靖国神社に対して自主的に宗教法人としての任意解散を促し、その上で立法措置により非宗教法人として国立の追悼施設とする段階移行論を打ち出した次期総裁候補の麻生外相だが、個人的には随分と違和感を感じる。
もちろん様々な考え方が出てくるのは構わないことなのであるが、「可能な限り政治から遠ざけ(非政治化し)、静謐な祈りの場所として、未来永劫保っていく」必要性を強調していて、そのために国会審議で議論をしつくして諸外国のうちの中国と韓国だけに配慮して、彼らが文句を言わないでいてくれる状況にした上で、宗教とは関係のない静謐な祈りの場所として残していくというのは、媚中派が主張している内容と同じであるように感じられる。
A級戦犯を分祀するかどうかの議論と同じく、特定の外国の事情を考慮して日本のやり方を捻じ曲げる必要性は全く無く、むしろ堂々と主張すればいいだけの話だと思うのだが、どうしてこうも言い方を変えて靖国神社を政治利用しようという発想が出てくるのだろうか。
中には、政治的な衝突を回避するためには譲歩も必要であるという意見もあるだろうが、しかし相手がまっとうな理屈ではなく、単純ないちゃもんで文句を言ってきた時までも譲歩をしてはならない。
こんなやり方を通用させてしまっては、中韓は日本の様々な事柄について無茶苦茶ないちゃもんをつけることを国策として、日本から毎年大金をせしめるという政策を取ってくる事だってありえないことではなくなる。
麻生外相は、政治家の中では媚中派と対極をなすポジションにいると思っていたのだが、いかに政治的なやり方とはいえ靖国神社の存在意義を大きく捻じ曲げて、結論として靖国神社が争点化しなくなればそれでいいというのでは、外側だけを保ちながら、しかし内側である、祀られている英霊の尊厳を踏みにじった上にないがしろにすることと変わらない。
政治の世界でも靖国神社でも、外側だけに目を向けて、最も大切である内側の部分を無視していたのでは、議論も空っぽなものになってしまって、最終的に何も残らなくなってしまうのではないかと危惧する。
もちろん様々な考え方が出てくるのは構わないことなのであるが、「可能な限り政治から遠ざけ(非政治化し)、静謐な祈りの場所として、未来永劫保っていく」必要性を強調していて、そのために国会審議で議論をしつくして諸外国のうちの中国と韓国だけに配慮して、彼らが文句を言わないでいてくれる状況にした上で、宗教とは関係のない静謐な祈りの場所として残していくというのは、媚中派が主張している内容と同じであるように感じられる。
A級戦犯を分祀するかどうかの議論と同じく、特定の外国の事情を考慮して日本のやり方を捻じ曲げる必要性は全く無く、むしろ堂々と主張すればいいだけの話だと思うのだが、どうしてこうも言い方を変えて靖国神社を政治利用しようという発想が出てくるのだろうか。
中には、政治的な衝突を回避するためには譲歩も必要であるという意見もあるだろうが、しかし相手がまっとうな理屈ではなく、単純ないちゃもんで文句を言ってきた時までも譲歩をしてはならない。
こんなやり方を通用させてしまっては、中韓は日本の様々な事柄について無茶苦茶ないちゃもんをつけることを国策として、日本から毎年大金をせしめるという政策を取ってくる事だってありえないことではなくなる。
麻生外相は、政治家の中では媚中派と対極をなすポジションにいると思っていたのだが、いかに政治的なやり方とはいえ靖国神社の存在意義を大きく捻じ曲げて、結論として靖国神社が争点化しなくなればそれでいいというのでは、外側だけを保ちながら、しかし内側である、祀られている英霊の尊厳を踏みにじった上にないがしろにすることと変わらない。
政治の世界でも靖国神社でも、外側だけに目を向けて、最も大切である内側の部分を無視していたのでは、議論も空っぽなものになってしまって、最終的に何も残らなくなってしまうのではないかと危惧する。

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