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夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

東京の町名について

2010年10月25日 | 暮らし
 きのう、中学校の同期会に出た事を書いた。学校の名前は「東京都板橋区立上板橋第一中学校」。しかし現在、それは「上板橋町」には無い。学校が移転した訳ではない。町名が変わったのである。元は正真正銘、「上板橋町」にあった。それも一丁目に。私の住んでいた所も一丁目で、番地まで覚えているが、336番地だった。
 学校のぎりぎりの所を私鉄の東武東上線が通っている。そこには「板橋」の付く駅名が三つもある。都心に近い方から、「下板橋・中板橋・上板橋」で、それぞれ、間に一つずつ別の駅がある。学校はその「中板橋」に近いのだが、町名は「上板橋」なのである。「上板橋」と言う地域が非常に広かったのでそうなっていた。
 それを板橋区は町名の地域と名前を変更して各町を小さくした。学校のある地域は「弥生町」になった。友達は「東新町」や「東山町」などに分散し、恩師は「桜川」になった。そうした事をしながら、逆に「小山」「茂呂」「根ノ上」は合併して「小茂根」になった。そして「上板橋町」はずっと縮小して鉄道の「上板橋駅」周辺になった。中板橋駅の近くは「中板橋町」となった。駅名と町名は一応は合致するようになったのである。

 考えてみればこの方がずっと分かり易い。しかし別の区ではそうではない。例えば東京都港区では小さな特徴のある幾つもの町を合併して、一つの「赤坂」にしてしまった。いや、一つではない。赤坂一丁目から九丁目になった。この「赤坂一丁目」と言うのは歴とした町名である。だから「1丁目」とは書かない。いや、書けない。普通には「赤坂1の1の1」などと書くが、それは便宜的な方法なのであって、正確には「赤坂一丁目1の1」などとなる。
 わずらわしいだろうが、元の町名を挙げてみる。
赤坂伝馬町・赤坂田町・赤坂新町・赤坂丹後町・赤坂一ツ木町・赤坂表町・赤坂台町・赤坂新坂町・赤坂檜町・赤坂中ノ町・赤坂氷川町・赤坂福吉町・赤坂溜池町・赤坂榎坂町・赤坂霊南坂町、と言った所である。
 自分の目的地が赤坂表町なのか、赤坂一ツ木町なのかは重要な事である。そしてまるで違う町名なのだから間違えるはずが無い。しかしこれが「赤坂一丁目」と「赤坂二丁目」だったらどうだろうか。どちらだか分からなくなる場合が圧倒的に多いはずである。それは単なる数字の違いにしか過ぎなくなっている。

 町名とは一体何のためにあるのだろうか。庶民の暮らしの場としての便利さがまず第一ではないのか。整然とした所番地は探す人にとっては便利だろう。でも果たしてそうした「よそ者」のための便利さが優先するだろうか。もちろん、ずっと住んでいる人にとっては、一丁目と二丁目の違いは歴然としている。別に「表町」とか「一ツ木町」ではなくても迷ったりはしない。
 そうなると、どうも日常的に住んでいる人のためでは無さそうでもある。しかしである。「赤坂一丁目」と「赤坂表町」とではどちらが親しみの持てる町名だろうか。
 東京都中央区には「日本橋○○町」と言う町名がたくさん残っている。これは多分、元は「日本橋区」だった名残だろう。地元の住民にとっては「日本橋区」の名前が消える事が堪え難かったからに違いない。つまり、地名は住人の大切な財産でもあるのだ。千代田区には「神田○○町」がまだ幾つも残っている。これは元は「神田区」だった。しかし番地の整理が済み次第、「神田」の名前は取ってしまう方針だと言う。現実に隣同士で「神田神保町」「小川町」となっている。くだらない事をしているなあ、と思う。
 幸いに東京都新宿区にはまだたくさんの小さな町が残っている。私の本籍は新宿区神楽坂。元は「牛込神楽坂」だった。古くは「牛込区」だったからだ。昔は戸籍謄本を管轄の「箪笥町出張所」に取りに行った。そのたびに、ああ、箪笥町っていい名前だなあ、と思った。
 そう言えば、「神楽坂町」も一時「神楽町」になった事があった。戸籍謄本を取った母親がそう言ったのを覚えている。「神楽坂」と「神楽」ではまるで違うではないか。そうした歴史も庶民感情も何も考えない、味噌も糞も一緒にしてしまう行政官など要らない。要らないのではなく、居てはいけないのである。