只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

朝の出勤前にレタス植えの準備です、様々な苗が待っています。笑

2017-05-03 10:32:15 | 日記
すべての人間は、自分勝手であると言われています。
もちろん、この私(自我)のことです。

人生は苦しみであるとも、私(自我)達は決して幸せには
なれないとも言われています。

ですから、人生は私(自我)達が生きるということなのです。

では、なぜ「生きることは苦しみ」であるのでしょうか。
もちろん楽しみも喜びもあるのです。

それは私(自我)達の人生は相対世界だからです。

生があれば死がある、苦しみがあれば楽しみがある、
平和があれば戦争があるのです。

この様に、頭脳の思考があるかぎり苦しみから
逃れられないようになっています。

自我思考を超えると苦しみも分かりません。
思考を超えると今、今、今ですからお気楽に
なってくるのです。

こんなこと私(自我)が言っても、その人には
嘘か誠かわかるはずもありません。

しっかりとその人が自分で体得するしかないのです。



只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
私(思考)の戯言は信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。


国家の内容品格とその未来は、人作りに最重点をおいているかいないかです。
 それがそのまま国の将来となり社会の姿となるのです。
 本来の健全な人生を送るにはどうあるべきか。それは国民一人々々が、
 向上心と共に自らを律する精神の有無で決まるのです。
 安心の出来る社会・世の中にして行くことには反対者はいないはずです。
 人様にこうしろとか言うと人権問題にしたりして、色々な抵抗勢力が現れますが、
 自分自身を律する為の人間としての努力は当然ですから、
 このことに反対は出来ないはずです
。』


いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
いかに生きる上に“只なる実践”の持続が重要かを
仰っています。

本来の健全な人生を送るには、向上心と共に自らを律する
精神の有無で決まるのですとも仰っています。

とにかく『心』というものを知り得るとういうことですね。
頭の中で勝手に妄想する「思考癖」を忘れ去ることが
生きてきた目的です。

そうわかれば、真の心という“真の自分”に目覚めるのです。