猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

発表会、無事!?終わりました… (^^;)ゞ  「前ふり」

2012年10月31日 | ピアノ・その他音楽



10月27日(土)、発表会、終わりました。  



図らずも、何しろ、近所にできたお葬式手伝いを間に挟んでの発表会になってしまったので、

いゃぁ~、ちかれた、ちかれた・笑。  


ぶっちゃけたハナシ、なのですが、(^^;)ゞ

何しろ、この辺の風習で、火葬を済ませてからの葬儀となるのですが、朝、火葬場へ向かうご遺体が自宅を出る時に、近所の人が皆 「お見送り」 といって、家の近くに集まり、喪主があいさつをして出発するというしきたりがあるので、

まず、その時間(朝8時)に合わせて、普段より “ワタシ的には” 早起き、 

その後、コンビニにストッキングを買いに行ってから (洋服はずいぶん前に決めていたのだが、バックと靴を合わせるのをコロッと忘れていて、  前日になりあわてて、ようやく決めたパンプス、と言っても数足のうちの一つなのだが、  は、ベージュだったので、昨年発表会のために買ったグレーのタイツでは合わなくて、しかも、ふだんスカートやパンプスを履かないため、なんとー 、 誰でも持っていそうなベージュのストッキングを持っていなかったのに気づいた!!  

最初の予定から、早い時間(8時40分~9時)に変更してもらったリハーサル (会場に一人ずつ行って音を合わせたり、椅子の高さや位置などを見るもの) に、ぎりちょんで飛び込み、   


その後、葬儀とその後のお浄めの食事をするK寺へ。

お料理手伝いは9時からなので、前もって手伝いの女衆には断ってはあるが、ちょっと遅刻。
( 手伝いの近所の女衆のほかに、住職の奥さんと娘さん、そしてこういう時に専属の手伝う人が二人いる。 )

K寺は、弁当などの仕出しは一切取らず、汁物などを含む 「全てが手作り 」  という方針、なうえに (しかも、暖かいものなどは頃合いを見ながら順に出すので、← 料亭並み。  手伝いの衆の食事の席は、招待客と同じ部屋に用意はされているが、落ち着いて食べてるマもなく、しかも重労働。 ) ← 専属の手伝いを含めた 「お寺側の人間」 は、庫裡(くり=台所) にいて、手慣れたところで中心になって作るのが主だから、「近所の手伝いの女衆」というのは、料理を客席まで運んで行ったり、最後に下げたり、という 「お運びさん」 と、寺の衆の調理の 「おてこ」(たぶん、手伝い、を意味する方言で、下働きとか子分みたいなそういう意味合いを持つと思う) として働くことになっているため、より気も使い、重労働なのである。

さらに、葬式前に 「出たて」といって、火葬場から戻った親族+近所の衆の 簡単な「昼ごはん」 まで作って出す、この寺だけに残っている風習があるので、エレー時間と手間がかかるり、よけいに大変。   

しかも、寺の決まりでは、手伝いは10人に一人、という申し出なのにもかかわらず (つまりは5人は必要だった)、 喪主が少人数でこじんまりとやるから、手伝いは3人しか頼まなかった、という、 その中に私が入っていた  もんだから (店はその家のお向かいさんみたいな所だし、この辺では若い部類に入り、しかも隣近所にはあまり女手がないので頼まれたのだろう)、断るわけにはいかないではないか!! 

(だが、手伝いに出ると決心するまでには、親とけんか腰になるほど、困り、迷った。      しかし、時間を調節してうまくやりくりすれば、リハーサル、葬式手伝い、発表会本番と、いづれも出られなくもない、と分かったので、仕方なく?決心。   )

葬式(食事も含めて)は、葬祭場ではなく寺で挙げ (第一、田舎なので、葬祭場なるものがつい最近まで一切なかった)、 それを近所の人が総出で手伝う、というこの辺の習慣には、もちろん意義もあるが (そんな時代ではない、と思うのと、皆年を取ってきて、手伝いも出しにくい状態なので) 、このさい、おいといて、 

他の寺よりも、 労力も時間的拘束も多いK寺で、しかも、手伝いの人数が少なかった  のだから、

しかも、私だけでなく、3人のうちもう一人(同じ年のSさん)も、5時からK文化ホールに来る 「伊那能」 を見に行くらしくて、早めに上がりたかったらしかったので(食事の後片付けや掃除もすると、終わりは4時半くらいには確実になる)、

もう忙しい(気ぜわしい)やら、重労働だわ、で、ヘトヘト。   
( しかも、発表会を控えているから、適当に、とゆーコトができないタチで、こういう時にはしっかり働かなくちゃ、と俄然?張り切るタイプなので、余計に疲れた。)

  


だんだん、発表会のことよりも、とにかくキリのいいところまで終わらせなくては、  という気持ちのほうが強くなってしまって、4時10分までいようかと思ったんだけど、

しかも、Sさんも、家に戻って着替えてから行くので、と、時間までに終わるか心配していたから、ものすごく申し訳なかったのだけど、
仕方ないから、ホントは内緒にしておきたかったんだけど、 「実はピアノの発表会で 」、 と打ち明け(Sさんだけにこっそり)、ごめんなさい、  して、
用事があるので早めに上がりたいとは言ってあったため、周りも気を使ってくれたので、4時ころには上がらせてもらいました。 



それで、家に帰ったら、全身汗だくだったのでシャワー浴びて、着替えたり (急いでいるのに、てか、急いでるからなおさらなのか、最近めったに履かないため、私はストッキングがいつもうまく履けず、ねじって履いてしまうため、途中で上がらなくなって、2、3度やり直し   )お化粧や髪型(今回は凝らずに、ただ一つにまとめただけだが)を直したり、に思いのほか時間がかかって、

出る前にもう一度、曲を通してみたかったのに、できませんでした。 
( ああ、4時10分までなんかやってたら、完全、間に合わなかったワ・大汗。 )



そんなわけで、

発表会前の、4時45分から記念写真を撮るのにも、滑り込みセーフ。   

大人の生徒さん4人は、発表会の最中に待っている席が固まっていたので、到着がギリギリになった 「言い訳」 と 「泣き言(愚痴)」 と 「笑い話」 ← なぜに?  を兼ねて、、 

実はお葬式の手伝いをして「飛んできた」 (急いで来た、を意味する方言) ので   

と、みんなから 「同情」 を買おうとする。 (せこっ・笑) ← 3人とも同情してくれました。  



う~む、これぢゃぁ、 「発表会」 の話になってないぞ、   

と、ゆーワケで、

次回いよいよ、 「本題」 入ります。      





 

発表会、目前 !!!

2012年10月24日 | ピアノ・その他音楽
きゃぁ~~~っ!!!    

魂の赴くまま、色々あちこち出歩いているうちに、 

気づいたら ピアノの発表会(10/27・土) が 目前  に迫っていたのでありました。   




さて、前回、チラッとお話しした 例の “連弾” 『ネコだんな』 (寺嶋陸也:作曲) ですが、がんばりましたよぉ~~~。 

いやぁ、 「発表会」という目標 は、ときにはいいもん、ですね。

だってさ、できないと恥ずかしいから  、やるじゃない?

しかも、 期限付き 

さらに、連弾だから、一緒に弾いてくださる 先生にご迷惑はかけられない  、 と思うと、練習しないわけにはいかない。


そして、最初はワケわかんなかったタッチも、

ちゃんと右を弾いた後の 「同じ音」 のところに左が来る(あるいは逆)、のだ   とわかると、俄然ひきやすくなる。

へーえ、よくできてるわぁ~。    すごぉーい!!


それで、だんだん少しずつ弾けるようになって、

まあ、短い曲なのですが、一人で練習していて、たまに 「ノーミス」 で弾けたりすると、

うーん、 カンペキ    

と、ひとり、ほくそえむのでしたが・・・   



いざ、レッスン日に、先生と合わせてみると…


ぎゃぁ~~~   


リズムの取り方とか、拍数とか、 全然ちがってる じゃぁーーーん!!!      


  


と、ゆーカンジで、また、 ガックリ しながら 、 音合わせをします。


何しろ、学校の友達、と違って、会えば毎日のように合わせられるわけではないので、 

週一の「レッスン日しか合わせる時がない」    と、ゆーのが、 「大人」 の連弾の弱み。

なので、必死。   


二人で合わせてみないと感覚がつかめない、というのが、多分、ですが 連弾の弱み、だと思うのですが、

いざ、 合ってみたときの「快感」 が、 一人では得られないほど、半端ない    

ってのが、連弾のいいところ、なんでしょぉなぁ~~~。
 

まっ、そんなわけで 『ネコだんな』、 発表会前日が最後のレッスン日なので、なんとか、うまく形にできますよーに。。。 



     *   *   *   *   *



もう一つの曲、 こちらは 「ソロ」 で弾くやつですが、

約一年前からやっている 『君が通り過ぎたあとに』    ですが、

前回の 『SWEAT & TEARS』 が、 完成まで約7か月だったので、昨年の発表会直後から 『君が通り過ぎたあとに』 をやるとすると、約丸一年あるわけだから、

「もしも、早くに仕上がって、時間が余っちゃった場合、どうしましょうかね?」 (''?)

なぁ~んて、先生に聞いてたくらいなんですけど、とんでもなかった。 

エーン、『君が通り過ぎたあとに』・・・ 、難しかったの。     

バラード調の、ゆっくりした曲なので、なんとなく やさしく弾けそうな “イメージ” があったのだけど、

それは、メロディーの雰囲気や詞が、おだやかで 「優しい」 のであって、 

曲そのもの (つまりは弾くにあたっては) は、 「ちっとも易しくなんかなかった」 。 

ってコト、です。 (「やさしさ」違い、ですな。  )

ある意味、 『SWEAT & TEARS』 より、難しかったカモ・・・。


まぁ、人によっては 難ないところ なのかもわかりませんが、

ちょー、リズムオンチ の、私にとっては、 メロディー(曲調) が変わるたびに、 そのリズムの取り方が、

難しくて、わかんなぁーーーいっ!!   

ついていけん・・・            

と、なるのでした。

が、何度も練習して、できるようになると、  

その、私にとっては、難しくてリズムの取りづらかったところ、音がやたら飛び弾きづらかったところ、

なんかが、逆に ちょー快感    

に、なるのですから、

まったくもって 不思議 ですね。 



特に、例の “黒鍵ばかりで音も飛ぶから、ヒジョーに弾きづらい” と思っていた 「間奏」 のところは、

「なんかね、この音が飛んでるのが、法則性がない気がするんですよね。だからよけいに難しくて、覚えられないんですよぉ~。   」

と、先生に訴える (泣き言をいう) と、

「そうなの? これがこうなって、これがこうで、次はこうなるでしょ。 その、繰り返しなの。

だから、法則性はあるんですよ。  」

と、弾いてみせながら、おっしゃる。

「・・・はあ~。 」 

その時は、すぐに附には落ちなかったけど、家でゆっくり弾いてみたら、

あっ、ほんとだぁ~。  

法則性が、ある  

そう思ったら、
まるで 「ナゾ」 が解けたみたいに、とたんに弾きやすくなったのだから、不思議。 



先生がかつて、 

「子どもは体で覚えるけど、大人は理解して覚えようとする。」

とおっしゃってくださったものの、 まさにその通り  かも、と思いました。(自己解釈なので、違っていたら、ごめんなさい。)

でもね、やっぱり難しいから、時々間違えるんですけどね。   




まぁ、そんなワケで、「時間なんてちっとも余らなかった」    わけですが、
( あ、暗譜はなんとか、できましたよ。  )

(考えてみたら、昨年はピアノのレッスンを再開したのが その年の4月からだったので、11月の発表会に出るには、否が応でも7か月しかなかった、という感じだった、つまりは、早く仕上がっていたわけではなく、発表会が来てしまったので、7か月で仕上げたってコトかも、しれませんが。  )

それでもまぁ、なんとか、この一年も、レッスンを続けてくることができたわけだし、



なんといってもですねぇ~、

ピアノって、 できないなりにも、弾けると  なんかこうね、いいよ !!


ゴンの闘病中、心身ともに疲れて弱り切っていて、ああ、明日はアクアだなぁ~、とか、ピアノのレッスン日だなぁ~、

と思うと、こんな状態の時、とても行く気になれない 、 サボっちゃいたいワ、ってそのたびに思うの。 

でも、朝が来ると、まるで条件反射のように、行かなくちゃっ!! って思う。  

で、行ってみると、気分もすっきり。

あぁ、来てよかったな~って。 



特にピアノは、自宅で少しの時間でできるので、午前中まとまったレッスンが取れない日でも、

晩ご飯の支度が終わってお風呂に入る前に、 必ず一日一回は弾くように 決めたら 
最近ではもう、それが習慣づいちゃったの。

今、なぜだかほんとに毎日疲れていて、 
ふろ上がりのストレッチとプチ筋は、正直言って去年の夏ころから、 「急に思いついて2、3日だけ復活!」 とゆー以外はサボッてまスが、 (^^;)ゞ

なぜだか、ピアノの一日一回、は続いています。 

( まぁ、ストレッチとプチ筋はしんどいことだけど、ピアノはどちらかというと気持ちのいいことだから、なんでしょうけどね。 一目瞭然、だってか!?  )


それで、どんなに心や体が疲れていたり、何か落ち込んだり悩んだり、つらい局面に立たされたときでも、

ピアノを弾いていると、すぅ~っと心が落ち着いて、気持ちがよくなる  のです。 


昨年の 『SWEAT & TEARS』 は、どちらかというと、力強い曲なので、ちょっと 憂さ晴らし  に。 (失礼) 

今年の 『君が通り過ぎたあとに』 は、メロディアスな曲なので、 優雅な気分 に。  



芸は身を助く  、とはまたちょっと意味は違うけど、似たようなものがあるなぁー と、ホント 思います。



特にね、『 君が通り過ぎたあとに~DON'T PASS ME BY~ 』(作詞・作曲:高見沢俊彦) は、 ホントに素敵な曲    なんですぅ~。


ほんとの曲では、転調してサビの部分を2度繰り返すのですが、私が発表会で弾くのは、 「繰り返し」 の部分と後奏をカット して、すぐに一番ラストの4小節に行って終わりです。


前奏、間奏(最後の2小節)、ラストのところでは、初めて 「ダンパーペダル」(音を響かせるペダル) も踏むことになり、

そのタイミング、音と同時ではなく、ちょっと後にずらして踏む、のが、最初難しくてなかなかできなかったのですが、ようやくできるようになると、

この、前奏、間奏(全体)、ラストの部分が、 たまらなく美しい  んですワ。  



もちろん、曲全体もすごくステキで、 先生が、この曲に取りかかるにあたって、初めて弾いてみてくださったとき (もちろん、初見ですよ (^^)b)、

あまりの美しさに、じん、ときて、ホント、涙が出そうでした。     

( 先生も、「素敵な曲ねぇ~」 と言ってくださって、ちょーウレシかった、デス。  )



そして、詞も、素晴らしい!! です。



伝えたいのに、伝えられない想い、

恋の始まりの、揺れ動く心のひだや、脆(もろ)く儚(はかな)げな、危うさ。  


劇場版 『タッチ・3』 の挿入歌 として、原作の世界を実に見事に、忠実に再現した曲だと思が、

たぶん、 “ 誰でも体験したことのある、甘酸っぱい、遠い過去 (ん? 現在、の人もきっといるかもしれませんね。(^_-)☆) を呼び覚ましてくれるような美しいメロディー ” は、

高見沢俊彦の作ってきた膨大な楽曲の中でも、 
完成度の高い、最高峰に位置するくらいの出来のではないか  と、私は思っている。  

( この曲に限らず、初期のころの作品、特に 「詞」 には、目を見張るものが多い。 )


そして、この曲で最も好きなフレーズ(歌詞の部分)を弾いているときは、毎回、毎回、ゾクゾクと、いい意味の震えが来るほどである。    





さて、発表会まで、あと数日。

少しでも 『タッチ』 の世界に近づきたくて、 DVDと原作の漫画を購入してみましたが、

漫画はとても読み切れないので 、 せめてDVDだけでも見て、 「南ちゃん」の気持ち になって弾くことができたら、

なぁ~んて、思ったりします。


甘く切ない、乙女な気持ちで…   




てなコト、思ってたら、近所にお葬式ができちゃって、当日朝の個人リハーサルと、5時からの本番の 間の時間を縫って
隣組の “女衆”(おんなしゅう)として、この辺の風習で、お寺の仕出しのお手伝いに行かなくてはならないコトに、なっちゃぃまシタ。   

ひょっ、え~~~      



うーむ、仕方あるめぇ。  

南ちゃんは、忙しいっと !!!        




皆さま、当日、ネコタが2曲とも、なるたけ間違わずに、ちゃんと弾くことができますように、

そして、葬式手伝いとピアノの発表会と、うまく気持ちを切り替えて、どちらもちゃんとこなせるように、

祈っててくださぃねぇ~~~。         ( ホンネは、アセ、アセ    )





『君が通り過ぎたあとに』(1987年発売) のシングル(写真右)、ALFEEで検索したらなかったのであきらめてましたが、
今回、もしや? と、曲名で検索したらヒットして、購入。  嬉しいです。

左は、この曲が主題歌として流れる 劇場版 『タッチ・3』。 いい具合に曲が入っているらしいので、楽しみです。  


原作の漫画本 『タッチ』 で、全26巻あります。 もちろん、こちらも中古ですが、
まず、アニメ版は長すぎて見切れない(しかもDVDなので全巻そろえると高い )と思い、劇場版を 1~3 と揃えようとしたら、購入者の感想で、 「原作と比べて、登場人物が絶対言わないだろうと思うセリフが出てきたり、『タッチ』らしくない部分が気になった。」 という意見もあったので、 こりゃイカンわ、と思って、
では、最もいいのは、原作の漫画だろう(全巻そろえても安いし ) と思って購入。
不朽の名作だけど、実はあんまりちゃんと読んだり見たことがなかったので (ストーリー概要は、あまりにも有名だから、大体は知ってますが )、 終わってから、ゆっくり読みたいと思います。 しーません・・・。   

注: アニメ版と違って、劇場版は、あれだけ長いものをコンパクトにまとめるために、ダイジェスト版みたいになっていて、違う方が脚本を書いているのでかもしれませんが、賛否両論あり、褒めている人もいました。ただ、私としては 「セリフ=世界観のすべて」 だと思っているので、上記のようになりました。

《 おまけ  》


『君が通り過ぎたあとに』が収められている THE ALFEE 『シングル・ヒストリー Ⅲ(1987~1990)』。

この時期のシングルのA面とB面だけを集めた2枚組ですが
2枚とも全曲 「捨て歌なし」 の、ちょー完成度の高いアルバム 

もちろん、現在がやや落ちる、とかいう意味では決してなく、
高見沢の 25年たっても色あせない、という驚異の才能 を物語るアルバム。 

この頃は、出る曲、出る曲ヒットして 歌謡番組 『ザ・ベストテン』 の“ 常連 ”さんだったので、ALFEEファンでなくとも、耳にした曲が多いかと思います。

みなさんも、よろしかったら、ぜひ、聞いてみてくださいね。 (^_-)☆  










『 K.ファウスト 』 ・・・ 10/20 松本市民芸術館 (特設会場)

2012年10月22日 | その他芸術(舞台、映画、TV等)


えへへ、また2、おでかけしちゃぃまシタ。 (^^;)ゞ



串田和美(かずよし)さん、作、演出、美術の 『K.ファウスト』 。

例のごとく、TVCMを見ておもしろそうだなー、と思いつつチケットを取りそびれていたら、(^^;)ゞ

たまたま新聞で紹介されていて、すごく見たくなったのと、東京のパブリックシアターと、まつもと市民芸術館でしかやらない! 

とわかったので、ならば、絶対に行かなくては!! と思い、急ぎネット予約したものです。

( 前にも書きましたが、串田さんは2003年4月から 「まつもと市民芸術館」の館長、兼芸術監督さん を務められています。  )






会場は、まつもと市民劇場、実験劇場の中に作られた、半円形の 「特設会場」。

その半円形の舞台をとり囲むように、前から7,8列くらいが座椅子のあつらえられた半円形の客席があり、
前2列は段差もなく(座りにくそうでしたが(^^;))、30㎝ほどの非常に低い舞台との距離が、まさに至近。

私は、3つあるブロックのうち「右ブロック」の、それでも中央寄りを選んだつもりだっが、
正面の奥のほう (幕の向こう側) にも、実はもう一つの舞台がある、という設定でたびたび使用されたのだが、
たまに見えない時もあったのが、ちょっと残念ではあった。 

それでも、座椅子席の中では最後列で、一番高いところという優越感(?)と(それより後ろの席は、普通の固定椅子で、端のほうは低くて見にくそうだった)、舞台にはものすごく近い(段差もあったので座りやすかったし)、という 「自分的」 には、かなりゴキゲンな席 、 でした。 

この、半円形の至近距離な舞台と客席、に、まず感心、感激し、 

次に、天井に組まれた、円形の銀色の鉄骨と、二つの階段がそれを支えるように舞台から伸びていることから、
ここをはしごのように使うのだろうな、と想像もでき、その、巨大装置に驚きながら、期待感が高まる。 

音楽は、世界的に有名なアコーディニスト、Coba さん (高橋大輔のバンクーバー五輪銅メダルにもなったショート曲の作、奏者) で、
始まる前から流れるアコーディオンのメロディーに、自然と足が小刻みにリズムを刻み、幕が上がるのを、わくわくした気分で待ち焦がれる。 




お話は、ゲーテの 『ファウスト』 に魅せられた串田和美が、
現代社会にも合う、自分なりの 「ファウスト」 の世界を作り上げた、ということで 『K.ファウスト』(串田のK)。


はて、聞いたことくらいはあるが、 『ファウスト』 って、どんなお話だったかしら? 自分の知識のなさに不安を抱いていると、 

開演前に目を通したプログラムに、 「予備知識が逆に視野を狭めることもあるから、ゲーテの戯曲なんて、むしろ、知らなくてもいい。」

と串田さんが書いてくれたあったので、ほっとする。 




そして、幕が上がる。 

簡単に言うと、悪魔 「メフィスト」(串田和美) に魂を売った 「ファウスト」(笹野高史) が、その引き換えに、若返り、時空を自由に操って飛び回り、富と名声を得て享楽をし尽くし、自らの欲望を満たし、楽しく暮らすのだが、

結局、最後には 自分が一生懸命に勉強をして考え、掴み取ろうとしていた 「宇宙の真理」 はついに解ることがなく、

ほかの人間たちと同じように、避けられない 「死」 というものを迎え入れる。

というストーリーの中に、人間のとどまるところを知らない欲深さや、愚かさを 悪魔「メフィスト」 の存在と視線を通して、滑稽に描いている、のだと思うが、

内容が難解で、このお芝居は、結局何が言いたいのかしら? 

という問いかけが、絶えず頭の中を駆け巡る。 



ところが、そんな心配をまるであざ笑うかのように、舞台上では、時に、村人たちの華やかで楽しい宴 (サーカス、大道芸、踊りや音楽など) が繰り広げられ、

なかでも、鍛え抜かれた 「サーカス・アーティスト」 たちによる、本物の 「空中ブランコ」 や 「ロープ芸」 などが、あの鉄骨装置を使って繰り広げられる様には、度肝を抜かれ、ハラハラドキドキした。  


その、 「楽しさ」 に惹き込まれる。       



Cobaさん率いる音楽隊も、村人たちと一緒になって踊りながら、時に 「狂言回し」的な役割も担う。

うわぁ~、ホンモノの、Cobaさんだぁ~ 、 と思うと、大衆の中にその姿ばかりを追ってしまうのだったが、

そういう意味では、実に贅沢なつくりだと思った。



もちろん、笹野高史さん (味わいとペーソスがありけっこう好き。かわいい(^^)・先日見た『天地明察』でも好演してました) は、いつものごとく、とてもいい味を出していたし、
役者としての串田和美さんもなかなかよかった。



舞台終盤、死を迎え入れるファウストに、常に彼の 「欲望と享楽の旅」 に同行し続けたメフィストが 

「あんたが死ぬときは、俺も一緒に消えるのさ。」

という言葉を投げかける。

なぜだか、そこで、悪魔と死への恐怖に取りつかれていた ファウスト(観客たち) は、一瞬、安堵の表情を浮かべ、

出演者全員の、大饗宴が繰り広げられる。   


この時、舞台から下ってきた串田さんが、私の席のブロックのすぐ脇にいらして、合図の笛を時折吹いていたのが、格好良くて、ちょっとドキドキした。(私は端から2番目だったので)

その笛の音に導かれ、大砲が鳴り、人々は音楽に合わせて踊りまわる。    



所詮、この世はサーカスなのだ。



そう思うと、ファウストのように、小難しいことを考えたり、あれこれとちっぽけなことで思い悩むのがばかばかしい気持ちになった。



終わりよければ、全てよし。



そんな言葉が、実に似つかわしいような、楽しく、華やかなフィナーレ!!         


何度目かのカーテンコールでは、私も立ち上がって、笹野さんと串田さんに、大きな拍手を送った。  



もともと近い距離の舞台なのだが、役者さんたちが観客に話しかけたり、客席を駆け回ったりしたのも面白かったし、

こういう、 「演じるものと見る者との一体感」 が、 たまらない舞台の魅力 、なのだ。



そういえば、第二幕の最初に、ほんの短い時間だったが、Cobaさんの独奏と音楽隊の演奏を聴けたのが、体が震えて涙が出そうなくらい感動した。  

Cobaさんは今までも串田さんの舞台で組まれたことがあったようで、自分の舞台上での、音楽隊としての役者的な役割、を、もちろん楽しんでおられたように見えたし、それがまたいい存在感を放っていたのだが、

贅沢すぎてもったいない感、も否めなかったので、これで 「演奏家としてのCobaファン」 も納得したのではないかと思う。

Cobaさん、すごい、カッコよかった。 いつか絶対にソロ演奏会を見てみたいと思った。



会場を後にするとき、私は幸せに包まれ、心の中を、感動の涙が激しく降り注ぐのを止めることができなかった。   



「 自分自身の思っていることや忘れていた感覚が動き出したらすごく楽しいでしょ?
  演劇って本来そういうものでしょ? 」


プログラムの最後を、串田さんは、こんな言葉で飾っている。





ファウスト、悪魔の顔。  これは、プログラムのカバーになっていて、裏表に描かれているのが、帰ってから気づき、驚かされた。


出演者全員が、 Soo very good !! でした。   
以下、公演プログラムより、


左から、串田和美、笹野高史(たかし)、雛形あきこ、道化師 「パウエル」 役を好演した 小日向文世(こひなたふみよ…2008年フジTV系『あしたの、喜多善男 - 世界一不運な男の、奇跡の11日間 - 』で主演を務め、一躍脚光を浴びる。)


村人、大道芸、踊り、打楽器、役者など、なんでも、何役でもこなす、キャストの方々


Cobaさん(中央)と、音楽隊の方々


世界各国からオーディションによって選ばれた、最高峰レベルの 「サーカス・アーティスト」 の方々。

日本ではまだなじみが少ないが、串田舞台には、いち早くサーカスが取り入れられ、その特色の一つとなっているという。

大変驚かされたし、楽しかったです。



こういう、芝居だったら 「お芝居だけ」、に留まらず、色んなものの良さが合わさって世界観を作り上げるような、

総合芸術 は、大好き  です。





註:串田和美・・・1942年東京生まれ。日大芸術学部中退、俳優座養成所卒。文学座を経て、1966年 佐藤信、斉藤憐、吉田日出子らとともに 「自由劇場」 を設立。六本木の 「アンダーグランド自由劇場」 を本拠地とする。1972年、 自由劇場解散を経て、同劇場で演劇活動を再開する頃から、演出、美術を手掛けるようになる。75年、「オンシアター自由劇場」 と改名したのち、 『上海バンスキング』(79年)、『もっと泣いてよフラッパー』(77年)、 『クスコ』などのヒット作を生み出す。劇団解散の1996年まで、演劇界を中心に精力的に活動する。
1985年~1996年、シアターコクーン芸術監督。 コクーン歌舞伎、平成中村座などの演出も手がけ、多方面で活躍中。
2000年~日大芸術学部教授。 2003年4月より、まつもと市民芸術館館長兼芸術監督。   父は詩人、哲学者、随筆家である串田 孫一( まごいち)。祖父は三菱銀行初代会長。

今回、『K.ファウスト』 に出演した、、笹野高史と小日向文世も、元自由劇場メンバー。

ネコタが80年代に通っていたユニーク・バレエ・シアターは、六本木駅から西麻布の交差点へ向かうその先にあったのだが、途中右手に 「オンシアター自由劇場」 の劇場が立っていた。 イズミ・ミュージック・アカデミーのあったビル、 「アトリエ・フォンテーヌ」 と同じで、当時はやりの 「アングラ」 らしい、真っ黒な外装で、ここがうわさの自由劇場かぁ~   と思ったものだが、入ってみたことはなかったように思う。 
そういえば、堀内完先生の主催されるユニーク・バレエ・シアターも、外装は白っぽかったけれど、時に発表の場ともなった稽古場は、やはり 「地下」 にあって、内装も 「黒一色」 であった。 おそらく自由劇場も地下に…。

ちなみに、六本木は、イズミとユニークと、そして当時後援会に入って、ほとんどすべての上演作品を見ていた、大好きで憧れの 「劇団俳優座」 の劇場もあって、夜な夜な通っていた (レッスンや観劇に・笑 (^^:)) 場所です。
遊び人の街というイメージですが、私にとっては青春時代を過ごした、大好きな思い出の場所。12月に入ると途端に、駅近くの待ち合わせの名所 「アマンド」 店頭あたりにたむろする華やかな人たちを尻目に (さすがに、雰囲気がちょっとコワかったですが (^^;) )、ひたすら重くて大きなレッスンバックを担いでは、レッスンに通っていました。 
なので、約9年近く通い詰めた?わけですが(笑)、六本木を本来の街のコンセプト?である 「遊び」 に利用したことはほぼなくて、当時は時間もお金もなかったから、イズミ側、ユニーク側にあった、それぞれの 「マック 」 がもっぱらの行きつけ。 年一、二度ほど、その辺の居酒屋で 「打ち上げ」 もしくは少人数で軽く飲む程度、をしたくらいだったけど、好きなことをしていたので、それも楽しかった思い出です。


《 私的な余談・笑 》


1983年1月、下北沢にできた 「本多劇場」 の杮落し第三弾として上演された 『イカルガの祭り』(斉藤憐、作、演出。写真右) には、大変感動した。  

この時、主演とヒロインだった、草野大悟(残念ながら、91年没)と 吉田日出子 の演技が素晴らしかった。   プログラムを見ると、小日向文世も出演していた。

この 『イカルガの祭り』 と、のち1988年に、同作者の俳優座公演 『赤き心もて飛鳥』 も見て感動し、斉藤憐さんの 「脚本」 に興味を持ったため、たぶん見てはないが購入したと思われる 『クスコ・愛の叛乱(はんらん)』(吉田日出子主演) の脚本。 (写真左)
大好きな 「飛鳥時代」 がテーマだったせいも、多分にあるかもしれないが… (^^;)ゞ


『イカルガの祭り』 に感動して購入した 、 流行っていたことは知っていたが見てなかった 『上海バンスキング』 のLP。(歌、吉田日出子、演奏、自由劇場団員)


この時、LP裏ジャケットには、若かりし日の 小日向文世(左、オレンジの囲み)と 串田和美(右、青い囲み) も、写っている。 (二人とも男前)  その下の女性が、主演であり、同劇団看板女優の 吉田日出子。
はじめ同劇団スタッフとして入った笹野高史は、その後夢だった役者に転向、この作品で人気を得たらしいが、ここには映っていないか、あるいは、小日向の上に顔半分だけ出している(見にくいが黄色の矢印) 人が、ひょっとしたら、そうかも。 (^^;) ← それっぽい人物が、他に見当たらず。

串田はこの頃、役者もしていたが、劇団設立者として、演出家として、同劇団主要人物なだけでなく、演劇界ですでに重要人物だったので、このLPの折込リーフレットにもたくさん写っているし、上記の 『イカルガの祭り』 上演プログラムにも、文章を寄せている。



 ネコタは、当時、いろんな舞台を見まくっており (本家HP 『やっぱり、舞台が好き』 及び、そのページ右上の 「バレエファンへの100の質問 」参照)、 記録もつけていなかったため、その多くが記憶の彼方に忘れ去られていた  が、 今回これを書くにあたってようやくいろんなことを少しずつ思い出しては、ああ、こんなこともあったんだ、とびっくりしている・笑。 

『イカルガの祭り』 は、大学4年の終わりに、当時日本児童文学の自主ゼミのメンバーだった友人と見に行って、終演後、二人して、顔を見合わせては、ただニコニコと微笑みあうだけで、全てが分かりあえた(この舞台に大変感動し、言葉がいらないほど幸せな気持ちでいっぱいであること)、意見が違うと面白くないから、なるべく舞台は 「一人で行く派」 の私にしては珍しく、感動を友と分かち合うことによってより幸せになれた、数少ない観劇作品のうちの一つである。


余談ついでに、昨年上半期に愛観していた、NHKの朝ドラ 『おひさま』 で、一番地元の方言が近かったのが、上記経歴により、松本にたびたび来ている串田和美さんであった。
ブログにはUPしそびれたが、昨年12月には、同じくまつもと市民芸術館にて上演された、松本幸四郎主演の 『AMADEUS-アマデウス』(83年5月の再演を東京サンシャイン劇場にて見ているが、その時同様、サリエリを演じた幸四郎はもちろんのこと、アマデウス役の武田真治が中々よかった) をK子ちゃんと見に行った私は、終演後に、後方の客席で見ていらした 串田さんを発見  昔から演劇界の大物であったことはよく覚えていたので、大変感激したが 、 何を言っていいものかもわからず(80年代に感銘を受けた芝居のことなど忘れていたし  ) 恥ずかしくて、声もかけられなかった。
素顔の串田さんは、気軽に松本市内を自転車で移動するような (K子ちゃんの知り合いが見たらしい!)、『おひさま』 での、 「丸山のお父さん」 そのままのような、暖かくて気さくな人らしい。   
ああ、惜しいことをした・笑。 






新しいパソコンについて その3

2012年10月19日 | 本・文学・取材等
再び戻って、これで最後の 「newパソ話」・笑。




お店でふと思いついて、そうだ、キーボードの打ち易さは、絶対条件だったんだわ!!

と思い出し、迷っていた2つのうち、実際手を当ててみて、打ちやすいほうを選びました。



そーなんです!!

私は、見ての通り、 大量の文字を 怒涛のように 、 湯水のように  、 滝が落ちるがごとく    打ちまくるので 

「キーボードの打ちやすさが絶対条件となる」 ことを、 

この、一番大事なことを、忘れてたなんてぇーーー 、 ってカンジですが、

とにかく、ノートはキーボードが浅いため、打ちにくい、打ちにくい。  
あと、手前より奥が高くなっていないのも、打ちにくい原因だと思う。

( だから、文字が横に並んでいないケータイは 人の3倍くらい 打つのに時間がかかる。  )

ちなみに、私は 「日本語打ち」 です。 日本語でないとイマジネーションがわかないのと、
ローマ字打ちを覚えるという、私にとって 「無駄な時間」 を費やすのが嫌だったから。

PCを購入する以前に、日本語ワープロを20年近く使ってきたので、その打ち方が身についている、というのもある。

 ↑ パソコンのエキスパートのH君も、プロにしては珍しく 「日本語うち」 なんだってさ。(やっぱ、イトコだなぁ~。(^^)v )




で、それらの条件で、お店で選んだのが、コレです。

ホントは白がほしかったけど、即日持ち帰りできるものにはなかったので。  でも、赤も、かわいいでしょ?
まだ、買ったばかりなので。PC周りがエレー、すっきりしてます。 ( 今のうちだけ  )



前のPCの時から使っている 「背景」、 Takamiyの 伝説の?「FANTA-BAND」 バージョンを、H君に移してもらいました。 v(^^)v

( これは、白地に大好きな紫の衣装と、クリスタルエンジェルギター、そして髪型と、かなりお気に入りの写真なのです。    )


マウスパットは、以前より愛用のものですが、キーボード操作を補助する 「ハンドレスト」 は、高さが合わなくなってしまいました。
今度、買い換えよう。



で、実際、キーボードを打ってみてどうか、というと・・・

それほどキィが深くないのだけど、まぁ、不便はしていません。

あまりにも打ちにくかったら、キーボードだけ凹凸の深いものに買い替えようかと思ったけど、まあ、大丈夫そうで、

ご覧のように、相変わらず、 怒涛のごとき、「早打ち、大量打ち」   をしております。 (^^;)ゞ

この高さに慣れてしまえば、ノートにも感覚の応用ができるのではないか、ともくろんでおるのですが、

( しかし、ノートで、裏の 「ツメ」 を立てるとキーボードが斜め(後方が高く)になる、とゆうの、だれか考えてくれればいいのに。自分で「添え木」 でも作ろうかなぁ・・・それとも単に、スタンドがないので手元が暗いだけとか? なんか、ノート、打ちにくいんだよね・・・  )



以前は、デルの、ちょー深いキーボードで慣れていたものが、いきなり、最新型ノートのちょー浅いキーボードになったので、

家で、去年の冬に新しく変えて、まだ慣れていない6月の作品書いてるときなんざ、ノート、打ちにくいったら…。   

おまけに、店パソと家パソの 「Delete」(前の文字を消す) と 「Backspace」(後ろの文字を消す) の位置が 真逆 で、
締切迫って忙しい時に、よく打ち損じてコマッテました。  



今度のは、全くの 「偶然!!」  にも、どちらもNECになったのですが、

店では忘れてて、家パソが東芝だと思い込んでいたので、
そして、前回、家パソと店パソのキーボードが 「真逆」 で懲りていたから、
「同じメーカーのほうが、キーボード配列が同じで打ちやすいのでは? 家のと同じ、東芝にしようかな」 と店員さんに聞くと、
同一メーカーでも微妙に違うことがある、というので、メーカーにこだわらずに買ったのです。

そしたら、帰ってからよく見たら、どちらもNECだったの。 
( なぜちゃんと覚えてなかったかとゆーと、家パソは業者さんに選んでもらったのでね。 ん? でもよく考えたら、ミニノートのメーカーも忘れてたな・汗。   )

でも、店員さんの言ったとおり、せっかく同じNECなのに、
店のと家のとではキーボードの並び方が ホントにビミョーに違って

なので、・・・エーン

やっぱり、打ち間違いやすいったら・汗。

      




まぁ、そりはともかく・・・    

話は前後しますが、

ネットでエラーばかり出て、以前からどうにかしようとは思っていたものの、突然思い立って 「new パソコン」 を購入(9/25)、 10/7に設置してもらったわけですが、 

H君には、一日がかりで、データを移し替えたり、パソコンの設定、設置をしてもらい、 

そのほかにも、あんなこと、こんなことができるようになりたい、 などという、メンドーな無理難題、を快く引き受けてくださり、 

その後も、私がダウンロードとかがうまくできないため、 「パソコンを遠隔操作する機能」( 今はやりの、犯罪っぽいのではなく、双方でスイッチを入れたときだけ、H君が自分のパソコンを使って、松本からKの我が家のパソコンを操作してくれる仕組み ) まで導入してくれ、

かなりのことが、解決処理? できました。 



おまけに、家のノートパソを見てくれたり、
実は 「携帯用のミニノート」 も買ってあったのを、自分で初期設定はできたものの、ネットがつながらなかったものを、つながるようにしてくれたり、
TVでネットができたはずなのが、できなくなっていた、店以外の部屋にも、もう一本ネットを引いていたのがつながってなかった、
( 最後から2つは、単に線が外れていたり、緩んでいただけのことであった (^^;)ゞ )、のを解決してくれたり・・・etc etc・・・   


10月7日に来てくれた時はもちろんのこと、帰ってからも、本当にいろいろとお世話になっちゃいまシタ。 
( つまり、PCは 文章作成とネット(あと、ブログとHP)だけができるにすぎない のであって、
PCの機械そのものには、まったく疎い私 なのでした。    )


H君、ありがとぉーーーーー!!!!!    




《 おまけ ♪♪ 》


携帯用のB5サイズの 「ミニノート!!」  エプソンのを ネットで、超激安! ゲット。  

後ろに見えているのは、ちょうどミニノートに 「ジャストサイズ!!」で、しかもウレタン製! の、100円ショップで買った、ファスナー付小物袋。 v(^^)v 
モノグラムのピンク・キティーちゃんが、かわいいでしょ? (^^)
パソコンは、携帯用なのに黒くてかわいくないので(TT)、 自分でミッキーのシルエットシール (こすると転写されるタイプ) を貼り付けちゃぃまシタが、ちょっとやりすぎ、だったカモ。 (^^;)

そもそも、なぜこれを買ったかとゆーと、 6月末締め切りの作品を書いているときに、上京予定などがあって、時間が惜しかったので、移動時間でも書けるようにと、以前からほしかった携帯用のミニノート ( 自分の場合、ネットよりも文を書くほうが主眼なので、迷ったけど、iパッドよりも、ミニノートのほうがいるだろう、と 「将来的、希望的観測」 のもとにもとに、 ← 気が早いっつーの。  長年考えた挙句 、の結果 ) 購入したのだが、

結局、バスの中なんて、普段の睡眠不足を補うために、ほとんど寝てたって・・・  ← いつものコト。  

でも、こちらは 「長年?の夢」 だったから、持っているだけでウレシイ。   
ちょうど、この、ローンが切れた直後から、店パソの 「new ローン」 がスタートする、という、

お・お~~~!!!    ローンジゴク・笑。汗。   



  
こちらは、昨年買った “通称” 「家パソ」。

以前は、リビング(キッチンの一角)と書斎を行き来したくて、無線ランのノートにしたのですが、今は、基本、書斎だけで使うようにしています。
人間の同居人は一人しかいないのに、目に付くところで、私がPCばかりをやっていたら目障りだろうなぁ(特に敵はPCできないからなおのこと)、と思って。それくらいなら、PCをやっていることがわかっても、その場にいないほうがまだましだろう、と悟った(笑)のです。
(だから、買い替える時、ほんとはデスクトップがほしかったんだけど、業者の勧めで…。ま、場所とらなくていいけど、でも、キーボードの打ちにくさが…(TT))

「背景」は、Takamiy の、今ツアーパンフ、ライブカット版のものを、マニアHPより、拝借させていただきました。 (^^;)ゞ
遠くを見つめるかのような潤んだ眼差し?が、ちょー美しくてセクシーなショットで、一発でお気に入り!!  
 
ほっほっほ。 あっちも、こっちも、タカミーだらけ~  でぇ~す!!・笑。 

マウスのそばで光っているのは、 エネルギーを呼び込み、運気を上げるという
「効力絶大   の、 特大パワーストーン です。    




今年の「誕生日記念?」は、このイスで~す!! 

東京時代、押入れを机として使っていたので (広いし、奥に本棚が置けたのでちょうどよかった。)、押入れの上段の高さに合うように、座高の高いチェアをわざわざ購入したのだが、
それは、普通の高さの机には、昇降式の一番低いのに設定しても、弱冠高すぎて疲れるのだった。(座面も堅かったし)
だけどそれを、何年もずーっとガマンして使っていた  のを、
思い切って高さの合うものに、 やっと 買い替えたのです。 

( みなさん、これでわかったでしょ? 私は何も、全てのものを 「即決」 で買うわけではありません。  何年も我慢したり、迷う品も多々あるんですよ。 )

とりあえず、ホームセンターのものなので、お安いです。 
もっと、ちゃんとしたら、いい物を買う予定で、それを目標にする。 o(^^)o

でも、お安い割には、すわり心地は、意外といいですよ。 座面も、ほんのりとクッションが利いてるし、背もたれの角度もいい。 
一応、店頭で座ってみて、確かめて買ったしね。(^_-)☆



チェアーの、 「秋冬バージョン!!」 でーす!!  

以前、司馬遼太郎さんが、書斎でムートンを敷いた、ご愛用の黒い(多分革か何かの)素敵な肘掛チェアーに座っていた写真を見たため、
文豪にあやかりたくて、黒い肘掛チェアーと、ムートン(もともと自分も大好きでリビングのソファーでは使っているが)を 「真似しぃ」 しました・笑。 (^^;)ゞ

ただし、安いムートンを買ったので、チェアー全体を覆うまでには至らず…  

クッションに使っているのは、首にしわを作らないために使用することのなくなった 「枕」 です。 
でも、もともとは安眠のために、わざわざ本物の “テンピュール製” の 「低反発枕」( 姉が実際使用してとてもいい、家族全員そろえた、といっていたので) を購入したので、高価だったから、超もったいなくてクッションに。
カバーは、お気に入りの、ミッキーの枕カバーです。

足元は、お父さん犬 「カイくん」 の足温器カバーを、TVで見てほしかったので(本物はホットカーぺカバー)、真似して自分で作ったもの。
結構上手にできてるでしょ???   




さて、これらの new パソコンや、デスク回りで、作品をバリバリ? 書けるよーになるといいのですが・・・     

うーむ、「環境」 だけ整ってもね。     

しかも、店パソのデスク回りは、PCの画面が広くなったことにより、今まで使っていた本立てが置けなくなり、
どうしようかと 「未だ」 思案中  で、本や書類?が 段ボールに入ったまま… 

いったい、いつ片付くのやら・・・ 
(母には、あんなもの捨てろと言われた。  エーン、私にとっては、命の次の次くらいに大事なものなのに…  
ん? そうでもないか。 何が入ってたか、忘れた。  )




★ 追記 ★

デスクトップのほうがプロっぽいイメージがして、デスクトップのワープロを長年愛用してきた、とか書きましたが、ふと思い出したのだが、そういえば私、デスクトップのほかに 「ノート型ワープロ」 も同時に持っていたのでした、すでに東京時代に。そのノートはA4型の、ほんとに薄いノートサイズで、今のノートパソコンとほぼ同じような感じ。(機械が単純なのでPCより軽かったと思う)一応、どんな時に使うかは別として、携帯もできるように、という理由で購入したもので、実際、自宅とは別の場所で書くこともあったため、重宝しました。
そのとき、ポケットに入るくらいのミニワープロというものもあったので、よほどほしいと思ったこともありましたが…とにかく、A4サイズでもやや大きかったので、もう少し小さいのがほしいなあ、と思っていたので、小型PCがほしかったのは、このころの夢の延長でもあります。
結局、ワープロがPCにとってかわったので、もう手元にはないですが、どちらのワープロも、「文章を打つ」 という目的をかなり満たしてくれ、PCを購入するまでの長いあいだ重宝しました。
今は、原稿をメール添付できる、という意味合いからも、PCのほうが便利ですが(その他、ネット等で調べ物をしながら書ける点もちょー便利。)

そこでまた、フト思ったのは、ノートPC、打ちにくい…と書きましたが、この、ずっと以前に使っていたノート型ワープロ、そして、一代目の自宅パソ用のノートも、考えてみたら、キーボード、浅かったよなぁーと・笑。なにも、この浅さが、今に始まったことではないと思うのだが、さも、昨年購入したノートのキーボードが打ちにくい、と思い込んでいるのが、自分でも変だなぁーと・笑。

なぜ!!!??? (''?)





初秋の安曇野へ・・・

2012年10月17日 | お出かけ、レジャー、イベント等
え゛っと、newパソ話はちょっと休憩して…(^^;)ゞ




昨日、1年ぶりに知人のいる安曇野へ、用事を済ませがてら、遊びに行ってきました。 

今回は   で行ったので、途中ちょっと迷いましたが (やっぱナビより、人に聞いたほうがいいね、私のよーなヒトは   ← ナビの使い方が、イマイチ、よくわからにゃい。汗 )、
無事、2時間ほどで到着。

思ったより、近かったです。 



先に用事を済ませたため、お昼は1時すぎになっちゃぃましたが、

知人の案内してくれた (この先からは知人の車で)、安曇野らしい、ちょーオサレなお店で、ランチ。

石造りのテラスでは、これまた オサレな雰囲気の、ミドルエイジの団体さん(男女)たちが、お外ランチしていて、


さすがは安曇野だわぁ~   

と、思いました。



「パスタランチ」 というのをいただきました。


オサレなサラダ 


二人で、少しずつ小皿に分け合って楽しみましたが、どちらもおいしかったです。  

クリーム系のパスタが好きなので頼んだのだけど、マカロニみたいなのより、普通のパスタのほうがよかったなーと。 

パンは、ソースをつけてお召し上がりください、とのことでしたが、あまり残ってなくて 、そのまま食べたけど、香ばしくて美味でした。 


デザートも 超オサレ  で、Kとは大違い。 

なんと  「ほうじ茶」のアイスと、サツマイモのプリン(紅芋チップ添え)が、超! 美味でした。

あと、個人的に ラズベリーが好きなので、実とソースが、おいしかったです。



各テーブル、部屋のあちこちに活けられている、野の花とお店で売っているような花が混ざった、ちいさなアレンジメントが、さりげなく、

シェフの奥様のセンスの良さをうかがわせ、心を和ませてくれました。 

建物全体も、お洒落です。



うーむ、やっぱり オサレな安曇野 

山奥の裏さびれた Kとは、大違い~~~     じゃの。




そのあと、今年は 「ちひろ美術館」 へ。





いわさきちひろは、幼稚園の時、園で毎月とってくれていた 雑誌絵本に載っていて、大好きでした。

下のものを含め、当時好きだった雑誌絵本は、50年近くたった今でも、大切にとってあります。



写真左が 絵が大好きで、飽きることなく繰り返して読んだ、いわさきちひろ。   

右は絵というよりお話として好きだった 「ごんぎつね」。


絵もお話も好きだった 馬場のぼるさん。 これは、おさるさんが遠足に行く話で、動物の絵がかわいくて、大好きだった。

馬場のぼるさんは、今でも大好きで、『11ぴきのねこ』 など、絵本もいろいろ持っている。

(写真がうまく取り込めなくて、ごめんなさい・・・)



が、大学のころ、ちひろブームになったので、なんか、あまり好きでなくなった時期が。 ← ひねくれもの。 

それでも、一度も美術館に行ったことがなく、せっかく安曇野へ行ったので、訪ねてみると…



はぁ~。 

やはり、 原画は違いますね~。

( 東山魁夷など、あまり好きでないかも、と思っていた画家さんが、原画を見た途端、あまりの衝撃に好きになった例、多々あり・笑。  )



繊細で幻想的な色使いといい、そこに込められた作者の息吹が、静かに心にしみてきて、じん、として、立ち尽くしてしまいます。

なんだか、涙が出そうになりました。 

最近は、そんなに好きではないカモ、だなんて思ってしまって、ごめんなさい。   

やっぱ、いわさきちひろは、いいです。



9/21~11/30までの展示作品として、 「和の心」 という展示のお部屋では、最初から衝撃を受けて、

最後まで行っても、また最初に戻って、繰り返し、何度も見てしまいました。  



生い立ちなどの年譜の掲げられた、再現されたアトリエや、仕事道具、愛用品などが展示されたお部屋も大変興味深く、

すっかり、ちひろワールドにはまり込んで、ずいぶんゆっくりと見てしまいました。


中でも、ちひろが幼いころから好きだっという、初山滋、武井武雄、岡本帰一の紹介のところで、

ちひろが 「初めて、初山先生、武井先生にお会いすることができたとき、熱いものがこみあげてきて、
言葉にならないほどの感動で胸がいっぱいになりました。ずっとこの方たちの絵で大きくなったのだから」

と書いていたところでは、感動して、私も胸が震えました。その気持ち、わかる。


ちなみに、武井武雄は私も大好きで、岡谷にある 「イルフ童画館」 へは2度行っています。

同じものが好きだっていうの、嬉しいですよね。

「ちひろ美術館」 と 「イルフ童画館」 は、何度でも訪れたい場所だ、と思いました。

ちひろが最も影響を受けたとされる 初山滋は、画風がちひろと似ていて、好きかも、と思いました。







感動のままに買った、ポストカードとミニ額。 ポストカードは100円のちいさな額に入れて飾る予定。


こちらは、瀬川康男さんの 「緑色のふくろう」 で、展示はされてなかったけど、売店で見つけ、一発で気に入って購入。



併設されていた 「現代中国絵本画家展」 のほうは、そんなわけで、あまりゆっくり見られませんでしたが、

展示されていたのは、武建華(ウー・ヂェン・ホァ)、ツァイ・ガオ(漢字出ず)、干大武(ユー・ダー・ウー)というお3人のもので、
中国の絵本原画は、多分初めて見たけれど、ち密で繊細な作風や、鮮やかな色遣い、ちょっと茶目っ気のある画風など、目を見張るものが多くて、
けっこう好きかも、と思ったりしました。

併せて展示されていた、日本の古い書物(写本の頃)や、その挿絵等も、美しく、興味深かったです。




館内には、喫茶室や図書館もあり、ちひろの絵の 「小さなしおり型パス」 をぶる下げていると、出入りも自由。

デッキチェアのある中庭や、池や小川のある広い庭園など、ゆっくりとした時間が流れていて、一日中楽しめそうな場所でした。


わかりづらいけど、買ったものは、「ちひろの絵のついた袋」 に入れてくれます。 家族土産のお菓子も含め、つぃ、たくさん買っちゃいまシタ。(^^;)ゞ v(^^)v


紅葉も、そろそろ始まりました。



来年は、「高橋節郎美術館」 と、 「アートヒルズミュージアム」(ガラス工芸品のショップ) にぜひ行きたいね、v(^_-)☆

といって、安曇野を後にしましたが、

知人は、これらのものが、車ですぐに行けるような場所に住んでいて、とても羨ましいです。

(もっとも、近いと逆に、めったに行かないそうですが…  )





沢山の美術館や、お洒落なお店が点在し、アーティストが集う街、

やっぱり、 安曇野は、ちょーオサレ 、 Kとは大違い   でしたぁ~~~。



帰りはすっかり暗くなり、当初寄る予定だった塩尻の眼科へは行かれませんでしたが、

久しぶりにゆったりのんびり、命の洗濯のできた一日でした。 

なぬ!?   最近、しょっちゅう、あちこち出かけてるぢゃぁなぃですかぃ、とな??



ごもっともで・・・・・   





※ 詳しくは、「安曇野ちひろ美術館」。

http://www.chihiro.jp/azumino/

「ちひろ美術館・東京」もあるので、ご興味のある方は、ぜひお立ち寄りください。

あなたを、遠く幼き日の思い出と郷愁に、幻想の世界へと誘(いざな)います。





新しいパソコンについて  その2

2012年10月15日 | 本・文学・取材等
パソコンの、詳しいことはよくわからないから、どれもみな同じだろう、 「自分の条件」 にさえ、合っていたら… 


と、前回書いた、その 「自分の条件」 とは、なにか。 

じゃーん、

それは、 スタイリッシュであること!!        

ただ、それだけです。 

へへ。なんか、もっと高尚な条件だと思ってたでしょ。ぜんぜん、違います。 



思い起こせば、ン年前・・・

↑ 詳しいことをホントに忘れて、しかも記録にも残っていないため 
(たぶんPC教室に行っていたのがHPを開設する前年の2003年くらいだと思うから、それより前の2001年くらいかなぁーと、なんとなく思うだけで。)、

私が 「パソコン」 なるものを生れて初めて購入した時、その時は従兄のH君に付き合ってもらって、
松本のパソコンショップのようなところでブラウン管型のTVみたいな画面 の、
ほんとに旧式のデカいデスクトップ を、
旧式ゆえにかなり安くなっていたので 購入した。
ウインドウズの98である。



そのとき、H君がノートよりデスクトップのほうが故障しにくいし、安い、と言っていたのと、
東京のOL時代に、職場でも自宅でも デスクトップ型の 「ワープロ」 を長いこと使っていたので、 
デスクトップのほうがカッコいい (文筆のプロっぽい)  と思い込んでいたせいもある。 

確か、液晶型の画面が、そろそろ出始めたころだったと思うが、ブラウン管型みたいな画面のものを買ったのである。




次に購入したのが、つい最近まで愛用していた 「デル」 のデスクトップで、
とにかく、液晶型の画面のものがほしくて、  その他のことでは特に故障とかはしていなかったと思うのだが、
なんとなく旧式で古臭い感じ (色はベージュ) が不満だったため、購入してそんなに年数もたっていなかったし、
何より、減価償却するほど使いこなしてもいないうちに  買い替えてしまったかもしれなかった。 

なので、やっぱり、 もったいないから安いのにしておこう 、と思って、デルにしたのである。

あと、 デル 、なんてメーカー、パソコンのできる人(プロ)っぽいイメージ もあったりして。 

そろそろ、パソコン本体が 「タワー型のスリムタイプ」 になり始めていたころだったが、
安かったので、  デカイタイプの本体 を選んだ。



それでも、“念願の”液晶タイプの画面だったことや 
安いものが購入できたこと (いい買い物をした気分)、   DVDが見られるようになったこと、
あと、自分でいろいろパーツみたいなのを選べたので、
CDやDVDの ダビングがしやすいようにと、ディスクトレイを2つつけたこと もかなりご満悦であった  が、

結局ダビングなんてやり方がわからず、一度もやることがなかった。 

(パソコンに詳しい方ならわかると思うが、多分トレイは1つあればダビングというものもできるのだと思うが、私は、昔 「ダブルカセット」 といって、カセットテープを入れる個所が二つ付いていて、簡単にダビングできるデッキというのが流行った、そんなイメージを持っていたのである。)
 ↑ ここでPCに詳しいヒト、笑わないで下さいよ・・・

デルというメーカーは、パソコンの組み立てを海外で行うことによりコストを抑えている会社なので、
『取説』が英語、もしくは日本語版でも 最低限のことしか書いてなくて、使いこなせなかった というのもある。   

もっとも、日本語版の、ちょー詳しい取説  がついてきたとしても、多分あまり読まないので、使いこなせなかったとは思うが。 

ただでさえ 「大ボケ」(理解力に乏しい ) のくせに、
「取説ぎらい」 とゆーよりは、 全く読まない  というんは、
いい根性しているというのか、致命傷なのだと、たまに思うが ( そのせいで幾多の失敗、過去に数知れず… ← なのに、ったく、学習しないヤツ  )

でも、読むの、

めんどくさいんだもぉーーーん!!!         

↑ 多分に、短絡的で、せっかち。めんどくさがりや。  




それでも、HPの 「なんイナ」 にも書いたように、かなり 「newパソ」 にゴキゲンな私だったのだが…  

その、買った直後くらいに、TV画面の後ろにパソコン本体がついていて 省スペースでスタイリッシュ  
おまけにキーボードとマウスは コードレス!! という

ちょーオサレ   な パソコンが出たことを知るのであった。     


がーん、がーん、がーーーーーん!!!   


え゛~~~!!! 

こっちのが、よかったぁ~。 

がっくし。 


そのときから、 次に買うときは、コレだ   とココロに決めてました。  


・・・

・・・


ま、まさか、こんなに長くなるとは、  
 
ええいっ!! いつになったら newパソコンが登場するんじゃぁ~、  ってカンジで、

自分でもびっくり、ですが、 

終わらないので、 

とりあえず、「その③」 に続きます。    







新しいパソコンについて  その1

2012年10月12日 | 本・文学・取材等
『TAO』 の続きをUPする前に・・・、 

そもそも、なぜに、newパソコンを突如として入れることになったかを、お話ししようかと思います。




「お誕生日」 のところで、お誕生日だから、とか、自己投資だとかご褒美だとか、

色々 「言い訳」 しては、いろんなものを買っちゃった 、 とゆーのは、実はパソコンではなくて…

パソコンを突然買うことになったいきさつは、全然別のところにあるのです。 



買った日は、突如思いついて、レディースデイの1000円だったから、と、 『天地明察』 を見に行った日、

つまりは9月25日の、お誕生日前日だから、いかにもありそうなコトですが・・・ 

そして、前回愛用していた、デルのデスクトップを購入したのは、メモはしてなかったけど、

HPのほうの 『なんとなく、イナカタル』 という、週替わりのエッセイ? を連載していた、2004年(約8年前) のことで、

6月16日付でちゃぁんと、 「わーい、わーい、newパソだぁ~!! 」という記事が残っていたので、確かです・笑。 (^^;)ゞ



そしてそこには、“自己投資だ、と称して” 店の経費から出してもらった、 と書いてあって、ちょーハズカシイっすが…(^^;)ゞ

今、はっきしいって 「酒屋ギョーカイ」 は、ヒジョーにきびしいのっすから、 

それどころではなくて、   

ちゃんと自分で、いや、自分のものだけど 勝手に “家計” から、 「ローン」 で 買っちゃいまシタ。  



「明日、店に新しいPCが入るので、朝からW(地名)のH君が来て、色々設定とかやってくれるから、私は朝早いんだから・・・云々・・・」

と、前日になって夫に報告はしたが、(パソコンが云々、というより、朝早くから家を出る、というほうを言いたかっただけなのだが・笑)

夫は、H君が来る、という方にしか興味がないみたいで、「そのパソコンはいくらしたの?」とか、「そのカネはどっから出たのか?」

などということを、全く聞かない。 

なので、こっちも、聞かれないことをわざわざ言う必要はないため、黙ってるんだけど…(^^;)ゞ

こーゆーときに、何事にも、人のことに 「無関心」 な夫、とゆーのは、


ちょー、らくちん!!  


なのデシタ。 

おまけに、自分でPCが全くできないため、彼の思考回路の中に 「パソコン」 というものが存在しえないみたいで、

PCとゆーもんが、いったいどんなもんか、いったいいくらくらいするものなのか、など、全く考えようともしないみたいだ。

あはは・・・ 



さて、いつものごとく、前振りが、ヒ、ジョーに長くなってしまいましたが、(^^;))))



えっとですね、そもそも 「newパソコン」 を買ったのは、

ある日、突如として、 「プリンター」が故障してしまったから  で、そのときもH君に電話で、どうもプリンタが変で、印刷できないんだけど…

と状況を説明して、解決策を聞こうとしたら (彼はパソコンのエキスパートで、それを仕事にしている人なのです)、「その状態だと、もしかしたら故障してる可能性が高いですね」  とゆーので、

そういえば、もうだいぶ前から色がきれいに出なくて、写真や画像をきれいに印刷したいものは、家パソでプリントしてたよな~、

と、思い出す。      

自宅にはPCもプリンターも、去年買い換えたもの(その前に使っていたのが、かなり前から調子が悪く、しょっちゅうネットがつながらないだの、色々と不便を起こしていたため、)があるのだが、

なにぶんにも、 「店」 のほうで使えないのは、ヒ・ジョーに不便なのである。  

( 家では、午前中は家事とかほかに色々やることがあるため、PCなどしてるヒマはない・・・。夜、帰宅後は基本的にやらないし。
だが、店というのは、一定の仕事が済むと、客さえ来なければ、店番の最中などはヒマができるため、もっぱら文章作成などは、店でやっているワタクシ・・・ ← てめーは何でメシを食わせてもらっとるんじゃぁ~      )



プリンタは今とても安いので、修理に出すより新しく買い換えたほうが安い場合もある、というので、

修理(=送ったり、点検したり、見積もったり、色々、めんどーだし、時間もかかる)

ええいっ!!  そんなメンドーなのはヤだから、新しいの買っちゃえぇ~~~!!!   

↑ 多分に、短絡的で、せっかち。めんどくさがりや。 



そうだ、ついでに、PCのほうも、前からネットでエラーばかりが出て、ちっとも操作がはかどらないから、

去年PCを買ったところ(修理もする)で、調べてもらう約束もしてたけど、そこは、ローンが利かないのと、

また、送ったり調べたり、、云々・・・は、ヒ、ジョーに面倒。
おまけに業者さんで、ちょっとした知り合いなため変に気を使う(ごめんなさい、その方はとっても気さくで親切で、いい方、なんですよ。でも、親戚の人よりは気を使うでしょー、人間として。(^^;)ゞ)

だから、プリンタ見に行ったついでに、新しいの買っちゃえぇーーー!!!   

だいぶ古いし。

↑ よく考えたら、PCはプリンタほど安くない、とゆーか、かなり高価なものであって (デルはまだ、安いほうではあったが)、 修理したほうが多分安く上がるはずだ、と、ゆーのを、うっかり忘れていた…。 

↑ 多分に、短絡的で、せっかち。めんどくさがりや。 

と、ゆーより、なんか、夫がもしもこの事実を知ったら、いつものごとく 「お前、(アタマ)足んねーんじゃね?」 と、小馬鹿、どころか、

大馬鹿、にされそーですが・・・ 



まぁ、買っちゃった、とですよ。  

いきなり。 

しかも、お店で店員さんには、「ちょっとだけ」相談はしたけど、ほぼ  即決     高いのに…

パソコンの、詳しいことはよくわからないから、どれもみな同じだろう、 「自分の条件」 にさえ、合っていたら…

と、ゆー理由で。


うーむ、やっぱ、足んない??? 




パソコンはね、もはや 「自己投資」 なんかではありません。

今の自分にとって、「商売道具」 というか、思考回路の一部、My hand の延長、のようなもので、 片時も? ないと困るもの、

「絶対必需品」 なのです。     

だから、仕方がないのよ~~~・・・ ← 言い訳     



と、言い訳をしたところで、続きを、お楽しみ? に・笑。 





引き続き・・・

2012年10月09日 | 本・文学・取材等
えっと、日曜日に、従兄のH君が来てくれて、無事新しいパソコンとプリンターが入りました。 

その日は色々頼んだので、ほんとに丸一日かかって、いろいろで疲れちゃって、
(遠方から来てくれたH君のほうがもっと疲れたとは思うが  )

次の日もぐったり・笑。 

そして、疲れながらも、新しいパソコンなため、使い勝手がよくわからない部分があり  
(ウインドウズのXPから7にしたため ← 家パソは昨年買い換えたから7なのだが、必要最低限のことしかやらないため、なんとかなっていた)、
そこでまた四苦八苦。      



そして今日は、午前中買い物と洗濯をし、午後は店の掃除や、自販機、ガラスなどを拭き、ペットの皮むきをしてから、

土曜日にある K地区のH神社のお祭り で頼まれた、子供みこしのお駄賃 (菓子袋) を40個作ったら、また、疲れてしまいました。  

おまけに、写真の縮小機能をうまくインストゥールできないので、ブログも思うように更新できず・・・、    

と、ゆーワケで、かなりグロッキーなため、もう少し休みます。  



ひきつづき、皆さま、ごめんなさい。   

ではでは。







お詫び

2012年10月06日 | 本・文学・取材等
あまりこういう、お詫びとか言い訳?みたいなことはしないのですが・・・(^^;)

『TAO公演』の続きの記事ですが、昨日か今日中にUPしたかったのですが、

店の仕事、他でなんとなくバタバタ(ダラダラ?)していて、取り掛かるのが遅れた上に、簡単に書けるだろうと思っていたら、思いのほか進まず・・・、

実は明日、松本の従兄(観劇友達でもあるK子ちゃんのお兄さん)が来て、新しいパソコンを取り付けてくれることになっているので、

明日の作業の敏速化のために、これから、この、今使っているPCを取り外しにかからなくてはならないのです。

なので、今日、明日と、たぶん書けないので、早くてもあさって以降になってしまうの・・・。

こういう続きの記事は、間が2日以上あくと変なので、一応理由をお話しておこうと思いました。(ほんとは新しいPCのことも、入るまで伏せておきたかったのになぁ~・笑 ← 自分、どこまで秘密主義者やねん。(^^;))




と、ゆーワケで、みなさま、しばらくは、ごきげんよぉ~~~。 

てか、ごめんなさい。 



あー、早く、とりはずしにかからなくちゃ。  時間がないわ・・・。 アセ、アセ・・・。  

古くてデカい、タワー型のデスクトップだから、線がね、ごちゃごちゃで、ワケ、わかんないの。     

あーん、わかってたことなのに、明日来るって・・・。    



なぬ!?    いつものことだって!?    えへへ。 (^^;)ゞ



その数分後・・・

あ゛~~~!!!、ちょっとまって、データ、移し変えなきゃいけないのよね?

だめじゃん・・・とりはずしちゃったら。たぶんね。

が、こんなときに限って、Hくんと連絡が取れない・・・。

店、9時半までしかいないのに、どーしよ!? 

しかも、ナゼカ、こんなときに限ってケータイまで家に忘れてきたっぽい。 ← 直接関係はないが、それだけで、不安。。。  ほとんど用のないケータイなのに・・・。


あ゛ー、もう9時だわ。

よしっ、やめた。

ハラをくくって、PCは取り外さないことにする。 

なんとかなるでしょ。

店の仕事もしなくちゃ、だし。 ( 閉店間際のビール詰め(売れたもの補充))


それではみなさん、さようなら。 

(ナニを書いておるのか、私・汗  みなさん、あきれて笑わないでください・・・ 







台風のさなかに・・・(^^;)ゞ   『 TAO 』 公演 レザンホール(9/30) ・ その1

2012年10月04日 | ドラムTAO
さてさて、台風のさなかにどこへ行っていたか、といーますと・・・(汗)

大雨の夜の、ちょーコワイ国道  を、“命がけで”  運転して   
『TAO(タオ)』 という、ドラム(和太鼓)・アート・パフォーマンスの団体の公演を見に行ってたのです、例の 「葡萄の実ホール」 へ。 




この公演、以前にもレザンに来たことがあったのだけど、そのときは行かれなかったので、今回は絶対に行こう!  と例のごとくTVCMを見て思ったのですが・・・

どうも切羽詰ったもの (この日がチケット発売初日!とわかっていて、逃したら買えない、など) がないと、自分、つぃ、ダラダラ迷っているうちに 、 うっかり買いそびれる癖がありまして・・・ 

はっと気づいたときには、もう、ほとんどいい席の残っていないときだったりします。 

買ったのは、綾戸智恵さんの公演の日で、もう2階席しかありませんでした。
  でも、小さいホールだし、和太鼓のパフォーマンスだから、多分2階でも大丈夫だわ、と、ふんで。



6時半開演なので、5時ころに出れば余裕だわ、と思っていたのですが、台風が近づいていて、ちょうど夜半にかけて大荒れになるという予報。

母に、心配だし、行くのやめたら? こんなときに行くの? バカみたい、と、大反対され       
さすがの私も、ちょっと迷いました。 

でも、チケット買ってあったので、行かなかったらもったいないと思ったのと、せっかく楽しみにしていたのとで、やっぱり、行く!   という決断をしました。

出る時は、ほとんど降っていない状態だったし、もしかして逸れることもあるかな?とか、「希望的観測」 のもと。 



ですが・・・   

予想は大きく外れて、日はだんだん翳って暗くなってくるし、雨足はだんだん強くなる一方だし、ただでさえ夜の国道○号、街燈がなくて真っ暗、カーブが多くて危ない、大型トラックがびゅんびゅん飛ばす、など、運転するのがとても怖いのに、 

そこへもってきて、大雨で前はよく見えないわ、対向車に水は跳ね上げられるわ、道路も滑りそうで怖いわ、で、 

ほん、と~~~にっ! こわかった!!!

死ぬかと思った。      



後ろの車が飛ばすので、よけては 「お先にどうぞ」 するので、普通40分程度でつくはずのところ、1時間以上かかっちゃって、ついたのは開演10分前! 

運転中、目覚ましと落ち着くために、お茶ばかり飲んでトイレにも行きたかったのに、レザンのトイレ場所をまだよく把握してないため、

もぅ、ホールの中、マジで、走る、走る。    ← またですかぃ?

やっと2階の席に座ったときには、心臓バクバク、息ゼィゼィ、汗びっしょり、体ぐったり、でした。 


ああ、やっとたどりついたわ。 

でも、もう、こんな大雨の中、運転したくない。 

帰りたくないよ~、と思うくらい、怖かった。      



ま、でも、そこは、帰るときにまた考えればいいや、と思って、ひとまずは舞台に、わずかに残っていた気力をふりしぼって心を躍らせ、幕が上がるのを待ちます・・・。

せっかく、死ぬ思いで辿り着いたんだもんね。



と、そこには、 想像もしていなかったような、素晴らしい世界 が待ち受けていたのでした・・・。

       



つづく・・・