ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

秋来たりなば

2017-10-16 21:12:43 | Weblog



 10月16日

 北海道は十勝地方・・・毎日、秋の青空が広がっている。
 九州から本州にかけては、秋雨前線が停滞し、雨の日が続いているというのに、その前線の上にあたる東北北部から北海道南部東部にかけては、ちょうど秋の移動性高気圧の通り道になっていて、こうして秋晴れの日が続いているのだ。
 しかし、晴れてはいても、朝の気温は氷点下にまで下がり、日々寒さが増している。
 庭や林の木々も、少しづつその色合いを変え始めている。

 まず、林内のツタの類が赤くなり、そして最初にサクラの木の葉が色づき赤くなったかと思うと、もう今では散り始めている。
 さらにスモモやナナカマド、カシワも赤くなり、シラカバ、コナラと黄色くなり始めた。 
 そして、もっともきれいな赤色に染まる、モミジやカエデの類は所々に、見事な朱のさし色が入り始めた。
 そんな林の中ではなく、道路沿いにある木々は、日当たりの良いぶん朝夕の冷え込みも直(じか)に受けることになるから、色づきが早くなる。
 周りの木々がようやくこれからというころなのに、道のそばのこの一本のヤマモミジだけが、一足早く、黄色と赤の今を盛りの秋の色になっていた。(写真上)

 青空の下、全部が色づいたモミジの木を眺めながら、しかし、この紅葉も数日後には散り始めて、やがてはすべてが寒々しい冬枝だけになってしまうのだろう。
 ”秋来たりなば、冬遠からじ”、これは有名な詩の一部をもじった言葉なのだけれども、日本人ならば誰でもが感じるような無常観ゆえか、紅葉の盛りの時にこそ、ついそう思ってしまうような光景だった。

 有名な、”冬来たりなば、春遠からじ”という一節は、あのイギリスのロマン派時代の詩人、シェリー(1792~1822)の「西風に寄せる詩」の一節なのだが、もちろんここでいう西風は、あのバロック時代の名画、ボッティチェルリ(1444~1510)の「ヴィーナスの誕生」に描かれているように、花の女神フローラを抱きかかえたゼフィロス(西風)のことであり、彼がその暖かい風を吹きつけているのは、春の息吹を意味した春の賛歌としての例えでもあるのだろうが、悲しいかな、シェリー自身は、この詩を作った後、わずか30歳という若さで、ヨットに乗っていて遭難死しているのだ。

 さらに庭の木に戻れば、花の植え込みもない、色合いに乏しいわが家の庭の片隅を、初夏のころから秋の初めまで、色鮮やかに彩ってくれたハマナスの花は、秋になってまた光り輝くような赤い実をつけてくれて、私の目を楽しませてくれるのだ。(写真下)



 そして、前回書いた、小さな赤い実が鈴なりになっているオンコの木には、北から南への渡りの途中だろうヒヨドリの群れが、にぎやかに鳴きながら、その実をついばんでいた。
 九州の方では、家の周りに一年中いるヒヨドリも多いのだが、こうして同じヒヨドリでも、長い渡りの旅を自らに課す群れもいるのだ。 
 そういえば、2年ほど前に見たNHKのドキュメンタリー番組で、北海道の渡島半島から津軽海峡の荒波を越えて、本州最北端の竜飛岬へと、群れになって飛んでいた、あのヒヨドリたちの姿が忘れられない。
 その渡りの試練は、暖かい地で留鳥として過ごすものたちと比べて、将来にわたってどう影響してくるというのか。
 渡りの種族たちにとって、今のつらい試練を乗り越えることは、新天地での豊かな住環境が待っているからでもあるのだろうが、それ以上に、今後の強い種族の遺伝子として受け継がれるという、無意識の本能があるからかもしれないし、一方、里山の留鳥として定着した種族は、その代わりに別の試練を受けることになり、一年中、さまざまな外敵と闘い棲み分けては、取り合いになるエサ探しをしなければならないのだろうが。

 人間社会とて同じことであり、いずれにせよ、誰でもが同じような試練を受けることになり、いずれが正しいと言える答えはないのだろうが、ただ言えることは、みんなそれぞれに自分を取り巻く環境の中で、精いっぱい生きているということだ。 
 そこには、必ず彼らなりのゆるぎない生のルールがあるはずであり、つまりは、百の生き物たちには百のルールがあるのだろうし、自分のルールだけで相手を見てはいけないということなのだろう。

 家の周りの木々が紅葉し始めて、日々空気が冷たく澄んできて、これから冬にかけて、朝な夕なに日高山脈の山々を見るには良い時期になる。(写真下、左からピラミッドにカムイエクウチカウシ山(1979m)、1903m峰、春別岳へと続く主稜線)



 こうして、紅葉の木々の間から、雪の日高山脈を眺めたり、高い空の彼方に、冬の風の音を聞きながら、丘のうねりの中を歩いて行く時、あるいは、朝日に輝き夕日にシルエットになって浮かび上がる、山なみを眺める時の愉しみ・・・秋から冬への、十勝平野から眺める景色も、今年はこれで、終わりになりそうであるが・・・。
 どうしても、九州に戻らなければならない用事があって、これを限りとしての、周りの景色を眺める日々が続いているのだ。 
 ずっといれば、何も変わらない当たり前の見慣れた光景なのだが、しばしの別れとなると、哀惜の念がふくれ上がってくる。

 人間の感情なんて、いつもこうして、その時その時の自分の立場から見ているだけで、わがままで欲張りなものなのだろう。
 あれもこれも欲しいが、それはいつもどちらか一つを選ぶしかなく、その選んだ方も確実に手に入るかどうかは分からない。 
 人生は、いつも決断の連続と後悔の繰り返しであり、そこで私たちはいくつかの大切なものを手に入れ、その代わりに多くの大切なものを失ってきたのだ。
 しかし、大事なことは、得たかもしれないものを得られなかったと嘆くよりは、わずかなものでも、手に入れることができたのだと喜ぶべきなのだろう。

 他人の手の中にある珠(たま)をうらやむよりは、自分の心の内にだけにある”手中の珠(しゅちゅうのたま)”に感謝すべきなのだ。 
 わっはっはーは、わっはっはー・・・。
 と、すべて自分の都合のいいように考えるのが、お天気おじさんの心得。