新学期が始まり、一週間が経ちました。
昨日まで集団登校をし、今日からは自由に登校です。
学校から帰った長女に、新しい先生の授業はどうかと訊ねたら
『うん、まぁ、ぼちぼちだね』
そうかそうか、先生も一生懸命指導してくれているに違いない。
詳しくは今月末にある、家庭訪問で聞いてみよう。
そういう次女は、
『ママあのね、今日ね、一年生の時の担任の先生に会いに行ってみたらね、
”いま忙しいのであとにしてくださいっ”
って言われたんだよ、ママ、、』
…昼休みに、一年生の時に同じクラスだったお友達と何人かで、当時の担任の先生の顔を見に、クラスへ行ってみたらこの結果である。
このことを、仕事から帰った夫に話したら大爆笑。
”先生すごいわ。ある意味、ブレてないよね。”
だそうです。
もちろん、わたしも最初に次女からその話しを聞いたときには大爆笑だった。
一年生の時に見ていた(可愛い)教え子が
先生に会いにきたのに
先生は『忙しい』のひとことで一蹴である。
もはやすごいとしか思えない。
それでいいのだ。
あの先生は、それが普通なのだ。
毎日毎日『忙しい』し、『イライラ』しているのだ。
それでいいのだ。
だって人間だもの。
次女は、二年生の担任の先生が優しいのが嬉しいようだ。
『あのね、ママ、先生がね、宿題忘れたら中休みにやればいいですよーって言ってくれたんだよ。』
ほう、それは優しい。
宿題を忘れても咎めることなく
中休みにやればセーフという猶予を与えてくれている。
宿題を忘れることはないにしても次女は喜ぶはずである。
ただ、まだ始まったばかりなのだ。
一年のときの担任の先生も、初めはこんな調子だったのかもしれない。
だんだん、厳しくなっていったのかもしれない。
初めは、先生も様子見なのかもしれない。
だからまだ、本性は分からないのだから安心は出来ない。
次女も、いまはまだ先生を優しいと思っているが、あと二週間くらいしたらその”評価”がどうなっているか
わたしにもまだ想像がつかない。
兎にも角にも、今月末の家庭訪問である。
全てはそこから始まるのだ。
昨日まで集団登校をし、今日からは自由に登校です。
学校から帰った長女に、新しい先生の授業はどうかと訊ねたら
『うん、まぁ、ぼちぼちだね』
そうかそうか、先生も一生懸命指導してくれているに違いない。
詳しくは今月末にある、家庭訪問で聞いてみよう。
そういう次女は、
『ママあのね、今日ね、一年生の時の担任の先生に会いに行ってみたらね、
”いま忙しいのであとにしてくださいっ”
って言われたんだよ、ママ、、』
…昼休みに、一年生の時に同じクラスだったお友達と何人かで、当時の担任の先生の顔を見に、クラスへ行ってみたらこの結果である。
このことを、仕事から帰った夫に話したら大爆笑。
”先生すごいわ。ある意味、ブレてないよね。”
だそうです。
もちろん、わたしも最初に次女からその話しを聞いたときには大爆笑だった。
一年生の時に見ていた(可愛い)教え子が
先生に会いにきたのに
先生は『忙しい』のひとことで一蹴である。
もはやすごいとしか思えない。
それでいいのだ。
あの先生は、それが普通なのだ。
毎日毎日『忙しい』し、『イライラ』しているのだ。
それでいいのだ。
だって人間だもの。
次女は、二年生の担任の先生が優しいのが嬉しいようだ。
『あのね、ママ、先生がね、宿題忘れたら中休みにやればいいですよーって言ってくれたんだよ。』
ほう、それは優しい。
宿題を忘れても咎めることなく
中休みにやればセーフという猶予を与えてくれている。
宿題を忘れることはないにしても次女は喜ぶはずである。
ただ、まだ始まったばかりなのだ。
一年のときの担任の先生も、初めはこんな調子だったのかもしれない。
だんだん、厳しくなっていったのかもしれない。
初めは、先生も様子見なのかもしれない。
だからまだ、本性は分からないのだから安心は出来ない。
次女も、いまはまだ先生を優しいと思っているが、あと二週間くらいしたらその”評価”がどうなっているか
わたしにもまだ想像がつかない。
兎にも角にも、今月末の家庭訪問である。
全てはそこから始まるのだ。