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Michael君 こぼれ話 A Chorus Line編 - The Longest Line

2005-03-31 12:58:32 | Michael ACL/コーラスライン
Gary StevensさんとAlan Georgeさんは、ミュージカル「A Chorus Line」の長年に渡る熱心なファンで、「The Longest Line」という本まで出版してしまいました。(この本にご興味のある方は、amazonから購入可能です。)
この本を書く際に、彼らは、何人かの出演者にインタビューをしたのですが、その中には、1989年1月にこの「A Chorus Line」でBroadway デビューを飾り、またファイナル・カンパニーの一員でもあったMichael君(マイケル・グルーバー)も含まれていたんです。今回は、その本の中のMichael君のコメントをご紹介しましょう。(写真は、Broadwayミュージカル「A Chorus Line」のPlaybillに掲載されていたステージ・フォトです。ちょっと写真が小さくて見えにくいのですが、Michael君は、正面のほぼ中央で踊っています。)

出演が決まったいきさつ:
「アラスカで「Joseph and the Amazing Technicolor Dreamcoat」(1988年12月8日~20日、アラスカのAlaska Light Opera Theatre)に出演することになっていたんで、出発する前に「A Chorus Line」を上演中のThe Schubert Theatreの楽屋口に、僕の写真と履歴書を預けていったんだよ。そうしたら、クリスマスの直前に、その件で、アラスカに電話がかかってきたんだ。アラスカでの出演が終わったんで、休暇を故郷のシンシナティで過ごすつもりだったんだけど、その代わりに、オーディションを受けるためにニューヨークに向かったってわけさ。ものすごく興奮しながらね。
僕が初めてこのミュージカルを見たのは、高校2年の時だったんだ。その時シンシナティに来たカンパニーには、Sachi Shimizu、Ron Kurowski、Laurie Gamacheの3人が出演していたんだけど、僕がニューヨークで加わったカンパニーのメンバーにも、何とその3人がいたんだよ!」

出演の際の心構え:
「ステージの上で僕に求められたことは、常に『自分自身であること』だったんだ。これはとても重要なことで、常に実在感のある存在であることを要求されたよ。出演していた間の、あの感覚が懐かしいよ。本当に素晴らしい経験だったんだ。」

衣装担当のAlyce Gilbertさんについて:
「彼女は、最高だよ。全てが完璧なんだ。例えば、僕らの靴がそろそろくたびれてきたとするだろう? すると、何も言わなくても、新品の靴が届くって感じなんだよ。」

怪我について:
「当時は、まだあんなに動きの激しい役についていけなくてね。あんなにたくさん宙返りをしたことなんて初めてだったし、1列に並んでずっと立っているのも楽ではなかったしね。実際のところ、ショーが終わった後は、毎晩、両膝を氷で冷やしていたんだよ。僕のソロナンバーの「I Can Do That」は、まるで大砲で打ち出されたみたいに、舞台の上を前に後ろに走り回らなくちゃいけないし、しかも、歌いながら宙返りもしなきゃならない。僕の身体は、そんな動きには慣れていなかったから、出演し始めて2週間後に上腹部の筋肉が裂けてしまって、1週間程は、椅子から立ち上がれないくらいだったよ。今までで、一番大きな怪我だったと思うな。もちろん、とても悔しかったよ。初めてのBroadwayでのショーなのに、始まってわずか2週間で怪我をしてしまうなんてね。でも、その後、6ヶ月半の間、一度もショーを休まずに出演したんだよ。だから、自分としては、名誉挽回出来たように感じたんだ。」

最後のステージについて:
「このショーが、人々にどんな影響を及ぼしたかについては、君達も気づいているだろう。最後の日のマチネが、本当の意味でのラスト・パフォーマンスだったんだよ。夜のショーは、別なものに変えられてしまっていたんだ。でも、「Gala」の時とは違って、どうにか普通のショーとして上演出来たことを嬉しく思ったね。あの時は、ショーのラストで、オリジナル・カンパニーをステージに登場させたんだよ。別なことに気を取られることなく、ちゃんとショーをやれたことが、本当に嬉しかった。過去の歴史が重要じゃないって言ってるわけじゃないんだよ。でも、ラスト・ショーを演じるという機会は、僕達ファイナル・カンパニーにこそ与えられた大切な贈り物だったわけだからね。
残念なことに、オリジナル・カンパニーは、僕達ファイナル・カンパニーにあまりいい感情を持ってくれていなかったね。ぜんぜん、興味がないって感じだった。彼らと僕らの間には、個人的な交流はまったくなかったんだ。どうしてだか分からないけど、Mamma Leoneの一室でも、部屋のこっち側に僕らがいて、彼らは反対側にいるって具合で、まるで水と油って感じだったよ。彼らは、ぜんぜん別の場所から来た、まったく違う世代だったね。彼らには、開演の日の素晴らしい思い出があり、僕らには、閉演の日の素晴らしい思い出があるってことかな。」
    


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