骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

富士見町赤城神社を骨で聴く

2012-09-08 11:26:38 | 骨で聴く巡礼旅

 強烈なパワースポットとして訪れた三夜沢の赤城神社に続き、赤城山の大沼湖畔にある赤城神社へと骨伝導機器とともに行きました。前橋市富士見町赤城山にある神社で、上野国二宮の論社のひとつです。赤城神社の元宮(山宮)という説がありますが、実はよくわからないようです。
 
          ⇒ 三夜沢赤城神社を骨で聴く
          ⇒ 老神温泉の赤城神社を骨で聴く

 社伝では豊城入彦命が上毛野国を支配することになった際には既に山と沼の霊を奉斎したと伝え、允恭天皇・用明天皇の時代に社殿を創設したといいます。歴史のある神社であることは間違いなく、今ではレジャー的要素のある赤城山のメインスポットの一角まで担っています。
 806年(大同元年)には、神庫山(現在の赤城山外輪山・地蔵岳)中腹より大沼の南の畔に遷座したといいます。その遷座の故事に因み、神社周辺を大洞と呼ばれるようになり、現在の地名に残っています。そのため大洞赤城神社とも書かれたりします。
 しかし大洞は「大堂」とも書かれたといわれ、山頂に堂があったという伝説の残っています。



 この赤城神社が歴史上に登場するのは江戸時代でした。
 1601年(慶長2年)に、厩橋(前橋)城主として入封した酒井重忠が鬼門に当たる大洞赤城神社を篤く信仰したといいます。その後、歴代藩主もこれに倣いました。酒井重忠は「正一位赤城大明神・赤城神社」の改築を幕府に申し出、次の藩主酒井忠世は、相殿に徳川家康公を祀るようになりました。

 寛政年間には三夜沢赤城神社と「本社」「本宮」の文言を巡って争うことになりました。
 現在の小鳥ヶ島(厳島神社跡地)に遷座したのは、1970年(昭和45年)で、社殿が現存するものへ再建されました。この際に小鳥ヶ島の環境を破壊するとして反対運動が起こったのも事実です。

 鮮やか社殿と観光地としての側面を持つ赤城山の大沼との関係から、存在感は見事で例えばボート遊びをしていても引き寄せられるような感覚を抱きます。
 この存在感は三夜沢のパーワースポットを体感するものとは全く異質ですが、ぜひとも参拝をオススメしたい神社といえます。

 骨伝導の特許技術もここまでの存在感があれば、より普及し、その性能が世に広まるのではないか、などと妄想したりします。

          ⇒ 驚異の特許技術を採用・骨伝導


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