猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

元気のないとき

2009年02月28日 | ヘルス&ビューティー
は、おいしいものを食べるに限る。

ちょっと前までダイエットをしようと思い、「食べながら痩せる」という関連の本(以前買ってあって読んでなかったもの)を3冊くらいひたすら読んだ。
だが、いくら「食事を減らさないで」痩せるといっても、食前に毎日豆腐なんてあきるよー、夕飯は腹8分目で寝る3時間前までにすませる、夕食後散歩なんて私ら夜遅い夫婦にはゼッタイ無理。お肉も赤身、ささみなんてばさばさしてやだよー、キャベツばかりのミートローフや、クリームソースの代わりにヨーグルト使ったグラタン、ジャガイモの代わりにカリフラワー使ったポテトサラダもどき、ジャガイモの代わりに大根使った肉ジャガもどきなんてまずそー、湯で豚、蒸鳥なんて食べた気がしないじゃーん。

etc...
田舎に住んでいて、気分転換もできない、休みもない、夜の遅い毎日で、何が楽しいかって言うと、自宅でゆっくりくつろぎながらおいしいもの食べて、おいしいお酒を飲む、これに限る。そのために働いているといってもいい。
しかも、せっかく今年に入ってご飯を作る気力が出て、料理が楽しくなってきたのだ。おいしいもの食べなきゃ、そんそん。

実は2年間で体重10キロの体脂肪10パーセントの増加、というのはサバよんでまして、ほんとのこというと12キロ、13パーセント増えてたのでした。(^^;)))
去年の10月から毎日とっていたタンサンジュースとアイスクリームを辞め、風呂上りのストレッチとプチ筋トレを始めて、太るといわれている薬も他のに変えさせてもらい、食事のメインが作れなくてお惣菜の揚げ物ばかり買ってたのを辞めたら、この半年で約5キロ減った。他に何もしてないので(あ、今年に入ってから発芽玄米入りご飯にし、どくだみ茶とヘルシア緑茶を一日いっぱいずつ飲んでるが)これはすごいこと?だと思う。計ってはないが、後ろで止めるエプロンのボタンがきちきちだったのがゆとりが出てきたので、おなかの出具合も減ってきているのが鏡を見ても確認できる。ただし、体脂肪が2パーセントしか減ってないのはなぜか?

幸い、血液検査では血糖値、尿酸値、コレステロールなど総て平均値だったし、家にあるインナースキャンという体重計でも内臓脂肪は標準値だったので、太ってはいるが医学的にまずいことはないのだとほっとしている。

だったら、食べようじゃないか。
何も無理して、ストレスを溜め込むことはない。
大好きなホワイトソースのグラタンも、チーズたっぷりのピザも、ガマンしないぞぉー。

ところで、Kにはデリバリーのピザやさんというものがない。出来合いのピザはまずい。必然的にピザとは、「うちで作るもの」ということになる。
本当は台も手作りして全粒粉や小麦胚芽を混ぜるとよいのだが(炭水化物は取ってはいけないのではなく、精製してないお米とパンはむしろ食べた方がいい、という説を私は支持しているので)めんどうなので、できた台を買ってきて、ソースを塗り、オニオンスライスやコーン、サラミ、またはツナやベーコンなどに荒引きの塩コショウとマヨネーズ(カロリー1/2のもの)を散らして、チーズをたっぷりと乗せる。
して、愛用のデロンギのコンベクション・オーブンで付属のピザがカリっと焼けるピザストーンにのせて焼く。とてもおいしくできる。
市販のピザ台は小ぶりで二人分のおつまみにちょうどいい、安い、ヘルシー、といいことずくめである。

このピザをほおばり、ビールを飲みながら、大好きな「ラブシャー」を見る。
まさに至福のひと時である。

これからも、食べたいものはガマンせず、幸福に元気になりながら、「体を動かして」痩せよう!(但し、食べ物の中身は一応自分なりにヘルシーなものを心がける←この「自分なりに」というのが大切で、“やらされている感”=なんとなく惨めで悲壮感が漂う、ことがなくストレスなく長続きできるコツなのだ、と思う)
あと5キロ、体脂肪8パーセントくらい、せめて減らしたい、のよね~。

ところで、オットのいないお昼ご飯も、好きなものが食べられるちょっとシアワセなとき。
マルちゃんの海老天(丸いかき揚げが3枚入ってて、サクサクでおいしい)を使った卵とじ天丼とか、夕べの残りを使ったカツどん、レトルトの牛丼を卵でとじたもの(オットはなぜかうな丼以外のどんぶり物が嫌い)などを作って食べたり、イタリアンのあまり好きでない夫のため、パスタを作ることも多い。
昨日は、買ってきたバケットにレタス、生ハム、カマンベールチーズをはさんでボリュームサンドにして食べ、今日はたまねぎ、ハム、クリームチーズを混ぜた、にんにくと醤油を隠し味に使ったスパゲティー・バジリコソースを「レンジでパスタ」を使って作って食べたよ~。
おいしくて、シアワセだった♪

きのうのヨンさま

2009年02月24日 | その他芸術(舞台、映画、TV等)
「冬ソナ」10年前の真実・・・うーん、ヨンさま出生の秘密がいよいよ明らかに?
なぜ、チュンサン(ヨンさま)は、過去のことを忘れてミニョンとして生きなければいけなかったのか?鍵は母が握っている。
ビアニストの母はユジン(亡くなったはずのチュンサンの元恋人・チェ・ジウ)の現婚約者サンヒョクの父と古い友達のようである。その父から○○が16年前に亡くなったよ、と聞き、驚き○○のお墓へ参りに行くのだが、その○○というのは母の昔の恋人っぽいのだ。しかもなんとユジンの父であった。

うーん、わからないことが多すぎる。もしかしてチュンサン(ミニョン)とユジンは異父兄弟なのか?
これじゃ「オータム・イン・マイ・ハート」(調べたら2000年、韓国で大流行した人気ドラマらしい。こんな古い話がつい最近放送されていたのだ!)と同じじゃーん。(あ、違った。この二人は兄弟として育てられたが実は病院で取り違えられていたので兄弟ではなかった、つまり愛し合ってもよい間柄なのだが、そこはそううまく行かないのが現実なのでして。しかもヒロインは最後の方で白血病で死んじゃうのだ。)

惹かれあう主人公達が実は兄弟であった。
この衝撃の(?)ラストは、そういえば日本のTVドラマでも過去にも何回かあったな、と思い出す。
「眠れる森」(1998年、野沢尚脚本)
「空から降る一億の星」(2002年、北川悦吏子脚本)

偶然にも両方とも当時をときめく人気脚本家のミステリー(しかもその後2004年、野沢尚は突然謎の自殺を遂げるというまさにミステリーを地で行くような人生!なのだが)で、木村拓哉が主人公である。
うーん、両方ともコワかったな~。
ミステリーって怖いから、あんまり好きじゃないのだが、なんてゆーか、謎解きをするおもしろさはある。伏線があって、こうだからこうなのか?みたいな想像する楽しみと、つぎはどうなるの?というハラハラして続きが見たくてたまらなくなるという仕組みになっている。
が、ラストは衝撃にして切ないことが多い。

サスペンスドラマとかで人が必ず死ぬのが私は嫌いだ。死んだり殺したりする背景には必ず切ない人間の生と過去がある。その切なさに自分の許容範囲が耐えられないのだ。
「眠れる森」では、最後キムタクが寝ているのか、死んでいるのか謎ということになって視聴者の論議を呼んでいる。私は寝ているだけだと思いたい。そうして目が覚めたら、幼いころ家族全員を殺されてしまっていたはずのヒロイン中山美穂(姉)と父と3人で森の中で、新たな家族としての穏やかな生活を生きていくのだ、と思いたい。
「空フル」は全部を見ていたわけではないが・・・最終回、明石家さんまの妹(実は本当の妹ではなかったのだが)深津絵里は最愛の人であり実の兄であると判明してしまったキムタクと湖をボートに乗ってこいでいき、二人して拳銃で心中してしまうのだ。育ての兄さんまが見ている、その前で。なんとも悲しい話ではないか。

というわけで、愛し合い、惹かれあっていた二人が、実は兄弟だった、というのはけっこう昔からよくあるパターンなのだが、うーん、悲しい。

「冬ソナ」は、心中するとかそんな悲しい結末にならないでくれるとよいのだが。また来週も目が離せない。

それにしても・・・私はやっぱり、ハッピーエンドが好きだなぁ。
こんな世の中だからこそ、見ていて、読んでいて、幸せに、元気になれる物語の方がいいではないか。
そんなお話が、私は書きたい。

にゃんにゃんにゃん

2009年02月22日 | 猫・犬
今日は222(にゃんにゃんにゃん)で猫の日なのです。

さて、奇跡のご帰還を果たして一年以上が過ぎた我が家のにゃんにゃんにゃんですが・・・依然として懐いてくれません。
毎日「あうん」と可愛いまなざしと声でえさをねだりに来て、エサをいただき、おトイレの始末までしてもらっているというのに、近づくと「ハァ~っ」と威嚇したり、スタコラサッサと逃げるのだ。
どらちじゃないんじゃない?
という人がいるが、フツーのノラ猫だって一年も飼ってもらってりゃ嫌でも懐くはず。この「なつかない」という強情さは、まちがいなく「どらち」である、と夫婦で確信を持っている。

というのも今でも後悔しているのだが、当時体調の悪かった私は午前中よく床に臥せっていた。冬はドラちも寒いので一緒になって枕元でおねんねしてくれていたが、だんだん初夏の暑いころになるとどらちは寝床からいなくなる。
昼ころ起きてまず「どらちー」と呼ぶ。と、たいてい寝室の廊下の籐イスで一人丸まって寝ているので、どらちはやってきて私のベッドに飛び乗り、体を寄せてくる。で、私「どらち、どこいってたの?れーち、ぴとりでねんねしてたんだよ、もーさみしい」とか猫なで声でドラちをスリスリする。
こんなに可愛がっていたドラちなのだが、ある日どらちがおひるのおやつでもほしかったのか、異様にまとわりついてきた。で、体調も気分も悪かった私は、「どらち、うっとおしい。あっちいって。」とベッドの下に投げてしまったのである。

オットの実家へみんなを連れて帰省したのはその2日後である。そしてそこでどらちは逃亡し、いなくなった。
不覚にも玄関が開けっ放しになっていたので、いつでも出てもいいよ状態になっていたのだが、最初は好奇心で家から出てみたものの、全く知らない土地で帰れなくなってしまった。ドラちは今頃心細くて泣いているかもしれない。お母さん(私)に会いたがっているに決まっている。
と、思っていた。

戻ってみて、どらちは最初こそ私のベッドの脇のクローゼットに隠れていたが、最近は昼間はオットのベッドの上、夜はオットのソファーの、オットが座る場所に丸まって寝ている。せっかくペット専門通販で大枚?はたいて買ってあげた、ゴンちと色違いサイズ違いでおそろいの、かわゆい足跡型プリントのペットサークル(年賀状参照)には、最初の数日以降入らなくなった。しかも、オットのベッドとソファーしか行かないのだ。全くもって不思議である。これはあきらかにオットのことを気に入っている、もしくは私のことを嫌っているのか?

で、思い出したのである。私がドラちにしてしまったことを。本当になんであんなことをしてしまったんだろう、後悔しても遅い。猫はひどく執念深いという。きっと大好きで一番可愛がってくれた私に嫌われたと思い、その憎しみと絶望が消えないのだ。
写真は、ホームセンターで一目ぼれして、左側の口の部分からドラちが中に入って可愛い顔だけ出しておねんねする図を想像して買った筒型のお布団だが、どらちはその布団の中に入らず、フトンの下にもぐりこんで体をすっぽりと隠して丸まっている。で、顔がちょっとのぞいたところを撮ったものである。(よく見るとカオがこわいぞっと)全く、親の心子知らず、とはこのことである。


ドラちは可愛い。いてくれるだけで、うれしい。姿を見ているだけでも幸せである。いなかったときのさみしくつらい2ヶ月間のことを思うと天国である。

で、も・・・
猫ってさ、だっこして、ふわふわの体にスリスリベタベタしてこそ、幸せなのである。
猫の日の今日、松本に今話題の「ネコカフェ」がオープンした。猫好きだが、何らかの理由で猫を飼えない人の癒しの場になればとオーナーは言っている。

何らかの理由で、飼い猫にスリスリベタベタさせてもらえない寂しい飼い主のためにも、癒しの場所になってくれるだろうか。
うーん、ガソリン使ってまで行くのもバカバカしいが、どらちーがスリスリ抱っこさせてくれなくて寂しいから、ネコカフェ、行っちゃうぞぉっ!!

ヨンさま

2009年02月17日 | その他芸術(舞台、映画、TV等)
今頃になってナンですが、最近もうひとつハマってるTVがあったの。
それは、ジャーン!!「冬のソナタ」
毎週月曜日の夜12時くらいからTBS系のチャンネルでやってます。(この辺の地区・信越放送だけかも知れないが)

年末、偶然に見つけてもう第6話くらいだったけど、やってたので「お、おー!冬ソナだぁ~!」と思ってみてたら、これがオモシロイのなんの。
なにがって、ずっと前も深夜にやってた韓流ドラマ「オータム・イン・マイハート」にハマってたけど、ツッコミどころが満載なのよねー、韓流。
なんつーか、私の子供のころ(なので30年も前の大昔)に日本でやっていた「赤いドラマ・シリーズ」のような、善玉、悪玉みたいな単純で図式化されたような登場人物と、単純で古くさぁーいストーリー(誰かが死ぬ、出生の秘密、みたいな)。ありえんてぃーな展開。ちょいクサなセリフ。しんじらんなぁーい! ありえなぁーい! うっそー、こえ~(怖い)、など連発しながら、気がつくとすっかり夢中になっているのでした。
主人公達はケータイを使っているのだが、ヨンさまとチェ・ジウの服装が、ロングコートにマフラーと、やっぱ何年前の格好?って感じですが、でも、ヨンさまにはこれが似合うんだな~。タートルネックのセーターとか。日本中のオバさまたちがとりこになっただけのことは、あるわ。やっぱ、ヨンさまって知的で気品があってスマートで、ステキかも。←これはおちょっくってるのではありません。あと、チェ・ジウも聡明で控えめ、美しい!

ストーリーは二人の悲恋物語がこの先どうなるのか?という期待(心配)と、ヨンさまの出生?の秘密があきらかになっていくはず・・・
あーん、知ってる人、言わないでよ、言わないでよ。
ビデオレンタルとかいくらでも見られるけど、次、どうなるのかしら?と思って毎週月曜深夜を楽しみにしてるんだから。(ラブシャーは見ないが、冬ソナはオットも気に入って?いるらしく、ニヤニヤしながら、見てるよー)
世の中が複雑でわけわからなくなってきている今だからこそ、こんな純愛ものが人々のツボにハマるのかもしれない。

というわけで、韓国ドラマは、おもしろいぞっと♪

がんばれ!松本君

2009年02月12日 | 松商、中原監督 関連
祝日の昨日、当町M地区にて松本匡礼(まさひろ)君が信濃グランセローズにこのたび入団することになり、その激励会が行われ、行ってきた。


なにをかくそう松本君は、高校時代同級生で毎日お弁当を一緒に食べていたK子の自慢のご子息なのだ。

3年前、1991年の松商ナインの本を書いている私のことが、地元TV局の目に留まり、たまたま企画していた同局の「15年後のナイン達」という特番の中に取り入れて、放送してくれたことがあった。

それを見たK子が、びっくりしてうちにたづねてきた。

「猫田がこんなことやってたなんて知らなかった。」


聞けばK子の息子さんは、K谷から初めて、上田佳範選手の出た松本アストローズというシニアリーグに通い、
松商学園に進み中原監督の指導を受け、
その後松本大学に進み野球を続けている、ということだった。

こちらこそ、びっくりした。

そのご子息が、このたび大学を無事卒業し、なんと県内初のプロ野球BCリーグ「信濃グランセローズ」(2年前に創立)にドラフト一位指名され、めでたく入団することが決まったのである。

その激励会を、地元M地区で開催し、信濃グランセローズの三沢今朝冶社長(松商出身で上田君が日ハム入団当時の当球団編成部長)や中原監督も来るから、よかったら出席しないかとK子がわざわざ電話をくれた。

喜んで、二つ返事で出席させてもらった。


K谷から、初めて出るプロ野球選手である

ということで、K町町長が会の発起人になっており、出席されていた。私は久しぶりに、とてもお元気で溌剌とした中原監督にお会いでき、うれしかった。

中原監督のスピーチは、相変らずピカイチだった。人を惹きつける力がある。

「勝負は、勝つか負けるか。そのどちらかしかない。これからのポジションは与えられるものではない。自分で奪い取るものだ。松本君、そしてKから長野日大に進んだ加藤君、これからはKの時代が来る。」

うーん、根っからの勝負師、説得力がある。


改めて、こんな山の中から、毎週土日に松本まで通い続けたご両親と本人の努力に頭が下がる。

松本君から始まって、K谷から松本アストローズに通った子供達は実に10人に及ぶという。
(その中には一番南の南Kから通い松商に進んで甲子園にいった茶原君、長野日大に進み1年生でエース、県一に輝いた加藤君、松商に進んだ池井君、東海大三に進んだ荒木大輔君らがいる)

その、最初の道を開いたのが、松本君なのだ。

これは、すごいことだと思う。
(聞けば松本君は高校も大学も寮に入らず、ずっと自宅から通っていたようだ。M地区は失礼ながらFより更に山奥なのだ。そこから毎日通うというのは、どれほど大変なことだろう。)


そしてこのたびのグランセローズ入団。

好きな野球を続けること、夢をあきらめないこと、その大切さを松本君一家から教わった気がした。

(松本君とはこの日が初対面であったが、さわやかな好青年、ちょっと線の細いシャイな感じは石川遼君に似ている気がした)


しかも、こんなKからでも、それができるのだという、勇気をもらった。

会は、地区の人たちや父母会、地元学童やシニアの子供達、同級生達が多く出席し、終始和やかな温かい雰囲気で進行して、とても楽しかった。
(地元特産も入ったお料理もおいしかったし♪)


K子、呼んでくれてありがとうね。
そして今まで、本当にご苦労様。

そして、おめでとう。
「ヤッタネ!」(^^)v

いい息子を持って、育てて、ほんとによかったね。


がんばれ! 松本君。

自分のためにも、これからのKのためにも。

応援しているよ。










毎週金曜日は

2009年02月07日 | その他芸術(舞台、映画、TV等)
ラブシャーの日。
TBSドラマ『ラブ・シャッフル』(略してラブシャー)が夜の10時からあるのよ。

普通のお勤め人と違って夜が遅い仕事なので、普段はめったにTVドラマを見ることができない。ゴールデンの特番なんかもしかりである。かつては毎週TVジョンを買うほどのドラマフリークだった私だけに残念である。
で、これを見るために、毎週金曜日は午前中に夕飯のおかずを作っておき、毎日9時半まで店のところを30分早く帰らせてもらって、ゴンの散歩して(約30分)、食卓の用意して、お風呂に入って、一人ビールを飲みおかずをつつきながらTVを見る。途中オットが帰ってくるが、背中で「お帰り~、今TV見てるんだからね」。ビデオにも録画(昔から気に入ったドラマは録画しないと気がすまない)してるけど、リアルタイムで見るのがいいのだ。
オットは遅く帰ると風呂に入らない癖があるが、私がTV見てるときはテーブルには着くが、チャンネルを変えずに、だけど興味はないので雑誌かなんかを見ている。

久々の野島伸司脚本のドラマ。主演は大好きな玉木宏。だが、前作の『鹿男あおによし』がその前の『のだめカンタービレ』のメチャおもしろかったのに比べたらイマイチ盛り上がりと彼の魅力に欠けたので、見ようかどうしようか迷っていたのだ。だんだんキャストの年齢が若くなってきて、オバサンには果たしておもしろいのかしら、とか、互いの恋人を交換(ラブ・シャッフル)する、というのもどうかと思ったし。
ところが第一回目の、最初からおもしろい。セリフの掛け合いが絶妙で、イキでお洒落で、それでいて笑える。愛と友情。時にホロリとし、ちいさな感動まである。やっぱ、脚本がいいんだな~。
玉木もその魅力を全開させ、脇を連ドラ初チャレンジのDAIGOや松田翔太、谷原章介、香里奈らが固め、それぞれにいい味を出している。
高級マンションの最上階に住むセレブな4人(商社マンの玉木、カメラマンの松田、診療内科医の谷原、通訳の香里奈)がひょんなことから知り合いになり、それぞれの恋人をシャッフルすることになるのだが、この4人が、なぜかマンションのエレベーターを降りた踊り場へじゅうたんとテーブルを持ち込み、パジャマ姿でお酒を飲んだり朝食を共にしているという、ありえな~い的発想が愉快である。
そういえば、陣内孝則とキョンキョン、柳葉敏郎、コンタ、若き日の和久井映見などが出ていた『愛し合ってるかい!』も楽しくてお洒落で大好きだったが、これも野島脚本だということを最近になって知った。89年のドラマだから、あれからもう20年もたつんだな~、びっくり!!(当時付き合っていたオットになる前の現オットも大好きで二人でよくビデオを見たものだ)野島作品といえば一世を風靡したような骨太の作品が多いが、コメディーもなかなかイケルと思う。

ドラマは昨日で4回目が終わり、8人のそれぞれの隠された秘密が徐々に明かされていき、いよいよこれからがおもしろくなる。
金曜日はTVを見るために朝から大変(?)であるが、ちいさな、だけど今のところ最大の?楽しみのために、がんばるぞ~。

オットの誕生日

2009年02月06日 | 食べ物、料理
2月5日はオットの誕生日。
なのだが、私はこの日は朝からお友達と伊那へ遊びに行く約束があったので(伊那で唯一のお洒落スポットへ行きオッサレ~な生活雑貨を見て←見るだけ、ランチはデザートまでついたお洒落でリーズナブルなおいしいイタリアン、となりのパン屋さんでおいしいパンと高遠饅頭をお土産に買い、一日たっぷり遊び、おしゃべりして帰ってきた。楽しかった♪)、おとといの夜寝る前に表面だけ焼いて「魔法鍋」という保温力でほっといても勝手に煮込んでくれる鍋があったことを思い出し、それに仕込んで、豚の角煮を作った(内鍋を保温鍋に一晩入れて、朝、出がけにもうひと煮たちさせて再びセット)。

この豚の角煮、この間の花田景子さんの料理の本に出ていたやつ。普段は豚ばらのブロック肉を買うと「ローストポーク」を作ることがほとんど。肉をタコ糸で縛って形を整えたら、あとは塩コショーをすりこんでオーブンに放りこんどきゃ、お風呂に入っている間に勝手に出来上がってくれるという、超カンタン料理なのに、見た目がよくおいしいというスグレモノ。(薄くスライスして皿に並べ、ウスターソースとケチャップを混ぜただけの簡単だがおいしいソースをかければ出来上がり!)で、このお肉もスーパーで見つけたとき、いつかローストポークを作ろうと買って冷凍しておいたものだ。
が、景子さんの本を見てとてもおいしそうだったので、たぶん初めての角煮作りに挑戦してみたくなった。ゆで卵となぜか干ししいたけを一緒に煮込むのがポイント。

昨日のメニューは、他にサーモンサラダとおとといの残りのマカロニサラダ、漬物2種。(なんだ、去年の私の誕生日のハンバーグが角煮に変わっただけじゃん・笑)オットはワインを好まないので日本酒で乾杯。角煮は、ちゃんと中まで火が通っているか、食べるまでヒヤヒヤものであった。(オットは大丈夫だといったが、私はかじってみてちょっとピンクがかっていたのが嫌だったのでレンジに1分かけました)
お味の方は、さすが魔法鍋、とろとろに、おいしくできた。ただ、心配していたとおり分量どおりの砂糖では多すぎて、しいたけと卵は甘すぎてイマイチであった。私は甘い煮物を好まないので、ふだん砂糖は全く入れない。たまに照りをつけたいときはみりんを入れるが、それさえも甘くて嫌なときはもっぱら料理酒のみを使うくらい、料理の甘味を好まない。(お菓子の甘いのは大好きですよ)なので、次に作るときは砂糖は減らしたほうがよさそうだ。
あと、鍋に入れる前肉の表面を焼き、肉から出た油も一緒に煮込むと書いてあったが、表面に油が浮き、ぎとぎとして嫌だったので、これは捨てた方がいいと感じる。

1本の豚バラブロックで3センチ幅の角煮が6切れ取れた。珍しいものを作ったときは必ず親の家におすそ分けしているので卵は4つ煮て、しいたけも適量増やす。
夕べはサーモンサラダを多く作りすぎてしまったせいもあったのかもだけど、年のせいなのか、さすがにお肉ふた切れも食べられなかった。

なので今日は角煮残り一切れずつと、節分の日に私が材料だけ切ってオットが卵のだし汁を張って作った茶碗蒸しの残り、あと納豆巾着(薄めで縦長の油揚げを2枚、半分に切って袋状にしたものに、ひきわり納豆1パック、大根おろし、ネギ、調味料を混ぜたものを入れて楊枝で止め、ガスレンジの魚焼きで表面を軽く焼いたもの。一度に4個できるので、一人一個、残りは日を置いてまた食卓に登場させるのダ)と残り物が色々あるので、今日はあと、ほうれん草のおひたしでも加えて「スペシャル残り物」←(残り物ばかり並ぶ食卓をオットが命名)です・笑。

我が家の節分2

2009年02月05日 | 生活・行事、季節のもの
節分から一夜明けた昨日、母がおやつに「のりまき」を作ってくれた。(写真中央)作り立てがおいしいので、5切れも食べてしまった。写真右手奥の白いものは、まだ切ってないキッチンペーパーに巻かれたままののりまき。一緒のテーブルの上に並んでるのが、おもしろいでしょ。

写真右手前の「のりまき」はオットが職場の人からおみやげにもらってきた「恵方巻き」。大きいのが3本(海苔巻き2本に卵巻きが1本)入っていて、そのままかぶりつくのだそうだが、そのままじゃあ食べにくいので、1本を4等分して、うち3個ずつを持ってきたもの。せっかく持ってきたが母が作ってくれたもののほうがおいしいだろうと思い、昨日は食べなかった。

写真左手前は和菓子も洋菓子もおいしい町内のTというお店が、毎年節分になると売り出す「草大福といちご大福」。いちご入りのシュークリームと、カスタードクリームの入ったバニラクーヘンというおいしいお菓子が、普段はひとつ150円なのに、節分セールで10個1000円で売っている。この大福とシュークリームを買ってきて食べるのが、我が家(実家)の節分。(両隣にもおすそ分け)

ついでに、写真左奥のビンに入ったものは、母が節分の豆の残りを「酢大豆」にしたもの。そこにおいてあっておもしろいので写真に入れた。この酢大豆、ダイエットとかにいいらしいが、あまりおいしくないので、家ではおととい残った大豆、昨日そのまま、またボリボリと食べました。

この年になっても、こうやって母の手作りおやつなどが時々食べられるのは、なんて幸せなことでしょう。感謝です。

ついでながら母は「お稲荷さん」が上手で、のりまきより簡単なので、子供のときから何か行事とかじゃなくても、おやつに時々作ってくれる。私も東京時代に、一人暮らしのくせして飯台(寿司飯を作る桶のこと・東京で買ったのになぜかふるさと「Kひのき」でできていた)と「おすしの本」というのを買って、のりまきやおいなりさんを作ったことがある。ちゃんと作れたよ。
今でも持ってるけどね、母が作ってくれるので自分では全然作りません。

なんだか異様にあたたかい

2009年02月04日 | 猫・犬
今日は立春。(念のため母に確かめたら節分の次の日が立春なんだってね~。こんなことも知らんよー・汗)

それにしても、2月というのに毎日温かすぎる。連日のお天気で雪もすっかり溶け、今日は畑のほうれん草を採ったくらいだよー。
今年は雪が少なくてすごく助かるしラクだけど、あまりにも温かすぎると、なんか心配になってくるよ~。
地球温暖化がここまできてるのか?とか、秋にきのこちゃんと生えるかしらとか。

昨日は節分だったので豆まきをした。母が炒ってくれた大豆(最近拾いやすいからと落花生をまく人が多いようだがうちは伝統的に大豆です)をオットが撒くだけですが。昔大豆を撒くとどらちが喜んで転がして遊び、それをゴンが横からぱくりと食べるので、おもしろがってゴンドラのために豆まきしてたようなものですが。
昨日も夫がしつこく豆をまいていた(というより落としていた)ので、「ちょっと、ゴンだけじゃなくて人間も食べるんだよ。いい加減にしといてよ。」とやめさせたのだが・・・。
年の数ほど豆は残ってなくて、また年々食べる量が増えるので、適当に残っている枡の中の大豆をおつまみのようにゴリゴリと食べました・笑。昔は炒った大豆って貴重なおやつだったんだって。母が松本の師範学校に行っているころ、寄宿生活だったが親からなにか送ってくれる荷物の中に炒った大豆が入っていて、喜んで食べたらしいよ。舞台「華岡清州の妻」にも炒った大豆を食べる話が出てきたので、かなり古い時代から食べられていたんだね。
炒った大豆は、香ばしくて素朴な味わいで、一年に一回くらいは食べてみたい味だ。(子供のころは大好きで節分のときは喜んで食べ、また何日もたって部屋の中に偶然節分に撒いた大豆を発見したりすると喜んで拾って食べてたよ・笑←今でもか)で、硬い大豆を噛んでみて、うーん、まだまだ歯は丈夫だ、胃も丈夫だ、と喜んでみたりして。←年取った証拠

今年はモモがいなくて寂しかったが、夜家の中に入れてもらったゴンが喜んで部屋や廊下に散らばっている大豆をむしゃむしゃ食べてたよ。(戻って一年以上が過ぎても依然家の者に懐かないどらちは隠れてて遊ばず)硬い豆が食べられるくらいだもん、うーん、まだまだゴンも丈夫でよかったーと安心する。

ところで、きのうお父さん(オット)が珍しく仕事が早上がりで塩尻のKまで行ってきたといって、ゴンの新しい首輪(ずっと前から紐がちぎれていたけど使えたのでそのまま使ってた)と新しいリード(おととい散歩中に根元からフックが折れた)と、あとボアでできた可愛いマットを買ってきた。リードは緑色で趣味悪~い、といったが、意外とよかった。前、モモがいたところで、冬は日当たりがよいところで、モモのために作ったベランダで(といっても屋根だけで下は土のまま←コンクリにしたいなぁー)雨も雪もかからない。だが、どんなにカゴとタオルを洗濯したものに変えてもモモのだと思うのかそこに入らなかったゴンだが、これは自分のために買ってもらったのだ、と思ったのか、喜んで座ってたよ~。

陽だまりの中のゴン。平和な情景です。
※ 後ろに写ってるのが問題の決して入らないタオルを敷いたカゴ(何年も前、お花屋さんでタダでいっぱいもらってきた育苗トレイ)です。玄関脇にはゴン用の違うものが置いてあるが、うーん、育苗トレイがこんな風に使えるとは、もらったときは全然思ってなかったよー・笑。トクしたぁ。

花田景子さん

2009年02月02日 | その他 色々
この本は、河野景子さんが95年に横綱貴乃花関と結婚し、その5年後の2000年に出版されている。

『ピンチも料理で救われます。』

いささかドキリとするタイトルではないか。

つまり、貴乃花と景子さんに離婚の危機が? などと思わせぶりなところと、

男の人の愛情は胃袋で掴め、という古いことわざのように、

これは料理自慢の景子さんの、自慢本なのだ、と思って読んだ。


ところがどっこい、

料理 (日常生活のおかず) を作ることの大変さから、横綱という栄養も食べる量も気を配る景子さんの、5年間の失敗談、悪戦苦闘ぶり、奮闘記なのであった。

ちょっと好感を持った。

うん、あるある、なんてうなづけるエピソードがあったり、

うちはこうだったのよー、とか自分のことを思い出したり、

あ、このメニュー簡単でよさそう、なんて思ったり。

しかも、ピンチなんてそれほどの危機は花田家には存在しなかったよー。(いささか拍子抜け)


貴乃花の私生活では、
翌2001年に貴乃花の両親が離婚、03年には自身の引退、05年父である二子山親方の死去、07年かねてより兄弟不仲説のあった兄若乃花の離婚、など

その後の不幸を、まだ予測できなかったころのことで、花田家は幸せに満ち溢れて見えた。

マスコミをにぎわせた華やかな花田一家伝説の崩壊である。

( 20代後半から30代はじめの頃仕事してたところが、二子山部屋・当時は藤島部屋のすぐ近くで、当時角界のプリンス若貴兄弟はすごい人気、地元をあげて応援していたものである。
まだ貴花田だった頃の初優勝パレードを旗振って見てたり、
初優勝特集のグラフや、 『貴花田光司・素顔の青春』 なーんて特集本を、実は持ってたりして。
隠れ貴さまファンだったのだ。 ) 


が、貴乃花の家族 (他に男女1人ずつの子供あり) は、きっと今も幸せなのだろうと思う。

いつかご夫婦で出たTVでの、二人の間に流れるなんともいえない温かいまなざしと笑顔が、それを物語っていた。


自分の学生時代、桐島洋子さんの 『聡明な女は料理が上手い』 という本が一世を風靡したが、

アナウンサーという花形職業を捨て、力士の妻に懸命になりきろうとした景子さんの、
やっぱりこれは勝利のVサインの本なのだ、と思わなくもない。

その影には離婚した兄嫁や、婚約破棄した宮沢りえちゃんへの密かな挑発? とも見て取れる。(考えすぎか?)

( といいつつ、宮沢りえちゃんのことも好きだった私は、その昔、二人の婚約発表をかたずを呑んで見守り、二人の出会いとなった船上デートをビデオにとり、 『貴・りえ悲恋物語』 なる本を偶然見つけたので購入したほどのミーハーである。さすがにもう処分しましたが )

そういう意味では、結婚後、表舞台に全く登場しないイチローの妻、福島弓子さん (元アナウンサーで、花田夫婦と同じく奥さんがダンナより7,8歳も上な点が共通) の本が出たら読んでみたいのになー、なんて思ってしまう。


本当に聡明な女とは、夫に尽くし、いい気持ちにさせてあげて、ほんとは手の上でころがしてるような、強さとしたたかさがあるのではないかなーと思う。


なかなかそんな、賢い妻にはなれませんわな。私はね・苦笑。