犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

辰巳ダム>捏造された洪水、東岩取入口は残ったが(その19)

2017年01月19日 | 辰巳ダム
 冊子『「犀川水系辰巳ダム治水計画に関する所見」(平成11年8月■■大学工学部工学博士■■■■)についての意見と反論および問題提起』(1999年(平成11年)11月1日)、中 登史紀
 の指摘の中で、石川県が返答に窮して最も大きな問題の一つとなったのは、「データの捏造」ということだろう。

 ■■工学博士は『所見』で以下のように弁護した。
「大出水には数10年周期の周期性のある可能性が高いことがいわれている(例えば、高橋 裕著「河川工学」東大出版会)ので、本来であれば計画降雨の採用にも数十年間程度の資料を用意することが望ましい。残念ながら、犀川流域でこの条件を辛うじて満たす観測資料は金沢地点のものしかなく、昭和31年まではこのデータにのみ頼らざるを得ないことがわかる。さらにいえば、これをデータの流用というのは当たらない。」

 これに対して、中はつぎのように反論した。
「反論を述べる前に確認しておく。言葉尻を捉えるわけではないが、「これをデータの流用というのは当たらない。」というのは、「データの流用はするが、データのねつ造というのは当たらない。」という意味であろう。以下、「データの流用」の意味について議論したいので確認しておく。
 ダムの計画する時点で十分なデータが無くてやむをえずに既存のデータでやらざるを得なかったことに対して、責任追及するつもりもない。しかし、少ないデータによる解析、データが無く他の地点のデータ流用は、場合によってはとんでもない誤差が生まれる危険性がある、「データ流用」の結果を鵜呑みにするととんでもない間違いを起こすことがある。
 「データの流用」に関して2つの大きな問題がある。一つは解析結果を評価する際に論理的な誤りをおかす点、一つは降雨という自然現象の空間的・時間的変動を無視するという点である(筆者のように内水が専門である場合は、無視しても実用上の支障はあまりない。しかし、外水の場合はこれが大きな問題となる。)」

 「データの流用」が「データの捏造」ではないといっても、「データの流用」によって求められた結果を信頼できる答えだと説明するのであれば、「データの捏造」で騙したことと同じである。

 冊子『「犀川水系辰巳ダム治水計画に関する所見」(平成11年8月■■大学工学部工学博士■■■■)についての意見と反論および問題提起』(1999年(平成11年)11月1日)、中 登史紀
は、以下のところでアクセスできる。
http://www.nakaco.com/k_txt1.htm
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする