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今、自分が出来ること。やれること。それを精一杯やっていかなくちゃ!!

コラム記事【12/31】

2022年12月31日 15時56分19秒 | マリーンズ2022
≪12/31≫


言葉は大事に扱っているつもりだが、息づかいを活字にするのは難しい。「すぅー」だろうか。ロッテ山口航輝外野手(22)に、将来欲しい背番号を尋ねたのは今年1月、ロッテ浦和球場でのことだ。

「特に何も考えてはないですけど。51番っていう番号はいいと思いますし」
そう言ってから「すぅー」と寒気を吸い込んで、落ち着いてから自分のタイミングで足した。

「ま、欲しい番号って言われたら、あの、まぁ、3年くらい20、30本頑張って、9番は欲しいなと。そんな簡単にもらえる番号じゃないと思うんで。そんな、誰もが付けられるような番号じゃないのは分かってるんで。9番を目指して」

9番。レジェンドと呼ばれた福浦和也ヘッド兼打撃コーチ(47)が現役時代に付けていた背番号だ。

そこへの思いを口にした山口は、21年に9本塁打を放ち、覚悟をさらに深めたプロ4年目を過ごした。1試合3発を含むシーズン16本塁打で終えた。「開幕スタメンで出られずに悔しい思いをして、どうなるかなというところからスタートしましたけど。何とか最後いい形で終われましたし、まぁまぁできたんじゃないかなと思います」。そんなふうに総括した。

悔しさをバネにする。負けず嫌い。「自分の中でもあると思います、けっこう。どっちかというとそういうタイプなんで。表には出さないですけど。中で隠すタイプだと思うので」。吉田輝星の金足農に敗れ、秋田での高校野球を終えた。「あいつを抜かせる未来に」と堂々口にした。

昨季、3年目の飛躍のかげにも悔しさがあった。チームがコロナ禍に見舞われた20年。シーズン終盤は選手総動員での戦いを余儀なくされたが、2軍で実績を出し始めていた山口が1軍に呼ばれることは最後までなかった。

「そこが今、頑張れてる理由というか。野手でほぼ自分だけ1軍に上がれなかったので。本当に悔しい思いでした。今までの野球人生でも一番といっていいくらい、悔しい思いをしたので」

なぜ自分は最後まで呼ばれなかったのか-。首脳陣に真意を確認する機会はなかったようだ。悔しさをバネに鍛え続け、プロ5年目を迎える。今季の最終戦に放った16号3ランは、パ・リーグの優勝チームを決定づける1発に。ある意味、パの歴史を変えた。

「喜んでいいのかも分からへんかったし。打った瞬間。複雑っていうか、あんまり、ああいうのはないと思うんで。不思議な感じの1発になりましたね」

今度はチームの4番打者として、パの主役を目指す。「4番を打たせてもらって、その後外れた時に、やっぱり4番っていい打順だなとあらためて思ったので。チームの顔になると思うので。4番が打たないと試合に負けることも。どれだけ重要な場所かというのは理解したので」。

自覚も芽生えた若きスラッガーを、芽吹かせた側はどう見ているのだろう。井口資仁前監督(48)は以前、20年終盤に山口だけを1軍に上げなかった理由を明かしていた。

「山口にはちょっと鮮烈なデビューをさせたいというのは、こっちもありましたし。あそこで上がってすぐ落とすというよりは、下でしっかりとやらせたいというところでしたかね」

主砲への道筋はしっかり描かれていた。2023年が始まる。豪快に応える時だ。【金子真仁】

(日刊)

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<ニッカンスポーツ・コム/プロ野球番記者コラム>

担当球団替えに伴い、ロッテ佐々木朗希投手(21)を追う旅がひとまず終わる。大船渡高時代には総移動距離約2.5万キロにわたって追い掛けた。プロ入り後はもう計算もしていない。生で見たのは約4年間で33試合、合計3628球。そろそろ高校時代の相棒、及川恵介捕手(東北学院大3年)に並んだり、抜いたりしているかもしれない。

私が思うベストピッチはいまだに、初めて取材した19年3月31日の練習試合・作新学院(栃木)戦だ。ベストボールはその数日前。千葉・富津の浅間山運動公園にあるブルペンで見た初マウンド。捕手役の同級生がおびえながらミットを球威で持っていかれた球が、記憶にこびりつく。完全試合を目撃してもなお「初めて」の衝撃に勝るものはない。そんな投手だ。

希代の才能を追い掛ける過程で、洞察力のすごさをずっと感じてきた。私は取材現場で、報道陣で群れ続けるのがあまり好きではない。練習も時間を見つけ、1人で目立たない場所で見るようにした。時には木々の茂みの合間からこっそり、球筋などを見たこともある。そういう時こそなぜか不思議と、佐々木と目が合う。

こんな話も耳にした。私が公休だった日に、井口監督(当時)のオンライン取材が行われた。偶然その場を通り過ぎた佐々木が、5秒ほど画面に登場した。映っているのは10数人から20人近い、各社の記者。日刊スポーツも私の代わりに別の記者が参加していた。佐々木は画面から目を離すと「日刊、担当変わったんですか?」と関係者に問いかけたのだという。

18歳、19歳にして、多くの大人たちから一挙手一投足を見られる、撮られる。プレッシャーも警戒心も半端なものではないだろう。一方で、この記事序盤で書いた「ベストボール」をスマホ動画で撮影したものを佐々木に示すと、私のスマホをひょいと受け取ってじーっと凝視し「この時のフォームが一番いいですね」と笑ったりもする。球史に残る逸材とはいえ、まだ多感な青春期。コメントが渋い時もあれば、確実にウケ狙いでつぶやく時も。いろいろな表情があるのも、また魅力的、もっといえば“神秘的”だった。

完璧主義、ストイック、と周囲は言う。マウンドにいるからか、孤高の存在に見えることもある。だからこそ、先日の報道写真展での「僕だけよりも、チームメートと撮られているほうがうれしいなと思います」という言葉は響いた。学生時代から、周りを気にかけつつ、類いまれな才能を伸ばしてきた。

どこまでの投手になり、それを支える思考はどこまで深いものになっていくのか。「なぜ岩手から続々と怪物が?」も含め、多くのナゾが解けぬまま。今後もこっそりと注視していきたい若者だ。

ロッテと同じくらい、もしかしたらそれ以上に佐々木朗希を追い掛けていたかもしれない西武ライオンズの取材を、年明けから担当します。千葉ロッテ関係者の皆様、ファンの皆様。3年間お世話になりました。ありがとうございました。【ロッテ担当 金子真仁】

(日刊)

金子さん、3年間、愛に溢れたたくさんの素敵な記事をありがとうございましたm(_ _)m



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