骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

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2012年03月の記事一覧

柳森神社を骨で聴く


 東京というよりも日本の代表的な街となった秋葉(あきば)・アキバ・AKIBAの略称を持つ秋葉原ですが、サブカルチャーの聖地とは別に隠れた穴場があります。骨伝導とともに巡礼する神社も秋葉原駅徒歩5分程度の場所にあったのです。
 それが「おたぬき様」の柳森神社です。

 秋葉原駅の電気街口から山手線・京浜東北線の在来線と東北・上越・長野等の各新幹線の走る路線沿いに南へ向かうと、神田川に出ます。ここに神田ふれあい橋があり、渡って左側に柳森神社は現れます。
 駅からは近いものの神田川を渡ったことで、秋葉原のイメージとは異なる雰囲気になります。下町らしい風情もあるものの、周辺はマンションをはじめ、多くのビルが林立しています。電気街では喧騒が続く空間でしたから、騒音対策としての骨伝導が有効なエリアでしたが、神田川を渡ると骨伝導の役割は、全く異なります。それだけ静かです。

           ⇒ 米軍の爆音でも通話可能は骨伝導


 さて、柳森神社ですが、室町時代の長禄2年(1458)に太田道灌が江戸城の鬼門除けとして数多くの柳の木を植えた際に江戸の鎮守として祀られたという由来があります。しかし建てられた当時は現在地の対岸、外神田側にあったようです。現在の神田川の流れは江戸時代からのものですから、創建当時、ここに川があったのかどうかはわかりません。もしあったとしたら、神田川ではなく上野不忍池方面からの流れだったかもしれません。

 境内は道路より低い場所にあります。社務所の2階が路面の高さと同じです。道路からは階段で降ります。

 まず注目医すべきはたぬきの像で、「おたぬき様」と呼ばれています。
「たぬき」=「他抜き」とかけて、他に抜きんでるという意味から勝負事や立身出世、金運向上にご利益があるとされています。何とも日本的で好感の持てる内容です。

 境内の先には神田川、その先には世界に誇る秋葉原の中心部がありますが、境内からは秋葉原の喧騒は全く感じられません。最先端の骨伝導もここでは癒しの道具になりそうです。

 狭い境内なので木々が茂っているのもごくわずかです。しかしこの地域のことを考えると、これほど新鮮な風景はないかもしれません。境内も土があることがこの周辺では貴重です。



 本殿前には福寿社の社があり、これは徳川5代将軍・綱吉の母である桂昌門院が崇拝していたものを移したといわれています。ここに「おたぬき様」があります。本殿でも参拝を終え、帰路につくときに再び「おたぬき様」に骨伝導の今後をお願いします。

 ちなみに鳥居から階段を下りた場所にベンチがあります。喫煙も可能なようです。秋葉原の街からここまで足を伸ばし、ここで一服、というのもなかなかのものだといえます。

浜松町駅を骨で聴く

 骨伝導機器とともに鉄道関連の施設、特に駅を取り上げるのは、不定期にありました。しかも話題にする駅の統一性の無さは格別で、全く基準がないのが特徴ともいえます。今回も基準なしで浜松町駅を骨で「聴く」ことにします。  東京都港区海岸一丁目という所在地にあるのがJR東日本の浜松町駅で、浜松町二丁目に東京モノレールの浜松町駅があります。JR東日本の路線は、一般的には「山手線」と「京浜東北線」になります . . . 本文を読む

多摩六都科学館を骨で聴く

 多摩北部地域の小平・東村山・田無・保谷・清瀬・東久留米の6市が共同で開館した施設です。施設名の「多摩六都」とは、上記の6市を意味しますが、開館当時は1994年で、田無市と保谷市が合併して西東京市になる前でした。しかし現在でも名称は変わっていません。  以前に取り上げたスカイタワー(通称・田無タワー)のすぐ近くにあります。           ⇒ スカイタワー西東京を骨で聴く  まず注目なの . . . 本文を読む

立石熊野神社を骨で聴く

 東京で唯一・安倍晴明ゆかりの神社として知る人ぞ知る熊野神社に、骨伝導とともに参拝に出かけました。葛飾区の立石にあります。  旧立石村の鎮守ですが、やはり鳥居の下に見える神紋が際立ちます。五角形の中に八咫烏です。  八咫烏は3本足で、神武天皇が熊野から大和へ向かう途路、険悪な参道で道に迷った時、アマテラスオオミカミが夢に現れ、八咫烏を先導にしたと伝えられるものです。神のお使いの鳥です。  社 . . . 本文を読む

武蔵境珍々亭を骨で聴く

 東京の隠れた名物である「油そば」。  その発祥は不明である、というのが正確な表現かもしれません。と、いうもの、油そばの発祥については各説があり、今や伝説化してしまった部分があるからです。例えば、国立市の「三幸」は、一橋大学のそばに1952年に創業しましたが、昭和30年代前半頃から酒の肴として提供を開始したという説があります。しかし武蔵野地域で圧倒的に信じられているのは、1958年(昭和33年) . . . 本文を読む