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今、自分が出来ること。やれること。それを精一杯やっていかなくちゃ!!

拾い読み★2010-280≪鷹さん優勝記事≫

2010年09月27日 05時36分16秒 | マリーンズ2007~10
 

残り6戦3・5差から!秋山監督、ミラクル舞い
ソフトバンクが26日、7年ぶり16度目のリーグ優勝を飾った。マジック1で迎えた楽天戦の3回攻撃中、西武が日本ハムに敗れ、決まった。秋山幸二監督(48)の胸に万感の思いが込み上げた。王貞治前監督(70=現球団会長)からバトンを受け、2年目での頂点。胴上げでは、その大きな体が6度、宙を舞った。ソフトバンクは10月14日から始まるクライマックス・シリーズ(CS)ファイナルステージに進出が決定。日本シリーズの出場権を懸け、ファーストステージに出場する西武と3位チームの勝者と戦う。
両手を上げた1メートル86の大きな体が、杜の都の夜空へ、6度舞い上がった。若い選手たちの力強さを背中で感じ、秋山監督は照れくさそうに笑った。その瞬間は午後6時44分に訪れた。3回攻撃中にマネジャーから知らされると目を潤ませ、何度も右腕を突き上げた。144試合目は敗れたが、もう関係ない。奇跡の逆転優勝のシナリオが完結した。
「宙に舞って気持ちよかったけど、ここまで長かった。1試合も気を抜くことなく、勝ちにこだわった野球をしてきた。その積み重ねが、この日。いやあ、疲れた」
残り6試合で、首位・西武とは3・5ゲーム差。絶望的な状況だった9月18日からの直接対決3連戦(ヤフードーム)、23日のロッテ戦(同)、ダルビッシュ相手の25日の日本ハム戦(札幌ドーム)まで5連勝。最後は西武が根負けした。
西武との天王山で「走者を進めてくれ」と指示した小久保が自ら2年ぶりの送りバント。選手たちは自分で考え、行動していた。「理想は自分が何もしなくていい野球。西武の時は1番から9番まで、何をすればいいか知っていた」。思い描いたのは13年間過ごした常勝・西武野球。最後の最後にそのレベルまでたどり着いた。
08年オフに最下位のチームを任されAクラスへ。2年目の今季はその上を目指すには新たな挑戦だった。西武時代のチームメート・高山投手コーチや、立花打撃コーチらと2軍の全試合のDVDをチェックすることを義務化。支配下全員の把握。自身も没頭のあまり試合前練習に出ない時もあったが、森福らニューヒーローの誕生という成果となった。
重圧から眠れない日も続いた。ナイター明けのデーゲームだった19日の西武戦前、どんな質問も「答えたくない」とはねのけた。不眠で疲労は限界点に達し、気管支ぜんそくでせき込みながらの戦いだった。1年目も体重が6キロ落ち、オフには人間ドックで精密検査。今季も開幕前90キロ台の体重は、87キロになった。大好きなゴルフも「(並んだ)道具を見ると、目が疲れるんだ」とショップからも足が遠のいた。
父の威厳を持つ王前監督に対し、「兄貴のような存在が理想」と言葉より行動で示した。1年目の秋季キャンプは97メートルの遠投、フリー打撃ではサク越えなど選手を驚かせた。今年は「最近、打球が飛ばなくなった」と衰えを感じながらも、春先は選手と試合後のウエートルームで積極的に筋トレもした。打つたび背中の骨と骨の間が詰まるような痛みを覚え、整体治療を受けても、バットを振ることは継続した。
球場へ向かう前、自宅の練習スペースで南国のゴルフ場の絵が描かれた壁へ数球、打つ。数少ない気分転換だ。「2日に1度ラウンドできたら最高だ」とぼやいたこともあったが、頂点のご褒美は思う存分クラブを振れる優勝旅行。その前にやることがある。お立ち台で指揮官自らが宣言した。「日本一を目指します」。プレーオフ、CSと04年から始まったポストシーズンは5度挑戦し、すべてはね返されている。新たな壁を越え、日本一監督への道を歩む。
≪家族は静かに自宅で祝福≫
秋山監督の千秋夫人(51)と、長女・真凛(まりん)さん(14)は福岡市内の自宅でその瞬間を見守った。家で野球の話をしないという夫人は、試合に勝っても祝福の言葉はかけない。「おめでとうと言うと、悪い時も言わなければいけないから。凄く苦労もあるんだろうと思います」。00年8月、2000本安打達成時にグラウンドで花束を渡した真凛さんは、アマチュアゴルフで全国大会に出場するなど活躍中。「最近も練習には一緒に行きましたよ。ゴルフの話題しか、会話はありません(笑い)」と話したが、一緒にラウンドした際は父に対し、パープレーで勝利。人気アイドルグループ嵐のCDを買ってもらったという。


ソフトバンク優勝!!秋山監督涙こみ上げた!最終戦で舞った!
秋山監督が仙台の夜空に6度舞った。優勝マジック1で今季最終戦の楽天戦(Kスタ)に臨んだソフトバンクは、デーゲームで西武が日本ハムにサヨナラ負けしたため、1リーグ時代を含めて7年ぶり16度目(ソフトバンクとしては初)のリーグ優勝を決めた。指揮官は王貞治前監督(70)=現球団会長=から引き継ぎ、就任2年目でリーグ制覇を果たした。日本シリーズ出場へ向け、10月14日から本拠地・ヤフーDでのクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージに挑む。
ずっと、信じていた。秋山監督は「疲れました。本当に長い144試合だった。最後まで、あきらめなかった。この気持ちが一番だった」と息をついた。144試合目で決めた、7年ぶりのリーグ制覇。ナインに身をゆだね、6度、仙台の夜空を独り占めにした。
いつもの冷静さを失った。3回の攻撃中に「西武敗戦」の一報が飛び込むと、大親友の高山投手コーチと握手、ベンチにいる全員に右手を差し出した。目が潤んだ。ゲームセットの瞬間、試合に負けはしたが「OK、お疲れ」と一言。2年間の苦闘が実った。
08年10月8日の就任会見。王前監督から大役を引き継いだ。球団から同じ背番号「89」を打診されたが「81」を選択。「現役で1をつけてたしね。指導者としても1番になりたい」。恩師の故・根本陸夫氏がダイエー監督時につけた同じ番号で、荒波に身を投げた。
船出となった昨年4月3日の開幕戦(対オリックス)。両親とともにヤフーDの一室へ入った。「僕の野球を捨ててもらっても構わない。やりたい野球、自分のカラーを出しなさい」。王会長の激励だった。選手、コーチ時代からの恩師。熱い言葉に勇気をもらった。
就任1年目は前年の最下位から3位に押し上げた。だが、CS第1ステージで楽天に連敗した。「過去の実績、名前は関係ない。力のある人間が残っていく世界」。色眼鏡を捨て、主力の危機感をあおった。その象徴が松中だった。
4月28日の楽天戦(ヤフーD)。第1打席で空振り三振し、打席でしきりに首をひねる姿で決断した。打率1割9分7厘、2本塁打、10打点。試合後、監督室に呼んだ。「軸となる人間が自信をなくしている。そんな姿を見せちゃ絶対にダメだ」。99年以降、故障以外でファーム落ちすることがなかった元3冠王。前監督が「不動の4番」と信頼した男でも、容赦はしなかった。
「1年1年が勝負。ダメなら次はない。そう思ってやってきた」。今季が3年契約2年目。結果が出なければ「辞任」の覚悟だったからこそ、聖域にも踏み込んだ。
史上まれにみる大混戦に肉体は悲鳴を上げた。首、肩の凝りは取れず、現役時代からボルトが入った腰は痛んだ。体重もベストから4キロ減の85キロ。趣味の筋トレもやめた。「もう、バック宙なんかできないよ」。西武時代にはアクロバチックな動きで声援を浴びたスター選手。眠れぬ夜はアルコールの力を借りた。かかりつけの医師が処方する胃腸薬にも手が伸びた。
ボロボロになっても、闘志は衰えなかった。完封負けを喫した16日のロッテ戦。西武の優勝マジックは「4」。試合後、千葉マリンの一室に選手、コーチ、スタッフ全員を集めた。「可能性がある。絶対にあきらめんぞ。プライド、意地を見せようや!」。今季4度目で、最後の全体ミーテイング。千葉マリンに響いた大声が、底力を呼び起こした。
18日からの西武戦(ヤフーD)を3連勝。23日のロッテ戦(同)で単独首位になり、一気にゴールテープを切った。摂津、ファルケンボーグ、馬原の方程式を確立し、チーム盗塁数(148)は2年連続で12球団トップ。自らの現役時代と同じ「走攻守」そろった集大成だった。
「3月の1試合目から気を緩めず、勝ちにこだわってきた。本当にうれしい。また、日本一を目指してやっていきたい」。選手として西武で8度、ダイエーで2度の優勝経験。「9・26」は、生涯忘れない瞬間になった。


鷹、熱パ大逆転V!王さんの前で決めた
就任2年目の秋山幸二監督(48)率いるソフトバンクがダイエー時代の2003年以来、7年ぶりのリーグ優勝を果たした。26日、ナイターの楽天24回戦(Kスタ宮城)に3-8で敗れたが、デーゲームで西武が日本ハムに負けた時点でV決定。南海時代の10度、ダイエー時代の3度と合わせて通算14度目。1リーグ時代を含めると、通算16度目のリーグ制覇だ。秋山監督に“帝王学”を伝承した王貞治球団会長(70)も喜びを分かちあった。
こみ上げてくる喜びが全身を突き抜けた。ゆっくりと歓喜の輪の中心に歩を進めた秋山監督が、仙台の夜空に両手を突き上げて、6度舞った。
「144試合目(最終戦)での優勝。本当に長かったし、ホッとした。気持ちも宙に舞っていました」
午後6時44分、松中が打席に入っていた三回の攻撃中、札幌から西武敗戦の一報が舞い込んだ。7年ぶりの優勝。拳をグッと握った指揮官は、塁上の選手、ベンチ内にガッツポーズで“伝達”した。
最下位に沈んだ2008年オフ、14年の長期政権を築いた王監督のあとを継いだ。どうかじを取るべきか悩んだが、師の言葉で吹っ切れた。「好きにやったらいい。秋山カラーを出してくれ」。ハラを決めた。
「ベンチを見て野球をするな。野球をするのはグラウンドだ」。就任直後、選手にいい聞かせた。チーフコーチ時代、監督の顔色をうかがう姿がもどかしかった。戦術面では主軸の小久保らにも犠打を命じた。西武時代に培った緻密な野球を導入し、大砲頼みの不安定さから脱却した。
苦しいシーズンだった。夏場は食事のはしが進まず、何度も眠れずに朝を迎えた。最近は気管支ぜんそくを隠しながら指揮を執った。心の救いは、5月に女子プロゴルフツアーに初出場した長女・真凛(まりん)さん(13)の存在だ。
時間が合えば、自宅横に建てた練習場で一緒にクラブを握った。「一番、癒されるな」。休日だった21日にも福岡県内で一緒にラウンド、心の洗濯をした。
そんな秋山監督を温かいまなざしで見つめていたのは王球団会長だ。グラウンドでガッチリ握手を交わした。
「本当に素晴らしい戦いだった。みんながよく頑張った」
06年に胃の全摘出手術を受け、監督最終年(08年)は最下位に終わった。退任直後には野球を教えてくれた兄の鉄城さん、今年8月には母の登美さんを亡くすなど身内の不幸も重なった。チームの低迷とともにつらい時期を味わった数年間だったが、教え子が恩返しをしてくれた。
「僕の時は(CS突破の道を)切り開けなかった。秋山監督が流れを変えて、クライマックスシリーズはソフトバンクの歴史をつくるために乗り越えてほしい」。2005年からファームの指揮官に命じ、帝王学を学ばせた男がついに頂点に立った。
「日本一を目指してやっていきたい」と秋山監督。残り6試合で3・5ゲーム差をひっくり返す大逆転で、史上空前の激戦を制した。ソフトバンクとして初優勝。11年前、ダイエー初優勝時の主将だった“王イズムの継承者”が、クライマックスシリーズ突破、日本一へとチームを導く。






「辞める前にもう一度」…小久保、試合中に感涙
指揮官に続き、主将は3度宙を舞った。晴れやかな笑顔。ソフトバンク・小久保はナインとともにファンが待つ右翼に向かうと、自らが音頭を取って万歳三唱を繰り返した。
「辞める前にもう一度優勝したかったので本当にうれしいね。胴上げは監督に気を使ってもらったよ」
優勝決定はネクストサークルで知った。その裏、一塁の守備位置で涙をあふれさせた。「気にするなというほうが無理。(日本ハムが)勝った瞬間に緊張の糸が切れてしまった」。昨年CS第1ステージ。同じKスタ宮城で楽天に連敗し09年が幕を閉じて小久保は号泣した。あれから1年。同じ球場でリーグ制覇を成し遂げ「仙台で悔し涙を流して、今度はうれし涙をね。ここは縁があるんだなあ」と振り返った。
前回リーグ優勝した03年は開幕前に右ひざを負傷してシーズンを棒に振った。この喜びを味わうのは00年以来で「実質10年ぶりやね」と笑う。そこまでの道のりは長かった。「主将をやらせてください」。02年オフ。当時主将だった秋山監督が引退し後任を申し出たが、その機会はなかった。
だが当時の球団社長との衝突で03年オフに巨人に無償トレードされると、その巨人で06年に主将に就いた。「物凄くいい経験。自分のことだけではなく連帯責任でも怒られる。得るものは大きかった」。06年に王監督(現球団会長)の胃がん全摘出手術。そのオフに恩返しのためFA宣言して古巣に復帰した。昨年就任した秋山監督から主将を任され、迎えた2年目。主将マーク「C」を胸に若手を厳しく指導した。鬼の形相で怒鳴ったり、熱っぽく野球論を説いたり。6月には首痛などで1カ月離脱。外からチームを眺め、甘さに気づいた。戦列復帰すると主将の厳しさは増した。
「それが今置かれている役目。残り5試合でチームはたくましくなった。若手もいい経験をした。勝つことですべてが報われた」。王手をかけていた通算400号は今季最終戦でも打てなかった。だが小久保は「来年の楽しみに取っておくよ」。10月で39歳になる4番は力強く言った。

鷹・小久保ウルウル、主将で秋山監督支えた!



  

どっちが獲る?鷹・和田&杉内MVP舞い
今年はみんなで頑張ったばい!! 秋山監督、小久保主将だけではなかった。ソフトバンクの先発陣を引っ張った17勝(8敗)を挙げた和田毅投手(29)と、16勝(7敗)の杉内俊哉投手(29)も胴上げされた。MVP候補の両輪はもう、クライマックスシリーズ(CS)で泣かない。
驚きの演出だ。誰もが、その貢献度を知っていた。秋山監督に続いて小久保主将、選手会長の川崎を胴上げ。そのあとに指名されたのはMVP候補の左腕2人だった。
杉内、和田の順で仲良く3度ずつ。差し出された無数の手から、感謝の思いで持ち上げられた。
リーグトップタイ17勝を挙げた和田が「やってもらえると思っていなかった。メチャクチャうれしいです!! 1回で落とされると思っていたし…。名前を出してもらって光栄でした」と瞳を少年のように輝かせた。
16勝7敗の杉内は「最高です。このためにやってきたからね。きのうは泣いたけど、きょうは泣いていないよ」と笑った。前日25日の日本ハム戦(札幌ドーム)でダルビッシュと投げ合い、1-0完封。ヒーローインタビューで感極まって号泣したが、この日は優勝の喜びに浸った。
前身のダイエー時代を含め、覇権から遠ざかった6年間はポストシーズンゲームの悲哀を味わい続けた。優勝を決めるプレーオフ(当時の名称)が導入された2004年と05年はレギュラーシーズンを勝率1位で通過した。
しかし「2位に5ゲーム差以上」なら得られる1勝のアドバンテージに2年間とも「0・5」不足。くしくも2度続けて全5戦の激闘の末に敗れ、日本シリーズ進出を逃した。リーグ優勝にとどまらず、CSでのフル回転。他球団がうらやむ計33勝左腕コンビが日本一への両輪になる。
杉内は「CSに向けて調整して、監督を胴上げできるように頑張ります」と先を見据えた。2人の黄金左腕が、歴史の扉をこじ開ける。

2人で33勝!和田&杉内、感激の胴上げ


ソフトバンク、優勝渇望した6年間…
ソフトバンクほど優勝を渇望したチームはなかったかもしれない。だがこの歓喜の先には乗り越えなければならない戦いが待っている。
ダイエー時代を含めて覇権から遠ざかった6年間、ポストシーズンゲーム(PSG)の悲哀を味わった。優勝を決めるプレーオフが導入された2004年と05年、レギュラーシーズンを勝率1位で通過した。しかし「2位に5ゲーム差以上」が条件の1勝のアドバンテージに2年とも0・5不足し、結果的にはともに全5戦の末に敗退した。
切実な願いが届いて無条件で1位に1勝が付いた06年は3位。勝ち進んだ第2ステージではそのアドバンテージに泣いて2戦2敗で散り、本拠地に移る第3戦に持ち込めなかった。
だからこそ、苦い体験をした川崎や松中らは久々の優勝だけに満足はしていないだろう。1勝の優位を初めて手に臨むクライマックスシリーズ。PSGの無念を晴らさなければ7年ぶりの日本一はない。


ソフトバンク・多村、優勝の大きな原動力に
多村、感無量「王会長にやっと恩返しができた」

最終戦で“滑り込み”セーフ!本多、盗塁王確定
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川崎、来オフメジャー!!…ソフトバンク

ソフトバンク優勝!喜びの選手談話集
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