おばあちゃんの一周忌だった。
去年のお父さんの弔辞のあいさつを思い出した。
おばあちゃんは朝方3時頃ふとんの中で寝たまま逝ってしまいました。
テーブルの上には次の日食べようと思っていたのか、おにぎりが二つと、
冷蔵庫の中にはカボチャの煮物が入っていたそうです。
亡くなった当日に親戚一同が集まり解散した後、お父さんと、お父さんのお姉さんと、お父さんの妹のおばあちゃんの三人の子どもたちで、おばあちゃんのそばで、そのおにぎり二つとカボチャの煮物を三人で分けて食べたそうです。
お父さんはその話についてはそれ以外何も言わなかったけど、それがお父さんの口にした、自分の母親の作った最後のご飯だったことを考えるとちょっと泣けてきました。
わたしの食べるお母さんの料理は何になるのかなと考えてみた。
「最後の料理」と意識して食べられるだろうか。
思えばあれが最後のご飯だったと思い返すだけになるかもしれないし、離れて暮らしてたら思い出せないくらいになってるかもしれない。
ところで話はかわるけど、昨日お墓のまえでお経を上げてくれたお坊さんはすっごく初々しくて、お経を上げた後のお話も緊張のせいかどもったりしてて、でも全体的に一生懸命だったので好感がもてた。
聞くと、お坊さんになってまだ一年たってないらしく、きっとわたしと同い年くらいか年下くらいだった。
前の大学のゼミで一緒だった男の子もお坊さんになるって言ってた人がいた。どうしてるかな。
去年のお父さんの弔辞のあいさつを思い出した。
おばあちゃんは朝方3時頃ふとんの中で寝たまま逝ってしまいました。
テーブルの上には次の日食べようと思っていたのか、おにぎりが二つと、
冷蔵庫の中にはカボチャの煮物が入っていたそうです。
亡くなった当日に親戚一同が集まり解散した後、お父さんと、お父さんのお姉さんと、お父さんの妹のおばあちゃんの三人の子どもたちで、おばあちゃんのそばで、そのおにぎり二つとカボチャの煮物を三人で分けて食べたそうです。
お父さんはその話についてはそれ以外何も言わなかったけど、それがお父さんの口にした、自分の母親の作った最後のご飯だったことを考えるとちょっと泣けてきました。
わたしの食べるお母さんの料理は何になるのかなと考えてみた。
「最後の料理」と意識して食べられるだろうか。
思えばあれが最後のご飯だったと思い返すだけになるかもしれないし、離れて暮らしてたら思い出せないくらいになってるかもしれない。
ところで話はかわるけど、昨日お墓のまえでお経を上げてくれたお坊さんはすっごく初々しくて、お経を上げた後のお話も緊張のせいかどもったりしてて、でも全体的に一生懸命だったので好感がもてた。
聞くと、お坊さんになってまだ一年たってないらしく、きっとわたしと同い年くらいか年下くらいだった。
前の大学のゼミで一緒だった男の子もお坊さんになるって言ってた人がいた。どうしてるかな。