えへへ、また2、おでかけしちゃぃまシタ。 (^^;)ゞ
串田和美(かずよし)さん、作、演出、美術の
『K.ファウスト』 。
例のごとく、TVCMを見ておもしろそうだなー、と思いつつチケットを取りそびれていたら、(^^;)ゞ
たまたま新聞で紹介されていて、すごく見たくなったのと、東京のパブリックシアターと、まつもと市民芸術館でしかやらない!
とわかったので、ならば、絶対に行かなくては!! と思い、急ぎネット予約したものです。
( 前にも書きましたが、串田さんは2003年4月から
「まつもと市民芸術館」の館長、兼芸術監督さん を務められています。
)
会場は、まつもと市民劇場、実験劇場の中に作られた、半円形の 「特設会場」。
その半円形の舞台をとり囲むように、前から7,8列くらいが座椅子のあつらえられた半円形の客席があり、
前2列は段差もなく(座りにくそうでしたが(^^;))、30㎝ほどの非常に低い舞台との距離が、まさに至近。
私は、3つあるブロックのうち「右ブロック」の、それでも中央寄りを選んだつもりだっが、
正面の奥のほう (幕の向こう側) にも、実はもう一つの舞台がある、という設定でたびたび使用されたのだが、
たまに見えない時もあったのが、ちょっと残念ではあった。
それでも、座椅子席の中では最後列で、一番高いところという優越感(?)と(それより後ろの席は、普通の固定椅子で、端のほうは低くて見にくそうだった)、舞台にはものすごく近い(段差もあったので座りやすかったし)、という 「自分的」 には、かなりゴキゲンな席
、 でした。
この、半円形の至近距離な舞台と客席、に、まず感心、感激し、
次に、天井に組まれた、円形の銀色の鉄骨と、二つの階段がそれを支えるように舞台から伸びていることから、
ここをはしごのように使うのだろうな、と想像もでき、その、巨大装置に驚きながら、期待感が高まる。
音楽は、世界的に有名なアコーディニスト、Coba さん (高橋大輔のバンクーバー五輪銅メダルにもなったショート曲の作、奏者) で、
始まる前から流れるアコーディオンのメロディーに、自然と足が小刻みにリズムを刻み、幕が上がるのを、わくわくした気分で待ち焦がれる。
お話は、ゲーテの 『ファウスト』 に魅せられた串田和美が、
現代社会にも合う、自分なりの 「ファウスト」 の世界を作り上げた、ということで 『K.ファウスト』(串田のK)。
はて、聞いたことくらいはあるが、 『ファウスト』 って、どんなお話だったかしら? 自分の知識のなさに不安を抱いていると、
開演前に目を通したプログラムに、 「予備知識が逆に視野を狭めることもあるから、ゲーテの戯曲なんて、むしろ、知らなくてもいい。」
と串田さんが書いてくれたあったので、ほっとする。
そして、幕が上がる。
簡単に言うと、悪魔 「メフィスト」(串田和美) に魂を売った 「ファウスト」(笹野高史) が、その引き換えに、若返り、時空を自由に操って飛び回り、富と名声を得て享楽をし尽くし、自らの欲望を満たし、楽しく暮らすのだが、
結局、最後には 自分が一生懸命に勉強をして考え、掴み取ろうとしていた 「宇宙の真理」 はついに解ることがなく、
ほかの人間たちと同じように、避けられない 「死」 というものを迎え入れる。
というストーリーの中に、人間のとどまるところを知らない欲深さや、愚かさを 悪魔「メフィスト」 の存在と視線を通して、滑稽に描いている、のだと思うが、
内容が難解で、このお芝居は、結局何が言いたいのかしら?
という問いかけが、絶えず頭の中を駆け巡る。
ところが、そんな心配をまるであざ笑うかのように、舞台上では、時に、村人たちの華やかで楽しい宴 (サーカス、大道芸、踊りや音楽など) が繰り広げられ、
なかでも、鍛え抜かれた 「サーカス・アーティスト」 たちによる、本物の 「空中ブランコ」 や 「ロープ芸」 などが、あの鉄骨装置を使って繰り広げられる様には、度肝を抜かれ、ハラハラドキドキした。
その、
「楽しさ」 に惹き込まれる。
Cobaさん率いる音楽隊も、村人たちと一緒になって踊りながら、時に 「狂言回し」的な役割も担う。
うわぁ~、ホンモノの、Cobaさんだぁ~
、 と思うと、大衆の中にその姿ばかりを追ってしまうのだったが、
そういう意味では、実に贅沢なつくりだと思った。
もちろん、笹野高史さん (味わいとペーソスがありけっこう好き。かわいい(^^)・先日見た『天地明察』でも好演してました) は、いつものごとく、とてもいい味を出していたし、
役者としての串田和美さんもなかなかよかった。
舞台終盤、死を迎え入れるファウストに、常に彼の 「欲望と享楽の旅」 に同行し続けたメフィストが
「あんたが死ぬときは、俺も一緒に消えるのさ。」
という言葉を投げかける。
なぜだか、そこで、悪魔と死への恐怖に取りつかれていた ファウスト(観客たち) は、一瞬、安堵の表情を浮かべ、
出演者全員の、大饗宴が繰り広げられる。
この時、舞台から下ってきた串田さんが、私の席のブロックのすぐ脇にいらして、合図の笛を時折吹いていたのが、格好良くて、ちょっとドキドキした。(私は端から2番目だったので)
その笛の音に導かれ、大砲が鳴り、人々は音楽に合わせて踊りまわる。
所詮、この世はサーカスなのだ。
そう思うと、ファウストのように、小難しいことを考えたり、あれこれとちっぽけなことで思い悩むのがばかばかしい気持ちになった。
終わりよければ、全てよし。
そんな言葉が、実に似つかわしいような、楽しく、華やかなフィナーレ!!
何度目かのカーテンコールでは、私も立ち上がって、笹野さんと串田さんに、大きな拍手を送った。
もともと近い距離の舞台なのだが、役者さんたちが観客に話しかけたり、客席を駆け回ったりしたのも面白かったし、
こういう、
「演じるものと見る者との一体感」 が、
たまらない舞台の魅力 、なのだ。
そういえば、第二幕の最初に、ほんの短い時間だったが、Cobaさんの独奏と音楽隊の演奏を聴けたのが、体が震えて涙が出そうなくらい感動した。
Cobaさんは今までも串田さんの舞台で組まれたことがあったようで、自分の舞台上での、音楽隊としての役者的な役割、を、もちろん楽しんでおられたように見えたし、それがまたいい存在感を放っていたのだが、
贅沢すぎてもったいない感、も否めなかったので、これで 「演奏家としてのCobaファン」 も納得したのではないかと思う。
Cobaさん、すごい、カッコよかった。 いつか絶対にソロ演奏会を見てみたいと思った。
会場を後にするとき、私は幸せに包まれ、心の中を、感動の涙が激しく降り注ぐのを止めることができなかった。
「 自分自身の思っていることや忘れていた感覚が動き出したらすごく楽しいでしょ?
演劇って本来そういうものでしょ? 」
プログラムの最後を、串田さんは、こんな言葉で飾っている。
ファウスト、悪魔の顔。 これは、プログラムのカバーになっていて、裏表に描かれているのが、帰ってから気づき、驚かされた。
出演者全員が、
Soo very good !! でした。
以下、公演プログラムより、
左から、串田和美、笹野高史(たかし)、雛形あきこ、道化師 「パウエル」 役を好演した 小日向文世(こひなたふみよ…2008年フジTV系『あしたの、喜多善男 - 世界一不運な男の、奇跡の11日間 - 』で主演を務め、一躍脚光を浴びる。)
村人、大道芸、踊り、打楽器、役者など、なんでも、何役でもこなす、キャストの方々
Cobaさん(中央)と、音楽隊の方々
世界各国からオーディションによって選ばれた、最高峰レベルの 「サーカス・アーティスト」 の方々。
日本ではまだなじみが少ないが、串田舞台には、いち早くサーカスが取り入れられ、その特色の一つとなっているという。
大変驚かされたし、楽しかったです。
こういう、芝居だったら 「お芝居だけ」、に留まらず、色んなものの良さが合わさって世界観を作り上げるような、
総合芸術 は、大好き
です。
註:串田和美・・・1942年東京生まれ。日大芸術学部中退、俳優座養成所卒。文学座を経て、1966年 佐藤信、斉藤憐、吉田日出子らとともに 「自由劇場」 を設立。六本木の 「アンダーグランド自由劇場」 を本拠地とする。1972年、 自由劇場解散を経て、同劇場で演劇活動を再開する頃から、演出、美術を手掛けるようになる。75年、「オンシアター自由劇場」 と改名したのち、 『上海バンスキング』(79年)、『もっと泣いてよフラッパー』(77年)、 『クスコ』などのヒット作を生み出す。劇団解散の1996年まで、演劇界を中心に精力的に活動する。
1985年~1996年、シアターコクーン芸術監督。 コクーン歌舞伎、平成中村座などの演出も手がけ、多方面で活躍中。
2000年~日大芸術学部教授。 2003年4月より、まつもと市民芸術館館長兼芸術監督。 父は詩人、哲学者、随筆家である串田 孫一( まごいち)。祖父は三菱銀行初代会長。
今回、『K.ファウスト』 に出演した、、笹野高史と小日向文世も、元自由劇場メンバー。
ネコタが80年代に通っていたユニーク・バレエ・シアターは、六本木駅から西麻布の交差点へ向かうその先にあったのだが、途中右手に 「オンシアター自由劇場」 の劇場が立っていた。 イズミ・ミュージック・アカデミーのあったビル、 「アトリエ・フォンテーヌ」 と同じで、当時はやりの 「アングラ」 らしい、真っ黒な外装で、ここがうわさの自由劇場かぁ~
と思ったものだが、入ってみたことはなかったように思う。
そういえば、堀内完先生の主催されるユニーク・バレエ・シアターも、外装は白っぽかったけれど、時に発表の場ともなった稽古場は、やはり 「地下」 にあって、内装も 「黒一色」 であった。 おそらく自由劇場も地下に…。
ちなみに、六本木は、イズミとユニークと、そして当時後援会に入って、ほとんどすべての上演作品を見ていた、大好きで憧れの 「劇団俳優座」 の劇場もあって、夜な夜な通っていた (レッスンや観劇に・笑 (^^:)) 場所です。
遊び人の街というイメージですが、私にとっては青春時代を過ごした、大好きな思い出の場所。12月に入ると途端に、駅近くの待ち合わせの名所 「アマンド」 店頭あたりにたむろする華やかな人たちを尻目に (さすがに、雰囲気がちょっとコワかったですが (^^;) )、ひたすら重くて大きなレッスンバックを担いでは、レッスンに通っていました。
なので、約9年近く通い詰めた?わけですが(笑)、六本木を本来の街のコンセプト?である 「遊び」 に利用したことはほぼなくて、当時は時間もお金もなかったから、イズミ側、ユニーク側にあった、それぞれの 「マック 」 がもっぱらの行きつけ。 年一、二度ほど、その辺の居酒屋で 「打ち上げ」 もしくは少人数で軽く飲む程度、をしたくらいだったけど、好きなことをしていたので、それも楽しかった思い出です。
《 私的な余談・笑 》
1983年1月、下北沢にできた 「本多劇場」 の杮落し第三弾として上演された 『イカルガの祭り』(斉藤憐、作、演出。写真右) には、大変感動した。
この時、主演とヒロインだった、草野大悟(残念ながら、91年没)と 吉田日出子 の演技が素晴らしかった。
プログラムを見ると、小日向文世も出演していた。
この 『イカルガの祭り』 と、のち1988年に、同作者の俳優座公演 『赤き心もて飛鳥』 も見て感動し、斉藤憐さんの 「脚本」 に興味を持ったため、たぶん見てはないが購入したと思われる 『クスコ・愛の叛乱(はんらん)』(吉田日出子主演) の脚本。 (写真左)
大好きな 「飛鳥時代」 がテーマだったせいも、多分にあるかもしれないが… (^^;)ゞ
『イカルガの祭り』 に感動して購入した
、 流行っていたことは知っていたが見てなかった 『上海バンスキング』 のLP。(歌、吉田日出子、演奏、自由劇場団員)
この時、LP裏ジャケットには、若かりし日の 小日向文世(左、オレンジの囲み)と 串田和美(右、青い囲み) も、写っている。 (二人とも男前) その下の女性が、主演であり、同劇団看板女優の 吉田日出子。
はじめ同劇団スタッフとして入った笹野高史は、その後夢だった役者に転向、この作品で人気を得たらしいが、ここには映っていないか、あるいは、小日向の上に顔半分だけ出している(見にくいが黄色の矢印) 人が、ひょっとしたら、そうかも。 (^^;) ← それっぽい人物が、他に見当たらず。
串田はこの頃、役者もしていたが、劇団設立者として、演出家として、同劇団主要人物なだけでなく、演劇界ですでに重要人物だったので、このLPの折込リーフレットにもたくさん写っているし、上記の 『イカルガの祭り』 上演プログラムにも、文章を寄せている。
ネコタは、当時、いろんな舞台を見まくっており (本家HP 『やっぱり、舞台が好き』 及び、そのページ右上の 「バレエファンへの100の質問 」参照)、 記録もつけていなかったため、その多くが記憶の彼方に忘れ去られていた
が、 今回これを書くにあたってようやくいろんなことを少しずつ思い出しては、ああ、こんなこともあったんだ、とびっくりしている・笑。
『イカルガの祭り』 は、大学4年の終わりに、当時日本児童文学の自主ゼミのメンバーだった友人と見に行って、終演後、二人して、顔を見合わせては、ただニコニコと微笑みあうだけで、全てが分かりあえた(この舞台に大変感動し、言葉がいらないほど幸せな気持ちでいっぱいであること)、意見が違うと面白くないから、なるべく舞台は 「一人で行く派」 の私にしては珍しく、感動を友と分かち合うことによってより幸せになれた、数少ない観劇作品のうちの一つである。
余談ついでに、昨年上半期に愛観していた、NHKの朝ドラ 『おひさま』 で、一番地元の方言が近かったのが、上記経歴により、松本にたびたび来ている串田和美さんであった。
ブログにはUPしそびれたが、昨年12月には、同じくまつもと市民芸術館にて上演された、松本幸四郎主演の 『AMADEUS-アマデウス』(83年5月の再演を東京サンシャイン劇場にて見ているが、その時同様、サリエリを演じた幸四郎はもちろんのこと、アマデウス役の武田真治が中々よかった) をK子ちゃんと見に行った私は、終演後に、後方の客席で見ていらした
串田さんを発見 昔から演劇界の大物であったことはよく覚えていたので、大変感激したが
、 何を言っていいものかもわからず(80年代に感銘を受けた芝居のことなど忘れていたし
) 恥ずかしくて、声もかけられなかった。
素顔の串田さんは、気軽に松本市内を自転車で移動するような (K子ちゃんの知り合いが見たらしい!)、『おひさま』 での、 「丸山のお父さん」 そのままのような、暖かくて気さくな人らしい。
ああ、惜しいことをした・笑。