北へ南へ、東へ西へ

旅と山歩き・街歩きの記録です 今を語りながら過去も振り返って

移転ご挨拶

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絵心がないばかりに! ロイヤル・ヨーク・ホテル:カナダ・トロント

2009-12-05 10:49:26 | 異邦の風景

2000年CANADAの旅・エピローグ:

 ツアー8日目最終日、7月1日、カナダのお祭り建国記念日であったが、見物は出来ず朝食後直ちに空港へ向かった。なにしろバンクーバーまで4時間、乗り継いで帰国便は9時間30分程かかる長旅だった。出発前、めいめいロビーで旅の余韻を噛みしめているようだった。ロイヤル・ヨーク・ホテルのロビーは長居をしたくなる雰囲気だった。



 写真を整理していて片隅の螺旋階段に気が付いたのだが、後からこれも名物の一つ、地下にはショッピングアーケードもあったことを知った。もっとも買い物する余裕は最初から無く、螺旋階段を上り下りしなかったことだけが残念なのだった。



 フィルムは10本持参したが、途中買い足し都合11本370枚程になったが、確かに撮したはずの画像が数枚見当たらない。残ったフィルムは全て手元にあるから、ファインダーを覗いて構図を決めて、シャッターを押してないカットがあったようだ。意識の中ではその画像が鮮明に残っているので、錯覚なのか意識下での出来事か、定かでない・・・。

 山の上の展望台で、ホテル前の氷河湖の畔で、その他“絵“になる所で、キャンバスを広げ筆を振るったり、デッサンに励んでいる姿を多く見かけた。ツアーの途中で時間的余裕がないなど言い訳で、画才が無く絵が描けないだけ・・・。せめて撮った写真の中から色彩の良い画像を選んで、デジタル処理でパステル調を表現してみた。



 それでも写真の画調を離れられないので、思い切って油彩のボタンを押したらこんなになってしまった。



 確かに油絵調ではあるが、何を描いたか分からなくなってしまった。デジタル処理でも“絵“にならない話!!!そして、CANADAの旅の思い出とサ・ヨ・ウ・ナ・ラ・・・・・・・・・さよなら!!!


老舗ホテルで終わり良し! トロント:カナダ

2009-12-03 11:24:44 | 異邦の風景

2000年CANADAの旅・その28:フェアモント ロイヤル ヨーク ホテル

 『1929年オープンの歴史を感じさせるヨーロッパの古城のような外観と内装。トロントでも代表的な老舗ホテル。フェアモント ロイヤル ヨーク ホテル』とガイド本にあった。



 「フロント駅前に聳え立ち」の形容がぴったりの姿であった。



 ホテル着後、今回ツアーでは最後の会食となったので、全員がテーブルに着いた。例によって名古屋グループはワインの銘柄選びで盛り上がっていた。初日のバンクーバーでのウエルカム晩餐に始まって、VIA鉄道の展望パークカーではワインで盛り上がり同乗の客からひんしゅくを買っていたと、後で他のメンバーから聞いた。確かに行程中ツアー提供の食事では、昼夜ともワインの瓶がテーブルに並んでいたことを記憶している。多人数だったので、余計に目立っていたのであろう。

 それでもそのグループのメンバーの一人、初日にパスポートを紛失というより置き引きされた件、添乗さんとJTBの現地駐在員の素早い手配で、帰国証明が取れたとその時聞いた。さすが最大手代理店、手配は上出来だった。一番の難点だったのは、写真撮影だったと説明を受けた。日本では都会地なら主要駅構内に簡易撮影機が設置されていて、数分で適切な写真が得られるが、外国では先ず不可能であったようで、夜間写真屋を口説いてなんとか間に合わせたとのことだった。そのことを聞いていたので、最近の海外旅行では、パスポート取得時に使った写真の余った分を持参することにしている。

 参加者の中でもっとも若いと思われる夫妻は、ほとんど同行者とはうち解けず、食事も他より早く終わらせ退席していた。時間を有効に活用して付近の観光をしている模様だったが、我々夫婦もどちらかというと早めに退席し、周辺を徘徊するようにしていた。最後の日、トロント観光の時間は予定されていなかったので、若夫婦を追うように旧市役所方面に向けて出かけていった。日付は既に6月30日となっていた。翌日7月1日はカナダ・デー建国記念日、街角には花飾りなどの装飾がされていた。トナカイなのかヘラジカなのかはっきりしないが、この張りぼてもお祭りには必要なのであろうか。



 途中件の若夫婦が戻ってきたが、州議事堂まで行かれたとにっこりしていた。ツアー中親しく口をきいたのも、笑顔を見たのも初めてだったが、他のメンバーが酒盛りで盛り上がっていた中、旅への思いが同類項と理解したようだった。旧庁舎まで行ったが、さすが日の暮れの遅いカナダでも既に暗くなり始めていたのでそこまでと諦め、ホテルに戻った。歴史を感じるロビーへのアプローチは、観光地の雑然とした雰囲気と異なり、重厚さを感じた。



クラシックな佇まい ナイアガラ:カナダ

2009-11-30 16:33:16 | 異邦の風景

2000年CANADAの旅・その27:ワイナリー&オンザレイク

 カナダの旅も終盤に近づいた。スカイロンタワーでの昼食を終えて地上に降り、最終宿泊地のトロントへ向けてバスは走り出した。途中2カ所に下車観光するという。最初はワイナリーであった。葡萄畑の真ん中に古めかしい装飾の(本来の姿なのか再現したのかは定かでないが)建物がでんと居座っていた。看板には“BOUTIQUE OPEN”とあったのでショップと云うことか・・・。



 一旦全員が中に案内されて、幾種類かのワインを試飲した。メインのアイスワインの試飲は有料となっていて、なめるだけ程の量のグラス1杯が10C$(800円??5C$だったかも??ワンコインを払ったので??)程と記憶している。買うつもりはさらさら無かったが物は試し、印象は甘~~い!としか云いようがなかった。何しろ夫婦で1杯、舌の上に染みこんでしまうくらいの量では喉越しを味わう程ではなかったのだ。それほど高価だと云うことなのだが、名古屋から参加したツアー最多の7人のグループは、このアイスワインが最大の目的とあって、免税点ぎりぎりの量(一人は税金を払ってもと機内に持ち込める量を計っていたが)を求めていた。一体販売価格はいくらなのかは聞かなかったが、それでも日本国内で求めるより安価なのであろうか??普段ポピュラーワインしか飲まない、否!飲めない身にとっては、縁のない話だった。

 買い物に関係ない輩は、表の葡萄畑の中を散策していたが、手持ちで運ぶ荷造りに手間取っているのか、かなりの時間を費やしてしまっているようだ。(現在では、テロ対策で液体は機内に持ち込めないから、梱包は更に厳重にしなければならないはず!)添乗さんは、売り上げアップが叶って中でお付き合いしているようだった。おかげで次の立ち寄り地の「ナイアガラオンザレイク」での散策の時間がほとんど無くなり、駆け足で街中を走り回る羽目になった。古い町並みの残るしっとりとした街だったと記憶しているが、バスの発車時間を気にして写真はほとんど撮っていなかった。雰囲気はこの画像の如しではあったが・・・。



 トロントに到着しホテル前に降り立つと、ひときわ際だつCNタワーが出迎えてくれた。



観光写真の定番 ナイアガラ瀑布:カナダ

2009-11-27 14:21:42 | 異邦の風景

2000年CANADAの旅・その26:スカイロンタワー

 ナイアガラ瀑布一番のビュースポット、スカイロンタワーが青空にそびえ立っていた。



 その他にも同じようなタワーはいくつか見られ、それでもタワーに登らずともホテルは高層で、最上階のレストランやラウンジからは同じような眺望があるようだ。昼近くになってフリータイム終了、昼食場所のスカイロンタワーに移動した。眼下にはナイアガラ瀑布の全景が迫っていた。



 この景色観光雑誌で度々見る。多くはヘリコプターなどの上空からの撮影であろうが、このレストランからなら居ながらに眺められた。室内にも工夫があり、外形は円形で角がないので眺めが良く、窓際を離れ円の中心側は一段と床が高くなり、窓際の席の頭越しに滝が見られるようになっていた。食事時間に合わせた速度で身体には感じないが、静かに回転移動する構造であった。席に着いた時は丁度滝側に位置していたので、感激もひとしおであった。日本でもかってビル最上階の回転レストランが盛んだったことを思い出す。確か有楽町の交通会館、横浜ドリームランドのホテルなど、物珍しさに行った思い出がある。

 カナダ滝の円心辺りでホバリングしている船は、吹き上がる水しぶきが霧のようで、“霧の乙女号”のネーミングに何故か納得した。



 回転方向の後方には、雄大なアメリカ滝もその姿を現していたが、何故か普通滝の落下地点にあるはずの滝壺はなく、岩が重なっているように見えた。滝の後退による崩落が進んでいるのであろうか?



 食事の後半になると、滝側を離れリゾート地としてのナイアガラの街が広がっていた。威風堂々のシェラトンホテルの向こうに聳えているタワーは、カジノと聞いていたが、果たして??ギャンブルは嫌い??イエイエ元手が不如意!!!



 タワーを降りて地上に降り立って見渡すと、自然のままの瀑布に対面してロンドンバスやそそり立つ世界ブランドのホテル、世界の観光地のベストに入る彼の地の実態は、自然と虚飾のアンマッチの魅力なのであろうか?もう一度訪れる??答えは“ノン!!!!”しかしこの景色、一生に一度は見るべきの思いは有り、“実物”を見て満足はしている。

   


吸い込まれそう!! ナイアガラ瀑布:カナダ

2009-11-26 13:32:11 | 異邦の風景

2000年CANADAの旅・その25:霧の乙女号

 泊まったホテルはJTBのガイドには「フォール ビュー」すなわち滝の見える部屋だったのだが、見えることは見えたが・・・木を切れば!

 

 念のため、ツアー一行で親密になったご夫妻の部屋を訪れてみた。同じ階並びだが角部屋の筈で少しは見えるようだったが・・・。

 

 朝食後すぐに“霧の乙女号”乗船場に移動(上の縦写真の上方車の止まっている場所が入り口)、乗り場のある川岸からつづら折れに手摺りで区切られたスロープが作られていて、乗客は前から順番待ちをしていたが、既にかなりの数がウエイティングとなっていた。行列に入る前(エレベーターで下りたような記憶もあるが)ビニールのポンチョが配られた。滝近くでは飛沫と風に晒されるという。600名定員の船が数台で運航していて、これだけの員数でもかなり早く捌けていけそうとガイドがあった。船上は身動きできない程で、もちろん滝を眺める都合の良い方への移動などは望め無かった。それでも定員毎に区切りをつけるのだが、かなり良い順番であったので中段舳先をなんとか確保が出来た。

 もちろん乗船中は撮影など及びもつかなかった。もっとも、飛沫が作る霧雨の中、滝は朧気にしか見えず、臨場感を味わえばそれで良しなのだ。下船後昼食場所への移動前のフリータイム、急いで展望スポットのテーブルロック迄行ったが、更に上流の様子も見たくなって遡ってみた。幅広い浅瀬のあるような揺ったりした流れだった。対岸のビルは、アメリカなのであろうか・・・。



 滝口が僅かに見える所迄戻ってみたが、流れはまだ揺ったりとしていて、何処が滝なのか?流れが途切れた所???不思議な思いだった。



 ごく平凡な流れも更に滝口近くまで戻ると、突如崖下に水が落ち込んでいく様だった。揺ったりした流れが滝に変わる、直前で流れは多少波立ち早くなるようだが、その先に滝があると思える程の変化でもない!まか不思議な感覚に襲われた。



 テーブルロック迄戻り張り出したテラスに立つと滝の全貌が見えたが、霧に霞んで姿ははっきりしなかった。



 半円を描くカナダ滝の中心辺りで、霧の乙女号がホバリングしていた。さっきまであそこにいたのが、ずっと前の話の様に思えた。



 昔は樽で、最近はカプセルの中に単身潜り込んで滝を落下する映像をTVで見た記憶がある。放映されたのが何時だったのか、滝はナイアガラだったのかはっきり覚えていないのだが・・・。この高さと水量で実際可能なのであろうか???

 対岸のアメリカ滝が、おとなしく見えるのは錯覚なのであろうか!



七色のライトアップ?!? ナイアガラ:カナダ

2009-11-24 09:33:33 | 異邦の風景

2000年CANADAの旅・その24:ナイアガラ瀑布

 “霧の乙女号”は夜も運行されているようだった。ライトアップされたナイアガラ瀑布、アメリカ滝はホテル正面にあった。



 それにしても無理にレインボーにこじつけたようで、何か場末のキャバレーのイルミネーションのよう、期待した「素晴らしい~~!」の歓声は全く聞かれなかった。もっとも、ライトアップされていなければ真っ暗闇で、流れ落ちる水の轟音が聞かれるのみかもしれないので、これで良しとしなければならないか!?!

 空港でのトラブルでホテルに辿り着いたのは深夜と呼べる時間、この日の夕食はフリーとなっていたので、最上階にあるレストランで滝見の食事としたかったのだが、添乗さんは全員で和食のレストランに行くことを提案した。かなり強引でありやはりノルマの一部かとも思えたが、カナダでの和食も一興とツアー全員同調することにした。幸い低層階ではあったがホテル自体が小高い所にあったので、食事をしながら滝見をすることが出来た。新宿に来たかの如く街全体が不夜城の様相で、アメリカ国境のレインボーブリッジもライトアップされていた。アメリカとの往来は盛んで入出国の手続きも簡単と聞いた。



 カナダ滝は隣のホテルの影で眺められなかったので、食後深夜にもかかわらず煌々とネオン輝くメイン道路を滝の方向まで降りて行った。川岸の観光船乗船場辺りは公園の様子で広場や川に突き出したテラスがあり、じっくりとライトアップされたカナダ滝も眺めることが出来た。



 かなり遠くから投光しているのであろうから管理も経費も大変なことで、観光で持っている町としてのサービス、がんばっているようだ。現在のデジカメなら感度アップの操作でかなり鮮明に撮れるのだがこの頃は銀塩フィルム、ブレブレでやっと選べたのがこの画像、やっぱりボケボケブレブレ!!!滝から目を上に向けると「スカイロンタワー」、こちらはすっきりとしたライトアップとなっていた。



 既に時刻は翌日となっていたが、不夜城のような町、車も人も絶えることはなかった。ホテルへ帰ると、空港で別れた“近ツー”ご一行様がやっと到着していた。これから食事の模様、「和食食堂の冷ややっこが一番美味しかったよ!」と声をかけたくなった。「やっこはカナダに限る」(目黒のサンマ・やっこ版???)

附記:暴走族もどきにけたたましく走り回る車の騒音と、甲高い雄叫びに朝まで悩まされたのだった。アメリカから橋を渡ってやってくるヤンキーの暴走族だとか!


町はずれにスキー場が カルガリー:カナダ

2009-11-21 12:22:48 | 異邦の風景

2000年CANADAの旅・その23:カナダ・オリンピック・パーク

 1988年2月冬季オリンピックが開催されたスキー場は、スキー場の機能はそのままに整備され記念の公園となっていた。五輪旗とカナダ国旗がメインポールに、参加国の国旗も風に翻っていたが、その先には市街地が迫っていた。



 ダウンタウンから車で僅か15分程の位置となるが、海抜約1,000mの高地の上、北海道より更に北に位置しているので、札幌や富良野・上越等日本では数少ないが、山へ登らずとも市街地の近くでもスキーなどのウインタースポーツの可能な雪や氷が得られるのであろう。雪のない時期のシャンツェやゲレンデは、巨大に感じる一方寂しげでもある。



 派手な彩色の建物を覗いてみたが、食堂などもありセンターハウスの役割を持っているのであろうか。



 12時に空港からトロントへ向けて飛び立っているが、昼食をした記憶がないので機内食であったのであろうか!記憶が・・・トホホ・・・。トロントまで行程表では2時間余だが、時差があるので多分4時間のフライトと、これは記憶している。ロッキーを下りて平原はこの先1000km余りも続いている。VIA大陸横断鉄道で飽く無く眺めていたい思いが強いのだったが、そんな企画のツアーはないので個人旅行を組む外はない。それでもその日は快晴、窓から見下ろすと無限とも言える広がりの平原が見られた。農場であろうか牧草地なのか上空からは定かでなかったが、きっちりと升目に道路で区切られた緑の大地、一辺が数kmはあるのであろうか、決まった方向の片隅に家屋らしき物が建っている様子が見えた。

 定時にトロントの空港に着陸したのだが、誘導路に入った所で進行が止まってしまった。しばらくして添乗さんがやって来て事情を説明した。夕方雷と夕立が激しく、しばらく着陸できずに多くの飛行機が上空旋回を繰り返し待機していて、やっと回復し着陸の終わった所へ我々の便が到着、待機することなく着陸は出来た。が、ターミナルのタラップでの乗り降りの処理が間に合わず、順番待ちになっていた。窓から前方を見ると複数列、延々と飛行機が並んでいてそのかず十数機?数十機、トンボの行列であった。

 陸上に降り立っても迎えのバスが来ない。空港前の乗降所に余裕が無く乗客待ちの待機は許されない。駐車場は十数キロ離れた所にあり、乗客がゲートを出てから駐車場を出てくる決まりであったので、駐車場の出口、連絡道路が大渋滞になってしまった様だ。1時間以上も待ったであろうか、予定より3時間以上の遅れでナイアガラに向かったが、隣にいた“近ツー”の団体はもう一箇所立ち寄り先が予定されていて、回り道でナイアガラに向かうと言って去って行った。真っ直ぐ行ってもトロントから2時間はかかるはず、町はずれで既に日は西に沈み始めていた。(6月のカナダ、日の入りは10時頃なのだが・・・。)



真っ直ぐの道路 広大な草原 :カナダ

2009-11-20 14:09:36 | 異邦の風景

再々再開:しばらくの間紅葉を探して近郊を徘徊!季節物です!旬を逃さない様寄り道していました。

2000年CANADAの旅・その22:トランスカナダハイウェイ

 朝バンフから135km離れたカルガリーに向かったが、既にカナディアンロッキーの山は遙か遠くになっていた。



 トランスカナダハイウェイは長~い直線を繋いだだけ、日本の道路の様なつづら折れなどはない。あっという間に緑の大地に降りてしまった。



 カナダに入って何日を過ごしたか?夢見心地の毎日で日付の観念が無くなっていた。バンクーバー1泊、夜行寝台、ジャスパー1泊、バンフ2泊、いつの間にか6日目に入っていた。どんどんロッキーが遠ざかる一方、周りは農場や牧場の広大な風景が果てしなく続いていた。



 車窓からの雄大な草原の眺め、何時までも浸っていたいのだが信号一つ無いたんたとした道で、あっという間にカルガリーの街が近づいていた。カルガリーは近年の発展が著しく、人口増加率ではカナダ国内で最も成長が著しい都市であり、周辺を含めると100万人都市となっている。それでも1988年2月には冬季オリンピックが開催されており、市街地が望める位置にスキー競技場などが設けられる、自然豊か且つ近代都市でもある。トロントへのフライト時間に余裕があったのか、ハイウエー沿いにある「カナダ・オリンピック・パーク」に立ち寄ることとなった。出迎えてくれたのは地表に顔を出したリスであったが、リスは木の幹に巣穴を造るものと思っていたが、地面に穴を掘る?ジリスと呼ばれる種類と知った。



近くにヤギも来た :カナディアンロッキー(12)

2009-11-07 09:06:27 | 異邦の風景

2000年CANADAの旅・その21:サルファー・マウンテン

 サルファーマウンテンにはゴンドラで登る。



 途中動物の足跡や藪の中・物陰に動く影で色々な動物の存在が分かるが、この時はマウンテンゴート(シロイワヤギ)が目の前に現れた。大きさから親子なのか夫婦なのかははっきりしなかった。

 



 前日バンフへはアイスフィールド・パークウェイの遊覧を終えて、レイクルイーズから夜遅く到着している。と言っても何時頃着いたのかの記憶はない。到着して部屋の割り振りを済ませすぐに夕食となったが、6月の末、カナダは午後10時くらいまで明るいので時間の観念が無くなっていた。

 翌日一日フリータイムを有効に使うため朝早く町の反対側郊外のレイク・ミネワンカ観光を済ませ、昼前には再び市街地を横切りボウ川を越え反対側に聳えるサルファー・マウンテンのゴンドラ乗り場までタクシーを走らせたのだった。山頂駅にはおみやげ屋、ファーストフードの売店(確かマックとその他数店)屋上には展望台、2階にはレストランと盛りだくさんの施設があった。更に山頂に向けて1kmのボードウォーク(板張りの散策路)と言っても板張りの登り一方の階段があって、その途中から山頂駅を望んでいる。



 昼食は2階のレストランへ入ったのだが、1階のファーストフードには人が群がっていたが、レストランは半分程の客の入りで、窓際の席で十分景色を楽しむことが出来た。

 ビュッフェ形式すなわちバイキングなのだが、知らずに入ったので同行の夫妻の主が“バイキング?”と尋ねたがウエイトレスに怪訝な顔をされて、ややあって「セルフサービス」と告げられた。“バイキング”は、確か帝国ホテルが名付けた純然たる日本仕様だと記憶している。さらに記憶が曖昧だが、C$10$迄はしなかった筈で、当時のレートで800円程でステーキからハンバーグ、サーモン、ソーセージ、野菜等々大きなテーブル一杯に沢山の種類の料理が並び、ソフトドリンク・果物始め今流行の言葉で言えばスイーツも豊富に揃っていて、カナダに入ってのツアーお仕着せの食事にやや不満だったので、この時やっと存分に満足できた。

 山頂から振り返ってみると、途中いくつかの展望箇所があって、頂上からは見えにくい風景をくまなく眺められる様配慮してあった。

 

 頂上展望台からの眺めはまさに“絶景!絶景!!”これぞロッキー、蛇行して谷間を流れるボウ川の上流、山肌に刻まれた氷河移動の痕跡まで鮮やかに眺めることが出来た。



 ゴンドラで山麓まで下りたが、タクシーを呼ぶのにためらいがあった。レイク・ミネワンカで帰りのタクシーを妻が電話で呼んだのだが、意志を伝えるのに苦労した様だった。幸い、降りる時に名刺を渡し帰りは電話呉れと言い置いていた行きに乗った時のドライバーが傍にいたらしく、理解してすぐにやって来てくれた。湖の様に閑散としていれば依頼して居場所を告げるだけでよいが、山麓駅周辺は人で溢れ、タクシー・自家用車、バスが頻繁に行き交っていて、呼んだ人間が特定できる状態ではなかったので、こちらの所在を分からせるのは非常に困難に思われた。幸いJTB提供「ENJOYシャトルバス」がホテルと街とを巡回し、ゴンドラ乗り場にもやってくるので、待ち合わせ乗り場の駐車場に移動した。

 カナダに着いてから頻繁に見かける風景、ここにも沢山のキャンピングカーがいた。キャンピングカーで移動し、好きな所で寝泊まりし観光する。うらやましい限りだが、我が家の狭い駐車場に入れることはもちろん不可能、叶わぬ夢なのだ。



 翌日朝、カルガリーに向けトランスカナダハイウェイでロッキーを後にした。



上から見るとよく分かる! :カナディアンロッキー(11)

2009-11-05 14:25:07 | 異邦の風景

2000年CANADAの旅・その20:バンフ・スプリングス・ホテル

 バンフの宿泊はバンフ・スプリングス・ホテルだった。ロッキーでの宿泊はシャトー・レイクルイーズと人気を二分している。サルファー・マウンテンの展望台付近からその全景を俯瞰している。



 増築を重ねている様で、近くでは全容を把握できなかった。玄関がいくつもあり廊下もくねくねと入り組んでおり、決まった玄関以外からだと部屋にたどり着けなくなって、最初添乗さんに誘導された玄関から再度入り直したりした。上から眺めると、威風堂々の風格がある。すぐ背後にはボウ川が流れ、白く飛沫を上げるボウ滝もよく見える。右後方にはゴルフコースも展望できる。

 目を転じて遙か彼方まで視野を広げてみた。バンフの町並みが一望できた。右最上部には、朝訪れたレイク・ミネワンカも認められる。



 町の一隅にはランドル山が聳え、ボウ川はレイクルイーズ方向から流れてきて、町のはずれとホテルの裏手を通り山を迂回して蛇行して、その先モントリオール方向に流れて行く。市街地とボウ川を挟んで、スプリングスホテルやサルファー・マウンテンのある側にも住宅地や公営の施設が多数ある様だが、地図や航空写真で探ってみてもバンフアベニューに架かる橋が1本あるのみで、他に行き来する手段はなさそうだ。

 市街地の部分を拡大した画像であるが、木の陰に隠れた山の斜面部分を除いて、ほぼ市街地の全域となる。町を無秩序にスクロールさせないために、区域内で仕事をしているか、居住して周辺で仕事を持っている者のみがバンフ区域に居住が許されている。



 観光が最大資源のカナディアンロッキー、自然を如何に温存保護するかに最大限努力を払っている。それでも地球温暖化による氷河の後退等、世界規模の環境破壊には対処の方策も限られている。氷河湖の成り立ちなどを調べているうちに、地球上でも最大規模の氷河湖はヒマラヤ地域一帯に多数存在し、温暖化の影響で数も規模(貯水量)も年々大きくなり、増水により自然に出来たダムの決壊が危惧されている事を知った。決壊による大洪水・土石流は、下流地域を壊滅的に破壊するであろうと、これも世界規模での監視対策機構が数多く活動している様だ。・・・観光・旅のこのブログでは、社会問題に首を突っ込むのは苦手なのだが・・・。