院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

とうもろこし

2008-09-30 07:11:20 | Weblog
 とうもろこしの粒粒の中に、黒い粒が混じっているとうもろこしを食べたことがある人はけっこう年配だろう。

 品種名は知らないが、40年前はそのようなとうもろこしが、各地で作られていた。このとうもろこしはうまかった。

 当時、学生だった私は乗鞍中腹の寒村に、毎年夏には勉強道具をもって、避暑に逗留していた。学生を廉価に迎える民宿のような農家があったのである。(学生村といった)。

 そこの小母さんが、朝取りの黒い粒が入ったとうもろこしを、おやつに出してくれた。それがものすごくうまいのである。甘いことこの上ない。そして何よりも皮が柔らかいので歯にはさまらない。

 でも、見た目が悪いので、現在のスイートコーンに駆逐されてしまった。スイートコーンは見た目もよいし、味も悪くはないが皮が硬い。だから歯にはさまる。

 どこかに黒い粒がはいったとうもろこしを栽培している農家はないだろうか?

 みなさん、絶対にうまいと言うはずである。

長寿はめでたいか?

2008-09-29 09:10:03 | Weblog
 さいきん健康寿命という言葉を耳にするようになった。寝たきりのままでただ生き長らえるのはめでたいことではなく、元気なままで長生きをするのがよいことだという発想からの用語だろう。長寿という言葉には「寿」が付いているくらいだから、めでたいことを意味する。長寿の上でのさらに健康長寿はこの上なくめでたい――と言いたいのだろうけれども、本当にそうか。

 人は生まれる前は「無」である。絶対の「無」は本当に何にもないことだから、物質もエネルギーも、もちろん宇宙も存在しない。ところが、どういうわけか人間だけが生まれると「自我」をもつ。「自我」とは一口に言えば「私は他ならぬ私であって、私以外の何ものでもない」という確信である。

 すべての物事に疑いをかけてかかって、どうしても最後に疑いきれずに残るのは「私は私である」ということである。これが「自我」または「生」ということの本体である。これは俗に「魂」とか「意識」と呼ばれている。

 人間は死ぬと、生まれる以前、すなわち「無」に戻ると私は考えている。信仰心のある人が死後の「自我」を考えることを私は妨げているわけではない。いろんなことを考える人がいても、けっこうである。ただ、少なくとも私は死後は「無」になると考えている。再び物質もエネルギーも宇宙もなくなる。それらを認識する主体がなくなるのだから、当然の発想であろう。

 生まれて「無」から「自我」が生じ、死んでそれがなくなる。それまでの間の人生である。だから、その間は楽しく生きたい。良い行いをしたい。ただ、それだけのことである。

 とにかく「無」から「無」までの間に、一瞬だけ「自我」という奇跡が起こったのである。この奇跡の前では、心霊や霊界は奇跡でも何でもない。今、生きて「自我」があるという以上の奇跡があろうか。長くても一生、短くても一生。長寿という言葉あるなら「短寿」という言葉があってもよいほどである。人間は死によって必ず「無」になるので、一瞬でも「生」という奇跡が生じれば、長短は問題にはならないのではないか。

ネット友達逝く

2008-09-28 14:34:58 | Weblog
 私は15年前からインターネット句会に参加している。参加しているというよりも、主要な世話人である。

 おなじく主要な世話人としてNさん(男性)がいた。Nさんとは15年前からネット上でお付き合いをしてきた。15年間一度も顔を合わせたことがない。電話で2回ほど声だけを聞いた。

 そのNさんが膀胱癌で入院した。10ヶ月ほどの闘病生活の末、Nさんは9月21日にご逝去された。

 なぜネット上の付き合いだけのNさんの消息が分かったのかというと、Nさんが入院されてから、ネットで通信できなくなったので、私は2回ほど手紙を書いた。ご親族が病院に手紙を持っていってくれることを期待してのことだった。

 ご親族はNさんが俳句をやっていることさえ知らず、私の手紙(はがき)で初めて知ったようだった。それで、私にご逝去されたことを知らせてくださったのだった。52歳の若さだった。

 昔の同級生が死ぬことはよくある。でも、不思議に冷静に捉えてきた。だが、今度は違った。Nさんのご逝去を知らされたとき、私は激しく泣いた。ほどんど嗚咽だった。これを書きながらも泣きそうになる。

 ネットでの付き合いはかえって深くなると再認識した。

 アメリカには見合い制度がないので、真面目にお付き合いするカップルを探すサイトがある。プロフィルや写真が気に入ればメールを出してデートが始まるのである。

 「ドット・コム・ラヴァーズ」(中公新書)に、その辺の事情が経験談をもとに詳しく書かれているので、一読をお薦めする。著者はバイリンガルの日本人女性である。文体も構成も大変よくできていて非常に面白かった。

政治家の失言はかえって正論

2008-09-27 14:23:48 | Weblog
 麻生首相は失言癖があるそうだ。国交省の大臣も失言で窮地に立たされている。

 失言とはそんなにわるいことだろうか?あまりに形式的に過ぎるのではないか?

 麻生首相が「大雨が岡崎でよかった、これが名古屋だったらこれしきの被害ではすまない」と言ったというが、正論である。岡崎市長が猛烈に抗議したというが、立場上、仕方ないかもしれない。

 国交大臣は「成田空港に居座っている農民はゴネ得だ」と言った。堂本千葉県知事がこれに抗議した。大臣は発言を取り消したが、言ったことは消えない。確かに「ゴネ得」の部分があるだろう。

 政治家の言うことには、本音がない。本音を言うと叩かれる。

 だが、失言の中にこそ正論があるのではないかと、私は思っている。

シーア派とスンニ派

2008-09-26 08:27:58 | Weblog
 アメリカがイラク独裁国家を滅ぼしてから、イスラムのシーア派とスンニ派の抗争が活発化してしまった。

 初めにシーア派を持ってきて、次にスンニ派が来るのは、人口的に言えば逆である。人口はスンニ派のほうがずっと多い。

 ただ、欧米諸国にとって、シーア派の方が穏健なのである。だから、先にシーア派を持ってくるのだろう。わが国のマスコミもそれに従っている。

 スンニ派はイスラム原理主義の母体でもある。基本的に反米である。だから、人口的にも圧倒的に多いし、欧米諸国にとってはうるさい存在である。

 シーア派もスンニ派も、それぞれに複雑な分派をもっており、それらの統一は一筋縄ではいかない。

 そこに手をつけてしまったアメリカは、今後も相当にてこずるだろう。アメリカが日本統治に成功したのは、わが国が天皇を中心とした統一国家だったからに過ぎない。

 イラクやアフガニスタンをアメリカが統治するのは不可能だろう。

エホバの証人

2008-09-25 13:24:21 | Weblog
 「エホバの証人」の信者がときどき我が家へ布教に来る。

 態度が紳士的で控えめなので、門前払いはしないようにしている。でも、私は無神論者なので「エホバの証人」どころか、仏教にもイスラム教にも帰依するつもりはない。

 「エホバの証人」は輸血を拒否することで有名である。私が勤めていた病院に「エホバの証人」の幹部が講演に来た。話は輸血はしないでくれという内容である。

 輸血とは極めて不自然な治療法だから、拒否するのもよいだろう。

 しかし、「エホバの証人」は骨髄移植を拒否するのだろうか?骨髄移植は白血病に有効な治療法で、これで救かるようになった人が大勢いる。

 でも、骨髄とはこれから血液になる細胞である。「エホバの証人」が骨髄移植も拒否しているとしたら、それはもう立派と言わなくてはならない。

野良犬野良猫の処分法

2008-09-24 13:18:02 | Weblog
 わが国で、年間に殺処分される野良犬や野良猫は34万匹だという。

 解剖学者の養老猛司氏は、「捨てないで食べればよいのに」と言っていた。

 犬の肉を食べる文化は韓国などに見られる。だから、捨てないで食べればよいと私も思う。

 ただ、猫の肉には問題がある。猫の肉は口当たりがよくて、食べやすいのだという。しかし、食べた後のゲップが猛烈に臭いのだそうだ。

 それでは、犬の肉だけでも食べたらどうか?あるいは、韓国に輸出してはどうか?

医は仁術か?

2008-09-23 09:09:35 | Weblog
 「医は仁術」という言葉は、良い意味で用いられている。儲け主義の医者を揶揄して、「医は算術」なんていう言葉もある。

 でも元来、「医は仁術」という用語は悪い意味で用いられていたのである。出典は山本周五郎の「赤ひげ」である。「赤ひげ」では「医は仁術」と唱えている医者を馬鹿にしている。

 山本周五郎は、赤ひげに次のように言わせている。

、「仁術どころか、医学はまだ風邪ひとつ満足に治せはしない、病因の正しい判断もつかず、ただ患者の生命力に頼って、もそもそ手さぐりをしているだけのことだ、しかも手さぐりをするだけの努力さえ、しようとしない似而非(えせ)医者が大部分なんだ。」

 もともと「医は仁術」ではないのである。赤ひげは「医は仁術」と唱える医者をとことん嫌っていた。

 今でも真面目な医者は、治療法の模索に四苦八苦している。そして、なかなか満足のいく答えが得られないのである。

食品は昔のほうがおいしかったのではないか?

2008-09-22 08:38:13 | Weblog
 あるいは私の舌が肥えただけなのかもしれない。でも、昔の食品のほうが今の食品よりおいしかったという印象を拭い去れないのである。

 子供のころ、ハムが好きだった。魚肉ソーセージも好んで食べた。でも、初めてロースハムというものを食べたときには、こんなにおいしいハムがあるのかと思った。ロースハムは今でもある。でも、初めて食べた時のような感動はない。

 チーズを初めて食べたのは小学校に上がる前だった。当時から今と同じデザインの雪印のチーズがあった。父はサントリーの角瓶を大事そうに呑みながら、雪印のチーズを食べていた。そのころのチーズは黄色いプロセスチーズではなく、なんという名称か知らないがピンク色のチーズだった。(これは今でもある)。

 幼児の私はそのチーズのご相伴に預かった。これが、おいしかった。ピンク色で塩味が効いていて、なによりハイカラな感じがした。

 魚の干物も子供のころのほうがおいしかったと思う。昔は干物はみな天日干しだった。今は機械で乾燥させる。このような製法の違いが味に影響を及ぼしていることは十分想像できる。

 私はただ昔を懐かしんでいるだけではない。今のほうがおいしい食品もある。まず米である。銘柄米は本当においしいが、昔は銘柄米というのはなかった。

 肉類もそうである。豚カツは今のほうがおいしい。

 ただ、全体としては、昔のほうが食品がおいしいと感じられる。鯨の揚げ物の給食で育った時代の私だから、ごく普通の食品が今よりおいしく感じられただけなのだろうか?

禁煙を進めると戦争が起こる?

2008-09-21 08:46:10 | Weblog
 タバコを禁止すると戦争が起こるという説を聞いたことがある。

 実証されていないので、ウソかホントか分からないが、私には有りそうなことだと思える。

 かなり厳格に禁煙を推進し始めたのはイギリスである。タバコが1箱1000円以上。しかも、パブで吸えない。タバコを吸えないパブなんて存在価値があるのだろうか?

 禁煙戦争説が本当だとすると、最初に戦争を起こすのはイギリスである。どうなるか見ものである。昔のようにアラブに戦争介入を始めるかもしれない。

 それほどに喫煙には鎮静効果がある。国民がこぞって禁煙するのと、みなが銃を発射するのとどちらがよいか?

 民衆の力は恐ろしい。政治だけでは統御できないところがある。

 禁煙戦争説は、その辺の機微を突いており、私には一笑に付すことができない。

シングルモルト・ウイスキー

2008-09-20 10:10:16 | Weblog
 ウイスキーはブレンドしてあるほうがおいしい。

 いろんなモルトをブレンド職人が絶妙の勘で混ぜると、ウイスキーはまったく別の飲み物のようになる。だから、ブレンドはウイスキーの命である。

 ところがシングルモルトということを売り物にして売っているウイスキーがある。また、それをありがたがる人がいる。

 「余市」というウイスキーはシングルモルトである。でも、ブレンドウイスキーほどおいしくない。「余市」には「シングルモルト最優秀」とこっそり書いてあって、あたかも「すべてのウイスキーで最優秀」と誤解させる。

 消費者を惑わせる態度である。

台風が好き

2008-09-19 08:28:11 | Weblog
 私は実をいうと台風が好きだ。

 子供のころ、父親が台風にそなえて戸を釘で打ちつけていると、なんだかわくわくした。
停電してロウソクのもとで、外のおお風の音を聴いていると興奮した。これは非日常なのである。

 日常の世界に飽き飽きしていた子供は、この非日常に胸をときめかせたのだと思う。

 風と雨の翌日は、抜けるような晴天である。気候も秋に一変している。これがまた、何ともいえない。台風一過という言葉がある。

 被災した方々には申し訳ないが、やっぱり私は今でも台風が好きである。台風一過は秋の季語である。

このブログの読者に敬意

2008-09-18 08:41:10 | Weblog
 ありがたいことに、このブログを読んでくださっている方は、毎日100名を下りません。

 一ヶ月に一回見るという方も多いですから、このブログの読者数は1000名くらいあると思われます。

 患者さんもずいぶん読んでくれていますが、私の患者さん数は2000名で、10人に一人読んでくださっているとしても、200名です。とても1000名には及びません。

 私の親類縁者はむろん読んでいます。でも、多くて30名程度でしょう。だとすると、どなたがこのブログを読んでくださっているのか、検討がつきません。

 見知らぬ方々がほとんどでしょう。そのような方々に喜んでもらえるよう、今後もこのブログを書いていきます。

 アイドルのブログに比べれば、読者が1000名といっても、少ないでしょう。でも。私はブログに写真や画像は載せません。純粋に文字を楽しんでいただける方々を相手に楽しんでいます。

 絵文字も載せません。それでも、このブログを読んでくださる方々に、敬意を表して毎日がんばろうと思っています。

原住民による地名・その2

2008-09-17 07:58:36 | Weblog
 なぜ和人がアイヌの地名を残したのか、アメリカ人がアメリカインディアンの地名を残したのか、疑問である。

 徹底的に弾圧するのであれば、地名を残さないだろう。だから、和人はアイヌを、アメリカ人はアメリカインディアンを撲滅しようとは思っていなかったのではないか?

 そこには一方的であるにはせよ、共存共栄の考えがあったのではないか?それとも撲滅するだけの力がなかったのか?

 和人はアイヌをいまだに差別している。アメリカにおけるアメリカインディアンの処遇も同断である。

 差別はまだまだ残っている。アメリカは建前の国だから、差別はないと言うだろう。でも、それにしては混血が少なすぎる。ラテンアメリカは混血だらけだから、差別のしようがない。アメリカで混血が起こらなければ、いくら差別がないとアメリカが言い張っても説得力はない。

 和人は琉球支配に成功した。琉球人を差別しなかった。顔立ちから見ても分かるように、琉球人は和人から見れば、韓国人、中国人よりも遠い。でも、差別がない。和人による支配がもっとも成功した例である。

原住民による地名

2008-09-16 13:52:58 | Weblog
 北海道旅行をすると、稚内とか女満別とか苫小牧とか、あきらかにアイヌがつけた名称と思われる地名が多いのに驚く。

 昔、アイヌの人口がどれくらいいたのか知らないけれど、北海道全域にわたって、それらしい地名がつけられている。そのことからも、アイヌが全北海道を支配していたかが分かる。

 アメリカにも同じような事情がありそうだ。アメリカインディアンの人口がどれだけあったのかは知らないが、ネバダ、アイダホ、アラバマといった地名は、アメリカインディアンがつけたものだろう。

 アメリカインディアンの勢力はカナダにまで及んでいたと思われるが、カナダにはそれらしい地名がないのが不思議である。