只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

日々、只淡々とですが、物足りない人は何でも挑戦ですね。笑

2017-05-15 08:47:55 | 日記

健体康心”で人生を送りたいものですね。

事故や生まれつき腕が無い方や、足が無い方でも
頭の中で勝手に妄想する「思考癖」が無い限り、
“健体康心”で過ごすことができます。

私(思考)も以前、脳出血という大病を患いましたが、
現在なんとか快復してきています。

約3年間は身体のどこそこが激痛だらけで
涙の連続でした。(笑)

もちろん文字も書けません、リハビリで書けばミミズが
這っていくような文字でした。

パソコンでのリハビリはキーボードの〈A〉を打つにも、
〈A〉ははっきり見えてわかるのですが、指を持っていくと
焦点が定まらず〈S〉や〈W〉を押すのです。(笑)

いろんな事を書けばまだまだありますが、この様なことで
将来に対して不安や心配で焦りが多かったです。

つまり、頭の中で勝手に妄想する「思考癖」だらけ
だったということです。

過去や将来も“無い”のに、また心配、迷い、不安、苦悩、恐れも
“無い”のに、「在る」とした「思考自我」の
一人芝居だったのです。

健体康心”という心身一体は“”であり
絶対安心”の境地 です。



只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
私(思考)の戯言は信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

忘れるなとは、くだらぬ事柄に翻弄されてはならぬということです。
 根元的志は本来的なもの故に、邪悪な野心などは
 初めから起きないし無いのです。逆に言えば、健全な志が無ければ、
 目的を忘れた人生は徒に生きているだけと言うことになるのです。
 目的なく大海に出れば、ただ、波と流れと風の玩具になるだけです
。』

いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
健全な志は“真心”とも言えます。

この揺らぎの無い“真心”を持って人生を
渡らなければ、「思考自我」から操られていきます。

生きている目的が、頭の中で勝手に妄想する
「思考癖」から遠く離れることですから、
本来の健全な志を甦させることです。

この“真心”は、弛まぬ“只なる実践”の持続で
甦ってきます。