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今、自分が出来ること。やれること。それを精一杯やっていかなくちゃ!!

コラム備忘録【9/26】

2018年09月26日 22時16分16秒 | マリーンズ2018
≪2018/9/26≫

ロッテ・福浦和也が書く「2000本安打達成で思い出した、25歳春のあるできごと」

 9月22日のライオンズ戦で通算2000本安打を達成させていただきました千葉ロッテマリーンズの福浦和也です。

 記者会見、テレビの個別インタビューをすべて終え、ロッカーでこちらを書かせていただいています。個人的には書いて表現することはとても苦手で、普段なら絶対に書きませんが、だいぶ前から梶原(紀章)広報とは「達成したらなんでもやるよ」と約束をしてしまっていたので頑張って書かせていただいています。

ライオンズ戦で達成できた喜び

 達成した瞬間はファン、家族、ここまで出会ってきたすべての監督、コーチ、選手、スタッフへの感謝の気持ちで一杯となりました。だから代走を告げられてベンチに戻るとみんなと「ありがとう」と言って抱き合いました。

 そしてなによりも嬉しかったことは同じ年で仲のよいライオンズ松井稼頭央外野手が三塁側ベンチ横から二塁まで走ってきて、花束をくれたことです。今年に入って対戦試合で会うたびに彼からは「ライオンズ戦で達成してくれよ。オレが花束を持って行きたいから」と声をかけていただいていました。自分の中では、なかなか、そんなに上手くはいかないだろうなあと思いながらも、どこかでライオンズ戦を意識していました。

 1戦目が雨天中止。2戦目で1安打の王手。そして迎えた3連戦3戦目。無安打のまま迎えた八回の第4打席で小川投手のスライダーにバットを合わせると二塁打となりました。とりあえずバットに当てようというガムシャラな意識。スタンドからの地鳴りのような声援を聞いて、記録を達成したことを実感しました。1500安打目を記録してから9年での達成。期待をしてくださったファンの皆様には長い間、お待たせして申し訳ないという気持ちで一杯ですが、時間をかけて、なんとか期待に応えることが出来て嬉しいです。

記者会見中に思い出したこと

 記者会見ではいろいろな質問がありました。その場で一つ、思い出したことがありました。「過去に誰か2000本安打を打つ、もしくはいつか首位打者を獲ると予言していた人はいますか?」という質問をいただいた時の事です。

 もちろん自分でも想像もしていません。最初にプロのキャンプを見た時には呆気にとられました。正直に数年やってクビだろうなあと思いました。1年目の前半戦で投手から野手に転向。後はとりあえず悔いが残らないようにだけ頑張ろうとガムシャラな練習の日々を送りました。そうして97年より少しずつ一軍の試合に出場する機会が増えるようになりました。

 あれは01年の鹿児島春季キャンプの事です。00年オフにイチロー選手がメジャーに移籍。7年連続首位打者が海を渡り、野球ファンの間では「今年は誰が首位打者を獲るのだろう」と話題となっていました。自分も誰かなあと他人事のように考えていました。

「キミ、首位打者を獲るよ」

 そんなある日、打撃練習をしている私を打撃ケージ裏で見守る山本功児監督の元にキャンプ視察のため徳光和夫さんがお越しになりました。2人で会話をしながら私の打撃を見てくださりました。打撃練習が終わると徳光さんから「キミ、首位打者を獲るよ。今年はキミだよ」と言っていただきました。徳光さんは覚えていないでしょうし、若い自分を勇気づけるために冗談で言ったのかしれません。でも自分の中では凄くその言葉が胸に残り自信となりました。

 前年はオールスター前まで打率3割を維持しながら結果的には打率.296まで落ち込んだこともあり、絶対に3割を打つと強く意識して臨んだシーズン。結果的にまさか打率.346の数字を残し、首位打者を獲る事になるとは思ってもいませんでしたが、獲得が決まった時に一番最初に思い出したのは徳光さんにキャンプで言われた「キミ、首位打者を獲るよ」の一言でした。その言葉がなぜか2000本安打を打った日の記者会見でも思い出しました。あの時、徳光さんはどう思ってなぜ自分に声を掛けてくれたのか。今、改めて思い出すと凄いなあと思います。なにげない一言かもしれませんが42歳なった今も自分は鮮明に覚えています。

 野手最年長となった今、肝に銘じたいのはこのように言葉の持つ力です。若い選手たちからアドバイスを求められたり、励ましたりすることも多くなりました。自分のちょっとしたなにげない一言が受け取る相手にとっては強く印象に残ることがあることを忘れないようにしながら生きていきたいと思います。

 最後になりますが記録は達成しましたが、まだ自分には目標があります。それは未だ達成していない本拠地ZOZOマリンスタジアムでの胴上げです。もっともっといい場面で打って、そして若い選手たちに言葉をかけながら優勝がしたいです。マリーンズファンの詰めかける中で最高の瞬間を味わうため、これからも頑張りたいと思います。

(文春オンライン)

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≪2018/9/26≫

福浦和也の2000本目で回想した、
習志野高校時代の綺麗なスイング。


 千葉ロッテマリーンズ・福浦和也選手が、プロ25年目にして「2000本安打」の大記録をきめて、見事名球会入りを果たした。

 辛抱する木に花が咲く。

 その頑張りに、頭が下がる。おめでとう! である。

 ちょっと腰を落として目線を低くした構えはプロ25年の“結晶”なのだろうが、スッと立てた背中と、後方から前方にスイッと走るバットヘッドの直線的な動き、さらにはライト方向に低い打球で伸びる軌道は、「変わらないなぁ……」、思わずつぶやいてしまったものだ。

 26年前、習志野高・福浦和也選手は「エースで4番」だった。習志野ほどの強豪で投打の大黒柱を担っていたのだから、やはりそれなりの“逸材”だったのだろう。

 高校時代のプレーをよく覚えている。

 183cmの身長のサウスポーなのに、ありがちなフォームのアンバランスがない。軸足にしっかり体重を乗せてから、半身の姿勢を保ったまま踏み込んで、そこから体の左右を切り返す。

 溜めた力が、リリースの瞬間にすべてボールに乗っかっていくフォームだから、そこそこ速かった。数字でいえば「130後半」というところだったと思う。もちろん、「千葉県内トップクラスの左腕」は定評であった。

「打者・福浦」は形がよかった。

 こうなったから言うわけではないが、それでも私は、「打者・福浦」のほうを、いいなぁ……と思いながら見ていた。

 投球を見逃すときの“形”がよかった。

 踏み込んだ右足とバットを握るグリップの間に、程よい距離があった。「割れる」というやつだ。「ふところが広い」、そんな表現も当たっている。

 投球を決して追いかけない。自分のゾーンに入ってきたボールだけを、全身の連動で存分に振り抜ける。だから、泳がせようと投げてくる左腕の外角スライダーにも、いつも背中がまっすぐだった。上から切るようなスイング軌道じゃない。捕手の頭の上あたりから投手方向に向かって、バットヘッドがまっすぐに長い直線を描くイメージ。

 高校野球を卒業して木のバットの野球になっても、そんなに時間をかけずに手の内に入れそうだ……思って見ていたが、プロで一軍に上がるまで、結局4年近くかかった。

高校時代のきれいな“3本”と重なった。

 きれいに振りすぎる…そこだけがちょっと心配だった。

 インパクトできれいにミートして、そこでスイングをやめてしまうような“お上品”な振り方は、上のレベルになって最初のカベとなるのでは……。

 レベルが上がれば、球威も変わる。インパクトで2個のボールをいっぺんに弾き返すほどの強烈な「フォロースルー」が必要になるのは、経験した人なら実感でわかるはずだ。

 しかし、福浦には大きな味方があった。

 投げる姿は、打つ姿。

 ピッチングで見せる自然な「体重移動」が、スイングにも生かせていた。踏み込んだ右足に体重を移し換えながら、軸を崩さずにスイングできた。

 習志野高・福浦和也を見たのは確か2試合だったが、その中で少なくとも2本のヒットとライナーを1本打っている。すべてライト方向、しかもきれいに糸を引くような低い打球。「2000本」をきめたライトオーバーの二塁打が、私の記憶の中の“3本”ときれいに重なった。

一塁手がドラフトで指名されることは少ない。

 福浦和也選手の快挙に接し、フッと考えたことがある。

 プロ野球生活25年、最初の半年は「投手」だったから、バットマンとして24年。

 その中で福浦選手はほとんど「一塁手」というゲームに出場してきた。つまり、「和製一塁手」である。

 あと1カ月もすると、今年も「ドラフト」だが、 日本のドラフトで「一塁手」が指名されることは極めてマレである。スカウトたちの決まり文句に「ファーストは外国人のポジションだから」というやつがある。なんと時代遅れな……聞くたびにそう思う。

 昔は確かにそういう時期もあった。しかし現実には、各球団毎年のように「舶来一塁手」を取っ替えひっかえするものの、日本球界に定着し球史に残る一塁手として活躍した選手がどれほどいたのだろうか。

 むしろ巨人・王貞治をはじめとして、クリーンアップの一角として不動のレギュラーを占め、オールスターの常連となりつつ、私たちの記憶の中にしっかりと刻みつけられた「和製一塁手」は何人もいた。

 あるスポーツ紙に、打者の2000本安打メンバーが載っていた。

 いるいる……、過日亡くなられた広島・衣笠祥雄さんをはじめに、ロッテ・落合博満、東京・榎本喜八、ヤクルト・大杉勝男、日本ハム・稲葉篤紀、西武・清原和博、中日・小笠原道大、大洋(現・DeNA)・松原誠、阪急(現・オリックス)・加藤秀司、巨人・駒田徳広……いちばん印象深い時期に所属されていた球団の名を書き添えてみた。

落合のバント処理やゴロ捕球は見事の一言。

 和製一塁手大奮闘の流れは、この国の「プロ野球史」の中に確かにあり、ここに挙げた一塁手たちの多くが、その華麗なフィールディングでも、はっきりと記憶の中にある。

 一二塁間のゴロを、ファーストミットの先端を地面に滑らせるように打球を吸収し、そのまま右から左への流れるような動きで二塁へ送球する。王さんがそうだったし、稲葉選手、駒田選手も実に上手かった。さらに、松原選手、衣笠選手は180度開脚でショートバウンドをいくつ吸い上げたことか。

 あまり取り上げられないが、落合選手のバント処理とバックハンドのゴロ捕球の見事さもぜひ伝えておきたい“裏芸”であった。

パに外国人一塁手のレギュラーはいない。

「和製一塁手奮闘」の流れは、実は今だって続いている。

 人が「一塁手は外国人」と言うわりに、今のプロ野球で一塁手のレギュラーを外国人が占めている事実はない。

 セ・リーグでは、バティスタ(広島)、ロペス(DeNA)、ビシエド(中日)の3選手が、3割前後の打率を残したり、30弾近い本塁打で奮戦しているものの、パ・リーグには一塁手のレギュラーとして活躍している外国人選手は誰もおらず、逆に、山川穂高(西武)、中田翔(日本ハム)、井上晴哉(千葉ロッテ)が不動の4番打者に君臨。

 さらに、銀次(楽天)、中村晃(ソフトバンク)が渋く脇を締め、セ・リーグでも、今季18年目の阿部慎之助(巨人)のスイングスピードと勝負強さはなんだかんだ言って、いまだ圧倒的である。

 もっと「一塁手」を獲りにいってよい。ドラフトで、もっとバッティングの才能に特化した人選があってもよい。

 一塁しか守れない……。これもよく聞く「常套句」。

 今の時代、「一塁」が守れれば御の字だ。

 ゴロ処理からの併殺、バント処理からの二塁、三塁封殺、ファールフライの捕球に、牽制球による走者へのプレッシャー。一塁手の仕事は多い。

 福浦和也一塁手が走者の足にタッチする強さ、速さなんて、すばらしかった。野球は審判の手を上げさせるかどうか、そこが勝負だ。「説得力」のあるタッチプレーだった。

投手を支えるのも一塁手の重要な仕事。

 仕事はまだある。投げている投手のフォームがいちばんよく見えるのが「一塁手」なのだ。

 疲れてくればちょっとしたフォームの崩れもあり、打たれれば心の動揺がピッチングに顔を出す。そんなこんなを気づいてあげて、さりげないワンポイントアドバイス。“世話役”としての役割は、実戦になったら、捕手以上ではないだろうか。

 今年の候補の中から一塁にも適性がありそうなのは、山下航汰(健大高崎)なのか野村佑希(花咲徳栄)、金山昌平(創志学園)、宮脇廉(鹿児島城西)なのか。大学生なら、中山翔太(法政大)なのか岩城駿也(九州産業大)なのか。来年なら、アマチュア球界を代表する和製大砲・片山勢三(パナソニック)が腕を撫す。

 一塁に定着する外国人選手の存在はもちろん喜ばしい。しかし、言葉の通じない“同僚”と一緒にバックを守って、いつもひとりでポツンとしている「外国人野手」を見ているのがちょっとつらい……というのもある。

 そしてそれ以上に、プレーでも精神的にもチームの軸となって働く「和製一塁手」が実はとてもかっこいいことを、千葉ロッテ・福浦和也選手から教わったからなのだ。

文=安倍昌彦

(Number)

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≪2018/9/26≫

【千葉魂】悔し涙を忘れない 種市、1軍経験糧に成長誓う

 涙があふれた。止まらなかった。17日のイーグルス戦(ZOZOマリンスタジアム)の試合後。監督室に呼ばれた種市篤暉投手はその場で2軍落ちを告げられた。1軍で6試合の先発チャンスをもらった。それでも勝てなかった。ラストチャンスと思って挑んだこの日は7回6失点。結局、1軍初勝利を手にすることなく降格が決まった。通告に、不甲斐ないピッチングを続けた自分を責めた。悔し涙が止まらなかった。

 「悔しくて、悔しくて泣きました。人前であんなに泣いたのは初めてだと思います。それくらい悔しかったです。勝てなかったのが悔しい。監督の期待に応えられなかったのが悔しい。チームの戦力になれなかったのが悔しかったです」

      □      ■      □      

 目を真っ赤にしながら涙を流し続ける若者を井口資仁監督ら首脳陣は落ち着くまで見守っていた。そして間をおいて指揮官は声をかけた。「これから、あとどれくらい野球をやりたいと思っている?」。少しばかりの落ち着きを取り戻した若者は間髪を入れず、力強く答えた。「20年、やりたいと思います」。涙目をこすりながらも力強く返事をした。その言葉がうれしかった。井口監督はニコリと笑うと優しく話しかけた。

 「じゃあ、この悔しさを忘れずに日本一勝てる投手になれるようにこれから頑張ってくれ。あと20年間もあるんだろう! 今がすべてではない」

 監督室を後にした種市はもう泣いてはいなかった。監督の前で思う存分、泣いた。そして熱い言葉をかけられた。それを励みに2軍で結果を出すべく前を向いた。8月12日の初登板から1カ月と少し。1軍の夢舞台で見つけたいろいろな課題を克服するために練習を積み重ねることを誓った。

 「この1軍での6試合の映像データを沢山もらったので、毎日、飽きるぐらい何度も見直そうと思っています。課題は山ほどありますが、時間のある限り、克服していきたい。この課題を練習で生かしたいです」

 自慢のフォークは通用することが分かったが精度はまだまだ。それ以外にもボール先行型となってしまった投球。緩急のピッチング。内角、外角の使い分け。ローテーションの中での体調管理。メンタル面。様々な課題を思い返しながら種市はロッカー整理を行った。その背中はシュンと落ち込む背中ではなく前に進む若者の闘志あふれるものだった。

 普段は飄々(ひょうひょう)としていて感情の起伏を感じない若者が見せた悔し涙。目の前で滝のように流れ出た涙に触れた井口監督も本人と同じようにその悔し涙を脳裏に刻むつもりだ。

 「いつかね。あの悔しさ涙が生きる日が来る。アイツは20年、頑張るとオレに言った。純粋な悔しさと気持ちが大事。この想いが力になる。糧になる。今後につながる。そう思う。本当に日本一勝てる投手になって欲しい」

      □      ■      □      

 悔しさを力に変えることが出来る投手だ。1軍6試合での一番良かった場面として9月17日のイーグルス戦で島内宏明外野手をインコースストレートで見逃し三振に仕留めたシーンをその一つに挙げた。8月19日のイーグルス戦(楽天生命パーク宮城)の三回にはその島内にこん身のストレートを右中間にはじき返された。2点適時二塁打。悔しさを忘れずに挑んだこの試合で今度はストレートで見逃し三振に抑えた。打たれたら次は抑える。気迫のピッチングだった。

 「ライオンズの今井とかイーグルスの藤平とか同じ年の直接対決で負けた事もメチャクチャ悔しかったです。この悔しさを晴らすべくトレーニングをしたい。今は負けたけど次は負けない。来年やそれ以降も勝ち続けたい。そう思っています」

 若者を成長させるのは決して成功体験ばかりではない。悔しさもまた大きなパワーとなる。だから種市は指揮官の前で見せた涙を一生、忘れない。日本一勝てる投手になるための糧にとし、強くなる。プロ2年目、20歳。種市のプロ野球人生はまだまだこれからだ。

(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)

(千葉日報)
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