院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

老人と子どもの投書欄

2011-10-20 07:36:52 | Weblog
 高校2年生の時、私の投書が朝日新聞に載った。日の丸君が代の是非がやかましいころだった。(今でもそうか?)私は日の丸君が代がデザインとして歌曲として美しいかを論じた。

 是非論が多い中、美的センスからの論が珍しかったのだろうか?戦争を知らない世代からの投書だったからだろうか?とにかく載って、朝日新聞の社名入りのバスタオルと普通のタオルの詰め合わせセットと、当日の朝日新聞を謝礼としてもらった。

 私が新聞に投書したのは、後にも先にもその一回だけである。齢を重ねるにつれ、投書欄がいかに馬鹿々々しいものかが分かってきた。

 「老人と子どもの投書欄」と言われるように、壮年の投書者は極めて少ない。これは投書数が少ないのではなく、壮年者の投書があまりに鋭く、新聞社の中立性という建前からは掲載できないのだろうと推察する。

 「たばこのポイ捨てはやめましょう」、「花を育てるのは楽しい」といった、毒にも薬にもならないような投書が多すぎる。まるで、道徳の教科書のようだ。これは投書者のせいではなく、新聞社がその手の投書しか採用しないところから来ている。

 だから私は、一回きりの投書で止めてしまった。ところが世の中には面白い人たちがいて「投書友の会」という組織がある。メンバーは投書を趣味とする老人である。皆でめいめいに投書をして載ったの載らなかったのと喜んだり残念がったりする会である。

 必ずしも悪趣味とはいえないけれども、ゲートボール会とかカラオケ会よりは、ひねくれている。投書者は誰でも載ることを欲するから、新聞社に迎合するようになる。道徳的な投書が多くなるのも当然と言えば当然である。

 新聞社のほうも「友の会」の存在を知っていて、メンバーの投書をたまには載せてあげなくてはならない。読者の購読料があっての新聞だから「お客さん」は大事にする。こうした腐れ縁で投書欄は成り立っているのである。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。