長野県の伊那市に本社を置く伊那食品工業は寒天のトップメーカーだ。1958年の創業から48年間、増収増益を達成し、現在の売り上げは165億円、従業員は約400名。同社が国内マーケットに占めるシェアは8割、世界でも15%となっている。不景気の到来で、経営の前途に不安を抱く企業が多いなか、毎年着実に成長する同社の経営姿勢に関心を抱く人々は多く、帝人、トヨタグループ幹部等が同社を見学に訪れている。
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伊那食品工業会長 塚越 寛 1937年、長野県生まれ。伊那北高校を肺結核により中退。58年伊那食品工業に入社し、83年代表取締役社長に就任。2005年から現職。著書は『いい会社をつくりましょう。』。趣味は写真で、伊那谷の四季の風景をカレンダー、ポストカードにしている。塚越寛会長は伊那食品の実質的な創業者で、21歳のとき、社長代行として経営に参画した。
会社を強くするものは何か。経営者としてずっと考えてきた。出た答えは「社員のやる気を引き出すこと」。やる気を引き出すことさえできれば会社は強くなる。例えば機械はカタログに書いてあるスペック以上の仕事はしない。しかし人間はやる気になったら、やる気のない人の3倍くらいは働く。人間は頭を使うから、自分で工夫して仕事の能率を上げていく。では、具体的には何をすればいいのか。
考えた末に、ひとつの答えを出した。やる気を引き出すには社員に「これは自分の会社だ」と思わせればいいんだ、と。社員が自分のうち(自宅)のように感じる会社にすればいい、と。たとえ会社ではダメ人間でも、うちに帰れば立派なお父さんだという人はたくさんいる。金を稼いで、家庭を守り、子どもの面倒を見る。家族を守ることに手を抜く人間はいない。それは「家庭は自分のもの」と思っているからだ。会社もその人にとっての家庭にすればいい。これが一般の会社だと、社員持ち株会などをつくって、株を分けたりする。しかし、それくらいのことでは社員は会社を家庭だとは思わない。
そこで、まずは情報を共有することにした。当社では幹部だけが知っている数字などない。製品をどれだけ売って、どれだけ儲かったかは社員なら誰でも知っている。また、リストラをやったことはないし、これからもしないつもりだ。給料も地元では高いほうだ。社員旅行も、39年も前から1年おきに海外へ出かけている。そして、万が一社員や社員の家族の身に何かが起きたら、私は完全に面倒を見る。
5年ほど前のことだが、社員の自宅が火事で全焼した。消防署から第一報が入ると、私はすぐ陣頭指揮に立った。
「第1班はすぐに駆けつけろ。状況がわかったらオレに知らせるんだ。第2班は炊き出しの用意をして現場へ急行すること。そして、第3班は待機だ」
社員は火事の現場に駆けつけてきて、それぞれ着るものや家具をカンパした。会社は被災した社員に建て替え資金を貸し出した。利息は一切取らない。火事に限らず、私は困っている社員がいれば何でも面倒を見る。そして、約束したら絶対に守る。この50年間、それを続けてきた。
家族のように思うといっても、私は特定の部下と飲みに行ったりはしないし、社員の結婚式にも極力、出ないようにしている。全員の式に出席することは不可能だからだ。加えて、当社では部下は上司に贈り物をしてはいけないと決めている。逆に上司が部下におごったり、プレゼントするのは大いに結構。どんどんやりなさいと言ってある。部下を怒ることもある。しかし、それは仕事の成績が悪いといった理由ではない。そして、自分の感情にまかせて声を荒らげたこともない。叱責するのは怠慢に対してだ。何度も同じミスをしたり、約束を破ったり……。実際、そのような部下は少ないが、そういった場合は机を叩いて怒る。
私が入社した50年前には、地域にいくつもの寒天製造会社があった。当時の寒天の用途は和菓子の原料。しかし洋菓子の流行などで需要が減り、従来の得意先だけを相手にしていた寒天会社はつぶれてしまったのだ。
責任者になったのは寒天の売れ行きが減速し始めた頃だった。従業員は十数人で、しかも皆、私より年上。私はとにかく仕事を覚えようと、工場に2カ月間、泊り込んだ。しかし、いくら熱心な態度を見せても社員たちの態度は変わらない。ただ、私には社員たちの心の痛みに共感する気持ちがあった。
画家だった親父が終戦の年に病気で亡くなり、母が子ども5人を抱えて働いた。貧乏暮らしだったことに加えて、私は17歳で結核にかかり3年間病院で寝ていた。逆境にいたから人の痛みはよくわかる。だから社員たちの態度がすぐに変わらなくても、自分が相手に対して愛情を示し続けていればいいと思っていた。
会社として形になってきたのは責任者になって20年も経った頃。うちはほんの少しずつ成長して、今のような形になった。
「ルイ・ヴィトンみたいなブランドになろう」
私が大事にしていることは3つある。それは時間軸、公、「利他」ということ。まず時間軸だ。私は常に会社の永続を目指すと社員に話している。会社が長く続くために急成長は必要ない。屋久杉の年輪をご覧になったことがあるだろうか。年輪はものすごく細かい。屋久杉は低成長だからこそ、6000年も生きていられる。会社も同じ。1年の成長が少ないほど長生きできる。
会社の成長というと世間一般では売上高が増えることと考えている。しかし、わが社の定義は違う。仮に売上高が同じでも、適正な利益があり、その利益を正しく使って外部の人も社員も「自分は成長した」と実感できれば、それが「成長」だ。きざな言い方だが、社員全体の幸福度の総和が大きくなっていくことが当社の成長なのだ。
社員に対してこう言ったことがある。
「おい、うちもルイ・ヴィトンみたいなブランドになろうよ」。皆けげんな顔していた。「そんなの無理ですよ」って。私はふたたび問いかけた。
「どうして無理なの。何も明日やあさってにヴィトンになるって話じゃない。オレが死んだ後の社長でもいいし、その次の社長でもいい。50年、100年かければできないことはない」
時間をかけることに対して人は鈍感だ。目標を達成するには時間軸を長くとって、自分の未来に自信を持てばいい。そうすればたいていのことは実現できる。ただし、目標の達成は未来のことでいいけれど、着手は今すぐでなくてはならない。
スープ、ゼリーの素など寒天商品を「かんてんぱぱショップ」(全国11カ所)で販売。東京・初台店、仙台店にはカフェも併設。
時間軸ともうひとつ大切なのは「公」を意識すること。うちには「仕入れ先を大切にする」「町づくりをしっかりやる」といった決めごとが10カ条あるが、その精神は、公を意識しながら会社を運営していくことの大切さだ。公を意識することは、すなわち自分自身の行動を客観的に眺めることにつながる。経営者や上司が公の意識を持ち、大きな視点で行動していれば、おのずと社員たちとのつきあい方にも節度が出てくる。
最後に、人間関係をよくするために何をするかと問われたら、答えはひとつしかない。それは利他ということ。自分だけの利益を追求するのでなく、他人も一緒に幸せになろうということ。私にとって利他の対象はまずは社員だ。むろん、人生にはつらいときや苦しいときがある。でも、そんなときは「自分は小説の主人公なんだ」と思い込めばいい。そして、「小説のなかで今はつらい時期だ。しかし、この小説(人生)は必ずハッピーエンドで終わる」と考えれば、乗り切ることができる。
結局、ビジネスマンにとって必要なのは自分なりの「軸」を持つことだ。いくら本を読んだり、勉強会に出たりしても、自分自身の軸が確立していなければ他人の意見やトレンドに流されてしまう。「年功序列を守る」「リストラはしない」といった決めごとは会社としての軸を持っていなければ実行できなかった。(ttp://president.jp.reuters.com/article/2009/01/16/AFC213AC-E202-11DD-9F4A-D0293F99CD51.phpより転載)
今の日本企業は、韓国企業に追い上げられて苦しい、と思ってるだろうが、その感覚は25年前頃から、多くのアメリカの製造業が抱えていた感覚だ。(本文は株式日記と経済展望)
バイクは電機ほど切羽詰ってはいないが、イタリアのバイクメーカーに元気がありそうに見えるのは、数年前から輸出産業を育てようという政府の方針とかでバックアップしているのかもしれないし、大きな国内需要をベースに同じ型式のエンジンを1日に1万台生産し、コストを大幅に下げて(エンジン1台が日本円で数千円だという)安価な製品を世界中に供給する中国のメーカーに生産台数で抜かれてしまっていると思う。
日本のメーカーもグローバル生産で対抗して、品質もまだ優位に立っているが先は分からない。
日本国内も100万台ほどの新車需要があれば、モデルのバリエーションも増え、もっと楽しくなるのだろうが、販売台数は1980年あたりをピークにして途中で持ち直す状況もあったが、2006年の駐車禁止取締りの民間委託が痛手の決め手になってしまった。これは民間委託というシステムの効率が予想以上に良かったのだろうか。
行政が民需の阻害になるのは、想像と創造の欠如だと思うのだが、行政が一方を規制するなら代替手段を構築してバランスをとらなければそういう結果になることを予想できないシステムは欠陥だらけだが、それにも光明の兆しが見えてきた。いや、今のところ駐車場のことだけだ。もう少ししたら詳しく報告できるかもしれない。
自動車業界は若者のクルマ離れを最近になって認識してきているが、それはバイク離れと根が同じであるから、パイの取り合いではなく一緒になって考える必要もあると思う。
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