移ろいゆく日々

移ろいゆく日々
気にとめたことを忘れぬうちに

素敵なCM 未来のために

2011-12-29 16:51:08 | Weblog
 今年のBlog更新は本日で終了です。仕事納めは昨日、納めるとはほど遠く、やり残しの仕事は、年明けから慌ただしく向き合うことになります。
 今日は、数年ぶりに部屋の窓拭き、薄汚れた窓をピカピカにしました。久しぶりの平日休みで、半年ほどサボっていた通帳記入をして、我が家の財務状況を確認。金持ちではないけど、収入相応の質素な生活をしているので、不安にならないほどの残高です。京都案内のHPをみて、青空文庫に収録されている夏目漱石の「今日に着ける夕」を音読してみました。この年になって漸く幾らか分かるようになった、漱石の美しく豊かな日本語に浸りながら、漱石と正岡子規の友情に思いをいたしました。
 家内は美容院に、同じく美容院にいって先に髪を切り終わった息子とラーメン屋で遅い昼食を摂りました。ラーメンを待つ間、息子は漫画版の「サマーウォーズ」を、僕は堀口大學訳のルブラン「813」を読んでいました。
 帰宅後は、窓がきれいになった部屋で、古い友人にエアメールを一通、海外暮らしの続く彼の住まいはハノイです。
 ロケットニュース24をみていたら、東芝のLED電球の素敵なCMがありましたのでリンクしておきます。どうも世の中の言説が矮小化しているように思います。未来を描けば、今出来ることをやろうという気分になる。地震でひび割れた壁を眺めながら、ふと思います。
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『専業主婦になりたい!?』

2011-12-11 17:21:14 | Weblog
 「婚活」という言葉を広めた著者の次の本のタイトルだそうです。副題は、『"フツウに幸せ"になりたいだけ、のあなたに』とあって、帯には「はぁ、結婚して仕事やめたい」なんてあります。
 かつてはそう80年代までは、結婚した女性の多くが外での仕事をやめて「専業主婦」になりました。これは主婦が家事、育児、加えて看護など福祉の不足を補い、家族の生活向上を一手に引き受けて、まさにそれは重労働だった訳で、「専業」でなければ務まらなかった時代を映したものでした。もっとも、これは給与所得者の「妻」であって、農業者や小規模経営の商工業者の妻の場合は、プラス家業が伴うわけですから、現代でも重労働でしょう。当然税区分としては「専業主婦」にはならないですよね。
 一部には、亭主の稼ぎが良くて「有閑マダム」なんていうのもあって、ある種の文化の担い手でもあったようです。江戸時代における富裕な武士階級も、司馬遼太郎の分類でいう「読書階級」だった訳ですが、現代の「専業主婦」はそんな形になるのでしょうか。
 今の主婦業は、一般的には専業でやるほどの労働では全くなく、まさに「有閑」でしょうね。経済的視点では、女性にも給与取得者を継続してもらって、納税と積極的な消費活動をしてもらう方が良いように思います。主婦の労働って、家事に関る部分は金銭出費を伴わない自己完結ですからね。
 我が家の場合は、結婚したときに小生の転勤があって、家人は良い勤めだったのですが離職せざるを得ず。その後、出産と育児でしばらくは外部での労働は見送り。おかげで、私は家事は一切お任せでした。家人は育児が一段落すると、地方の不利と闘いながら勉強して、数年のパートタイムを経て、現在はフルタイムの仕事に就いています。
 でも現在も家事のほぼ全てを家人にこなしてもらって、小生はといえば、せいぜい家事に文句を言わないように配慮するぐらいです。
 「給与所得者の妻」=「専業主婦」という図式は過去のもの、労働量からの公平感からいっても税法上の利点や優遇もなくしていくべきでしょう。それでも「専業主婦」という選択肢を選べるご亭主であれば、現代の「読書階級」になるのかな。
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政治報道の姿勢と質

2011-12-03 09:11:47 | Weblog
 日経ビジネスオンラインに、池上彰氏と御厨貴東大教授の「マスコミが政治報道できなくなった理由」という対談記事が掲載されています。中には、政治ではなく政局を報道し、視点が芸能報道と変わらない低質さが指摘されています。ご両所とも報道に携わり、今も報道に関わっている人として自戒をこめた記事となっています。
 今でもNHKの「政治討論」や、BSフジの「プライムニュース」など政治関連番組、報道番組はそれなりの質があると思いますが、如何せん2時間もテレビにお付き合いする気にはなれません。
 なによりも質的向上を求めたいのは定時ニュースです。公正はもちろん、事の大小を弁えた報道姿勢です。以前のBlogにも書きましたが、ポータルサイトのニュースの大きな欠点は、事の大小が見えないこと。震災報道や年金論議と、芸能人の結婚が同列、同配分で載せていることです。果ては、webの質問箱のような記事と同列なのです。
 同じく、政治報道でも、政治・政策報道がないまま、政局・失言報道がされます。このことは、実は政治記者、報道者がそもそも、政治・政策の事の大小や意味することを理解できていないという結論がみえてきます。
 政治報道に頼るべきものがないとすれば、この国の危うさは尋常ではありません。今も沖縄基地問題に関連して下劣極まりないくず官僚の「発言」に端を発して、沖縄県知事と防衛大臣の会談が不調に終わったとの報道がありました。この防衛大臣の資質は問い正したいことはありますが、事は日米間の合意、そして危険極まりない普天間基地の解消にあって、既に十年余を経過した問題なのです。政治報道もまた、責任を放棄せずに、そのことを追求すべきなのです。
 報道の姿勢と質の低下、これもまた国を危うくする原因です。
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