移ろいゆく日々

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気にとめたことを忘れぬうちに

大往生 永六輔

2017-12-02 08:44:06 | Weblog
 岩波新書から1994年に上梓されたベストセラー。近所の図書館であった古本市に、状態が悪いからと只であったのをいただいた。永六輔をWikipediaをみると、作詞家、文化人、ラジオパーソナリティなど多才の人だったが、著書もびっくりするほど多い。
 ベストセラーの当時は、死に関する著作を読むのは避けていた。正しくは、推理小説とかは死を扱う本は散々読んでいたのに、少しでも真面目に死を考える著述は怖くて、避けていたという、実に見下げた心根である。ようやく此の頃の歳になって、死について多少なりとも考えられるようになった。全くのいまさらであるが入手を縁に読了、まあ人の成熟は人それぞれで、長きに渡る若気の至りとでもしておこう。
 この「大往生」は岩波新書ではあるけれど、永六輔が拾い集めた死に関する断章と対談録、それに永六輔がその三年前に九十歳でなくした父の一文が載せられた断章、散文集だ。
 永が集めた断章の方は著名人のそれではなく、市井の人々の語る「病」「死」であった。一つ一つの言葉は、嘆きがあって笑いがあって心があって、どこかに生と死の表裏性を感じさせるものであった。死は生の一つの形態とも思える。
 対談は、やはりその5年ほど前のベストセラー「病院で死ぬということ」の著者、山崎章郎との、人の死を語る対談録であった。当時は、医療による過剰な延命措置が取りざたされるようになり、また末期がん患者などを収容するホスピスが話題になったころでもあった。かつてのように自宅で息をひきとるということが珍しくなった時期でもあった。今はその時以上に病院以外で死ぬということが珍しくなっているだろう。自宅での死を異状死などという言葉で表すこともあるぐらいだ。死の目前にある患者に延命措置のためにつけられたさまざまな管のことを指す、「スパゲッティ」という病院の隠語の話を、永は持ち出している。二十余年を経た今は、高齢の入院患者にはどの程度の延命措置をするかと家族に問う。普通は点滴と酸素呼吸器とサチュレーションの配線ぐらいだったと思う。それでも、呼吸機能の弱って痰を排出できないようになると、吸引があって、その姿は苦しそうにみえた。過剰な延命措置をやめても当時よりも平均寿命がいくらか延びているのだから、それで良いと思う。
 健康に長生きする、単なる長生きではなく健康に、というのが大事だろう。ここで、健康の定義は人それぞれのところはある。人によっては、仕事ができることというのもあるだろうし、自力で歩く(移動する)ことができる、あるいは他者と意思疎通を図れるということもあるだろう。長く闘病生活を続けている人にとっては、健康についての捉え方も幾分異なるはずだ。いずれにしても健康に死ねれば、それに勝る喜びはない。
 そして締めくくりは永の父親、永中順の一文「絶筆・死にたくはないけれど」である。お寺の住職をされながら戦前、戦中、戦後と生き、まさに大往生を遂げられた中順氏の手になる、死の半年ほど前の軽妙で洒脱なエッセーである。そう、この本はまさにこの一文のためにあったのである。この200万部を超える本の価値の中核だ。永の自戒のとおり、人のふんどしでできた本ではあるけれど、父への鎮魂の思いの書であろう。
 その永六輔は、昨年2016年に83歳でなくなった。ご尊父よりも若い年齢、パーキンソン氏病を患ってのことであった。同世代のタレント、大橋巨泉と出たTV番組で車椅子姿をお見かけしたのが最後であった。その大橋も永の死の6日後に癌で亡くなった。82歳である。
 「大往生」の巻末は、自身による「弔辞ー私自身のためにー」である。永がこの書を世に出した時は60歳、かくありたいものと感じながら、あらためて合掌。
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