昨朝、広島難病団体連絡協議会の加盟団体の一つである「広島スモンの会」会長より、
かねてから療養中であった事務局長が亡くなられたと電話をいただきました。
ショックで言葉もなく、しばらくはこの現実を受け止めることができなかったです。
事務局長のM氏が広難連の幹事会に参加されるようになったのは、3年前だったで
しょうか。
最初にお会いしたときは声も大きく、高圧的な態度で、正直あまりいい印象では
ありませんでした。
ところが昨年度末に広難連が解散危機を迎え副会長として途方に暮れていた私に、会計
監査であったM氏がとても親身になって残務整理をする我々を支えてくださいました。
また広難連再建に立ちあがったときも、副会長職を快くお引き受けくださり、行政との交渉
や人事など様々なことを影に日向に支えてくださり・・・M氏がいなかったら広難連を建て
直すことは到底できなかったと思っています。
昨年10月30日やっとの思いで第20回総会を行うことができ、新役員で新たなスタートを
切った矢先、突然検査入院されると宣言され、どこの病院とも言われず私たちの前から
姿を消されました。
一度ご相談方々私からお電話しお話ししましたが、冗談混じりに「次に会うとこは棺桶かもよ」
と冗談交じりで笑っておっしゃられた、それがM氏と交わした最後の会話でした。
ガイドヘルパーの手配ができず、残念ながら葬儀に参列することができず本当に残念です。
Mさん、これまでお世話になりありがとうございました。
心から感謝しております。合掌
かねてから療養中であった事務局長が亡くなられたと電話をいただきました。
ショックで言葉もなく、しばらくはこの現実を受け止めることができなかったです。
事務局長のM氏が広難連の幹事会に参加されるようになったのは、3年前だったで
しょうか。
最初にお会いしたときは声も大きく、高圧的な態度で、正直あまりいい印象では
ありませんでした。
ところが昨年度末に広難連が解散危機を迎え副会長として途方に暮れていた私に、会計
監査であったM氏がとても親身になって残務整理をする我々を支えてくださいました。
また広難連再建に立ちあがったときも、副会長職を快くお引き受けくださり、行政との交渉
や人事など様々なことを影に日向に支えてくださり・・・M氏がいなかったら広難連を建て
直すことは到底できなかったと思っています。
昨年10月30日やっとの思いで第20回総会を行うことができ、新役員で新たなスタートを
切った矢先、突然検査入院されると宣言され、どこの病院とも言われず私たちの前から
姿を消されました。
一度ご相談方々私からお電話しお話ししましたが、冗談混じりに「次に会うとこは棺桶かもよ」
と冗談交じりで笑っておっしゃられた、それがM氏と交わした最後の会話でした。
ガイドヘルパーの手配ができず、残念ながら葬儀に参列することができず本当に残念です。
Mさん、これまでお世話になりありがとうございました。
心から感謝しております。合掌