生まれて初めて箱根に行ったのは、わたしが小学校3年生のときだった。母に連れられて行った。小学校6年生で病死した妹も一緒だった。
箱根は旅館が高くて泊まれないので、母が関係していた上場企業の慰安寮に泊まった。当時は、多くの会社が観光地に山の家、海の家を持っており、職員の福利厚生に使っていた。
場所は強羅だった。硫黄の匂いがした。登山電車で登っていくと、だんだん寒くなってきた。真夏に寒いところへ行くというのが、エアコンのなかった時代、最高の贅沢だった。
都会育ちの私は、初めて山の「緑の絨毯」を見て感動した。
夕食は豪華ではないがしゃれた料理。いつも食べている赤いウインナーソーセージにも包丁が入っていて、それだけで感動した。
母の知り合いの上司も家族で来ていた。息子さんが中学1年くらい。ということは、その父親もたいした歳ではなく、中間管理職か。
夜になって強羅は急に冷え込んできた。霧が出てきた。そのため、ガラス窓の外はすっかりミルクで覆われたようになって、何も見えなくなった。
たった1泊の体験だが、私には強烈な印象として残っている。
小学生には1泊でよいから、旅行経験が必要である。中学生ともなれば、海外旅行が一生の思い出になる。高校生以後ではもう遅い。自分で行けるからだ。
箱根は旅館が高くて泊まれないので、母が関係していた上場企業の慰安寮に泊まった。当時は、多くの会社が観光地に山の家、海の家を持っており、職員の福利厚生に使っていた。
場所は強羅だった。硫黄の匂いがした。登山電車で登っていくと、だんだん寒くなってきた。真夏に寒いところへ行くというのが、エアコンのなかった時代、最高の贅沢だった。
都会育ちの私は、初めて山の「緑の絨毯」を見て感動した。
夕食は豪華ではないがしゃれた料理。いつも食べている赤いウインナーソーセージにも包丁が入っていて、それだけで感動した。
母の知り合いの上司も家族で来ていた。息子さんが中学1年くらい。ということは、その父親もたいした歳ではなく、中間管理職か。
夜になって強羅は急に冷え込んできた。霧が出てきた。そのため、ガラス窓の外はすっかりミルクで覆われたようになって、何も見えなくなった。
たった1泊の体験だが、私には強烈な印象として残っている。
小学生には1泊でよいから、旅行経験が必要である。中学生ともなれば、海外旅行が一生の思い出になる。高校生以後ではもう遅い。自分で行けるからだ。