いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
「わたしはいない」とは、どういうことか
昨日の更新で、「わたしがいない」ということを、象徴的に
と表したわけですが、実際は少し違います。
このように、身体だけが残る、ということではないんです。
だから、そこには人形のように転がる身体があるだけじゃなく、「<わたし>はいない」と話し、動いている状況が見える。
誰かがその状況を見て、「じゃ、その『わたしはいない』と語るお前は誰なんだ? そこにいるだろ?」となる。
「あなたがいないのなら、私はいま、誰と話をしているというんだ?」と。
実際、古くから「目覚めても、なにも変わらない」と伝えられているとおり、<わたし>が消えてもなお、思考もあり、感情もあり、痛みもあり、好みもあり、五感もあります。
実は、五蘊の「色」も「受」も「想」も「行」も「識」も、全部あるんです。
この5つはあるけど、<わたし>という「幽閉された空間(命)」は、ないんです。
それはね、こういうことなんです。
一つは、先日『ハイブリッド』のエントリで紹介した、「マインドに穴が開く」というパターン。
これは、言うなれば「目からウロコが落ちる」という『気づき』のことです。
穴が開いても、まだ建物がしっかりありますから、「空間(命)のつながりに気づいた<わたし>」が残ります。
穴は開いても、まだ「器」としての機能が残っていますから、そこになにかを「満たしたい(満たさねば)」という欲求も残ります。
でも、以前ほどの強い衝動ではなくなっています。
依然として<わたし>はありますが、それでも、ドアや窓を開けることができた分、窒息しそうな焦りや息苦しさは一気になくなり、人生は格段に楽になります。
以前からお話しているとおり、「目からウロコが落ちる」というのは、「新たな知識の吸収」ではありません。「固定観念の崩落」です。
このブログでも、「大切なのは、知識の足し算ではなく、引き算ですよ」と、何度もお話しているのは、このことを指しています。
もう一つは、それとはちょっと違っていて、完全に<わたし>がなくなってしまうパターン。
「気づいた<わたし>」すらいなくなるんですが、それでもなお、「色」も「受」も「想」も「行」も「識」も、全部あるんです。
で、場合によっては「目からウロコが落ちる」ことすらありません。
ね、言葉にすると、ワケがわからないでしょ?
でもね、図にすると、ちょっとわかりやすくなるんです。
どうなるか、と言いますと…
…………
………
……
…
こうなっちゃう。
ね、五蘊のエレメントはそのままでも、「わたし(幽閉された空間)」はなくなったでしょ?
でもって、「明け渡しちゃってる」でしょ?(笑)
これが『サレンダー(明け渡し)』です。
身体も、感覚も、意思も、概念も、認識も、全部、以前どおりあるのだけれど、それが「連携」しないのです。
身体は身体、感覚は感覚、意思は意思、概念は概念、認識は認識。
それぞれが独立して存在するんです。
それぞれのエレメントがリンクしないから、「わたし(幽閉された空間)」がない。
「わたし(幽閉された空間)」がないから、「わたしの○○」と言えなくなってしまうのです。
だから、ある出来事があっても、それを「<わたし>の出来事」とは捉えられなくなるんですね。
これが、ある時突然、
パァッ!
と、こうなちゃう。
「空間的引きこもり状態」と、
「大いなる空間との融合」
「黒斎」と、
「雲」
そのギャップの行き来が、「(開放と閉鎖の)(ワンネスと分離意識の)対話」として見えるのです。
で、これは僕(黒斎)には、コントロールできないのです。
エレメントが解体され、「僕」が「僕」ではなくなったときが、「雲」なので。
「僕」が頑張っている限り、「パァッ!」はないのです。
「僕」がすべてを手放して、明け渡したときが「パァッ!」なのです。
アホちゃいまんねん、「パァッ!」でんねん。
オヤジになったなぁ…(遠い目)
そら、平成生まれの佐山愛ちゃんも26才になるわなぁ…(薄目)
←飾りちゃいまんねん、マジでんねん。
【トークライブ・インフォメーション】
山川ご夫妻との鼎談本
『山川さん、黒斎さん、いまさらながらスピリチュアルって何ですか?』が、
いよいよ6月20日(土)発売開始!
以下の会場にて、出来たてホヤホヤの新刊を販売いたします!!
平日のお話会「月イチ☆」スペシャル
〜いまさらながらスピリチュアルって、何ですか?〜
【大阪】6月24日(水)19:15~21:15 (18:45開場) 大阪市中央公会堂 小集会室 [詳細・お申し込み]
【名古屋】6月25日(木)19:30〜21:30(19:00開場) ウインクあいち12階 1204会議室 [詳細・お申し込み]
【東京】6月30日(火)19:30〜21:30(19:00開場) 三鷹産業プラザ 7階 703・704会議室 [詳細・お申し込み]
北陸新幹線開通!ということで、金沢・長野・富山にお伺いすることとなりました!
黒斎さん、牧野内さん、いまさらながらスピリチュアルって、何ですか?
甘いマスクのマッキーが、全力で新刊発売に乗っかって参りました!(笑)
久々のマッキーとのコラボイベントは、金沢&長野で開催!
コチラの会場でも、新刊を発売いたします。
【金沢】6月27日(土)15:00〜17:30(14:30開場)金沢市石川県文教会館
【長野】6月28日(日)14:00〜16:30(13:30開場)長野市トイーゴ
※ 詳しくは牧野内大史さんの告知ページをご覧ください。[詳細・お申し込み]
富山では、つばさ整骨院の福田孝史院長とご一緒します。
福ちゃんのセルフ整体でカラダスッキリ! 黒ちゃんのトークライブでアタマスッキリ!
でもって、ココロ晴れ晴れなイベントです。
コチラの会場でも、新刊を発売いたします。
雲黒斎トークライブ in 富山
◎7月5日(日)13:45〜16:45(13:15開場)富山県民共生センター サンフォルテ」307号室
※ 詳しくは主催:ローズマリーさんの告知ページをご覧ください。[詳細・お申し込み]
と表したわけですが、実際は少し違います。
このように、身体だけが残る、ということではないんです。
だから、そこには人形のように転がる身体があるだけじゃなく、「<わたし>はいない」と話し、動いている状況が見える。
誰かがその状況を見て、「じゃ、その『わたしはいない』と語るお前は誰なんだ? そこにいるだろ?」となる。
「あなたがいないのなら、私はいま、誰と話をしているというんだ?」と。
実際、古くから「目覚めても、なにも変わらない」と伝えられているとおり、<わたし>が消えてもなお、思考もあり、感情もあり、痛みもあり、好みもあり、五感もあります。
実は、五蘊の「色」も「受」も「想」も「行」も「識」も、全部あるんです。
この5つはあるけど、<わたし>という「幽閉された空間(命)」は、ないんです。
それはね、こういうことなんです。
一つは、先日『ハイブリッド』のエントリで紹介した、「マインドに穴が開く」というパターン。
これは、言うなれば「目からウロコが落ちる」という『気づき』のことです。
穴が開いても、まだ建物がしっかりありますから、「空間(命)のつながりに気づいた<わたし>」が残ります。
穴は開いても、まだ「器」としての機能が残っていますから、そこになにかを「満たしたい(満たさねば)」という欲求も残ります。
でも、以前ほどの強い衝動ではなくなっています。
依然として<わたし>はありますが、それでも、ドアや窓を開けることができた分、窒息しそうな焦りや息苦しさは一気になくなり、人生は格段に楽になります。
以前からお話しているとおり、「目からウロコが落ちる」というのは、「新たな知識の吸収」ではありません。「固定観念の崩落」です。
このブログでも、「大切なのは、知識の足し算ではなく、引き算ですよ」と、何度もお話しているのは、このことを指しています。
もう一つは、それとはちょっと違っていて、完全に<わたし>がなくなってしまうパターン。
「気づいた<わたし>」すらいなくなるんですが、それでもなお、「色」も「受」も「想」も「行」も「識」も、全部あるんです。
で、場合によっては「目からウロコが落ちる」ことすらありません。
ね、言葉にすると、ワケがわからないでしょ?
でもね、図にすると、ちょっとわかりやすくなるんです。
どうなるか、と言いますと…
…………
………
……
…
こうなっちゃう。
ね、五蘊のエレメントはそのままでも、「わたし(幽閉された空間)」はなくなったでしょ?
でもって、「明け渡しちゃってる」でしょ?(笑)
これが『サレンダー(明け渡し)』です。
身体も、感覚も、意思も、概念も、認識も、全部、以前どおりあるのだけれど、それが「連携」しないのです。
身体は身体、感覚は感覚、意思は意思、概念は概念、認識は認識。
それぞれが独立して存在するんです。
それぞれのエレメントがリンクしないから、「わたし(幽閉された空間)」がない。
「わたし(幽閉された空間)」がないから、「わたしの○○」と言えなくなってしまうのです。
だから、ある出来事があっても、それを「<わたし>の出来事」とは捉えられなくなるんですね。
これが、ある時突然、
パァッ!
と、こうなちゃう。
「空間的引きこもり状態」と、
「大いなる空間との融合」
「黒斎」と、
「雲」
そのギャップの行き来が、「(開放と閉鎖の)(ワンネスと分離意識の)対話」として見えるのです。
で、これは僕(黒斎)には、コントロールできないのです。
エレメントが解体され、「僕」が「僕」ではなくなったときが、「雲」なので。
「僕」が頑張っている限り、「パァッ!」はないのです。
「僕」がすべてを手放して、明け渡したときが「パァッ!」なのです。
アホちゃいまんねん、「パァッ!」でんねん。
オヤジになったなぁ…(遠い目)
そら、平成生まれの佐山愛ちゃんも26才になるわなぁ…(薄目)
←飾りちゃいまんねん、マジでんねん。
【トークライブ・インフォメーション】
山川ご夫妻との鼎談本
『山川さん、黒斎さん、いまさらながらスピリチュアルって何ですか?』が、
いよいよ6月20日(土)発売開始!
以下の会場にて、出来たてホヤホヤの新刊を販売いたします!!
平日のお話会「月イチ☆」スペシャル
〜いまさらながらスピリチュアルって、何ですか?〜
【大阪】6月24日(水)19:15~21:15 (18:45開場) 大阪市中央公会堂 小集会室 [詳細・お申し込み]
【名古屋】6月25日(木)19:30〜21:30(19:00開場) ウインクあいち12階 1204会議室 [詳細・お申し込み]
【東京】6月30日(火)19:30〜21:30(19:00開場) 三鷹産業プラザ 7階 703・704会議室 [詳細・お申し込み]
北陸新幹線開通!ということで、金沢・長野・富山にお伺いすることとなりました!
黒斎さん、牧野内さん、いまさらながらスピリチュアルって、何ですか?
甘いマスクのマッキーが、全力で新刊発売に乗っかって参りました!(笑)
久々のマッキーとのコラボイベントは、金沢&長野で開催!
コチラの会場でも、新刊を発売いたします。
【金沢】6月27日(土)15:00〜17:30(14:30開場)金沢市石川県文教会館
【長野】6月28日(日)14:00〜16:30(13:30開場)長野市トイーゴ
※ 詳しくは牧野内大史さんの告知ページをご覧ください。[詳細・お申し込み]
富山では、つばさ整骨院の福田孝史院長とご一緒します。
福ちゃんのセルフ整体でカラダスッキリ! 黒ちゃんのトークライブでアタマスッキリ!
でもって、ココロ晴れ晴れなイベントです。
コチラの会場でも、新刊を発売いたします。
雲黒斎トークライブ in 富山
◎7月5日(日)13:45〜16:45(13:15開場)富山県民共生センター サンフォルテ」307号室
※ 詳しくは主催:ローズマリーさんの告知ページをご覧ください。[詳細・お申し込み]
コメント ( 71 ) | Trackback ( )
« 模式図 | FIGHT! » |
しかしこんなにサービスしちゃっていいんすか。
これは本の中とか公演なんかでしゃべる内容にしないと、無料でこの説明はすごいぜよ。
言葉がないですよ。(あぁーーーー)
小さなアハ体験が屋台に穴をあけていくということ?
こういう事を、明け透けにブログで語ってくれる黒斎さんの太っ腹の良さ・・・それに対して私にできる恩返しは、著書を買ったり、講演会に行くことくらいですね!
でも、前、別の方から聞いた話で、何度か講演会に
行った方が「また来てくれ他の?僕同じことしか話さないよ(笑)」と黒斎さんに言われたという事を聞きました。
それを聞いて、増々その黒斎さんの素直さというか、
明け透けさに感動した次第です・・・。
だって、講演会のメインの方が(普通は)そんな事言わないじゃないですかー(笑)
すいません、随分今日は本題から逸れましたが、
兎にも角にも、黒斎さんには感謝感謝です。
乱読を重ねて沢山スピ知識を詰め込んできた気がするど・・・
頭では理解できた気になっても、降参ってそういうことじゃないんでしょうし。
「知識の足し算ではなく、引き算」
確かに降参するってそういうことなんだろうな~。
でもアマゾンに黒澤さんと山川さんの新刊発注して新しい知識を目にすることを楽しみに待っている私。(笑)
フォーフォーと叫びそうになりました(*´ω`*)
なんか、そうなると楽になるらしいって覚者とやらが言うので、鼻先に人参ぶら下げられてたのを、必死に求めまくってました。
でも、突然、妙に冷めてしまいました。
私、なにも求めなくていい。苦しいのかどうかもわからない。もう、よくわからない。なにもいらない。
閉じこもったままなら、そのままでも。。。
あきらめなのかな。でも、黒澤さんのブログは読んでもいいかなって思います。今のところは。。。
図解って すばらしい~
黒斎さんには、ただただ感謝m(_ _)m
どんなに不思議な体験をしても、頭とイメージで分かっても、
窓が開かないと、穴が開かないと、パァッ!ってならないと、
やっぱりわかりません。
引き算を、手放し方を、教えて下さいm(_ _)m
以前書かれていた、深呼吸、瞑想、笑うことでしょうか?
私の屋根や壁を吹っ飛ばしてほしいですm(_ _)m
起から、結を感じています。
わかりやすい図面を使った説明ができることが、羨ましいし
凄いことですよね(*U+263B-U+263B*)
質問なんですが、では
【いまここ】って一体、
今日の図解でいうと
どういうことなんでしょうか?
菜穂さんの言ってる事はほんとうの事!で、全くもってその通りなのだろう!とは思える訳です。、、が、聞けば聞くほど、、んじゃあ、どうすればエエんじゃいU+2757
と、半ば放棄した状態になったり、未来に1%の自由意思もないんかいU+2757とジタバタしたりしておりました、、U+1F605
この図解ならば、思考も納得!と言っておりますU+2757
菜穂さんの~っぱなしを黒斎さんがみなさんに分かりやすくフォローしてくれているみたいな、、感じになってて面白いです!
雲黒斎さんだけに。
へ・・・へんなこと言っちゃった。
あまりにも素晴らしく
思わずお礼を書きたくなりました。
二年前から毎日読ませて頂き
学ばせて頂きました。
いつも解りやすいので
感動します。
ありがとうございました。
これからも楽しみにしています。
このフレーズ!
すごくわかりやすいですね、おまけに図形もあるから!
ありがとうございまする。
これが、大和田菜穂さんの状態なのか!とやっとわかりました(笑)
それもストーリーです。
五蘊の解体とか、目覚めとかも、全部、ただ起こっているだけです。
ここで僕がコメントしているのもです。
そして自分が居ないということを理解するものはいないのですね。
だから、実質、受け手がないのです。
教えや、目覚めを否定しているのですよ。
否定というか、それも、単なる、ただの描写です。
何もないところに描写だけがある。
これ、あってるん??
黒澤さんも、その流れでそこにもってかれたら、気持ちよすぎでしょ(笑笑)
お願いだから、2人して私のツボをそんなに攻めないでえええ\(//∇//)\
蒼井そら世代の私なんて、
立派なオバちゃんですね~( ̄▽ ̄)
黒澤さんところまで大和田さん色になるのは……。
黒澤さんは黒澤さんのブログとして伝えって欲しいです。
大和田さんのおっしゃることは分かるけど、
結局ストーリー、ストーリー、ストーリー、ストーリー、ただ起こっているだけ、連呼。
なんか、皮肉で大和田さんの物真似して、
何でも「あ、それもストーリーです。」、「いや、それもストーリー。」「ただ起こっているだけ。」
と言ってしまいそう。
精神世界そこそこいると、暗に非二元も理解を伴っているところもあると思うのだけど、
何故ブーム化すると非二元の理解より、大和田さんを理解するかしないかみたいなニュアンスになるのか不思議。
前から思っていたけど、日本人って自分で物事決められないからブームに乗っかって、自分の考えかのように正当化するとこあるよね。
万年依存症みたいに。
まことにわかりやすいです。
ありがとうございますU+2764U+FE0F
で、全部がくっついた状態で
「私」と思っているのは、
五蘊のうちの
思考の部分になるのでしょうか?
よろしくお願いしますm(._.)m
黒澤さんは、あ、この人明け渡したんだなとかどのように、判断するのですか?
ホラ吹いてる人と、どのように見分ければいいんだろう。
そして、大和田さんは、どうしてこんなに話題になっているのだろう。阿部さんも黒澤さんも大和田さんもみんな同じに見えるのです。阿部さんのどこが半壊なのかもわからんのです。
でも興味はあるので思い出したときに読ませていただいています。
さっぱりわかりません。
でも他の方のコメをみるとわかりやすいのですね。
全く違う話ですが、ITに興味があれば知っているかもしれませんが、
コンピュータは画像や動画から何かを発見することができません。
画像や動画から人だったりものだったりを区別できません。
画像や動画のこれを、といっても理解してくれません。
ただのデータの塊でしかありません。
データの塊から色を認識させ、目的物の条件をたくさん与え、
物を認識することを教え、やっと発見らしいことをしてくれます。
コンピュータはそぎ落とすのではなく、0から人間がやれることを
作っていくような部分があります。
今日の記事をみて、なぜかそれを思い出しました。
そもそも言葉で説明できることでもなく、それが真理であろうこともわかっちゃいるけど、最初から最後まで「わたしはいない」の一点張りだけでは、今ひとつ腑に落ちなくて、このところの最大の疑問だったところが、黒斎さんの天才的な表現力によって、ようやく謎が解けた気がします!ありがとうございます!
もう感謝しかありません。
いつもながら「さすが!」の一言です。
総合解体でも
やってみますか!
『この夢』のキャラクターである『この私』でも、理屈として分かりやすいです、ありがとうございます。
ただ、「明け渡し」については、ちょっとついていけてないですね・・・現時点だと、このへんまでかなぁ・・・
引き続き、楽しみにしています。
「雲」さんが、『この夢』で日常生活を送っている場合も、
あるという事ですか?
一瞬だけでなく?
(  ̄▽ ̄)
菜穂さんは、ある意味赤ちゃんと同じです。言葉でわかろうとすると、こっちが混乱してしまうのです。
赤ちゃんに悪気がないのと同じなので、純粋無垢な存在として見てあげて下さい。
今夜の「アルジャーノンに花束を」をご覧になれば、菜穂さんに否定的な方も、少しは気持ちが変わるかもしれません。
菜穂さんが咲人くん(山ぴー)のようになるという意味ではないですけどね。菜穂さんも咲人くんと同じように、すべてを受け入れてる。だから「ストーリー」という言葉になるってこと、わかってあげてほしいと思います。彼女が言葉足らずなのは、退行によるものなのですから。
そのズレに気付けば、菜穂さんを否定してるのでも絶賛してるのでもないことに気付くと思うのだけど。
菜穂さんの存在を理解することが、真理なの?
理解しない人は分かっていない人なの?
申し訳ないけど、wingさんの見解は幼稚と思う。
テラさんもそうだけど(映画やドラマに没頭してるだけ余裕というか、そのくせそんな時間も持てない忙しい社会人に不満タラタラだよね)、映画やドラマ、漫画に誘導するの止めて。理解してるなら現実で説いたらどうよ。
大和田さんの発言はわかるしシンプルで余分な説明は必要ないんだろうけれども。。。
話をしている私はいないし、聞いている人もいないし、ただあるだけ。起きているだけ。意味は無い。
、、、自我大暴れ(笑)
でも、真理を話す人もマスターもいないしストーリーと言いきってくれることで、師を捜さなくて良くなりました。講演会等へ足ぶことも無理して座禅や瞑想をしなくても良くなりました。とっても楽になりました。
黒澤さんのblogや本でもずっと語り続けてくれていたことが腑に落ちてきました。
雲さん現象の暴露本を楽しみにしています。
結局は親鸞ただ一人を救う道だった
と言っていたとういのをずっと覚えているんですが、黒澤さんがやっていることが本当に人を導くことなのか、知識を増やして結果的には迷わせてしまって最後には自分が救われる道にだったと思うのか。
親鸞の弟子は親鸞の言葉や仏教の教えの解釈についてああでもないこうでもないと言い争っていた、俺の解釈が正しいんだと。それを見て親鸞は結局なにもつたわらなかったなーと思ったんだと思うんですよね。
本当にひときしり知識を得たら一度全てから離れてみるといいと思います。これはこういう意味だったのかと府に落ちる瞬間が得られると思いますよ。
「明け渡し」の図解が解り易すぎてもう本当に感動しました!ありがとうございました。
菜穂さんの動画は何回か観ました。
"私はいない" という現象を只々伝えている時、菜穂さんの瞳は純真無垢ですが、
私はいないという現象の説明を求められ、言葉を遣っての説明に入ると 途端に 菜穂さんの瞳から純真無垢が消え、大人の厳しさを伴った鋭い瞳、鋭い知性、甘えの無い瞳からのビームが画面から自分に向かって突き刺さります。
黒澤さんも菜穂さんも好きです。
雨が降らなければ枯れるし、風が吹けば種を飛ばす。
ただ自然に任せて生きている。
自然の植物を見て、そんなに騒ぐ人、居ないですよね?
人は、必ず死を迎えるのに・・・
生きている間に、もっと他にやる事はあると思います。
私はタンポポのような生き方は好きですけどね(^^)v
ひたすら自分(と思い込んでるもの)を見つめて、見つめて、見つめる。
すると、あるとき気づくのです。
話し始めたタンポポは何を分かって欲しいのでしょうか?
私は不自然なタンポポより、自然なタンポポが好き。
私が目覚めを目指すというのは、どんな風に例えられるのかな。
その家に窓はありますか。窓を開ければ風通しが良くなりますか。
でも、どうやって窓を開ければいいのでしょうか。
さっき、大和田さんの動画を見たばかりだから、彼女の状態を想像しやすくなりました。ほんとに、ありがたいです。
ここにきて、一気に頂点に達した感があります。非二元ノンデュアリティ、雲黒斎さんこと黒沢さんに心から感謝です。
そのうえで、みなさんにもすみません。
私は、菜穂さんを絶賛したわけではないんです。非二元をわかる、わからないで優劣をつけたわけでもないんです。
正直、私も彼女を見た時、最初はなんだかいけすかない女だな、と思いました。
「悟ったか何だか知らないけど、ただ頭が悪いだけなんじゃないの?」とか
「なんでパリに住んでんの?いやみ?」とか。
「ちょっとキレイだからって、動画出し過ぎじゃないの?」とか。
それはもう、嫌悪感ばかり出てきました。
でも、彼女の中に「退行」という名の非二元を見つけた時、それまでの自分の考えが、自分と彼女を比べる二元的なものの捉え方であったとはっきりわかったのです。
ドラマを見ていただきたかったのは、「退行」を知っていただきたかったからと、ドラマの中に、非二元に関する何らかのメッセージがシンクロするような気がしたからです。根拠は何もなかったのですが…。直観的に。
彼女が今の状態を保てるのか、さらなる退行に向かうのかはわかりませんが、彼女の存在によって、わたしのような気づきがあれば、彼女の存在に意味がある。
それは、「一粒の米の命を生かす」禅的な感覚からの衝動でした。その衝動の強さが、みなさんにいろんな形で伝わってしまったんだと思います。
私の意見が先に出るとよくないのかな、という思いもあったのですが、ドラマに「誘導する」というカタチになってしまったのは事実です。不快に思われた方、失礼しました。
そして、長々とすみませんでした。
国境がない地球をイメージしたときもそうだったけど
なんかことばよりもぐっと入って来る感じです
あーなんかワクワクします^_^
だって私は、花のことなんて知らないので。
どんな時も どんな時も 僕が僕らしくある為に
「好きなものは好き!」と 言えるきもち 抱きしめてたい
こっちですねぇ、つくづくと。
明け渡したくないんだなぁ、つくづくと(笑)
でも、興味も起こってるので読ませて頂いてますし、コメントもしてしまってます、なんかすみません。
覚者なら既に現実そのものが映像物以上のリアルなドラマだからこそ長年見た覚えがないという方が多いのだそうです。
多分そういう話題で盛り上がる方というのは、似た者同士で集まっているんだと思います。
現実で切り込めないから、敢えて見るまでもない娯楽で余所見して現実逃れするしか術がないんだろうけど。暇なんだな。
「それでいいんだなぁ、多分」と思ってみると、安心する。
明け渡す必要なんかないし、明け渡そうと意図する必要も無い。
そう思えて、そう思えた事で一つ荷物を下ろせて安心した感じ・・・
・・・て、あれ?
それ、既にひとつ明け渡してるじゃん(笑)
て、例えばこんな感じですかね?
だから、タンポポとも根は違わない。
実はタンポポの気持ち(というより在り方)、人間は知ることが出来るんですよ。
例えばyogaで、自分を見つめることを徹底されるのは、自分が一番身近な自然物であるからなんですよね。だから自分を見つめている内に、自分本来(の自然)が目覚めてくる。
一番身近な自然…自分をおざなりにして、自分を見つめないでいる。波動とか批判されるメッセンジャーも見掛けたことあるので、それだったら不自然なままでいいと思います。
そして、戻ってきた時、一時期「魂の行方不明」状態で困惑してたんですが、今更ながらそりゃあそうだわと思いました。
だって捜しても捜しても自分(魂)が見付かるはずがない。なのに、戻ってきた時に必死になって「自分はどこに行ったんだ。」と捜していた。影が光に照らされて、もはや影が見えないで当たり前なのに影を捜す状態です。
滑稽なことをしていたなぁと思います。後にある答えが自分の中から来たので、困惑はおさまりました。
そこまでして、影は影で居続けたく、影であることに安心するんだと思います。厄介ですね。
ブログだけ読んでるひとばっかだから?(笑)
あーわかった~! それがだから無駄、意味がないというのに
みんなでもっとかる~く生きたいですね。
黒斎さんの懇切丁寧、サービス精神に感謝です。
サレンダーできていれば瞬間的に湧いてくる思考や感情は減ってくるのではないかと思ってしまいます。
隙間ができるというよりは、その図の色がついた部分が、薄くなってくるのではないかと。
そのあたりのところはどうなのでしょうか?
ごめんなさい。何が笑えるのか、さっぱりわからないのですが(笑)
すごいですね~!
しばらくすると、いろいろ疑問がわいてきますが、なんかもう、めんどくさいです。何でもいいや(笑)
一つ目のコメントで「赤ちゃんだと思ってあげてください」「彼女は退行しているだけだから暖かく見守ってあげてください」的な何様爆弾を投下後 すかさず山ピー出演ドラマを例に挙げるという秘儀で脱力させ
スルーしている人が多い中(笑) 二つ目のコメントでは黒澤さんに向けて「お騒がせしてすみません」と自我鉄球をぶん投げ
山ピードラマの影響なのか「彼女に退行を見つけた」から「みなさんも私のように気付く」ことが出来れば「彼女の存在にも意味があります」と上から締め括ったかと思えば(笑)
最終核兵器「私が先にコメントを入れることは 人々に甚だしい影響を及ぼす」スイッチON。
あなた、おもしろい人だね笑
すばらしいですね!
誰もいない
誰かに話しかけてる
嫌な感情が湧いてきたときは、『私』という幻想に囚われてるエネルギー身体になってるとき。
最近、わたしも 仕事仲間との間でそういう感情を味わうことがあって。 あーきてるなこの感情 と、 『私』を観ながら、、こちらの黒斎さんの図 にあてはめて、これか と ひとりよがりで喜んでいます。
やはり軽くなります。
疑いがなければ恐怖は生まれない。恐怖がなければ怒りは生まれない。
飼い主が大好きな犬は飼い主を疑わないから一緒にいるだけでうれしい、散歩もうれしい、幸せ。
救われたいと思っている人は心に恐怖を宿している、でもその根底には疑いがあるんですよね。自分で恐怖を生産している。でもしょうがない、こんな世界だからと思っている。周りがいけないんだと。
家の話でいうならば家を強固にしているのは疑いの心ですね。(本文にもあったとおり)
疑いの心はひとを迷わせますね。
本を買っても買ってももっといい本があるのではないかと。
セミナーに行っても行ってももっといいセミナーがあるのではと。
いい話を聞いても聞いてももっといい話があるのではないかと。
もっと、もっとと思っているうちは実践が後回しになる。
以外とね、みんな実践していないんじゃないかと思うんですよね。牧野さんの本とかものすごい具体的になにしろとか書いてあるのがありますが、物臭な私は面倒になりもっと楽に良い効果を得られるものがあるんじゃないかと別の本を買ってます。
信頼というのは大事だなと思います。でも同時にこの世の中で信頼というものを心に宿すのは困難ですね。
開けっぴろげにひとを信頼することなんて正気の沙汰ではない。法律があるのも、シルバーシートがあるのも、道徳を強制するのも、そもそも人を信頼していないからですから。
信頼を知らない心に信頼を宿すにはまず何に向けて信頼をよせるべきなんでしょうか。そこに答えはあるんでしょうかね。
辛い体験があるから疑いが生まれ、そしてまだみぬ未来に対して恐怖が生まれ、そして怒りが生まれる。
辛い体験に囚われていたんだと、思いました。
メッセンジャーとそこに集まってくる人の雰囲気があるよ。
精神世界でも別世界を知っていて、毎日コツコツ実践してる方だと、こういうところに違和感感じると思うけど、
メッセンジャー界隈は本当頭や思索と議論の世界に陥ってる感じ。
で、メッセンジャーは勘違いする人だと多くは理解出来なくて、分かっていないと思い込み、自身を一流だと自称する変な人が出てくる。(気持ち悪い)自慰してる時間があるなら、不平不満だらけのお金に余裕のない現実を見ればいいのに、メッセンジャー自身が自分を見たくないからスピに逃げて、現実からよそ見してるギャグみたいな人はいるよね。
とあるけど、こういうの苦笑せざるを得ない。
コメント欄で手厳しいことがコメントされれば、全てそれが悪口やその人の嫌な感情・エゴとなり、
どこかのビジネススピ覚者が手厳しいかろうが、愚痴であろうが、感謝の嵐や「覚者さんの鋭い眼差しに惚れます。」や
その差は何なの?(笑)
それも色目フィルターじゃないの?(笑)
私は、大和田さんが言葉足らずとは思いません。
とても丁寧に言葉で説明していると思います。
赤ん坊というよりか知性的な印象があります。
とりあえず、本の“文章”に限って言えば、
感覚の人よりか、むしろ左脳の人向けのような気がしています。
印象も物語も人によってそれぞれですね。
私は存在しない
それとも2つの今があるのだろうか
私は存在しないので何もする必要はありません
今によって生かされている存在の状態
エクスタシーの極み!!
これまで目にした「ひとつになる体感」の説明の中で一番と言っていいぐらいわかりやすくて、
だからなおさら…
いくら言葉で理解しても、実際のそれとは違うのだと、いい意味で自分ではどうにもできないのだと思えました。
あーすばらしいこくさいさんの分析力に感謝!