只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

昨日は鹿児島方面にお客様回り等でした。

2017-05-12 10:05:00 | 日記
【朝早く、桜島等を写そうとデジカメを出しましたが
 あいにく電池が切れて残念でした。笑】



私(自我)がいないところが真実世界です。

同じく私(思考)がいるところは問題が起こるところです。

ですから私(自我)が、否定されようが認められようが、
怒られるようが、バカにされようが何にも無いわけです。

それを悲しむ自己、自我も、喜ぶ自己、自我も存在しない
わけです。

従って“只、今”を淡々とやっていく以外、何もありません。
それは“今この瞬間・無思考”ということですね。

とにかくゴチャゴチャした思考・妄想からの呪縛から
解放していくのです。

これは正しい、あれは間違い、さてどっちだろう?
これは悪い、あれは善い、さてどっちだろう?
これは正しい、あれは間違い、さてどっちだろう?

この人は真面目な人、あの人は騙す人、向こうにいる人は
さてどっちだろう?
あの国は戦争を起こすだろう、この国は受けて立つだろう、
別な国は、さてどうするだろう?

この様に、勝手な思い込み、想像(幻想)して、
その幻想で分別して、怒ったり喜んだり悲しんだり
しているだけです。

とにかく事実には“何も無い”のですから
頭の中から捨て去っていくのです。

繰り返しですが、苦悩の中にいるということは
思考の中にいるのです。

ここを脱出するには、苦悩の中から外へ出る、
思考の外へ出ることです。
ここから外へ出ないことには永遠に相対世界に
入ったままです。

その苦悩、思考を超えたところが苦悩の無い世界であり、
無思考の世界です。

事実の無思考の世界を、体得すれば真実に“目覚める
ことになります。



只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
私(思考)の戯言は信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。


それが昂じると殺意にもなり、もしかしてと自分の心に過度に潜む
 警戒心が疑心暗鬼となったりして、やられる前にやっつけなければという心に
 駆り立てられるのです。そうした動物的危険精神にさせないためには、
 より人間として相応しい精神を育てることが大切です。
 その事は今までずっと言ってきた通りです
。』


いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
動物的危険精神からの脱出が“只なる実践”です。

食うか食われるかの精神が、まだ潜在意識に
残っているのですね。

いざ!という時にこの精神が出て来るのですが、
無ければ出てきません。

つまり、食うか食われるかが潜在意識に
無い”ということです。

”ですから成るようになるということです。

弛まぬ“只なる実践”の持続で、それが明かに
なってきます。