敬語は難しい。敬語が話せない人が多いと嘆く投書もよく見かける。
日本語の敬語は本当に難しい。だからと言って、練習すればできるようになるものだろうか?
私は以前、このブログで「7%の法則」という記事を書いた。(2007,6,7)。どんな技能や技芸であっても、本当にモノにできるようになる人は人口の7%くらいではないか、という内容である。
例えば、囲碁や将棋を始めた人で有段者になれる人は7%、鉄棒で蹴上がりができるようになる子も7%、ピアノやバイオリンをやっている人で、人前で恥かしくない腕前を見せるようになれる人も7%といった具合である。
実は敬語にも「7%の法則」が適用できると私は考えている。つまり、日本語ができる人で、敬語が誤りなくしゃべれる人は、人口の7%くらいしかいないのではないか?
だから、敬語がしゃべれない人が多いと嘆いても仕方がないのである。しゃべれない人を責めても、それはいくら練習をしても蹴上がりができない子を責めるのと同じである。敬語をあやつれる7%の人が、そうでない93%を責めるのは酷である。
見方を変えれば7%の人の増長と言ってもよい。
日本語の敬語は本当に難しい。だからと言って、練習すればできるようになるものだろうか?
私は以前、このブログで「7%の法則」という記事を書いた。(2007,6,7)。どんな技能や技芸であっても、本当にモノにできるようになる人は人口の7%くらいではないか、という内容である。
例えば、囲碁や将棋を始めた人で有段者になれる人は7%、鉄棒で蹴上がりができるようになる子も7%、ピアノやバイオリンをやっている人で、人前で恥かしくない腕前を見せるようになれる人も7%といった具合である。
実は敬語にも「7%の法則」が適用できると私は考えている。つまり、日本語ができる人で、敬語が誤りなくしゃべれる人は、人口の7%くらいしかいないのではないか?
だから、敬語がしゃべれない人が多いと嘆いても仕方がないのである。しゃべれない人を責めても、それはいくら練習をしても蹴上がりができない子を責めるのと同じである。敬語をあやつれる7%の人が、そうでない93%を責めるのは酷である。
見方を変えれば7%の人の増長と言ってもよい。