うたかたの夢暮らし 睡夢山荘にて(Dream life of Siesta hut)

夢から覚めた泡沫のごときだよ、人生は・・
せめて、ごまめの歯ぎしりを聞いとくれ

認知症が身近に!!

2020-11-28 08:24:32 | ブログ

 二十歳代の上京以来、何かと世話をかけ姉のように慕ってきた七歳年上の従姉が、憎悪の言葉を投げつける。

 僕には、在京する三人姉妹の従姉妹が居る。

三人とも高校卒業後、上京して下の二人は縁あって東京で家族を成した。

長女は身体不自由の境遇もあり、健気に独り暮らしを貫いて今は年金暮らしである。

 僕が最も親しんだのが次女であり、五十年の間、折に触れて互いを気遣い、近年は彼女の足腰や身のこなしの衰えを労わることが多くなっていた。

約一年前から、その次女の要請もあり長女の高齢生活のサポートを始めた。

長女の方とは、今まで数回しか面会の機会は無かったし、このまま、付き合いは無いままだと思っていたのだが・・・。

 介護認定手続きや住居環境の整備など向後の高齢独居への対処を具体化した矢先に、当人の癌発症である。

 幸いにも二期の病状、放射線と抗がん剤の治療45日入院加療の判定であった。

入院後、僕が最初に心配したのが退院後の独居生活の維持の事である。

主治医との入院加療説明に立ち会い、入院手続きと送迎、病院の医療相談窓口のソーシャルワーカ、地域包括センターのケアマネージャへの相談を経て、訪問看護と訪問介護の契約と計画、介護認定の見直し手続き等、一連の準備を整えた。

 退院後は次女と僕の細君を含めた3人でのサポートに加えて、看護師とヘルパーがそれぞれ週2回訪問介護で1か月を過ごすことにした。

 また、入退院当初から目立っていた物忘れや身体衰えに加えて向後の認知症発症リスクも危惧した。

 当面の入院費用の工面や向後の生活、介護費用も含めた心配もあり、次女とも相談して当人の資産状況を知ることと、認知機能低下や緊急病変時のサポート責任の為に遺言書の作成を進めることにした。

 長女は、三女とは不仲であり、独り暮らしの生涯で唯一心を許してきたのが1歳違いの次女だけであった。

加えて常日頃次女だけに全ての自らの資産を遺贈すると話していた。

これを加味して遺言書のひな型を作った。

 次女に全資産を相続させること、次女が亡失の場合は、その子の姪に相続させるとした。 ここに、遺言執行人として僕の名前を記載したのだが、これが良くなかったのだろう!!!

 恐らく遺言執行人の意味が理解不能だったのだろうし、加えて宝飾類と当座困らぬ程度の預貯金だと想像していた資産額が思わぬ額である現実を知り、彼女の認識機能を狂わせてしまったようだ。

 人が変わってしまつた。

昨今の経緯や五十年間の親交から、僕も安易に急ぎ過ぎたのだろう。

長女の認知機能低下や身体緊急時の手伝いの際、遺言書の存在が無ければ、何にも出来なくなる。

例えば預貯金の引き出しなど、最悪資産横領者になってしまうと提案したのだが・・・・

 遺言書に執行人として記載したことで、僕がその資産を横取りすると考えたようだ。

やり取りの中で僕が発した「そんなことを思うなら手を引くよ!!」との強い口調が、この思い込み感情を更に強めさせてしまったのだろう。

 今まで聞いたことのなかった口調での反発が返ってきたとき、初めて彼女の認知症に思いが至ったが時すでに遅しである。

 以後数日来、僕を徹底除外して長女の世話を買って出ている。時に実子の姪にも排除の言葉を発する。

80歳と79歳の認知機能低下と身体衰退の高齢者が独力だけで日常過ごせる訳はないことを認めないのである。

姪とも相談して、僕が前面に出ることなく姪のサポートで見守ることにしている。

介護の現実は、先ず悲しみから始まった・・・

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする