移ろいゆく日々

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気にとめたことを忘れぬうちに

本の主題と設定

2017-10-14 12:18:58 | Weblog
 今年のノーベル文学賞に日本生まれのイギリス人、カズオ・イシグロ氏が選ばれた。ノーベル文学賞をとった作家の本ぐらい読めばよいものだが、若い頃にヘミングウエイとかを読んだきり、日本文学では川端康成ぐらいだ。イシグロ氏もいずれは読んでみたいものだ。いずれが何時になるのだろうか。
 受賞もあって、NHK教育でイシグロ氏が授業をする白熱教室の再放送があった。イシグロ氏によると、書きたい主題にあう物語の舞台、設定に随分と考えをめぐらすのだそうだ。素人理解でも、本の主題と物語の設定は不可分のものだろうが、作家はそれを同時に、あるいは不可分に着想するものと思ってたので、以外の感があった。
 さて、ここからはぐっと自分の貧しい読書体験の話になる。最近、どうも人の死を扱う本が苦手になっている。若いころはさほど気にならなかったのに、推理小説ですら殺人を扱うような本を避けて選ぶ感じである。
 そんななかで、森川智喜の「キャット・フード」という数年前に上梓された本を文庫で読んだ。軽いタッチの推理小説で、人間社会に同化した化け猫が出てきて、それが立ち上げた「キャット・フード」工場の、肉の調達で起こる事件の推理小説だ。実にあっさりと大した動機でもなく人が死ぬので、どうも気持ちが悪く、何度もページをめくる手が止まった。実は、推理のロジックの過程で、このような設定は必然性があるので、別に作家に猟奇趣味があるという訳ではない。推理のロジックが主題であるとすると、この奇想天外な設定もそれなりの理由はある。でもしかし苦い感じが残って、自分の人間的な甘さ、ぬるさを突きつけられたようにも感じる。
 イシグロ カズオの小説の中に「わたしを離さないで」というのがあるらしく、これも非常に奇想の設定の中に、命と倫理を見渡すもののようだ。一度読んでみたいと思う一方で、その土台となる設定、「臓器工場」に手が出るかどうかがあやしく思える。これでは読書の幅はなかなか広まらない。
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