桐生スバル☆☆☆座   

映画好きの座長がWEB劇場・桐生スバル座を始めましたが
東日本震災で故郷FUKUSHIMAが悲惨な状況で帰れないネ~

奥州北端の太宰治同様に、奥州南端に生まれた三男坊座長も「おずカス」

2012年11月07日 | 日記
 さてさて、座長楽屋の窓からキンモクセイの香りが流れ込んできて、座長のウツな気分を和らげてくれる・・・この秋の強烈な香りに比べて、春先の「萌え気分」を味わう事が少なくなった阿武隈山育ちの座長である。その昔の記憶を萌え燃えさせると(春先の朝早くに突然に感じるモヤ~とした空気の暖かさ)、それは生命力の芽吹きなのだろうが、アッという間に慣れ消えてしまうものだった。
    
 さて今夏の田舎帰りからしばらくして、亡父が久しぶりに枕元に立った。
亡父との共同制作「OZUの謡」も日本中にブログ発信してるので満足かと思いきや・・悲しそうに「童謡を見る人が少ないネ~」と呟く。 無理も無い、2年経ってもアクセス数が100件前後じゃ、ガッカリ気分になる。
 教員であった父が直面したであろう戦後教育界の流れ、特に日教組による童謡唱歌の検閲禁止運動の影響は強くて童謡唱歌が衰退し、代わりに「NHK的明るい童謡」が蔓延して、幼児童達に五月蝿く媚コビいる「ユルキャラ童謡」ばかりとなった。

 突然「お前のおず安という屋号はなんだ?」と聞くので、座長好みの映画監督小津安二郎から採ったと答えたら、「お前はおずカスだ! 来月のNHK放映のドキュメンタリ「太宰治・津軽」を見よ!」と言う。
 桐生スバル座も不調だからといって「おずカス座長」とはヒドイ言い方だとは思ったが、改めてホームページ全般をみれば、綻びと空穴だらけで座長も納得。近日中に模様替えせねばと、ウツ気分になって堕落する(堕落論は坂口安吾、堕罪論は太宰治)。

 10月に放映されたNHK「太宰治・津軽」の番組であるが、ナルホド現地の旅巡り紀行の中に「太宰治は、おずカスだった」と地元の声が出てくる。
 「おずカス」とは家族制度が厳しい戦前において長子以外の子供が邪魔カス扱いされるという津軽語なのだ。斯くして奥州北端に生まれた太宰治同様に、奥州南端に生まれた三男坊座長も東京に出て、挙句の果ては終の住処の「桐生スバル座」に住まいするとなりますれば「おずカス」と呼ばれても仕方ない。

 それにしても番組に組み込まれた(五所ケ原市での津軽鉄道駅頭から始まる野外劇の演出)には脱帽した。実際の電車から降りた太宰治を1輪車に乗った「思い出役者達」が巡り、津軽弁丸出しの役者が筋立てを固めて、更には公園立ち木を利用した湾曲舞台・・・なのだ。
 座長も「桐生スバル座」を飛び出して路頭での神楽興行を考えていたのだ。

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