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Michael君 こぼれ話 人生の選択 - Diving or Acting

2005-04-05 21:30:07 | Michael About him
1989年に「A Chorus Line」でBroadwayデビューを飾ったMichael君(マイケル・グルーバー)は、前の記事にも書きました通り、その前年(1988)の12月に、アラスカで「Joseph and the Amazing Technicolor Dreamcoat」に主演しました。その時、地元紙に、当時24才だったMichael君のインタビューが掲載されました。その中で、飛び込みの世界から演技の世界へと進路変更したいきさつや、Broadwayで仕事を手に入れることの難しさなどについて、Michael君が語っていますので、今回は、それをご紹介致しましょう。(写真は、ヨゼフ役を演じているMichael君です。)

飛び込みの選手として輝かしいキャリアを築いてきたMichael君は、スポーツ選手としての奨学金をもらってミシガン大学(The University of Michigan)に進学しました。オリンピック出場を目指して練習に励んでいたMichael君でしたが、もともと演技や音楽も大好きだったので、演劇部に入部してお芝居も続けていましたし、また音楽の学校にも通っていました。そして、次第に「自分が本当に進みたいのは、俳優としての道だ」と思うようになったのだそうです。
1983年、家族に自分の決心を伝えたMichael君は、ミシガン大学を辞め、演技の勉強をするべく、シンシナティ音楽大学(The College Conservatory of Music in Cincinnati)に転校しました。そこで2年間に渡って、演技・歌・ダンスの勉強に励みました。

Michael君:「僕は、アスリートで、ダンサーじゃなかったからね。ダンサーに必要なことを、いろいろと身につけなくちゃならなかったんだよ。ダンスにはパワーも必要だけど、同時に優雅じゃないとね。アスリートだった僕は、その優雅さを学ぶ必要があったんだ。」

音楽大学での2年間は、Michael君にとって、実り多いものでした。それまで正式にはダンスのレッスンを受けたことのなかった彼でしたが、優雅さを身につけた上に、アスリートであった彼のダンスには、アクロバティックな華麗さがあります。
また、もともと歌が得意だったMichael君、レッスンの成果が実を結び、魅力的な暖かみのあるテノール(アラスカで「Joseph」に主演していた当時は、今よりも少し声が低かったようで、バリトンだったそうです。)で素晴らしい歌を披露してくれます。


そんな彼がアラスカでの主役を獲得するきっかけとなったのは、昔ながらの幸運と人脈でした。主役のヨゼフを演じる予定だった俳優さんが出演出来なくなり、誰か別の俳優さんを探さなくてはならなくなりました。
「Joseph」の監督のリチャード・キャスパー(Richard Casper)氏は、NYで「Dreamgirls」に出演していたMichael君を見たことがあり、またキャスパー氏が監督したビデオ版の「Joseph」にMichael君が出演していた縁もあって、Michael君をヨゼフ役にしてはどうかと推薦してくれたのだそうです。
ところが、その後、当のキャスパー氏が体調を崩してしまい、今度は、Michael君が、かつて「My One and Only」に出演していた時に一緒に働いたPatti D’Beck氏を監督として紹介したのだそうです。
ニューヨークの演劇界で生きていくのには、人脈がとても重要だと、Michael君は話しています。同じくらいの素晴らしい才能を持った2人の俳優がオーディションを受けて、その内の1人が、そのお芝居の監督と一緒に働いたことがあって、その俳優が真面目で、時間に正確で、人当たりがいいと監督が知っていたら、当然、その俳優の方が仕事を手に入れられるわけですから。
シビアなニューヨークで働いてきたMichael君にとって、アンカレッジでの仕事は、よい気分転換になったようです。

Michael君:「ここには、『敵意』とか『身構え』とかは、全くないんだよ。ニューヨークでは、ストレスの連続さ。次の仕事は、そのまま次のテストみたいなものなんだ。そりゃあ、ものすごく大変で、深刻なんだよ。顔を合わせた最初の週は、ただひたすらお互いの品定めをしているって感じさ。
ここでは、誰もが親切で、寛大で、打ち解けた感じだね。とても協力的だしね。ここでの問題点は、予算だね。音楽監督は、残業続きで、慢性的な人手不足なんだ。衣装係も、人手が足りないし、そのせいで、いろいろ問題が多いんだよ。」

Michael君がラストシーンで自分が着る衣装を実際に見られたのは、初日の晩の2幕目が終わった後だったそうです!


Michael君は、ヨゼフを演じるにあたって、率直かつ厳粛な態度で臨みました。

Michael君:「ヨゼフは預言者なんだから、ちゃんとそういうふうに演じなくちゃいけないと思うんだよ。面白い替え歌がちりばめられたショーだけど、そのショーの中心となるのは、彼の信仰だからね。」

Michael君は、このショーのヨゼフに、自分の姿を見る思いがしたそうです。カトリックとして育った彼は、その信仰が、ショービジネスという不安定な世界で生きる自分の道をしっかり支えてくれていると感じているからです。

Michael君:「ショービジネスっていうのは、本当に不安定な世界なんだよ。その拒絶の強さと来たら、信じられないほどさ。オーディションを受けて、受けて、受けまくって、挙げ句の果てに全てダメ・・・って世界なんだ。」

Michael君自身が、自分はラッキーだと認めているように、それほどシビアなニューヨークのショービジネスに身を投じて1年半(1988年当時)、その間に、地方公演の「My One and Only」、「Carnival」、「The Rocky Horror Show」、「A Chorus Line」などに出演してきました。
「Joseph」の前の仕事は「West Side Story」で、5ヶ月間のヨーロッパ公演でしたが、Michael君は、主役のトニーを演じました。そして、アラスカで「Joseph」に出演した翌年、1989年1月には、Broadwayの「A Chorus Line」のマイク役のオーディションを受け、見事、マイク役を手に入れたのです。


Michael君のご両親も、彼の新しいキャリアになじんでくれたそうです。

Michael君:「初めは、特に父がかなり反対していたんだよ。でも、今では、とても応援してくれているよ。父は、僕が俳優として生活していけるとは思っていなかったんだ。僕のことを見離したって感じで、『これ以上は、一銭も出してはやれんからな。』と言われたよ。でも、どうにかうまくいって、僕の人生最高の選択になったってわけさ。」

以前、ご紹介した「Talkin’ Broadway」のインタビューの中では、飛び込みをやめて俳優の道を選んだことを、Michael君は、次のように語っていました。

「飛び込み選手と俳優じゃ、俳優の方が、まだ少しはマシって感じなんじゃないかな。僕自身、Broadwayデビューだった「A Chorus Line」に出演するまでは、ちゃんと食べていけるとは思っていなかったよ。これに出演して、ようやく家族も全面的に僕のキャリアを応援してくれるようになったし、僕自身、俳優としてやっていけるなって実感したよ。」


才能さえあれば、必ず成功できる・・・とは限らないのが、ショービジネス界の怖いところです。才能に加えて、チャンスに恵まれないと、なかなか、いい役を演じることは難しいようです。
Michael君は、自分を「ラッキーだった」と言っていますが、単に運がいいというだけではなかったと思います。根気強く努力を重ね、誠意を持って1つ1つの仕事を大切にし、常に全力を傾けてきたMichael君だからこそ、それまでに出会った多くの人達の信頼を得て、チャンスを呼び寄せることが出来たのでしょう。これからも、Michael君がいいお仕事、素晴らしい共演者・スタッフに恵まれて、ますます活躍してくれるといいですね~♪


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