました。

ファントムが着陸する時は機首を上げ、
鷹が獲物を狙って急降下している姿そっくりでした。
離着陸の騒音も半端ではありませんでした。

また、ここには独自のAM放送局もあって、
24時間、最新のアメリカ音楽をDJ式に流していました。
これを聴く洋楽ファンも多かったと思います。

ところでご存知レストランのROYALはここが発祥の地です。
ここの米軍で仕事をされていた江頭さんが創業しました。

福岡空港での機内食の提供。
そして旧第1空港ビルにあったレストランが1号店ではなかったかと思います。

その後、ROYAL HOSTとして全国展開。
本社には社長が使っていた(と思う)ど派手な大型アメ車がありました。

ところでこの時の50年前、
建設中だった九州大学の大型計算機センターに操縦不能となったファントムが突っ込みました。
パイロットは寸前に博多湾に脱出、日曜日(だったと思う)で夜も遅かったので幸いケガ人はいませんでした。

直ぐに米軍が来ましたが学生によって学内から追い出されました。
残骸は学生の反対があって2年間は撤去できませんでした。

余談ですが、1970年の大阪万博の時、
期を同じくして大阪城公園で行われた「反戦のための万博:ハンパク」にこの機体の一部が持ち出され、
展示されていたのですがご存知ないと思います。

こんな福岡空港、
ベトナム戦争が終結してから一部を残して米軍が撤退し、
今の福岡空港になりました。
時の流れは早いものです。