夜明け近く土砂降りの雨、六時前小雨に変わった。
地上から蒸気が絶え間なく上がる。
うっすらと刷毛を引いたような景観は、空に舞い上がり消えていった。
ヤブキリの幼虫か。
野原の草の上やすきまにいるが、成虫になると木の上に移動する。おすは、頬をこすり合わせて「ジッ、ジッ」、あるいは「ジリジリ」と鳴く。体の色は、すんでいる場所によってちがいがある。前あしにはとげがある。
茅の間をせわしく飛び回っていた。追いかけても追いかけても逃げられて、写真を撮ることができない。このバッタは、一瞬だがいい子でいてくれた。
ササキリというバッタの仲間もいるが、少し違うようである。
丈が伸びた茅やワラビの間から、小さな芽がスクスクと伸びている。
人がいかに誤解にみちた中で生きてゆくか、人はいかに他者を誤解したまま、その噂を後世に伝えているかを知る時、人間の真実とは何だろうという、もっと深い文学命題を突きつけられる。
それが面白くて、また次に魅力ある、またはなぜか気にかかる人物について書き始めているのである。 (瀬戸内寂聴 「白蓮れんれん」中公文庫解説より)
まだ読み途中であるが、林真理子その人も、柳原白蓮(柳原子やなぎわらあきこ)の見解も払拭しなければならなかった。
史実に基づいた伝記小説であったことに深い感銘を覚えた。
林真理子は早くから直木賞を受賞、「白蓮れんれん」で柴田鎌三郎賞を受賞していた。
茅の藪は背丈が伸びて、場所によっては、山が隠れてしまう。空は夏の雲、ゆっくり、ゆっくりと流れている。
大正十年十月二十日、子は家を出て、恋人宮崎龍介のもとへ走った。これが世に名高い「白蓮事件」である。 (白蓮れんれん)より。
世間は、世の中は驚愕した。
華族の女性が、筑豊石炭王の夫伊藤伝右衛門から去って駆け落ちすることは許されるべくもない。当時の姦通罪に値した。
だが、伝右衛門はあっさりと離婚を承諾した。
「子にいっさい手出しはするな」と言い放ち、今後は伊藤の家で永久に子の名を出してはならんと、それが決着のつけ方だったようだ。
お腹には宮崎龍介の子が宿っている。
あまたの茨をくぐり抜け、子供を無事産んだ。
大正十二年九月一日、悲惨な関東大震災が起きた。
子は華族の身分を剥奪され、やっと一平民となった。
八十二歳となった妻を七十五歳の夫龍介が献身的に看病し、看取っている。
昭和四十二年二月二十二日のことだ。
門外不出とされていた龍介と子の書簡を宮崎家から見せていただかなければ、書くことが出来なかったそうである。
史実に基づいた伝記小説「白蓮れんれん」、味わいながら読み続けよう。
坂戸山、金城山、巻機山、右奥は湯沢方面。
白い雲が、ゆっくりと絶え間なく流れていく。
夕方は雨になるようだ。
七月四日。金曜日。五日町スキー場にて。