消防士 兼 旅人の日記

消防署での出来事、ダラダラした日常生活を綴ります。

骨髄バンク、ドナー体験記4 最終同意

2006-12-03 15:08:10 | 骨髄バンク
前回の記事の続き。


確認検査から約1ヶ月ほどしたとき、コーディネーターから1本の電話が入る。

電話に出る前に一瞬だけど、ドナー決定か?とそんな予感がしました。


恐る恐る電話に出る。その結果、

『確認検査の結果を踏まえまして、その結果最終的なドナー候補とさせていただいて宜しいでしょうか?』と。


予感、見事的中。


『既にドナー選定の通知はお送りさせて頂きましたが、お電話でもご報告を差し上げようと思いまして』と。

本当に腰の低い方で、こっちも恐縮してしまいました。でもドナー最優先と言う姿勢が身にしみて分かりました。そのお心遣いはとてもありがたかったです。


やはりここでもコーディネーターが心配していたのは、私の提供の意思。これから行われる最終同意で署名・捺印してしまえばもう後には戻れませんとここでも念を押される。


大丈夫ですよ、辞退しませんから。


ご両親様はどうですか?なんて聞かれたので、たまたまその時実家にいた私は父に電話を代わる。

どんな話をしてたのだろうか・・・?



その日の夜、またしても家族会議。

『お前本当にやるのか?』と父。

『やるよ。最終同意面談で必ず署名する。』と私。

『骨髄提供者向けの説明書を読んだけど、事故が無いとも限らないんだぞ?』とまた父。


先日の記事でも少し書きましたが、確かにドナーにもリスクはあります。確率こそ低いものの、ゼロでは無いのです。

私が今回選ばれたのも、複数いるドナー候補者の中で一番条件が良かったのか、もしくは私しか適合した人がいなかったのか。

それは今でも分かりません。


とりあえず最終同意面談は(両)親に来てもらわないと成り立たないので、私と親とコーディネーター、そして調整医師の予定を合わせて日にちを決める。




そして最終同意面談当日、親と離れて住んでいるので途中の駅で母と待ち合わせ。

面談場所は確認検査を行った県立のがんセンター。

行く前からなんとなく重たい空気が流れてたのを今でも覚えています。まぁその日は私が当直明けの日で、眠かったってのもあったんですけど・・・


そして病院に到着。仕事先から来た父とここで合流。

仕事で来れないと聞いていたのですが、さすがに心配になって抜け出してきたとのこと。びっくりしましたが、ありがたかったなぁ。


病院の入り口でコーディネーターと弁護士(今回の面談の立会人)と待ち合わせ。

軽くあいさつをしたあと、小さな会議室みたいなところへ案内される。

そして調整医師の先生もお見えになられて、私と両親、コーディネーター、調整医師、弁護士の6名による最終同意面談が始まりました。


ここで確認検査のときの最初の説明と同じく、骨髄移植の必要性、手術の方法、それに伴うリスクなどを細かく説明。

私は一度聞いた説明でしたが、両親は今回が初めての具体的な説明。やはり両親は険しい顔をしていました。

コーディネーター、調整医師の先生もけっして熱くなることはなく淡々と説明。

その様子をしっかり見届ける弁護士。


ここでの弁護士の役割は

・コーディネーターや調整医師が説明漏れが無くしっかりと説明したか。

・ドナーになることを勧めるような説明をしていないか。

・ドナー候補者やその家族がしっかりと理解しているか。

・自発的な意思によってドナーになろうとしているのか。


このようなことを第三者の目で見て、骨髄提供がドナーの善意で行われるものかを確認しています。

通常は骨髄バンク側が弁護士なりを立会人として立てるみたいですが、申し出ればドナー候補者側から立てても構わないようです。(少なくとも私のときはの話ですが)


そして説明も終わり、同意書が目の前に出される。

くどいようですが、やっぱりここでも私の提供意思の確認。今目の前にある同意書に署名・捺印してしまえばもう撤回はできません。

最終同意が取れた場合、患者さんは『間違いなく骨髄移植が受けられる』という前提で、骨髄移植の約2週間前から前処置に入ります。

前処置で患者さんは大量の抗がん剤投与や全身への放射線照射が行われます。この処置で病的な細胞だけでなく正常な骨髄細胞も破壊してしまいます。患者さんの体内にある白血球を限りなくゼロに近くなるまで叩く。

白血球の数が極端に少なくなり、抵抗力を失って感染症が起こりやすくなるので、細菌の無い清浄な空気が流れる無菌室で過ごすことになります。

もしそんな状態で、私に何か事故があり移植ができなくなったら・・・それはすなわち患者さんの死を意味することになってしまいます。


そういったことも全部踏まえて、同意書に署名・捺印をする。

しかし父の手が動かない。母も不安な表情。やはり自分達の息子にもリスクがあると考えると抵抗があるのでしょうね。まだ独身なのでそういった親の感情は理解しにくい部分もありますが。


コーディネーターがその時口を開く。

『もし悩まれるようでしたら、また改めて時間を取っても構いません。ドナー候補者の気持ちとは別に、ご両親様の率直な気持ちでおっしゃってください』と。

実際、この最終同意で家族の同意が取れなくてドナーを諦める候補者も多いらしい。

私にもそんな不安が頭をよぎる。


しばらくして父が口を開く。

『もし逆の立場になった場合、私達はすがるような思いで色々な人に頭を下げてドナー登録を呼びかけるでしょう。もし最終同意が取れる寸前に辞退された場合、患者さんを始めそのご家族の方々の落胆ぶりは計り知れないものがあるでしょう。』

確かこのようなことを言ってたような気がします。

『今息子がこうやって誰かの役に立とうとしてる。一人前の大人の行動として尊重してやりたい。』と言って、同意書に署名してくれました。


・・・同意してくれてホッとしたのと、本当にありがとうと言う気持ちで一杯でした。両親にはただただ感謝です。ちゃんと親孝行しなければいけませんね・・・。


私と両親の署名・捺印をして、最後に弁護士からいくつかの質問がありました。

しっかりと理解できたのか?不安は無いのか?もう後に戻れないがそれで良いのか?

そしてなぜドナーになることを決心したのか?こんなようなことを聞かれました。


数百~数万分の1の確率でHLAの型が私と一致した人がいる。こんなに低い確率なのに一致した人がいる。それも何かの縁だと思う。しかし私と同じHLAの型を持っているその人は今病気で苦しんでいる。

患者さんが病気を克服するには、同じHLAを持つ私の骨髄が必要なのだと。これは私にしかできないことなのだ。

患者さんの想像のつかない苦しみに比べたら、私の苦しみなんてほんのちっぽけなものだから。

私にしかできないことならば私がやる。断る理由なんて最初から無い。


弁護士が私の自発的な意思と家族の同意を確認した後、弁護士も同意書に署名・捺印をして最終同意面談が終わりました。

昼過ぎから始めて、終わったのは夕方。私がその日当直明けだったのもあってだいぶ疲れてしまいました。

でも一番のネックだった家族の同意が取れてホッとしたかな?




この日をもって『ドナー候補者』から最終的な『ドナー』となりました。



次回へ続きます。