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旅と山歩き・街歩きの記録です 今を語りながら過去も振り返って

遊園地も今は無い! 犬山遊園地・木曽川:愛知県犬山市

2012-06-28 11:40:13 | 思いでの写真館



 無邪気にメリーや回転ブランコで遊んでいるのは中学一年生、「犬山遊園地」への遠足の一コマだ。現代の豪華設備のコースターなど充実したテーマパークと異なり電気自動車や回転木馬など、今では幼児しか興味を示さない遊具が中心だったと記憶している。何しろ昭和28年の秋、終戦後8年しか経っていないのだから・・・。「おとぎの城」の中に何があったかも記憶にない。



 名鉄犬山線、犬山遊園駅のすぐ傍であったことは間違いないが“犬山・テーマパーク”で検索をかけても「モンキーセンター・明治村」が現れるだけ!それでもかって訪れた記念すべき遊園地の来歴など少しは記録がないものかと・・・断片的にいくつかの事実は知ることが出来た。
 駅名は当初犬山橋駅であったが犬山遊園駅に改称されたのは、駅近くに作られた「犬山遊園地」に因むのであろう事は想像出来る。が、それを裏付ける資料が見あたらない。しかも開設の時期や廃止の時期・事情も定かでない。・・・資料を見つけられない。それでも現在の名鉄犬山ホテルの広い敷地の一部が遊園地跡地らしいことを知ることが出来た。

 引率の教師が射的に興じているが、今の時代この写真がモンスターペアレンツの目にとまったらおそらく引責問題に発展しかねないが、写真がアルバムに残されている“良き時代”であった。



 別のサイトで調べてみてやっと「犬山遊園地」の文字を見つけることが出来た。『大正~戦後にかけて活躍した画家吉田初三郎は、各地の都市や名所、鉄道沿線を独自のパノラマ手法で描いた鳥瞰図が有名です。初三郎は大正12年、後援者の名鉄の社長の好意で犬山に本拠を移し、当時「日本ライン」として売り出し中だった犬山周辺を題材にした作品を次々に発表し、犬山観光のPRに大きく貢献しました。』『昭和15年に発表された日本ライン図絵には当時の犬山の様子が手に取るように精緻に描かれています。犬山城の下を流れる木曽川には帆船が行きかい、現存する犬山橋のほか洋館の犬山ホテルや和風の彩雲閣、犬山遊園地、城山荘、後藤別荘など、今はなき当時の建物の姿が鮮明に描かれています。』

 その日本ライン・木曽川は犬山遊園のすぐ脇を流れていて、遊園地の後は川原で憩っていたようだった。対岸は岐阜県各務原市であり、このころは道路併用の鉄道橋犬山橋を越えると名鉄犬山線の終点鵜沼駅がある。



 この時が犬山遊園へは初めてであったかは定かでないが、犬山城の画像もなく記憶が取り戻せないでいる。その後も実家家族と鵜飼いに行ったり、子供たちを引き連れた家族旅行の折も含めてこの地にはずいぶん多い回数訪れているはずだから、いずれ白亭城(犬山城)なども見られそうだ。それにしても世の中の変遷・流行りものの変化は予測を超え、遊園地などは今や機械化されたテーマパークが主流になり、夢とロマンをコンセプトにした「多摩川園」「向ヶ丘遊園」「二子玉川園」「横浜ドリームランド」など子供たちと遊んだ施設はすでに消え去っている!!



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