只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

脳天気が、“空っぽ”ですかね。笑

2017-10-22 10:18:52 | 日記

私(思考)は、“只、歩く”ことができません。(笑)

なぜでしょうか?

それは私と言う「思考自我」だからです。(笑)

私もすべての人も、思い考える幻想人だからです。

この幻想世界では、思考が無ければうまく生きていけません。
ですから最小限の思考を使うほどでいいのです。

例えば、知識を必要とする職業の人を除いて、
1日トータル約30分も使えば十分です。

後は、すべて“本能”にお任せしてお気楽のまま流れて
いけばいいのですね。

こんなに簡単なことなのに、私(思考)はいつの間にか
「苦の世界」を創り上げて、「楽」を追い求めるという
相対になったのです。

残念ながら、相対が頭脳に「在る」かぎり、ひとりでに
離れていくということはありません。

しかし、幼少のころまでは相対など無かったのですから、
今まで培った知識等はそのままにして、相対する心を
忘じていけば離れていくのです。

それが伝家の宝刀である“只なる実践”です。

何も無い”只のところから離れないのが
只なる実践”で、思考を使わないということです。

また私(思考)という、私心から遠く離れることが
“只なる実践”で、「思考癖」を切り捨てることです。

只、歩く”あるいは、“只、やる!”ことに没頭する
ことが“絶対安心”の境地になることでしょう。 


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