いやぁ、みなさん またまたのご無沙汰、どーもしーませんでした。
なんか、5,6月は取材が立て込んでまして、ブログを書く余裕が・・・
いつか時間ができたらカテゴリー別に分け、もう少し詳しく書き加えたく思いますが、とりあえず、全部まとめて簡単ですが、ご報告だけチラッとしますね。
5月20日、かねてより療養中だった、大好きな堀内完先生 (ユニークバレエシアター主催、イズミ・ミュージカルアカデミー講師、舞踊家、演出家、振付家) が、誠に残念なことにご逝去されました。85歳でした。
翌朝真弓先生からご連絡をいただき、イズミではナオミが同期に連絡、お香典をまとめてくれました。
ナオミとユカ (二人ともユニークにも行っていた) が同期代表として、西麻布の妙善寺にて23日に執り行われたお通夜に行ってくれました。
私もお通夜か告別式のどちらかにできれば駆け付けたかったのですが、既に決まっていた取材等の日程的にどう考えても無理とわかり断念。
そういうと、ナオミは 「完先生もクリエイターだから、きっと書くほうに専念しろ、と言ってくれると思うよ」 と言ってくれて、少しだけホッとしました。
>よいお通夜でした。
>夕暮れ時の境内は、ダンサーの皆さんが多いから、お焼香を待つ列も姿勢の良いこと!
>屋内の読経は外には聞こえにくかったけど、水が流れていたり、空が綺麗だったりして、時間が長いとは感じなかった。
との報告を受け、なんだか情景が見えるような気がしました。
お香典はアカデミー専門部10期生で13人の申し出があったそうです。
私は、自分のようなものが差し出がましいかとは思いましたが、何かせずにはいられなくて、そのお香典参加の他に個人的にお花とお線香をお送りしました。
注文の仕方を間違い、お通夜には届かず、告別式での到着になってしまったのですが・・・
完先生に差し上げるお花が、華やかな公演用のものではなく、このようなお花だったことが悲しいです。
でも、明るい完先生にお贈りするのだからと、気持ち、明るめのお花も入っているものを選びました。
完先生との思い出は尽きないので、また落ち着きましたら改めて書き加えさせていただきたいと思います。
1986年3月22日、専門部10期生の卒業公演にて。 (於:水道橋・労音会館・RNホール)
真ん中の、グレーの背広に茶色のシャツの方が、総監督を務めてくださった 堀内完 先生、その右隣茶色のスーツが いずみたく 校長先生 です。
最前列右端、石岡先生、その隣のミュージカル論の 風早美樹(みき)先生、みなさん故人となられました。
完先生の左二人隣りが、今でも尊敬する大好きな真弓先生。
当時25歳だった私も、どっかにいるはずです・笑。 ちょー恥ずかしいけど、青春のひとコマ?
90年12月27日、ユニークバレエシアターでのクリスマスパーティーにて完先生と。(右は真弓先生)
私はミュージカルやダンスは全然ダメな落ちこぼれだったので、
もちろんダンサーとしてでは全くなくて、むしろそうだったからこそ、違う意味で変わり種というか面白かったんでしょう (当時から書いているようなこともお伝えしておりましたし)、 可愛がってくださったんだと思います。
完先生、
出版した時に本をお送りしたら、立派な漆塗りの箱に入った祝電をくださったこと、東京からKまでかけてくださったお電話、お手紙、決して忘れません。
その続きを書くために、今、一生懸命取材しているんですよ。
出来上がりを、楽しみに待っていてくださいね。
そんな折、5月29日に、1986年にイズミミュージカルアカデミーの専門部を卒業して、2016年の今年で “卒業後30周年” ということで、同期会がありました。
私は行かれなかったのですが、後日写真が届き、本科だけでやめたり、専門部の期がズレた人なども含めて14人が参加したそうです。
ほか、アニキ的存在だった生徒のお世話係の 柳(やなぎ)さん、ダンスの 内御堂真弓先生、本科の音楽の 河崎美智子先生、そしてそのご主人で演技指導の 保(たもつ)先生まで来てくださって、
保先生はなんと、御年90歳だそうで、お元気そうで何より、お会いしたかったなぁ~。
実は最初、写真を見ても誰だかわからなかった人が4人いて・・・そのうち2人はわかったけど、最後までわからなかった人がいました・笑。
みんな、いい具合に年を重ねて、立派な中年女性になりました・笑。
この次いつあるかわからないけど・・・次はぜひ行きたいなぁと思います。
あさよちゃん (写真右手前)、いつも同期会を率先して開いてくれてありがとう。
そして今回は行かれなかったので作成した、自分の 「近況と電子書籍発売案内を書いたチラシ」 をみんなに配ってくれてありがとうね。
なんか、5,6月は取材が立て込んでまして、ブログを書く余裕が・・・
いつか時間ができたらカテゴリー別に分け、もう少し詳しく書き加えたく思いますが、とりあえず、全部まとめて簡単ですが、ご報告だけチラッとしますね。
5月20日、かねてより療養中だった、大好きな堀内完先生 (ユニークバレエシアター主催、イズミ・ミュージカルアカデミー講師、舞踊家、演出家、振付家) が、誠に残念なことにご逝去されました。85歳でした。
翌朝真弓先生からご連絡をいただき、イズミではナオミが同期に連絡、お香典をまとめてくれました。
ナオミとユカ (二人ともユニークにも行っていた) が同期代表として、西麻布の妙善寺にて23日に執り行われたお通夜に行ってくれました。
私もお通夜か告別式のどちらかにできれば駆け付けたかったのですが、既に決まっていた取材等の日程的にどう考えても無理とわかり断念。
そういうと、ナオミは 「完先生もクリエイターだから、きっと書くほうに専念しろ、と言ってくれると思うよ」 と言ってくれて、少しだけホッとしました。
>よいお通夜でした。
>夕暮れ時の境内は、ダンサーの皆さんが多いから、お焼香を待つ列も姿勢の良いこと!
>屋内の読経は外には聞こえにくかったけど、水が流れていたり、空が綺麗だったりして、時間が長いとは感じなかった。
との報告を受け、なんだか情景が見えるような気がしました。
お香典はアカデミー専門部10期生で13人の申し出があったそうです。
私は、自分のようなものが差し出がましいかとは思いましたが、何かせずにはいられなくて、そのお香典参加の他に個人的にお花とお線香をお送りしました。
注文の仕方を間違い、お通夜には届かず、告別式での到着になってしまったのですが・・・
完先生に差し上げるお花が、華やかな公演用のものではなく、このようなお花だったことが悲しいです。
でも、明るい完先生にお贈りするのだからと、気持ち、明るめのお花も入っているものを選びました。
完先生との思い出は尽きないので、また落ち着きましたら改めて書き加えさせていただきたいと思います。
1986年3月22日、専門部10期生の卒業公演にて。 (於:水道橋・労音会館・RNホール)
真ん中の、グレーの背広に茶色のシャツの方が、総監督を務めてくださった 堀内完 先生、その右隣茶色のスーツが いずみたく 校長先生 です。
最前列右端、石岡先生、その隣のミュージカル論の 風早美樹(みき)先生、みなさん故人となられました。
完先生の左二人隣りが、今でも尊敬する大好きな真弓先生。
当時25歳だった私も、どっかにいるはずです・笑。 ちょー恥ずかしいけど、青春のひとコマ?
90年12月27日、ユニークバレエシアターでのクリスマスパーティーにて完先生と。(右は真弓先生)
私はミュージカルやダンスは全然ダメな落ちこぼれだったので、
もちろんダンサーとしてでは全くなくて、むしろそうだったからこそ、違う意味で変わり種というか面白かったんでしょう (当時から書いているようなこともお伝えしておりましたし)、 可愛がってくださったんだと思います。
完先生、
出版した時に本をお送りしたら、立派な漆塗りの箱に入った祝電をくださったこと、東京からKまでかけてくださったお電話、お手紙、決して忘れません。
その続きを書くために、今、一生懸命取材しているんですよ。
出来上がりを、楽しみに待っていてくださいね。
そんな折、5月29日に、1986年にイズミミュージカルアカデミーの専門部を卒業して、2016年の今年で “卒業後30周年” ということで、同期会がありました。
私は行かれなかったのですが、後日写真が届き、本科だけでやめたり、専門部の期がズレた人なども含めて14人が参加したそうです。
ほか、アニキ的存在だった生徒のお世話係の 柳(やなぎ)さん、ダンスの 内御堂真弓先生、本科の音楽の 河崎美智子先生、そしてそのご主人で演技指導の 保(たもつ)先生まで来てくださって、
保先生はなんと、御年90歳だそうで、お元気そうで何より、お会いしたかったなぁ~。
実は最初、写真を見ても誰だかわからなかった人が4人いて・・・そのうち2人はわかったけど、最後までわからなかった人がいました・笑。
みんな、いい具合に年を重ねて、立派な中年女性になりました・笑。
この次いつあるかわからないけど・・・次はぜひ行きたいなぁと思います。
あさよちゃん (写真右手前)、いつも同期会を率先して開いてくれてありがとう。
そして今回は行かれなかったので作成した、自分の 「近況と電子書籍発売案内を書いたチラシ」 をみんなに配ってくれてありがとうね。
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