千艸の小部屋

四季折々の自然、生活の思いを、時には詩や創作を織り交ぜながら綴りたい。

雨後と水あがりと

2011年07月31日 | 日記

   
 よく降った。
 一ヶ月分に相当する雨が,三日間で豪雨となって降りつづいた。ラジオで聴いた話である。
 二十九日、布団に身体を横たえた時間は恐ろしいほどの雨音と雨量だった。家ごと地中に沈み込みそうな錯覚。ひどい雨、もう三日目だ。そんなことを考えているうちに眠っているのだから、私の神経は結構図太い。だが夜半に何度も目が覚めた。相変わらずバシャバシャバシャと雨の音。寒くて、夏がけを押し入れから引っ張り出す。
 身体があたたまって、トロトロ眠り、目が覚めて、用足しに降りると階下も冷え冷えとしている。
 夫も階段を降りて来た。四時十五分頃だっただろうか。布団を片づけ、長袖Tシャツの上に半袖を重ねる。寒い。秋のようだ。
 洗顔のあと、猫たちの遺影にあいさつをする。それから仏間に坐り、ローソクの火、線香と、心の中の父にあいさつ。日課となっている朝の行事をかかさない。もちろんお水は取り替えるし、泊まりの日はやれないし、外泊はめったにあることではない。
 台所であれやこれやしている間に、PCを閉じた夫は雨の中畑に向かう。私が雨具を着込んで外に出るのが五時二十分前後。
 豪雨は過ぎたが、冷たい雨の中を少しだけ歩く。それだけで気分が落ち着くのだ。
 小雨になったり、雨もあがったりだが、魚野川の水位も堤防間近、あちこち土砂崩れが発生、通行禁止区域も多く、豪雨が去ってみれば、かなりの被害が出ていることが分かった。ここまでは昨日の話。

 今日も、監視のヘリが何度となく頭上を飛んでいた。

 子供の頃、我が家は小さく、家の土台が道路より低かった。
 雨期に大水が出たり、雪下ろしの雪を川に投げ入れると、川がそばにあった我が家は、度々大変なことに遭遇した。
 台所の床下に水音が聞こえ出すと、さあ大変。床板を外す。もうかなり上まで上がっている。
 私たち子供はおろおろしていた。父は公務員なので、不在時は母が取り仕切る。人手を頼んだり、自分も外に出て川につっかえていた草木、あるいは雪の塊を取り除く。しばらくすると水が退いてゆく。
 何日か、いやな臭いが残った。あの頃、そうなのだ、汲み取り式の便所。田舎はどの家もそうだった。汚物を畑の肥料としていた時代。
 床下に浸水した水は、裏の畑、田んぼを通り、土地が下がっている河川に流れてゆく。
 床上浸水、何日も水が引かなかったことはなかったような気がする。


 雷が鳴って、また雨が降り出した。
 山のそばの集落の被害が凄くて、車が立ち往生していると、夫とその友人が電話で話している。
 雨が勢いを増してきた。

 昨日、関東から湯沢に着いているはずの娘と孫たち。
 久しぶりに会った、なかよしのみんなと楽しく過ごせたのだろうか。
 夕方、こっちに向かって来る。

 明日は晴れたらいいな。

 今朝のヒマワリとコスモス。





 何日ぶりだろう。今朝の青空。緑の田。五時五十分頃。



豪雨のあとに

2011年07月29日 | 日記

  

 昨日は断続的な豪雨が続いた。
 めざめてから、雨が一休みしたことなどなかった。
 夕方からはいっそう激しく、一時間単位の強雨。
 高床式の玄関からベランダを覗くと、プランターの上部まで雨水がたまっていた。アイスプラント、今年も咲かないアマリリス、三鉢の水を捨てた。筋力がないのに、こういうとき馬鹿力が出る。
 雨音だけが激しく、早めの夕食を済ませて、歯磨きと洗顔をしていた時だった。雷も鳴らないのに突然の停電。
 私は平然と洗顔をし、夫一人で騒いでいる。ランプ式の懐中電灯を探している。ないぞ、どこにやった?いつものところにあるでしょう。ないよ。あっ、そうだ、孫がいたずらしたので物置にしまったのだった。じゃ、物置にあるはず。
 私は暗闇で、石けんの泡を落としている最中。眼を開けたら、暖簾越しの台所に灯りが点ったところだった。
 いざという時のため、所定の位置に置いておくこと。暗黙のうちのルールが破れると、こういうことになる。
 中越地震の教訓で、古毛布と軽い掛け布団を大きなビニールに包んで、何年か持ち出せるようにしていたのに、喉元過ぎれば怖さ寒さも忘れてしまうのだ。

 二人生活。味気なくもあるが、私たちは、言葉のない夫婦ではない。
 私は、夫の心の内部には介入しない。夫も探るようなことはない。
 お互いを人間として認め合い、許容し合うことが大切だと思っている。
 つまらない喧嘩をして、砂を噛むような日々を過ごす時代は、とっくに通り過ぎたように思う。
 自分の考えを強要することもいらない。結局は人間は一人になる。一人になったとき、自分自身の土台がどこにあったのか、明確にしておくことも大切だ。

 私は、ふわ~っと夢うつつでいることがある。
 現実の自分でもなく、過去や未来の自分でもない。
 何だか不可思議な自分、ではある。


    花

花がここに咲いている
やさしい花だ
君は本当のやさしさって知っているかい
すぐには答えられないだろう
本当のやさしさって
何なのだろう
模索している君が
すでにやさしい人なのだ
人間が本来
人間としてあるべき
やさしさって
どんな思いの中から
生まれてくるのか
すでに知っているだろうから
                      (azumi)

 朝の一品。
 トマトのチーズ焼き。
 豪雨で八割れした中玉トマト、とろけるチーズ、バジル、塩、粗挽き胡椒、オリーブオイル。




 ウォーキング途中の川。
 昨日の水位は、草がなぎ倒されている位置まで上昇した。




 豪雨にたたかれた川土手のコスモス。



 昨日からの豪雨で、土砂崩れ、建物損壊、床下、床上浸水などがあったことを知った。被害が拡大しないことを願っている。



大雨と愛と千艸と

2011年07月28日 | 日記


      
 昨夕から雨が降り続いている。
 市街地が増水している。
 近年にない降水量。
 魚野川に入る前の小さな河川の水が溢れ出している。
 トンネルも通行止めのようだ。中心部にある金融機関に出かけるのを、今日は見合わせた。


     愛

愛は
求め合う
それだけのものなのだろうか

求めたくとも
かなわない愛もある

そんな愛に
はかないものを感じてはいないか

みつめる愛は
どこにあっても
心をあたためてくれる

そんな
気がする 愛

愛は 無限
                (azumi)


 千艸の「艸」は、最近ではネットの絵文字に使われたりしているが、父が庵の屋号に考えた文字。庵とは自宅のことだが、草深い小さな庵に文学仲間が集って熱き夢を語りあう、そんな願いがこめられていた。
 千の草花が咲き乱れる大地、いつか自分もその中で土となる、それが父の持論だった。私も熱く語る父に同調したりした。
 夢半ばで、父が癌で逝って、三十三回忌が過ぎた。
 父を語る父の友らも世を去った。
 田舎にあって、生き字引として重宝がられた父。中、高校生の私は、よく漢字を教わった。文章も添削してもらった。
 温厚で博識と、父を語る人はいても、私たち娘は、父に近づくことも越えることもできない。

 千艸の花が咲き乱れるほどではないが、もう少し雑草取りをこまめに、ヤブ蚊の発生を防がなければならない。
 この大雨で、草も伸びたことだろう。

 朝の一品。
 中玉トマトとナスの卵とじ。
 オリーブオイル、塩、胡椒、中玉トマト六個、ナス六個、卵二個、めんつゆ少々、きざみねぎ青じそパラパラ。




 川土手のヒルガオ(ヒルガオ科)。



八色通いも今日が最後

2011年07月27日 | 日記


   
 ここのところ不安定な空模様がつづく。
 絵の具をポトンと落として、白とグレーと水色と少し黒を混ぜ合わせたような空の色。
 午後になれば、かき混ぜたような色の雲が周囲の山にかぶさる。
 あるいは、薄い雲が刷毛で塗ったように山頂を覆い隠す。
 あっちだけ大雨で、こっちだけ降らない、という日もある。
 洗濯物を取り入れるめやすがお昼過ぎ、という日々がほとんどである。

 一昨日は、担当女医の退院の話があるというので五時近くに家を出た。雷も鳴って、雨足が速くなりそうな気配。
 途中、関東にいる娘から携帯に電話。走行をやめて電話に出る。
「お母さん、今大丈夫?神楽南蛮味噌の作り方を教えてほしいって頼まれたのだけど・・・」
「今病院に向かっているの。おばあちゃんが明後日退院なのだけど、先生のお話があるんだって。神楽南蛮ならお父さんに聞いて」
「じゃあそうする」
 神楽南蛮味噌の作り方は、湯沢の友達に頼まれたのだろう。
 昨年、夫に聞いて一生懸命作っていたのに、忘れたのかな。

 その神楽南蛮が、私は苦手。
 食べるのは美味しいのだが、中の種に負ける。
 匂いを嗅いだだけで、あちこち痒くなる。
 触ったらもう駄目。ぴりっと痛みが走る。掻痒感が後々まで持続する。
 神楽南蛮味噌。
 実に美味しいのだ。
 神楽南蛮は当地の名産。
 我が家の家庭菜園の神楽南蛮はまだ小粒。
 茄子味噌には、ゴム手袋使用で私が作る。
 匂いに負けそうだけど、ぐっと我慢して種を除く。

 話が横道にそれたが、母の入居している老人ホームの看護士と、結局一時間以上待たされて、まだ若い女医の丁寧な話を聞いた。
 母も顔色がよくなって、またしばらくは変わりなく過ごせるようだ。話を聞きながら、病院の患者に対する対応や、ホームのスタッフのおかげで母が今日あることを感謝。ただ感謝。

 今日の母は、病院の方々に深々と何度も頭を下げていた。
 言葉を発することができなくても、ちゃんと分かっているのだ。私も少しこみあげてくるものがあった。
 結局は認知症に勝てなかった。
 いろんなことに挑みつづけた母だった。

 一ヶ月、母の病院に通い続けたら気が抜けてしまった。
 そこに雷を伴う大雨。
 一気に命のいずみが甦ったような、今日の私。


ある子に
    H・カロッサ

君のお母さんの家に雪が降っていた、
お母さんは君のことはなんにも知らなかった、
まだなんにも、どんな眼をして君が
お母さんを見上げるのかも。

昼の日なたをお母さんはよく不安げに歩いたものだ、
まるで君が苦しめ嚇してるように。
それでもかよわい両手をあてていた、
君の血行を守ろうとして。

雲の中から太陽を 朝の嵐がとり出すように
お母さんは暗闇の中から 君の運命を取り出したのだ。
君はまだこの地上におらず
しかもすでにどこにでもいた。
               (藤原 定訳)

 ゆきぐに大和病院




 越後駒ヶ岳 八海山



  池田記念美術館(八色の森公園内)



八色の森

2011年07月25日 | 日記


子供たちが遊ぶ
ボールを追いかけ
汗まみれになって走る

水辺では
カラフルな水着の幼児たちが
水かけっこ

小魚がいないかと
石の上からのぞく幼い眼

屋根つきのステージの上がりがまちに腰かけて
子供たちを追う


 越後駒ヶ岳や八海山は雲に覆われて鮮明ではない。




 この八色の森に何度来ただろうか。
 あるときは、幼子の後を追い、あるときは、家族みんなでバーベキューを楽しみ、缶ビールを飲み、ごろ寝した。あるときは、イベントの大勢の波の中にいた。あるときは、ウォーキング大会に初めて参加して、雨の中、五㌔を完走、一人涙ぐんだ。ほとんどビリ同然だったのに。
 春、夏、秋、一人でデジカメ片手に何度も訪れた。

 かつては八色っ原といった。一面の荒野で不毛の地。
 戦後、魚野川からの揚水、水無川の取水で緑の野に変身。西瓜栽培で名をあげた。
 公園が出来たのも古くない。植樹された樹木はまだ若い。
 子供たちが遊び疲れるほどの広大さ。ジョギングもウォーキングも、草花の散策も楽しめるように設計されている。
 年々緑が濃くなって、期待できる公園。

 未満児から七歳まで、孫たちがやってくるのを楽しみにしている私。

 ハマナス(バラ科)





 色づいてきたハマナスの実




 八色西瓜畑