mukoyama blog

向山建築設計事務所 主催の向山博のブログです 

200年住宅

2008-09-16 18:26:35 | 建築
昨日NPO消費者住宅フォーラム主催の
「話題の200年住宅にチャレンジしよう」というセミナーに参加してきました。
定員が60人のようですが満席でした。
根拠はないですが多くが住宅購入を検討している方が来ているようでした。
思った以上に興味をもたれている消費者が多いことに驚きました。

福田総理が掲げた200年住宅。
背景や内容はわかってもどうにも設計を生業とした自分にとってどうもしっくり来ない。
背中を後押しされている制度や情報にどうにも自分の足が進まない感覚・・・。
制度的には政府がどんどん進めており、建築士がする業務としてのやるべきことは明確である。
姉歯事件による昨年の法改正に続き来年には住宅瑕疵担保履行法も施行される。
世の中的には不安をあおるかのように高耐久な家、メンテのしやすいスケルトンインフィルの家の情報があふれている。
なにか後押しされている向きが違う気がしていた。
確認するためにもセミナーに参加してみました。(ま、誘われていったのですが・・・)

戦後の住宅の絶対数が足りず量産していく時代はとっくに終わり、既に充足している。さらに充足しているにもかかわらず壊しては建て直し続けている。
建替えのサイクルは日本は平均31年。イギリスは75年など欧米諸国に比べ格段に短い。この数値をみると、世代ごとに建替えていることになり、子供の代までも家をつなげていないのが現実。
平均的に各世代ごとに住宅取得していることになり、生活のなかで住宅取得の出費がかさむため、実質の生活レベルが上がらない。 (環境の話で言えば解体、建設に伴うCO2の排出の被害。)
で、対策として住宅を建替えでなく、バトンリレーしていくためにはその中古物件を扱う市場が活発になる必要がある。
現在住宅取引の全体の中で中古市場は1割程度と低い。 欧米諸国での7割には遠く及ばない。
では中古住宅市場が活発になるためには、安心して消費者が購入できるようにする必要がある。
そこで中古住宅の新築時の性能のレベルを表示する新しい基準(住宅性能表示制度)と新築以降のリフォームの記録(住宅履歴書)を 普及させようということだ。理解は出来る。

ようは買いたいと思う物件の充実である。 それならわかる。
200年住宅の200年というのがなぜ出てきたかというと、200年という期間が経てばほぼ間違いなく身内でない人に持ち主が変わるだろうということで設定された期間だという。
つまり住宅が他人にバトンパスされていくために 消費者の購買欲をそそる中古物件の充実である。
となればそれは建物の魅力、空間の魅力、環境の魅力、使いやすさ、など性能や数値では判断しにくい評価軸があるはずである。

セミナーの参加者の質疑を聞くと基礎の耐久年数や保証制度の質疑ばかり。制度や情報により不安になり、間違った工務店、設計者につかまらない様に・・・
「次の人に高く買ってもらうために」が一番大事なテーマになって・・・
本来の自分の家を建てる喜びなどを忘れているかにも思える。

建て主が思いを込めて作った家ならば人と違った個性的な家でも同感できる人は必ず居る。
そのような「想いが同じ人」でのバトンリレーというがあるはずだし、そのようなバトンリレーが長く続くために
高耐久に、メンテがしやすくしていくのではないかと思う。順序が逆なのではないかなと。
と何となくつかえが取れてすっきりとして日頃の業務に戻っています。

まず不安にさせてどうする!200年住宅。




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10 コメント

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Unknown (shitamichi)
2008-09-16 20:19:38
200年の前に先に25年何もしなくてもいい住宅を考えたほうがいいのでは。どうせ考えるのであれば・・・。現場監督が粗雑なうちはいくら良い設計でも丈夫な材料でも間違って使われる。計画は実行できて何ぼの世界。責任は防ぐ事が責任で何か起こってからはパフォーマンスでしかない。
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Unknown (muk)
2008-09-17 09:46:59
いつもコメントありがとうございます。
200年目指すくらいなら、そのほうが確かにリアルですよね。ただ欧米諸国にくらべて日本の現場が粗雑とは思えません。海外の70年経ってる家がしっかりしているかというと、日本の家に比べればぼろだったりもするようです。文化だからといってしまえば、それまでだけど、もう少し消費者の気持ちを変えていくような後押しの仕方があるのではないかなと思ったりもします。
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Unknown (shitamichi)
2008-09-17 13:35:09
ぼろぼろでも安くても10年しか持たなくても塗り替え補修に結構かかってもそこに理由がありストーリーがちゃんとあればその建物はいとおしくも一番のものになる。作り手と使う側のちゃんとしたコラボレーションが出来ていない建物が多くあるので、外国の文化に負けてしまう。ストーリーを作れない設計監理者がダメなのだと思います。

いいあじが出てきている。それのほとんどはただ単に見ればデメリット。
そのものにストーリーがあるかないかの違いだけ。
デメリットは作り手と使う側のコラボレーションが結果的にメリットになる。
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Unknown (muk)
2008-09-18 03:59:41
コメントありがとうございます。
なるほど、設計者に厳しいコメントですね。
shitamichiさんは設計者のストーリー作りの貧弱さが現在の低寿命の住宅を生んでいるという考えなのでしょうか。

私は戦後日本で大量生産、大量消費を促す巨大なメーカー、それは家電製品のメーカーなどによりコツコツ作られてきた日本特有の消費者のライフスタイルのせいだと思います。
建材においても丈夫であればよいとさまざまな化学既製品などが使われ、
ものづくりなどの視点はないがしろにされてきたのではないかなと思います。
物への愛着などがない消費者はいくらでもいます。

今私には恵まれたことに、ものづくりという視点に立って、それこそコラボレートしてくれる施主が多いですが、そうでない消費者(建て主)を大量に作ってしまったのは設計者だけの責任ではないと思います。

メーカーの力により世の中の性能的な情報だけが評価され、文化的な側面の情報がいつも消費者に届きにくくなっていると思います。

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Unknown (shitamichi)
2008-09-18 05:34:37
おはようございます。
今日は朝早くからの仕事でこんな時間にコメントさせていただきます。
私には設計者が建物が完成してから関わる姿がもっと多くなければならないと思うのです。今でも千葉県で賞を取るような建物も設計者はその設計の納まりを施工者に強要しながらも責任は取りません。知らなかった、解らなかった、いたらなかったを連発しています。結果的にその増築工事は設計者を排除しましたが設計するいじょう造り方そのストーリーをわからなければならないと言う事です。施工と設計別のようで同じこと、施工するいじょう設計を解る必要性もあり設計するいじょう施工を解る必要性がある。
施工者にはずるい所もあります。言う事を聞いていれば責任は無いとするところ、設計図どおり行えばそれでいいと、他の選択肢を隠してしまう。なので設計者にはそれを見抜く力が必要です。自分がいいと思っても本当は数年後に不具合を引き起こす要因隠れています。
それとは正反対の設計者は設計図と言うよりも施工図になっています。そこでも尚、指摘点を施工者に求めて是正しています。内装の設計でもそこまでする姿は職人を感じるものです。設計監理するということは施工図においても責任をもつということです。
そうやって成り立つ設計事務所は少ないと思いますが理想は高く、造った以上一生関わる決意が必要なのです。話しはそれましたが・・・。
安さ追求の思い入れの無い建物にしてしまったのはデベロッパーでしょう。彼らの収入の多さは人を馬鹿にしています。
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Unknown (shitamichi)
2008-09-18 05:39:05
コラボレーションと言えば施主もそうですが施工者との関係も当然コラボでなければいけないと思います。
両者が同様に施主への思いを持つことが重要に感じます。いい三角関係がなければ出来上がらないと言う事です。
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Unknown (bois)
2008-09-19 10:01:52
良い建物は国の財産ですね。そんな財産になるような建物がいっぱい出来て来たら素敵ですねぇ。今賃貸での引っ越しを考えてますが、もぅーーどれ見ても笑っちゃう位おかしな家ばっかりです。開き直ってこれを日本のアートと呼ぶしかない!って感じです
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Unknown (muk)
2008-09-19 23:18:19
shitamichiさん
良い三角関係は良いものにつながりますしね。

boisさん
コメントありがとうございます。
そうですよね。本当にこれがいいと思って建ててる?って思うような賃貸も多いですよね。
賃貸も同様で、ある時代に平均的なニーズで量産してしまっているので、時代遅れになるととたんに負の財産になってしまいますね。もっと建て主も自分が住むと思って考えるべきですよね。
たとえ少数派のものだとしても同様な好みの人は必ずいると思うので自分がいいと思うものを自信をもって建ててほしいものです。
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Unknown (konji)
2008-09-21 17:42:06
 色々なご意見があるようですね。
 自分は、普通のメーカーに勤務しているので、建築業界の状況は詳しくありません。そして、そこに興味を持っている人間も周囲に多くも少なくもないような気がします。
 周囲の人間が、高い買い物をするわりに、ただ雨を凌げればいい程度で、建物の思い入れなど全く関係なく購入している人間もいます。
 また、会社に勤務する上で、利便性の高い場所という立地条件だけを優先で決める人も少なくありません。
 自分は、住宅に関しては、欧米と比べてやっと最近経済的に恵まれてきたという時代的な背景を考えます。75年前は、まだ第二次世界大戦前ですよね?。敗戦からやっと高度経済成長をとげてきた、その過程の環境は、それこそ利便性と雨風凌げる場所、それだけを求める消費者を生む環境にあったのだと思います。人間の要求は、衣食住からいうと、食から満たされ、次に衣や住に移行していくと言われています。日本人は、長い歴史のスパンからすれば、まだ食がやっと充実してきた国にすぎないのかも知れません。
 政府のやり方は、業界との背景を意識せざる得ない感じであり、あまりそこに期待もしていなければ、意味があるとは思っていません。
 但し、だんだんと住宅に対する消費者のニーズも高いレベルで要求されてきている時代になっていると思っています。そうなれば、向山氏が言っているような考えに近いような人間もたくさん出てきて、それらの環境も変わっていくのだろうと思います。
 向山氏のように、熱く住宅環境を考える設計士や施工者が増える事を期待しています。
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Unknown (muk)
2008-09-22 07:50:52
konjiさん
コメントありがとうございます。
自分の住まいについて興味がない方もいて当然ですよね。建売住宅にごっついベンツが駐車されている家もよく見ます。それはそれで仕方がないと思います。僕も興味をもっていない分野はあります。でもなにかきっかけのきっかけで興味がある分野に変わると豊かになる気がします。建築家との偶然の出会いがそのようなきっかけになるといいと思います。

また消費者のニーズのレベルが高ければ高いほど建築家も成長していけるのだと思います。
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