只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

事実は“それがそれ”で、思考の入る余地は無いのです。

2018-05-31 08:02:51 | 日記

いよいよ研修旅行が迫って参りましたので、
近日は準備とかで、何かと慌しい状況です。(笑)

6月は前半、日本を離れますのでプログは休みです。

ある機械メーカーの招待で、北欧のスウェーデン研修旅行、
そしてフィンランドにも行って参ります。

思考に惑わされないよう、常に“実践”です。

2018-05-30 08:30:58 | 日記
「幸せになりたい…、お金が欲しい」という執着を手放せば
お気楽となるのです。


「そんな事をしたら完全に惨めだ!」と怒るのが「思考自我」
ということです。

でも、頭の中には「幸せもお金も」一切ありません。

一瞬感じる“絶対幸福”は、「幸せになりたい、幸せだ…」を
超越したところにあるのです。

また“真のお金”も「お金が欲しい、お金が沢山ある」を、
超えた世界ということです。

つまりお金も幸せも、「思考自我」が創作してもので
“何も無い”のです。

“何も無い”ところが繰り返し述べている通り、
穏やかな安らぎのある“絶対安心”の境地です。


これを頭脳で理解しようとしても、
理解は出来ず「思考自我」の思う壷となるのです。

それで“只なる実践”は、思考を使わず真剣に浮かんだ念を
スルーして“行”くだけです。

思考世界で大事にしている「思い込み」を、
手放して失うものがあるとすれば、、、
それは心配、迷い、不安、苦悩、恐れだけです。

「それが出来ればな~」なんてものは切り捨てて、
今、今、今と弛まぬ“只なる実践”の持続です。

世の中には頭の良い人、悪い人などいないのです。

2018-05-29 09:02:53 | 日記
繰り返し述べていますが心配、迷い、不安、苦悩、
恐れは“無い”のです。

“無い”のに起こるのはなででしょうか?

それは頭の中に浮かんだ思いを掴むから、心が躍らされるのですね。

そして心配、迷い、不安、苦悩、恐れになり「苦の世界」と化するのです。

頭の中に浮かんだ思いを、一時的に掴まなければそれは起きませんが、
残念ながらそれが抜け切れない「思考癖」として固まっていますから、
一時的が終ったらぶり返して来てどうすることもできません。

しかし“実践”という思いを繋がない手法を使えば、
そこで思いは切れて行くのです。

例えば、重い錘が10mのひ弱なロープで吊り下げて
あったとします。

それでは切れるとして、「思考自我」が現れて鉄線を補充
したりすればいいとするのです。

しかしそれでも心配するので、あれやこれやと何かないかと
探し回るのです。

これが「思考癖」で、一時的な安心と取り止めのない不安
が原因で創られていますね。

これは幻想ですので、重い錘も10mのひ弱なロープも
“何も無い“のです

真実世界は、“今この瞬間・無思考”があるだけで他は
“何も無い“のです。

“今この瞬間・無思考”の状態は、繰り返し述べている通り、
何があっても穏やかな安らぎのある“絶対安心”の境地です。

明日も昨日も無いのが、“只、今”です。

2018-05-28 08:52:36 | 日記
私(自我)は潜在意識の中にいるのです。

それが何かにつけ、潜在意識から出てきて心を悩ますの
ですね。

それは幻想による執着からくるものです。

例えば、私(自我)の執着とは
・どうしても手放したくないものがあるから
・どうしても欲しくてたまらないものがあるから
・これは絶対に必要とするものがあるから
・これを手放したら終わりとするものがあるから
・これを失ったら生きていけないものがあるから
・これがなければ幸せにはなれないものがあるから
・これがなければ私ではないものがあるから
・これがなければ怖くてたまらないものがあるから
・これがあれば安心できるものがあるから
・これがあればすべてうまくいく
・これは絶対に手に入れなければいけない…etc

これらの幻想が無ければ、潜在意識の中は“空っぽ”で、
心は“自由自在”ということです。

ですから事実には幻想は無いのですから、頭の中に浮かび
上がってくるものはすべて幻の想いということです。

この元々無い幻想を、打ち消そうとやっているのが
“只なる実践”の持続です


頭の中に浮かんで来る幻想を、念を相手にしないでスルー
するのです。

そのためにはどこからともなく出てくる幻想を、真剣に
見張り続けなければなりません


根気のいることですが今、今、今と弛まぬ“実践”です。

早朝6時から、堤防の草刈の手伝いでした。

2018-05-27 08:53:20 | 日記
私(思考)の妄想を打ち破ると、自我の支配から解放され
自由自在な人生となります


自由自在とは、頭の中に“何も無い”ということです。

ですが“何も無い”のに、私という幻想自我が動き回っているから、
「苦しみ」が発生するのです。

この「思考自我」の強大なエネルギーを、在るか無いか
まで極小にしていくのが“只なる実践”の持続です。

これを“行”じていくに従って、様々な事柄を忘れやすいので、
大事なことはメモとかに控えていたほうがよろしい
でしょう。

その上で、綺麗サッパリと忘れるのですね。

嫌な事も楽しい事も忘れ、頭の中が“空っぽ”になるまで
“実践”の持続です。

それはその人の情熱如何で“大輪の花”と咲き、穏やかな
安らぎのある“絶対安心”の境地となるでしょう。