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「非二元」ってなんですか?

精神世界とかスピリチュアルに関連する話ってのは、どうにも聞き慣れない言葉に溢れています。

よく使う言葉で説明されるならまだしも、単語そのものの意味もわからぬまま、展開される話に飲み込まれてしまい、「たくさん聞いたけど、結局よくわからん」というのもよくある話。

「なんか、何度聞いても肝心な所で知らない単語が現れる。だからこそ、なんとなく煙に巻かれているような、いかがわしさが残るんだよね」といった印象が刻まれてしまったり。

「よくわからん」で終わるならいいけれど、意味のわからない単語を、前後の流れから自分のボキャブラリーに置き換えて解釈し、そこから誤解が生まれてしまうことも少なくありません。


でもって、最近よく聞かれるのが、「黒斎さん、『非二元(ノンデュアリティー)』ってなんですの?」です。

もう同時期に知った「ラッスンゴレライ」級に聞き飽きたけど、結局よくわかんない、と。


で、結論から申し上げると、精神世界やスピリチュアルで出てくる、ほかの「わかりそうでわからない単語群」と同じものを指しています。

たとえば、

「Oneness(ワンネス)」 意:単一性・同一性・一致・調和

「Wholeness(ホールネス)」 意:欠けたもののない(分裂していない)完全性、または全体

「Advaita(アドヴァイタ)」 意:不二一元

「真我」

「TAO(タオ)」

とか。


で、これらの言葉が指しているのはすべて「非相対」です。

「非相対」というのは、「相(あい)対するものに非(あら)ず」ということ。


「同一」のものが「相(あい)対する」ことはないし、「分裂していない」ものが「相(あい)対する」こともありません。

なので、『非二元の教え』ってのは、「ありとあらゆる存在は分裂していませんよ。一つの同じものですよ」ってことですから、『ワンネスの教え』となんら変わりはありません。

で、「ありとあらゆる存在は分裂していませんよ」なのですから、「他と分離された、個として存在する『わたし(あなた)』などありえませんよ」ということになり、それが「わたしはいない」という一言で表現されたりするわけです。


ですから、「わたしはいない」というこれは、あくまで「個という分離の否定」であって、「存在の否定」ではありません。


さらに、「ありとあらゆる存在は(いますでに・これまでも・これからも)分裂していませんよ」ということなので、「分裂した私が全体性の中に統合されるよう、努力する学習する修行する、といった作為・行為はすべて、てんで的外れですよ、ということになります。

それはまるで、僕が「男になろう」と、必死に努力を重ねる不毛さと同じようなものです。

「なろうも何も、すでに男じゃん(笑)」と。

「そこには、なんの努力も必要ないでしょ」と。

「男だと『信じる』ってのも、違うでしょ」と。


とにもかくにも、「非二元」においては、分裂していないからこその「対象の無さ」を『それ』とか『これ』として示しているわけです。

なのに、自我は世界を「分裂しているもの」として認識した世界に生きているので、『それ』を認識しうる「対象(座標)」として特定しようとします。

「どれ?」「どこ?」と、探してしまいます。

しかし、ここで示されているのは「対象の無さ(分離しえない存在全体)」ですから、「どれ」とも「どこ」とも答えられません。

対象(座標)がないからこそ、「どこでもない」とも言う人もいれば、「ありとあらゆるところに」という人もいるのです。




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*****

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リアル書店さんのスペースをお借りしてのイベントですので、「人生を変える本との出会い」をテーマに、僕がオススメする書籍の魅力や、精神世界の勘所などのお話をする予定です。
開催は平日の午前中ですので、参加できる方も限られるかとは思いますが、よろしければ遊びに来てください。

雲黒斎トークライブ『朝から梅田でアレのこと』
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今回は「黒斎さん、いまさらながらスピリチュアルって何ですか?」の、質疑応答リアルタイムバージョンをお送りいたします。

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※パソコンや携帯電話からのお申し込みが面倒、わからない、という方には、ファミリーマートさんの情報端末「ファミポート」でのお手続きをオススメしております。
 ご利用方法については【コチラ】をご参照ください。


←「分離されていないモニターに映し出された一連の映像」ととるか、「モニター内に映し出された、一ウインドウ内にある、他のピクセルとは意味合いの違う『ボタン』という個ととるか。
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コメント
 
 
 
ちょっとまってちょとまって黒斎さん (ふうあ)
2015-10-08 11:36:15
「ありとあらゆる存在は分裂していませんよ」なのですから、「他と分離された、個として存在する『わたし(あなた)』などありえませんよ」ということになり、それが「わたしはいない」という一言で表現されたりするわけです。


黒斎さんがずーっと前からおっしゃっていた事と非二元は同じだな~って感じていたのですが どのように表現していいのかがわからず…

なるほど~いつもながらの文章力^ ^

スッキリ^ - ^しました~ぁ

浜松楽しみにしています
 
 
 
ならば (あん)
2015-10-08 12:39:34
最初からそう言えば誤解を招かないのにね。
わたしがいないっていうから。
いるじゃん。めちゃめちゃいるっしょ。ってなる。
この手の話は、元々話してましたよね?
何が新しいのかよくわからない私は
まだ理解していないのー?
 
 
 
さすが~! (こめこ)
2015-10-08 14:20:37
黒澤さんの説明、いつも思うけどぜつみょー!

黒澤さんのあげた言葉たち、「わかりそうでわからない単語群」。
これ、私自身その言葉たちに若干違う定義を持っていることに気づきました。全部おんなじなのにね。

私の場合、『非二元(ノンデュアリティー)』がしっくりきたってだけの話。

久しぶりの「Aha!」体験でございました。
 
 
 
Unknown (サコロリ)
2015-10-08 15:06:44
最近は、そんな名前もついてるんですね(笑)

名前を付けた瞬間、言葉にした瞬間から相対しますね~
かと言って、言葉にしない訳にもいかないですしね~

なんしか
愉しんでくださ~い

 
 
 
『それ』とか『これ』とか『アレ』とか。 (さむ)
2015-10-08 15:39:27
非二元をイメージし、言語、喩えによって捉えようとすればするほど、知識を増し、概念を増し、分離を増していく。

>「分裂した私が全体性の中に統合されるよう、努力する、学習する、修行する」、といった作為・行為はすべて、てんで的外れですよ、いうことになります。

と訴える作為が的外れと化し、
耳を傾けようとする読者の行為は的外れと化す。

何とも困ったものですねぇ? ( ´Д`)=3

ではどうするか。



……。

なんちゃって。どうもしないでいいですね。

いま自分が「思考している」ということに気付けば、その思考やイメージから自由になるのにそう苦労はかからない。

理解などしなくても、野に咲く花はあるがままの命を生きていますね。

この世界が非二元であることに理解は不要です。


・・・

ところでエントリの中に素晴らしいベクトルがありますね。
個人的にすごく重要だと思います。

>ですから、「わたしはいない」というこれは、あくまで「個という分離の否定」であって、「存在の否定」ではありません。

スピリチュアル界隈をさ迷い歩き、何とか心の拠り所を見つけようと思っているところに「わたしはいない」、「起きることが起きているだけ」。

悩みや苦しみを抱えた上に捉え方を間違えて、自身の存在意義までも否定しなければならないのか、という葛藤が実際にあるでしょう。

僕に言わせれば自我や分離も肯定する中にあるがままの真理を観ることが出来る訳ですが、しかし、「存在の否定ではない」というベクトルは素晴らしいと思います。

まあ、今後のコラボ的には何かとアレですが。むふふ。(笑)
σ(^_^;)?
 
 
 
「分裂」してはいないけど、『分裂しているという概念』を作り出して遊んでいる (ふらかぜ)
2015-10-08 16:15:17
真っ白な紙が「ワンネス」「非二元」、
そこに『線』『面』という概念で『絵』『小説』『スケジュール張』等、様々な『可能性』が現れる。
そうして遊ぶために、「非二元」「ワンネス」の理解があるのが望ましい。
自らが『線』『面』であると誤解していると、消されたくない、上書きされたくない、と変化を拒み、その分、『可能性』が無くなり、遊べなくなってしまうから。

こんな感じかと思ってます。

・・・ところで、


>それはまるで、僕が「男になろう」と、必死に努力を重ねる不毛さ と同じようなものです。
>「なろうも何も、すでに男じゃん(笑)」と。
>「そこには、なんの努力も必要ないでしょ」と。
>「男だと『信じる』ってのも、違うでしょ」と。

「男ってなんですのん?」
て聞かれたら、どうしますか?笑います?
そういう方々、『この夢』にいらっしゃるようですが。

『私』の場合は、心身共に『男』と実感しているので、それはいいんですが、今でもよくわかってない事がありまして・・・

『私』『僕』『俺』等の一人称、どれを言っても、違和感があるんです。
『自分自身』という『こいつ』を、どんな概念で伝えればいいのかがよく分からないんです。
また、相手を名前で呼ぶのも、実は、うっすらと違和感があるんです。『この呼び方でいいの?』て感じで。
しょうがないから、いちいち意識せず感覚に任せる事にして、言ってから『あ、今俺って言った』と認識している始末です。
『私』は実は『線』ではなく「紙」である、という自覚どころか、この「紙」にどんな『線』を書きたいのかすら、よく解ってないのが正直なところなんです。
 
 
 
Unknown (おそるおそる)
2015-10-08 16:59:30
あのですね

もっと早くに言ってよ!!!



失礼、、、取り乱しましたm(._.)m



めっちゃわかりやすい!
直接あなた様から話を聞けない私としては、早くにブログに書いてほしかったのよ?



というか、、、
阿部さん 並びにお嬢様
もっと言いようがないのかぃ?(小声)
 
 
 
Unknown (アメンボ)
2015-10-08 17:23:16
説明ありがとうございます。
一つのエネルギーが人間の振りしてるって大和田さんの本で読みましたが、私個人はいない、分離がない、ってそういうことなのですね?
最初はエーー!ウッソー!とか思いましたが、最近はそのエネルギーさんが可愛いく感じます。アハハ。でもそれも自分であり他人でもあるのですよね。なんか胸がポッと熱くなります~
 
 
 
ブルース リー先生に捧ぐ (あるとき551)
2015-10-08 18:05:14
考えるな、感じろ!でボタン押しました。
 
 
 
いつもどうり (てるみん)
2015-10-08 18:54:26
ほ・ん・と! わかりやすいですね~(*´∀`)♪
「私はいない」と言うのは、キャラクターが強い人だと
ワケわかんない。黒澤さん、いつもわかりやい解説ありがとー♪
 
 
 
え?え?なんて? (まろみ)
2015-10-08 20:06:49
「個という分離の否定」であって、「存在の否定」ではありません。

ウロコポーロです。あ、そーなんだ?

言葉って色々とれるから、勘違いしちゃいますねー。
 
 
 
ふらかぜさん (模察)
2015-10-08 20:09:24
真っ白な紙の例え良く分かります。

紙の例えをお借りして、この二元を比喩するなら『漫画』なんです。
紙の上に、人物の絵、吹き出しのセリフ、頭の中の思考を現す雲の吹き出し、ガーン!などの感情表現が『インク』で描かれています。
全ての表現は同じインクで出来ていますよね。
そして、紙とインクは分離は無く、しかもどちらかが欠けてしまっては表現できません。
インクだけでは何の役にも立ちません。
紙の上に置かれてこそのインクです。
また、真っ白な紙だけではそこに何ら表現が無い。
もう少し悪ノリすると、その漫画は無限のページ数がある教科書の角に描かれたパラパラ漫画。
二元に現れる全ては、エンドレスのパラパラ漫画みたいな感じです。
 
 
 
Unknown (感謝)
2015-10-08 21:36:58
やっぱり、阿部さんは、謎の女性より、黒斎さんと組んだ方がずっといいですね。

黒斎さんが、ぜーんぶ、わかりやすく説明してくれるから!
 
 
 
さすが (kayatomo)
2015-10-08 21:56:43
さすが黒斎さん!

非二元論、黒斎さんがお勧めの本を読めば読むほど
「なーんだ昔から言われている事じゃないか」
と気づくようになりました。

なのですが、何故でしょうか、大和田さんに
それを言われると「えーーー??衝撃!」ってなるのは・・。

大和田さんと他の方の会話の動画を見ていると
言語が違うというか、宇宙語対日本語くらい
会話が会話としてかみ合っていないというか・・・。

でも見ちゃうんです!

それにしても、同じことを言っているのに
様々な言い方が出てくるんですね。
人によって言い表す言葉が違うのは当然か・・・。

黒斎さんの言葉で表してくれて、とてもわかりやすかったです。さすがです!

 
 
 
そもそも、ちゃんと『遊べてない』『分離』できてない・・・と思い込んでます (ふらかぜ)
2015-10-08 22:18:08
模察さん、拾って頂き、ありがとうございます。

そーなんですよねぇ~・・・
・・・で、その事について、幼稚園の時に
「どうしてぼくはここにいるんだろう?」
と思って以来、途方に暮れ続けているんですよねぇ~・・・

『私』、なんで起こったんでしょう?

ずっと、途方に暮れ続けています・・・

せっかく起こった=『生まれた』んだからと、じゃあ『自由』に『楽しまないとな』・・・という気持ちも、起こってきたという事は、そうしたいんでしょうねという事で、『私』は『自由』を求め、『楽しい』事を求めてきて、けっこーそれは叶っている気はします。

でも先にも書いた通り、『私』?『僕』?『俺』?・・・
『こう書いてるこいつ』に自信が無いんです。

>「なろうも何も、すでに男じゃん(笑)」と。
『男』って、なんですのん?
ほんと、そんなレベルなんです。『私』の場合、『こう書いてるこいつ』ってなんですのん?ですが。

今まで、『私』はSTAGE1ですが~・・・とかコメントしまくってきましたが、STAGE1を、ちゃんと楽しみたいからなんです。ちゃんと『分離』して、楽しみたいんですよね。せっかく、『この夢』見てるんですから・・・それすらちゃんとできている自信が無いんです、正直(笑)

↑・・・・・これ全部ひっくるめて、こういう役どころを、しっかり『私』は演じているんですかね?
こういう『分離すらちゃんとできていない』という『役どころ』=『私』にとっての『相沢すず』なんですかね・・・なるほど、最近「家なき子」の記事がずーっと気になってたの、こうつながったか(笑)こういう起こりは、やっぱり楽しいんですけどね・・・。
 
 
 
ふらかぜさん (模察)
2015-10-09 06:37:34
自信が無いというのは、
自分という役どころを信じて無いで良いのではないでしょうか?
皆、自分の役どころを信じている振りして生きてますし。
 
 
 
私だけではなかったのね (アメバーバ)
2015-10-09 07:48:18
unknownさんが、おそるおそる言ってくださったので良かった。

もう本当に、ナンノコッチャ状態でした。

黒斎(名前変わったのでしたね。老人には変化はきついのです)さんが教えてくださらないと、もう私にはついていけない世界ですよ。

喜んで楽しみ始めたはずが、馬鹿らしくなってきちゃいそうで、残念でしたがこれで安心しました。

私は海外にいるので、黒斎さんに聞きに走るわけには行かないのです。

でも、私にも理解できてきた黒斎さんの使命。
ご苦労さまですが、今後共よろしくお願致します。

 
 
 
色んな所にある真理 (ましま)
2015-10-09 09:50:09
最近、英語訳を日本語にした老子を読みまして、雲さんと通じる内容がいくつもあって驚きです。
その一つが、個に執着しないってことなんですけど、流石に読んだだけでは、「わたしはいない」とは成れませんでした。
でもですね、最近、瞑想も少しだけやって、自分の中の声を止めるっていうのをやってみたんです。
そうしたら、人前に出る時の嫌な感じとか、嫌な話を聞いて胃が痛くなる感じが減りました。
そういうのは全て、個が感じることで、自分の中にしか存在しないってそういうことなのかな、と思いました。

それでですね、もう少しだけ瞑想に集中しやすくなる方法ってありませんか?(自分の声を止めるってものすごく難しいです)
出来れば、お願いします!
 
 
 
素敵 (ミチ)
2015-10-09 10:53:53
相変わらず、素敵なわかりやすい解釈ありがとうございます!
今更始まった飛びつく新しい物ではないと思っていましたが、あ~~スッキリした!
 
 
 
ましまさん (模察)
2015-10-09 11:31:34
コツとか方法は、本当は無いという前提で敢えて言葉でポイントを書き出しますと...

・思考が現れたことに気付くだけで、思考の中身や意味を追わない。
・現れた思考を雲や煙のようなものと捉え、思考を包み込む『何か』との隙間に気付く(あくまでなんとなくそんな感じがするでOKです)
・思考が現れるたことに気付いた時、それをを失敗だとか間違っているという考えが浮かんだら、それも黙って見つめる
・全ての思考と感情を例外なく、区別(ポジティブやネガティブ)せず見つめる


思考も感情も、突然に音が鳴って(=現れる,起こる)静寂の中に消えていくのと同じように見つめることを気が向いた時に1分でも良いので時間がある時にやるってみてください。
 
 
 
Unknown (はる)
2015-10-09 12:14:06
私たち個人をカメラに例えると
1カメ 2カメ 3カメで
私たちをワンネスから見ると
それらすべての映像を見ているモノになりませんか?
1カメでもなければ2カメでもなく3カメでもない。ドラマを観ているのと
同じで本気で悩む事なんてなく
ただ楽しんで観ているだけですよね。
個人で考えると視点がそれぞれ違うんだから
想う事も当然違うし見える風景も全然違いますよね。その中で比べる事なんて出来っこないです。
否定なんてもってのほかです。
けど全てを観ている視点から考えると
全て受け入れられると思いませんか?
体も勝手に動いちゃうし想いも勝手に動くんです。それは、自分だけではなくみーんなです。
映像は自分で想うように変えられません。
だから、どうもしなくていいのです。
もともと1カメ、2カメ、3カメではないのですから。ただ流れてるだけです。
私と思う私も実は他人なのです。
 
 
 
Unknown (おそるおそる)
2015-10-09 12:19:18
スピメタ楽しみです!
500円でしたっけ?
安い!うれぴい


息子との会話に500円は、、、(小声)
 
 
 
模察さんへ (ふらかぜ)
2015-10-09 13:22:28
『信じてない』と言うより、『信じたい』『信じられるもの、納得いくものが欲しい』・・・て感じですかね。
で、一応、『自分の中心』と感じられるところを見つけはしたんですけど、見つけてみると、「それ」は
「どうしてぼくはここにいるんだろう?」
と途方に暮れてた、「あれ」であり、今思えば「あれ」とはカラッポであり、『僕』『私』『俺』と、どう指し示そうとしても違和感があるものだったんですよね・・・でも、何かあればそこに戻ればエネルギーも感じられるし、それはそれでいいんですが・・・

・・・多分『信じてない』と同時に、『好奇心』が存在してるですよねぇ~・・・子供の頃から『なんで?どうして?』が口癖でしたし。何か楽しい事、面白いことに反応したり探したりするのと、途方に暮れる感じと。この両者、多分、何かの二元なんでしょうね。

いつかは、そういうの全部ひっくるめて『信じたい』と言うか『納得したい』と思っていて、という気持ちが起こっているという事は、『信じる』『納得できる』と根底にあるから・・・あー、今思えば、そう思ってる事は信じてますね・・・だから「何か」『何か』を『信じられる』『納得できる』、そう思ってます。

『信じたい』と思っているなら『信じたい』という現実しかこない、とも聞きましたけど、『私』の場合は、上のように思ってます。
 
 
 
ありがとうございます (F)
2015-10-10 08:45:51
素晴らしい
スッキリしました
ありがとうございます^ ^
 
 
 
いしきの量は変わりませんて♪ (なう)
2015-10-18 13:55:38
我々は1+1=2というように学校で教えられてるけど

ほんとうは1しかなく

その1を

1+1にわけてるだけで

1+1=は1なんじゃないの



※1+1(もっと複雑かもしんないけど)=



になるわけだから

傘は閉じても開いても傘



開いてる(1+1とかのいしきの量)傘



閉じてる(1 いしきの量)傘

だから

イマジネーション

という発想は

算数の足し算
ではなく
算数の割り算の世界なのである
  1
1÷-
  2

はスピリチュアルでは

1でしかないんだけど

算数の世界(夢の世界)では



になるようなもの



これ錯覚だね

いしきの量は変わりませんて♪

 
 
 
起こっていない? (nano)
2015-10-19 16:18:48
まだまだ、わからない事だらけの状態で質問なのですが。

なんど、いろんな動画や他の方のBLOGを読んでも???です。

「自分で起こしている事はない」っていうことですが、では、私はいま精神疾患でどん底にいますが、これを楽にするために、なんやかんやセッションをうけたり、薬を飲んだり…自己を見つめ、がんちがらめになった思考を外そうとすることも、勝手に起こっているのですか?

治すということが、いま現時点を不完全とみなすということは分かりますが、辛いのは辛いのです。
状況は悪化するばかりです。
よって、もがいてしまいます。

黒澤さんのイベントにも行きたいけど、外出も無理なのです。

この疑問を記事にしていただけたら、嬉しいです。
 
 
 
風船 (なう)
2015-10-19 18:52:23
たとえば風船がある

風船をふくらましたとする

ふくらんだ風船は幻想だからといって切り取れますか

風船(ワンネス)は風船(ワンネス) ♪
 
 
 
読者仲間ってことで! (さむ)
2015-10-20 05:19:46
nanoさん

記事なるかどうか分からんけど、その間、

話し相手がほしい時はいつでも呼んで!

ちゃんと今ここに居るから。( ´∀` )b
 
 
 
スピリチュアルやりすぎ注意報 (なう)
2015-10-20 08:40:46
かんたんにいうと


夜みるゆめ
を例にとってみる

たいがい私たちは

夜みるゆめのなかの
なにかに焦点がいっている

今これが事実だと

しかし

ゆめがすべてゆめであることに気づかない

そしてゆめは現実ではないと

起きたときはさらにいいだすのである



だが事実は

ゆめが実在であり

(その背後には目覚めはなにもない)

ゆめは実在であることを

自我はけっして認めない

自我はゆめ(実在:いしき)をそのままでは許さない

自我はなにかが事実であるとしか認めない

起きてるゆめも

じぶんが死んだら

ゆめ(いしき)も失われると恐れる

しかし

自分が認めていないゆめこそが現実だと気づくのだ

幸せないしきがここにあるのに

それは夢であるという見方しかできないのである

そして

彼の妄想のなかで

彼が死ぬとき

なにものこされない

それが彼の恐怖である

それはばかげている
 
 
 
起きているけど、起きていない (さむ)
2015-10-20 14:01:50
↑nanoさん、記事出たよ!

めっちゃむずいけど( ´∀` )b
 
 
 
私の正体 (なう)
2015-10-20 18:43:25
もし

自分の私



他人の私

が同じものだったら

というかそれに※気づいたら

その気づきはスピリチュアルではハートと呼ばれる

私を自我だと否定するとき

じつは他者の私という感覚と自分の私という感覚は別ものだと信じている

※違うと決めつけ、他者(私)を攻撃するなら

違うという前提で生きることになる

じつは私(ハート)という感覚は

は他者と別々に存在していないと

ハートで感じ 生きるのなら

全く同じ 私 という感覚が

自我などではなかったのだ

大切な私(ハート)だと感じ

じぶんと他者を大切にすることだろう

だれが

私という感覚を自我と決めつけたのか

それは共有されているものであり、愛であり、ハートである

だれが自我だと決めつけたのか

それは分離という思い込みである

そして夢のなかでは

それぞれの肉体が見える

ほら

ハート

が?いくつもあると

これがマーヤー(幻)なのである
 
 
 
ありがとうございますU+1F3B5 (パンダくるみ)
2015-10-20 23:10:14
雲黒斎さんのおかげで、私はわたしに戻れましたU+2757

ってことは、雲黒斎さんは見た目がちがう、わたしですねU+1F3B5
 
 
 
ありがとうございます! (nano)
2015-10-22 04:00:44
さむさん、ありがとうございます。

いつも、ひーってなりながら過ごしている私は、八方塞がり感バリバリです。

嫌だなって思ったことが、即もしくは翌日には、その通りになってしまうのです。
だから、起こって無いなんて思えなくて。
いろいろやってみたけど、やってみたのに…意味が無い?と、次は虚無になっていました。
話相手がほしいとき、さむさん、宜しくお願いします。
わからん!となって、グルグル、強迫行為にグルグルなって、ヘトヘトの事が多いので、聞いていただけるだけで、心が少し軽くなるような気がします。


黒澤さん、記事にしてくださったのですね!
いまから読みます。フッと分かる時がくるまで、何度も読んでみます。
黒澤さんの説明が、いつも一番腑に落ちるのです。
嬉しいです。゜(>д<)゜。

ほんとうに有難うございます。
 
 
 
nanoさんへ (さむ)
2015-10-23 07:47:04
コメントありがとうございます。

昨日の夕方にnanoさんのコメントに気付いてから、さあ何を書こうかと。なんだかずっと嬉しかったです。( ´∀` )b

>嫌だなって思ったことが、即もしくは翌日には、その通りになってしまうのです。
>だから、起こって無いなんて思えなくて。
>いろいろやってみたけど、やってみたのに…意味が無い?と、次は虚無になっていました。

起こって無いったって実際起こってるしね。
時間は存在しないったってどう見ても「経過」はあるし。

意味が無い?って、苦しみだけ与えられてそれがただ起きてるだけって、治療受けたり意味無いとか? そんな理不尽なこと…

なんでやねん!ってなりますね。(すみません関西人です)

nanoさんにくる閉塞感とかグルグルになる感じとか、もちろん全てなんて言いませんが僕も分かるところがありまして、苦しい思いをしている方の辛さには今も胸の奥を握りつけらるような気がします。

だから単なる無意味な幻じゃなく、
ちゃんとここに居るんだって呼び掛けました。

nanoさんもちゃんと居るし、僕もちゃんと居ます!

だからコメントがあってずっと嬉しかったです。( ^ω^ )ノシ

もやもやしたり記事に関係無いことでも、コメントの恥は書き捨て!
ぶちまけていきましょう。辛いことも、少し気付けたことも。

色んな人が色んな思いを分かち合えることも分離の大事な醍醐味だと思う。

|*´∀`)ノ マタネ!
 
 
 
Unknown (nano)
2015-10-24 01:10:58
黒澤さんのBLOGなのに、通信につかってすみません。
ただ、お礼が言いたくて。

> 起こって無いったって実際起こってるしね。
> 時間は存在しないったってどう見ても「経過」はあるし。

> 意味が無い?って、苦しみだけ与えられてそれがただ起きてるだけって、治療受けたり意味無いとか? 
> そんな理不尽なこと…

そうなんです。
こんなに苦しいから、もう何年も苦しんでいるから、違うストーリーを歩みたいのに、治療も自分の意思ではなくて起こっていることで。
でも起こっていなくて。
ならば、何しても無意味ちゃうん…と、まるで底なし沼にはまった感じでした。(私も関西人)

なんだか、すごく冷めて投げやりになっていましたけど、何とか、やれることはやってみようというスタンスに戻って来れました。

有難うございました。

また、黒澤さん、記事とコメント掲載していただいたこと、大変感謝しています。
 
 
 
このいしきの量はかわらない (なう)
2015-10-25 07:35:56
たとえば粘度のある砂場がある

砂を固めて乾かしてスコップを作る

そのスコップ(私)で

あれこれ

街をつくる

※それでも砂場(いしき)の量はなにもかわらない

街をくずしても

スコップをくずしても


 
 
 
ワンネス(甲子園球場) (なう)
2015-10-25 11:39:24
今は憶える必要がないからラク(楽園)

つまり幸福ではないのは

このいしきのせいではなく
思いこみのせいです
このいしきは永遠でないと
そしてすでに共有されて

※この量だということ

だからあらためてだれかと交流しても

いしき自体が、さらに拡大するわけではないんです

??さらに
拡大とはなんでしょうか
 →) 右に移動すれば拡大
 )←左に移動すると縮小ですね
拡大と縮小とというのはどちらも限界という観念なのです
拡大できるという妄想は縮小されてしまうという妄想(恐怖)が憑き物です
魅惑的なものは、

いしきのなかで輝くにすぎません
映画でそのような光のシーンをみたらどうでしょう
圧倒されます でもすぐもどり次のシーンとなりますよね どんなシーンをみても、いしき自体は変化しませんし、スクリーンでてくる登場人物が増えても、量は変わるはずもないのです。
つまり自室にいようが、甲子園球場にいようが!意識は個人の肉体から発生しているわけではないから、じつはみんなだれもいしき拡大しておらず 変わることはないのです
 
 
 
orz ← 踏み台 (さむ)
2015-10-25 21:01:18
nanoさん こんにちは。ご丁寧にどうもありがとうございます。

>何しても無意味ちゃうん…

イントネーションまで伝わってふっと笑っちゃいました。( ^ω^ )

投稿に慣れていないとコメントも大変でしょ?

このコメントには返信は不要です。独り言として書くので気が向いたら読んで下さい。

重量ありますから、どうぞ無理には読まないで。


・・・

>なんだか、すごく冷めて投げやりになっていましたけど、何とか、やれることはやってみようというスタンスに戻って来れました。

何よりです。どうぞマイペースで参りましょう。ゆっくりが吉です。

出来れば肩の一つも貸したいところなのですが、
それが無理ならせめて踏み台にして下さい。(^ ^

冗談は置いといて、

僕は臨床心理の知識もカウンセリングの意味も知らない、ただ無知な人間です。精神医学のこと全般も同じく。

ですので、それらの視点を通してはnanoさんを見ていません。

僕はただ、何年も何年も自身と世界の闇に囚われ、生きることの意味を理解出来なかっただけの人間です。

nanoさんの気持ちが分かるなどとは言えませんが、先日の苦悩のコメントを見るとどうしても、僕の心の中も何かの感情に圧迫されてなりませんでした。


・・・

僕は今生のうち二度精神の地獄に囚われ、三度意識の変容を経験し(スピリチュアル的には目覚めなどと言いますが…)、四度目の変容が起こりかけた際には自らの意志で拒絶してしまうという経験もしました。

(誰にも必要な経験ではありませんが、機会があればまたいずれ。)

このような経験と知覚は、過去、現在、未来を通じnanoさんの魂や生そのものが、全然何も悪くないのだということを教えてくれます。

nanoさんの苦悩の原因について、nanoさん自身は何も悪くない。
過去の生涯は悪くないのです。

今のnanoさんも何も悪くない。そう思えない状況もあるかもしれませんが、しかし本当に全く悪くない。それは例え何か過ちがあったとしてもです。

そして、明日もあさっても、この先未来に何があろうとnanoさんは悪くない。

もしかしたらnanoさんも他の苦しんでる方と同じように、自分自身が取るに足らない卑小な存在だという思いになり、生きることが分からない時期があったかもしれません。

でも、人の苦悩の原因はそもそもは別のことであることが多いというのが、今までの経験で得た僕の仮説です。

人の意識のエネルギーは複雑かつ巨大で、必ずしも体に上手く納まっていないことがあります。

納まっていないものを、さらに生まれて後のこの世的な常識でさらに抑圧されたり違和感を感じ続けていると、意識や魂はどこかしらに痛みを覚えるようになります。

それはその人は本当に何も悪くないです。意識も魂も悪くない。
体も悪い訳ではありません。

この世界の生命は工業製品のように機械で量産される訳ではないので、誰にもそういうことがあるのです。

しかし、魂に長く痛みを感じたり、長く圧迫され形が歪んだりしたとき、その圧力や痛みが、時を経てまた別の形になって心と体に影響を顕すということがあるのだと観ています。


・・・

変な例えですが、足が痛くても窮屈なヒールなどを履いている女性は少なくないと思います。(男性にはちょっと理解が難しいですね。^^;)

足が痛いからといって女性は悪い訳ではありません。もちろん足も全然悪くないですね。ヒールは罪深い気もしますが(笑)、悪くはないです。痛くてもかわいい靴は好きでしょうから。

そんな感じで(どんな感じやねん)関係者一同、誰も悪くないんです。
悪くないけど、ただ当たったら痛い。

ひどくなったら骨が変形したりもするでしょう。
そしたら裸足の時でもどうかしたら痛い。

だから痛みが生じたなら、無理をしていつまでもその状態を続けるのではなく、例えば靴なら適正なサイズのものを選んだり、あまり高い歩きづらいものは避けるのがいい。

足の方であれば適切にケアや治療を行うなどしていくのが大切です。

ビジネスマンの革靴やフットケアも同じところがありますね。

ところで、
ヒールは幻想? あなたも足も無い?
痛みは起きていない?

そんな訳にはいきませんね。(笑)


・・・

話を戻せば、心と体のバランスを適切に取ることは何も悪くない。とても有意義なことです。必要ならケアや治療を行うのも大切なことです。

誰しもが人生の中で成長、加齢、病などに伴い、心と体を適切にケアをしていかなければならない時期が訪れます。
それはとっても自然なことです。

ちなみに黒澤さんのブログには本人が依存やうつなどで相当苦しみ抜いただけあり、心の在り方について「バランスを取るコツ」、「ケアのコツ」とでも言うようなヒントがたくさん秘められています。

告知などがかなり盛り込まれているのでスクロールとかがちょっと大変ですが、PC表示で左側にあるブログ内検索などを利用すればnanoさんが気になるワードに関連する記事もあったりするかもしれません。


・・・

あと、僕の方からも一つのコツをお届けしたいと思います。

これは今までのnanoさんに対してではなく、これから色々なスピ的メッセージに接していくであろう将来のnanoさんに向けて、それらの観念がヒールや革靴ならぬ「足カセ」とならないためのコツです。

例えば、宗教やスピリチュアルな教えではよく、

・今あなたが自分だと思っているのは偽の自我(偽我・エゴ)であり、
 本来の自分(真我・愛など)ではない。

・本来のあなたは完全で愛に満ちている。

・苦悩の原因は本来の自分から離れた偽の自分にある。ゆえに、
 苦悩から脱するにはエゴという偽の自分を滅しなければならない。

などとメッセージします。

なるほどと思える部分はあります。

ただその考えは今の自己の否定という考えにもつながります。

本来の自分というのが分からない、完全で愛に満ちていると思えないというのも苦しみの一つですから、

そのままでは本来の自分になれない今の自分を否定するだけの精神状態になってしまいます。

「自我とは否定すべきものだ」といった考え方に意識が固定化されるなら、結果、創造力を持つ意識は自分にとって否定的にしか思えない出来事や生活環境を創造し続けるだろうと思います。

ですから否定的な環境から自由になりたいならその考えを離れる必要があります。

また逆に、「自我の否定、は間違っている」という考えはどうか。

やはりそれも固定化されれば精神の自由を奪い、その否定の意識により否定的な世界を創造します。

では、「自我は肯定されるべきだ」はどうでしょうか?

否定の意識でいるより幾分マシかもしれませんが、精神は依然として拘束され自由ではありません。

ならば一体どうすれば人の心は自由でいられるのか。

これはまた僕の経験と知覚による話で、特に教えや書物に学んだことではありませんので説得力があるかどうかは分かりませんが、

唐突に一つの考えから完全に離れるのは結構難しいんです。
いきなり「無」とか、普通に無理です。もう修行僧とかヨガの行者とかの話でしょう。

一般人の僕らに出来やすいのは、「二つの異なる考えを受け入れ、無理に片寄ったりしない」という心の持ちようです。

二つでなくても、上記の自我の例えのよう三つの異なる考えの場合でも、もっとたくさんの視点でも構いません。

突然、聖人君子のように無執着の境地で生き、苦しみを離れるのは困難ですが、我々一般の人間も様々な考え、概念を否定することなく、

もちろん自分という存在も否定することなく、

多様なものを受け入れて、無理に何かに片寄らない心の状態にいることはそれほど高いハードルではありません。

いずれnanoさんにも味わってほしいと思いますが、
異なる二点に意識を同時に向けるとき、人の心は固定化、縛りから離れて解放されやすくなります。

異なる二点とは、

人の異なる二つの意見を片寄らずに受け止めるという意味でも心は呪縛から解放されやすくなりますし、

また目の前の物理的な二点に同時に意識を向けても、思考の騒音はかなり鎮まります。

色々なスピリチュアルな概念を無理に理解しようとする必要はありません。

異なる二者の概念を自分の中で統合し、解ろうとする必要もありません。解らないものは解らないだけで、否定も必要ありません。

不思議ではありますが、ただそれらに片寄らず眺めるというスタンスでいるだけで、心に足カセは掛からないものです。

nanoさんの魂は、誰の呪縛からも自由です。もちろん僕の意見からも。
やがて自分の観念からも自由となります。

野に咲く花が何の知識も理解も必要とせず、色とりどりにあるがままの命を生きているが如く、nanoさんの魂もやがて自由なエネルギーを解放させるでしょう。


・・・

追伸

用事があってもなくても、nanoさんが何かぶっちゃけたい時は、

「さむ、出てこいやっ! L(゜皿゜L) クワッ 」

って新しい記事にでもコメントして下さい。いつでも。
2日後ぐらいには返事だけします。(笑)

ちゃんと存在してますから。( ´∀` )b '`,、
 
 
 
 (なう)
2015-10-28 06:05:09
通常いわれている「意識」とは

私他者を区別しており

「意識する」といわれている

キリスト意識とは

意識はじつは〓
一種類しかない

ということである

 
 
 
イマジネーションから醒める (なう)
2015-10-28 09:48:04
イマジネーションから醒める♪

氷のたとえ

氷を否定するのでもなく
肯定するのでもない
ただ溶けるだけ

むひょ
 
 
 
飛翔 (なう)
2015-10-28 10:09:46
今日の気づき♪

mixiのコミュニティーの書きこみで

すてきなたとえがありましたので

かいときます

部屋のなかで努力してローソクに火を燈(とも)す

部屋のなかの様々な様子がみえる

あるときスッと火が自然の空気の流れできえてしまった

そのとき

自然の月の光が部屋を自然に照らしていたことに気づいた…ずっと…
 
 
 
今を否定するのは (なう)
2015-10-30 06:05:56
今を否定するのは思考である

存在することを否定するのは私である

精神統一を否定するのは私である
 
 
 
ここ不増不減 (なう)
2015-10-31 07:02:11
ですね
 
 
 
ここ不増不減 (なう)
2015-10-31 16:59:01
いしきのなかの“特別でありたい”が
‘ 私’

いしきのなかの“(最初の)変化”が
‘私’

原因のないもの(実在でないもの)はなんの結果ももたらさない

思考にはいしきを変える力はない

思考にはいしきを特別にする力はない

それはあるがままである
 
 
 
シェア♪ (なう)
2015-10-31 17:18:13
考えることは

自我の視点からだと

なにかを増やしたいためである

スピリチュアル好きの視点では


なにかが減ってしまうと恐れる(マインドをつかうと)

どちらもそうはならない

ここ不増不減

スタートである
‘私’が非実在だから

増えることもなく

なにかを減らすことにもならない

架空の月を作って太陽の光を反射させても

太陽の光の量に影響させることはできないのである

そして光だけをみているものには

かつてからなにも存在しない(光以外)といえるのである

いったいなにがかわったといえるのだろう

 
 
 
不変 (なう)
2015-10-31 17:37:19
神は我が子をみずからから分離させず

聖霊(神の記憶)は兄弟を平等にみる

兄弟の誰かのいしきがほかの誰かのいしき
より増大しているということは
ありえない

神はエコヒイキなどはしないからである

そしてみずから から分離させることはしない

いしきが特別になったという発想じたいがエゴなのである

いしき不増不減

だれもがかわらないことを
しっている
 
 
 
ご来光 (なう)
2015-10-31 18:03:13
自我を自宅にたとえよう

山に登りたい!

と思い、山頂に着く

すばらしい!

今後も行ったり来たりする

そのうち

どっちでも同じじゃん

ということになるかもしれない

自宅と山(神)は二元のジャッジであり

ほんとはちがいはないのである

ここ は同じである

それはかつてあったとおりであり
これからもかつてあるとおりだろう

 
 
 
無条件の愛(精神統一) (なう)
2015-11-01 13:37:27
無我も自我も実在しない。さもなければ、二つの意識を認めるだろうか 

私と私以外の彼ら(無我)

の精神統一は同じものであるから 
こそ 

二つの意識(精神統一)は実在しないのである

探し求められている真我(分割できない意識)は、、、その探求をしている同じ真我だということを私たちは知らずにいるということである。
精神統一は一つしかありません 
聖霊(仏心)は一つしかありません 
誰かの精神統一と誰かの精神統一が別に成立するということはありません

このことからもわかるように
個人的に精神統一をつくること
 は
幻想にすぎません

エゴは
マインドが自立しているという信念なのです

※いままさにいつも精神統一があります 

それは個人的なものではありません

無条件の愛(精神統一)はいつもあるのです

 
 
 
すでにあるんだからどうしようもない (なう)
2015-11-13 05:41:29
意識が源である そしてそれが単に存在する

あろうとしても


すでにあるんだから


どうしようもない

意識をつかう別の存在というものはいない

私という想いはじつは意識を指し示している

つまり思考である私は、意識を否定しており、架空の存在

その架空の存在が

意識をつかって

何かになろうとしても

やはり意識(源)でしかない

それを超えようとしても

できるわけがない

 
 
 
まずはじめにここにいる (なう)
2015-11-14 10:50:58
パパジの4分で目覚めの動画をみると

最初の勘違いに気づけます

まずはじめにここにいる

ということです

私たちは

まず自我なんで(内側:オタク)

悟らなくてはならないと思いますが

まずはじめにここにいる

まずはじめに内(内側でも外側でもない)
にいる

のです



すべての存在が自由なここにいるわけであり

体外離脱できているわけです

内側や外側の意識をもっているわけではありません

内側にいると暗黙のうちに思い込んでいるというわけです

朝起きたとき

すでに思い混みがあります

しかし動画を見ると

やはり

まだ

まずはじめにここにいるわけで

だからこそ

パパジは
内側でも外側でもあると思うなら行ってごらんなさい

というのです

つまり
はじめから

悟ってるわけです

まずはじめにここにいるわけです

それがいしきであり 夢(内側や外側)ではありません


 
 
 
意志よりも前に意識がある (なう)
2015-11-15 05:28:44
ほんとうのハートとは意識のことである

意志よりも前に意識がある
 
 
 
存在することはたしか (なう)
2015-11-15 09:00:59
全く悟っていないとか

存在しない

とか



単に

後付けの思考である

存在しなければ

質問すらできない

迷っているように見えても

存在することは確か


それは

努力や非努力を越えている

存在する(一元)はたしか

前提

無努力

現実である
 
 
 
 (なう)
2015-11-16 06:21:31
意識(ここ)が祝福である
 
 
 
 (なう)
2015-11-17 07:15:09
まさしく

‘悟り’は想像ですね



作るものは滅びる

しかも そもそも

‘私’は想像である
 
 
 
無意識とは何か (なう)
2015-11-18 10:29:01
だれが「私は無意識です」と言うのだろうか。これこそが意識なのである。

思考世界が想念の状態:無意識なのである

 
 
 
笑 超意識とはなにか (なう)
2015-11-19 10:27:26
伝統的心理学は
顕在意識の奥に
潜在意識があり
その奥に
超意識があると
妄想してますが

奇跡のコースやラマナマハルシは

その伝統的心理学やキリスト教の天国論を解体し

超意識(キリスト意識)は

ここ



あると述べてます

自分自身に距離があるなんて

バカげた発想じゃありませんか

距離がないなら

ただ静かにしてればいいのです

自分自身(自己)に距離などありません

二つの今はありません

だから私は存在しない

二つの今を暗示させる



半分だけ妊娠することなんてできません
永遠の今が神であり

半分だけ妊娠した私(キリスト)なんてありません




神(キリスト)在り

爆 それは完全に今ここにあります
 
 
 
あいかわらず(愛変わらず) (なう)
2015-11-23 10:09:51
相変わらず(愛変わらず)なにも変わっていない感覚、これが実在♪
 
 
 
おはようございます^з^♪ (なう)
2015-11-24 07:25:53
おはようございます^з^!

昨日からTvのなかで気になるせりふが

「お元気ですか?」

挨拶なんですが

元の気分でいますか?

あるがままでいますか?

とつっこまれてるみたいですね♪ 

コトダマの意味に気づいてしまいましたあ。

私って内側だけど

外側の認識が不可欠であってはじめて内側という発想も可能なんだから

私って

内側ってありえんわけです

外側を認識してるから内側っていえるわけです

両方をすでに認識してる私

それが真実の私で

だから

‘私’じゃないんですよね
 
 
 
夢から醒めるとは (なう)
2015-11-25 06:28:36
最初のマジックは‘私’であり

違いを魅せます

しかし

外部の空白も‘’も私も

同じいしきですね

これが種明かしです

 
 
 
鏡(原因)をきれいにする 鏡に映るものをではなく (なう)
2015-11-26 01:06:02
私はいしきに帰依する

私はいしきの指示語にすぎない

鏡(原因)をきれいにする 鏡に映るものをではなく

鏡をきれいにしさえすれば

映像をきれいにしなくても

映像はきれいになります

ブラウン管テレビのガラス画面を 拭き掃除するようなもの
 
 
 
すでにある不変 (なう)
2015-11-27 10:28:24
存在するすべては私(分離)からきているのではなく
いしきからきているのである

存在するすべてが不増不減のいしきである

いしきに気づくこと自体が癒し・奇跡である

そしていしき(スピリット)自体が愛(奇跡)である

奇跡に難しさのレベルはなく

奇跡はつねに最大限(不変・不増不減)である
 
 
 
 (なう)
2015-12-04 10:23:35
努力(私)はいらない

世界は抽象

なべてこの世は事もなし
 
 
 
奇跡のコース (なう)
2015-12-06 17:32:41
夢の中の油屋にとっては

油断大敵かもしれませんが

油断することはありえないので

大敵は存在しないのです



※大敵=神(精神統一)からの分離(エゴ)ね
 
 
 
常にある精神統一 (なう)
2015-12-07 01:38:53
常にある精神統一

あらためて精神統一することができないのは

一度も精神統一を失ったことがないからなのです
 
 
 
 (なう)
2015-12-09 10:14:29
光(いつもある精神統一)を否定すれば闇になる

しかしそれは
否定した存在にとってだけのことである

闇は恐れられるがそれは否定した存在にとって、攻撃されると感じるからである

それがたんに神への恐れといわれるものである
 
 
 
 (なう)
2015-12-12 07:29:05
無努力(実在)
 
 
 
 (なう)
2015-12-13 06:16:41
現実のために努力はいらない
 
 
 
 (なう)
2015-12-14 08:53:03
いしきの力をつかって考えてるんだから

どこかへ行くのは馬鹿げていると智るとき、それが悟りだ。
 
 
 
 (なう)
2015-12-27 08:38:09
私は誰かと考えても意識は2倍にならないよ
 
 
 
こだわれないからラク (なう)
2015-12-30 09:37:56
こだわれるものはなにもない

いしきのなかに確実な‘ ’は実在しないからだ

つかむ確固たる主体もなにもない

正確にいえば

夢の外にあるという夢をみる‘私’でさえ、

じつはいない‘ ’

‘私’がいないとき

夢をみる存在も夢も消え去る

‘ ’こだわれないとき ♪

らくだね





 
 
 
新年はエゴりんの産物 (なう)
2016-01-01 09:16:42
いしきには、※はじまりがないため「私 は存在しない

だから「私  より左側の領域は誕生してこない

私も相対的世界もあらわれてこないのである

ただ

エゴりんは

「私

では満足しない

 |私 (はじまり)

では

コップに蓋がないようなもので、コップの中と、外の空気が同じだとバレテしまう

だから

「私」

とか

〇(つまり私)

とか

くくらなければならない

こうして外の相対的な世界も確かなもののようにみえる

これが相対的状態の発生であり

意識と呼ばれている(つまりは、自意識のあとに必然的に生まれる相対的状態の認識である)

この意識が否認され投影されると

身体と世界の知覚となる



はあらゆる行為をする

だが

|私 はじまり

は実在しないため

例えば千日回峰行のような修業(行為)をしても

いつかは

眠らなければならない

自我は

眠らなければならない(休止しなければならない)

いつかは

熟睡したとき

私と行為はすべて消え去る

彼にとって熟睡は闇である

いしきを

否認しているからである

はじまりのないことを否認しているからである

起きてるときも、夜の夢も、熟睡でさえも

意味がなくなる♪

はじまりがないいしき

がいまここにある

それを再発見したら

決して

眠らない

眠ったという覚えもありえないし

起きてるときや夜の夢においても

「私

がないため

いかなる相対的認識も

実在ではないとわかっている

あたりまえの、いしきが

いまここにあるだけ

誰にもふれることのできない影響されない偉大な存在状態などとスピリチュアルではいっているが

ばかげた表現であり

あたりまえの、いしきが

いまここにあるだけ

 
 
 
こだわれない (なう)
2016-01-03 09:48:52
阿部さまの12月最後の日記への
ブラボーさまのコメントが素敵でした

(内容)

ブラボー
苦しい!!!!!!!!

  でも、そこに「持ち主はいない」

ん?ほんと?

  ほんと。

え?(じっくり見てみる)

うそーー!ほんとだーーー!

持ち主なんていなかったんだーー

もともと空っぽだったんだーーーー


ちょっと待て!

じゃあ!俺はいったい何に苦しんでいたんだ?

 持ち主はいない!のに
 持ち主がいる!という催眠にかかっていたからさ♪

ってことは

みんな空っぽじゃん!
神も空っぽじゃん


おーー!これを菜穂ちゃんは
「俺はいない」って言ってたのかーーーー


 ブラボーーー
(^.^)/~~~



以上



これじつは

よ~くみると

じゃなくて

リラックスすると

そうだとわかるんです

そのことに気づかないと

いつまでたっても

真我探究することになるような気がします

真我探究って努力のプロセスと思いがちだけど

じつは

私にもどり ‘私’(こだわり)はいないと気づくのはリラックスしてるプロセスなんです

そのことにやっと気づきました
 
 
 
ワンネスはすでにこの意識(精神統一) (なう)
2016-01-05 06:54:23
ワンネスはすでにこの意識(精神統一)

無我も自我も実在しない。さもなければ、二つの意識を認めるだろうか 

私と私以外の彼ら(無我)

の精神統一は同じものであるから 
こそ 

二つの意識(精神統一)はここにないのである

探し求められている真我(分割できない意識)は、、、その探求をしている真我と同じだということを私たちは知らずにいたということである。

精神統一は一つしかありません 

神はひとつしかありません 

誰かの精神統一と他の誰かの精神統一が別に確立しうるということはありえません

このことからもわかるように

個人的に精神統一をつくろうとすること は
幻想にすぎません

それは個人的なものではありません 

あらためて精神統一することができないのは、一度も精神統一を失ってはいないからです

 
 
 
今朝 (なう)
2016-01-06 05:59:52
今朝は

夜(朝方)の夢から

朝目覚めるときまでの

移行期間に

調べました

今回は熟睡から朝の目覚めの調査ではありません

というか

熟睡から直接目覚めるのはあまりないようてす

だいたいが夢から覚めるか

熟睡から、車(肉体)を探すとかの象徴的な夢が起こり、それから目覚めることになったりします

とりあえず

今朝は

夜(朝方)の夢から

朝目覚めるときまでの

移行期間に

調べました

調べるといっても調べるほかのだれかがいたわけではありませんが

その感想が



(すでに)在る、がままのいしき センター(中心)もない だから在るだけ 幸せでも 不幸でもない



でした

なんだろ 平面のっぺらという感じがしました

平面っていうとおかしいですが

立体性(立体感?)がないというか

センターがないから

考えようもなく

平面のっぺらというような?

だから

探しもとめるものも

考えるセンターがないので 

まだそういう発想もなく

えーとそれから

幸せでもありませんでした

不幸でもありませんでした

ただ事実(いしきだけ)があるよ というような

なにも経験してないから

幸せ 不幸 ないんですよ

まあなんというか そんな感じです

それから すでにあるから

手放して自然になって

あるいしきをつくる というんじゃなくて

はじめからそういう思考は白紙で

すでにあるというように

(つまり思考があって、手放して自然になります とかいうプロセスなくて まあ白紙からって感じで)

(すでに)在る、がままのいしき センター(中心)もない だから在るだけ 幸せでも 不幸でもない
 
 
 
永遠の熟睡 (なう)
2016-01-08 14:31:39
はじまりのないところに あらためてをつくると 二元になる
 
 
 
堂々巡りする理由 (なう)
2016-01-10 06:59:40
阿部さんの記事のコメントに次のような内容がありました


まず「私」がなければ識別作用は起こらない、だから始まりは「私」である、と見做してしまうのが「私」という現象。

と書いてありましたが


これ違うと思いました

‘私’はいなかった

それに気づけたのは純粋ないしきの力のはずです

そこからいしきを否定せず私がやったと考えずに安心すればいいのに

(引用)「私」が「自ずから」を直接認識することはそもそもできない。

たしかに「私」がいしきを直接認識するといことはありえません、「私はいしきである」はたんに思考です

でも阿部さんが自灯明というように

いしきはそれ自身でそれ自身の存在に気づけるはずです。だから存在-いしき-至福だといわれるんです

‘私’はいないと気づけるいしきを否定すると

おかしなことになります

それに気づけたのは‘私’だなんて錯覚を抱くと

行き止まりの袋小路で、いつまでも考えつづけることになります
真我探究の堂々巡りですね

 
 
 
変わらない (なう)
2016-01-14 04:33:36
変わらない(汗)

から

変わらない♪



スピリチュアルの人が求めているものは

不変

変わらないということ





変わりようがない
 
 
 
私は誰か??笑 (なう)
2016-01-14 07:26:00
相対性という欺瞞



私はあなたのことをあなたというが

あなたは自分のことを私という

だから

私しか存在しないのである

私は分離しておらず

だから深い部分では

私の量は

変わりようがないのである

神(あなた)よ

あなたの私も

深いところでは

私と分離していない

だから

結局何も変わらないのである

私の量は変わらない

そしてそれは比較がないため

いしきと呼ぼう

いしきはなにも量は変わらないということである

ほかの誰?かと出会っても変わらない

神と出会っても変わらない

グルと出会っても変わらない

私は誰かと考えてもいしきは2倍にならないよ

でもそれはあなたの思考のなかの話でしょ

とツッコまれるかもしれないが

まさしく思考のなかの話

奇跡のコースにも書いている

ただ一つの思考(神・いしき)しか存在していないと

そして

私は誰か??がエゴ(幻想)である

 
 
 
4分で目覚めの動画の欺瞞 (なう)
2016-01-27 09:15:04
4分で目覚めの動画を

‘私’が不安にかられて

‘私’がみようとしていて

思考を止めようとして

思考を止めても

1時的な対象(思考)が停止した状態にすぎない

‘私が’やっているがのこっている

それは精神統一ではない

‘私’が精神統一しているのではない

のだ

いつでも
それ
は存在している
 
 
 
すべて全自動で自然に起きていて、ほんとうはなにも起こっていない (なう)
2016-02-01 10:14:47
http://www.youtube.com/watch?v=r36VVYG6lm0&sns=em

ガラケーなら
http://www.youtube.com/watch?v=r36VVYG6lm0&sns=em&page=13

2時間6分から2時間10分

の4分間


ここでいってることは

いしきに気づいたら
すべてはその中で起きており
そのイマジネーションは
私(第一想念)
によるものであり
私の想いである
ここでの会話(あらわれ)
は話の「内容にかかわらず」等価値である
私からみれば話の内容はジャッジが起こるだろう
しかし
いしきからみれば
話の内容は価値の上下は意味がない
それらは私経由のイマジネーションエネルギーでしかないから
みな同じである
いしきに融合されておりほんとうは個別には存在していない

だからジャッジはありえないみずからの一部であるから

このネットでやりとりされるコメントも同じことである
 
 
 
外側には確固たるものはない という探求による必然的帰結とは (なう)
2016-02-09 01:34:17
外側には確固たるものはない という探求による必然的帰結とは





外側には確固たるものはないということが、

さらなる帰結は

確固たる外側はない=確固たる内側がない


ということである

あたりまえの話であるが

気づきにくい 笑

探求では外側の探求からはじまる

しかし

確かなもの なにもない

この帰結で、※勘づかず、次の探求がはじまる

スピリチュアルの探求では確固たる内側を探求する

しかし

みつからない

あたりまえなのである

確固たる外側が ないんだから

確固たる内側が 成立するはずがない



執着できるものはなにもない



外側の探求にうんざりしたときこのことに勘づくベキダッタ 笑
 
 
 
 (なう)
2016-02-09 01:35:03
今というのは努力しなくてもあります

すべての努力は夢

ということ。
 
 
 
変わらないいしき (なう)
2016-02-09 06:56:32
夢から覚めてしまうのです それらは何も変わらないいしきでしかないと

私は実現していない(神からの分離が起きている)という観念自体が誤りである

何も変わらないいしきは実現しているし

不変からの分離が起きるということもない
 
 
 
今(精神統一)のために努力はいらない (なう)
2016-02-13 05:22:11
今(精神統一)のために努力はいらない

精神統一がないという人がいても

今がないという人はいない

と思うね

精神統一しようとする自我が精神統一じゃなくて

今が精神統一なのです
 
 
 
 (なう)
2016-02-14 02:34:23
存在するすべてはいしき(不変)である これが目覚め
 
 
 
 (なう)
2016-02-25 21:18:21
何も変わらない

‘私’は夢だから

‘私’がする努力はすべて夢である

努力

非努力の努力

努力から努力のない状態に戻らねばならない

とか

はすべて夢である

実相(現実)はいしき(何も変わらない)であり

何も変わらないこと以外は実在しないのである

これが夢から覚めているということである
 
 
 
いつもコメント掲載ありがとうございます♪ (なう)
2016-02-27 06:55:20
さて今日の気づき^^v




私に行ってごらん むりでしょう その外側も認識してるから

参考
パパジ 4分で目覚め


 
 
 
参考資料 (なう)
2016-02-27 07:42:25
外側を認識せずに私ということはできない



パパジ

偽りの中心(精神統一)から真の中心(いつもある精神統一)である気づきに進めば、すべては崩壊し、消え去る

その場所で恐れが起こる可能性はない。恐れは差し迫った崩壊に「私」という自我が反応するために起こるのだ。

気づきの中で、身体という概念、感覚、心、知性、自我は消え去る。すべては崩壊し、あなたは永遠に自由になるのだ。

覚醒の炎 p192~193()は なう
 
 
 
 (なう)
2016-02-27 17:29:48
私と私以外(あなた)は同じ意識である

さらに神とも…

無我も自我も実在しない さもなければ二つの意識を認めるだろうか…

http://www.youtube.com/watch?v=CDtwJjfSGwc&sns=em

http://www.youtube.com/watch?v=ZRHyXUrsOgY&sns=em
 
 
 
^^ (なう)
2016-02-28 11:12:23
じつはいつもある精神統一
 
 
 
幸せになりた~あい、とは? (なう)
2016-03-04 06:29:52
幸せになりた~あい

イコール

真我(幸せ)になりたい

永久に無理ですよね

この形式(幸せ:真我になりたい)では…

まあこの形式ですら

恩寵である幸せ(すでに在る意識)のなかの戯れ事だから、問題なくいつも幸せなんだけれど
 
 
 
存在の否定 (なう)
2016-03-06 02:30:24
今日の気づき

堂々巡り。

もし悟りは存在ではないというなら

存在しないものを得たいということである

悟りということばを使うからややこしいんであって

存在と呼べばわかりやすくなる

はやく悟りを得たいっ



はやく存在したいっ

てことですよね…。







が存在したい
といってるだけ

存在しない影が

さらに投影され

身体が存在したい
といってるだけ

 
 
 
のほほん現実 (なう)
2016-03-06 02:45:37
内は 外を考えなければありえないように

外は 内を考えなければありえないように

半分だけ妊娠(存在)することは不可能なように

私 は実在しない

意識を分割することは できてはいない

分割しようとすることが苦しみで

こころのどこかで

私と世界を分割しようとしない

苦しんでいない

のほほんとした

じぶんがいる

に違いない


意識は二つないから

二つの意識をもってから

ワンネスを探してくれって感じ

今日のつぶやきでした^з^
 
 
 
楽ちん (なう)
2016-03-09 06:55:35
そもそも抽象

分けようとすることが努力

でも分けることできないとおもうよ

(精神の)統一(=私)なんていらんねん

最初に集中する(分ける=私)のが めんど臭い

リラックスしてたら抽象

統一というより抽象(楽ちん♪)が
精神統一の意味
だったんだね

パパジが4分で目覚めの動画で

I want to see me.

という質問について(私がほしいという意味だなこれ)

あると思うなら行きなさい

と答えてますが

‘this’ではなくme(ワンネスの状態)を知りたいわけだから

そして実際

いしきの中に確固たる‘this’はみつからないんだから

分ける努力が無意味な

抽象だけがやはりあってそれがmeなんですね

あれこれと分けていく 最初の分けること(me)ができないんだよね

Iは

抽象(楽ちん)なのです
 
 
 
告白 (なう)
2016-03-11 12:39:15
今朝は仕事のあいまに夢もみない睡眠を少しとった。

かんぜんに意識のとぎれもまったくなかった

意識だけ(夢なし)

あれ、今何時かな??が最初に思ったこと

しかし

その睡眠にはべつに喜びはなかった

退屈な空気といったほうがいい

自分の心が停止していた

意識だけ


これはきっと悟りの状態ではない

ただの自意識でしかないのだ

※いしきの外側に境界(端)はみあたらないが

※なんらかの制限があり

※これは他人の意識と共有されていないと直感で感じた

 
 
 
仮説 (なう)
2016-03-12 06:36:52
今が基盤だとしたら

私は基盤でなかったので

すべて崩壊してしまう

問題がややこしくなるのは

私が基盤なのだと想うから

‘ 私’を精神の基盤にすることはできない

もしできると想うなら

それは ‘ ’ 精神分裂を基盤とするということだが

そんなことはたえられないし

実際のところおこってないから正気でいられるのだ

想像上の狂気 あるいは 遊び?

分離という狂気の考え

精神分離という狂気の考え

それが



なのである
 
 
 
いつもあるマトモ (なう)
2016-03-25 16:06:23
すでにしている無意識的な努力(私)が

わからないわからない
といってるだけで

私がわかろうとしたり
わかっても

最初からすべてが努力の産物

努力が私なのであり
不自然が私なのであり
私というエネルギーから?生まれるものはすべて努力の産物

熟睡ではぜんぶ消えるね

無駄な努力休むに
似たり
ではなく
無駄な努力休むにまったく同じ
といったほうが

スピリチュアルの聖なる内側?

無条件(楽ちんこ)在るエネルギーより

‘内側’に行きたいといって

意識半分にイけてるワケガナイ

あらためてする精神統一ではなくいつもある精神統一が
いつもある熟睡(マトモ)なのでは
 
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