嘘か本当か…おわかりになっているとは存じますが、
そんなもの事実にはありません。
「それが無かったら無茶苦茶になるよ~」と言われますね。
その通りで、この世界は正しい見方で瞬間、瞬間
やっていかないと間違いが起こります。
この“正しい見方”とは、正しい間違いを超えた
自己の無い見方です。
私が、私の、私は、私に等が無い見方です。
それを“心眼・真の眼”での見方とも言えますね。
“心眼・真の眼”という“只”を体得すると
“絶対安心”の境地になります。
「おい、おい嘘を言うなよ・・」と言いたくも
なると思いますが、“実践”をやり続けない限り
永遠にわからないことです。
繰り返し述べますが、今での頭脳での理解とは
まったく違いますから、そこを掴まないと
体得できません。
頭脳はいち早く幻想しますから、この頭の中で勝手に
妄想する「思考癖」を落とすため
弛まぬ“只なる実践”の継続ということです。
只の道…淡々と歩く
心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
私(思考)の戯言は信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。
『只管をしっかり錬ることの大切さを言うているのです。
この事は口では言えないし、言葉では伝えられないし、
知性では獲得できないものです。』
いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
只を守る、只の中に居る、思考癖を入れない、
これを表現することは出来ても、事実は“これそのもの”
ですからそこには知性は“無い”のです。
こう言っても「思考癖」が在る限り、
“無い”は永遠に受け付けないのですね。(笑)
生きるが在る、死ぬが在るという「思考癖」が在る限り、
それに心が動き回る構図になっているのです。
それが“只、観れる”ようになってくるようになると、
穏やかな安らかな気分になってきます。
ぜひともそこまで還り着いてください。