陳雲林が台湾に着いた3日から始まった抗議行動に対して、特に前半は警察側の過剰対応、脱法行為が目に余った。
3日昼には陳が泊まる圓山(グランド)ホテルで、すでに予約して宿泊していた民進党所属台中市議員が部屋から「台湾を愛する、陳のような匪賊は帰れ」という垂れ幕を掲げたところ、それを見つけた警官が令状もなくいきな部屋に押し入り、垂れ幕を取り上げ、さらに正当に宿泊している議員をホテルからつまみ出した。
4日夕方には会談場所の晶華(リージェント)ホテルでは、民進党の現元立法委員が抗議すると警察が押し倒して立法委員らが重傷を負った。
さらにその後の4日夜には連戦との会談が行われた国賓(アンバサダー)ホテル周辺道路では、抗議の人があふれて騒然となる中、民生東路と中山北路の角にあるCDショップ「上揚」で台湾語の歌を鳴らしていたところ、警官がやはり令状なしに踏み込んで、音楽のスイッチを切り、店のシャッターを強制的に閉め、その過程で売り物がいくつか壊された。(同店は、もともと深緑系で有名だったから、狙い撃ちされたのだろう。まるで80年代だ)
また、同じ場所で歩いていたヘビメタ歌手Freddy(馬英九とも交流があるが、総統選挙では謝長廷を支持)が「警戒線を超えた」として警官に殴打された。しかし現場に警戒線など設定されておらず、別の人は殴打されなかった。
3日から4日にかけて、空港から台北への道、ホテル周辺などで、「中華民国国旗」を持っていた民衆が「国旗」を没収され、警官が「国旗」を破損したりした。一方、五星紅旗を持っている場合は、没収されたりすることはあまりなかった。チベット旗は個々の警官が知らないのか、あまり問題にならなかった。
議員らに対して暴行を働いたり、令状もなく宿泊客の部屋に押し入ったり、店に侵入するというのは、法の過剰執行というより、明らかに脱法、違法行為である。
まあ、もっとも国民党なんて、もともとそういう集団なんだけどね。
ところが、どうせ横暴なら、何人に対しても横暴を徹底させればいいものを、どうも大国に対しては弱いらしいw。
4日夕方のリージェントではファンキーな風体のフランス人が主に英語で「台湾は独立国家だ」と陳からわずか数メートルの場所から叫んだが、警察は取り囲んだが、あまり強硬につまみ出すことはせず、フランス人もたいした怪我は負わなかった模様。
さらに5日夜にはリージェントの隣のロイヤルホテル(日本航空系)の部屋から民進党員が抗議の垂れ幕を掲げたが、3日のグランドホテルとは違って、警察は踏み込めなかった。
つまり、毛唐とか日本とか大国が関わっていると何も手出しをできない、一貫しない姿勢をさらけ出していた。
まあ、身の程を知っているともいえるんだが、ここまでくると、買弁資本の手先まるだしだった1930年代の腐敗反動国民党そのまんまだわw。
ただ5日から7日にかけて現場で警官を適当にからかいながら、表情や雰囲気を観察した限りでは、一線の警官も非常にやりきれなさを抱えていた様子だった。
一線にいる警官たちは、日頃から民衆と接触しているから、今の市民社会の動向はわかっているし、中国が好きな人間なんていない。だから、抗議側の気持ちは痛いほどわかっているし、心の中では支持し、参加したい気持ちでいっぱいなのだろう。
ただ、警官という職業上、上司の命令は絶対だ。かといって、トップが馬英九という愚かもので、愚かな命令をしてくるので、心中の葛藤は極限に達しているのだ。
案の定、台中県から借り出されていた警官が、心身とも憔悴しきって脳卒中を起こして病院に担ぎ込まれる事件も発生した。
台湾の記者に聞いたところでは、警官のブログなどで「駆り出されて、激務で、疲労困憊してやってられない」という声が吐露されている。
7日夕刻に行政院前で座り込みしていた学生を警察が排除(ごぼう抜き)に乗り出したが、警官の表情多くがやりきれなそうだった。それもあって、日本だったら10分くらいで終わりそうな作業が、1時間半もかかっていた。これは技術がないこともあるが、警官にもやりきれない気持ちがあるからだ。
技術がないといえば、1996年以降、台湾の官憲は抗議運動を基本的に放置し、逸脱したものだけ押し返す、というきわめてマイルドな方式を採用してきた。だから、日本の警察が持っているような高度な鎮圧技術を身に着ける機会がなかった。
持っていないなら、はじめから下手に鎮圧する動きなどしなければよいのだが、それが馬英九にはわからないようで、下手に取り締まろうとして、下手に民衆を刺激して、抗議行動に火をつけてしまっているのだ。
実はやる気がない警官、5日夜、リージェントホテル裏門
3日昼には陳が泊まる圓山(グランド)ホテルで、すでに予約して宿泊していた民進党所属台中市議員が部屋から「台湾を愛する、陳のような匪賊は帰れ」という垂れ幕を掲げたところ、それを見つけた警官が令状もなくいきな部屋に押し入り、垂れ幕を取り上げ、さらに正当に宿泊している議員をホテルからつまみ出した。
4日夕方には会談場所の晶華(リージェント)ホテルでは、民進党の現元立法委員が抗議すると警察が押し倒して立法委員らが重傷を負った。
さらにその後の4日夜には連戦との会談が行われた国賓(アンバサダー)ホテル周辺道路では、抗議の人があふれて騒然となる中、民生東路と中山北路の角にあるCDショップ「上揚」で台湾語の歌を鳴らしていたところ、警官がやはり令状なしに踏み込んで、音楽のスイッチを切り、店のシャッターを強制的に閉め、その過程で売り物がいくつか壊された。(同店は、もともと深緑系で有名だったから、狙い撃ちされたのだろう。まるで80年代だ)
また、同じ場所で歩いていたヘビメタ歌手Freddy(馬英九とも交流があるが、総統選挙では謝長廷を支持)が「警戒線を超えた」として警官に殴打された。しかし現場に警戒線など設定されておらず、別の人は殴打されなかった。
3日から4日にかけて、空港から台北への道、ホテル周辺などで、「中華民国国旗」を持っていた民衆が「国旗」を没収され、警官が「国旗」を破損したりした。一方、五星紅旗を持っている場合は、没収されたりすることはあまりなかった。チベット旗は個々の警官が知らないのか、あまり問題にならなかった。
議員らに対して暴行を働いたり、令状もなく宿泊客の部屋に押し入ったり、店に侵入するというのは、法の過剰執行というより、明らかに脱法、違法行為である。
まあ、もっとも国民党なんて、もともとそういう集団なんだけどね。
ところが、どうせ横暴なら、何人に対しても横暴を徹底させればいいものを、どうも大国に対しては弱いらしいw。
4日夕方のリージェントではファンキーな風体のフランス人が主に英語で「台湾は独立国家だ」と陳からわずか数メートルの場所から叫んだが、警察は取り囲んだが、あまり強硬につまみ出すことはせず、フランス人もたいした怪我は負わなかった模様。
さらに5日夜にはリージェントの隣のロイヤルホテル(日本航空系)の部屋から民進党員が抗議の垂れ幕を掲げたが、3日のグランドホテルとは違って、警察は踏み込めなかった。
つまり、毛唐とか日本とか大国が関わっていると何も手出しをできない、一貫しない姿勢をさらけ出していた。
まあ、身の程を知っているともいえるんだが、ここまでくると、買弁資本の手先まるだしだった1930年代の腐敗反動国民党そのまんまだわw。
ただ5日から7日にかけて現場で警官を適当にからかいながら、表情や雰囲気を観察した限りでは、一線の警官も非常にやりきれなさを抱えていた様子だった。
一線にいる警官たちは、日頃から民衆と接触しているから、今の市民社会の動向はわかっているし、中国が好きな人間なんていない。だから、抗議側の気持ちは痛いほどわかっているし、心の中では支持し、参加したい気持ちでいっぱいなのだろう。
ただ、警官という職業上、上司の命令は絶対だ。かといって、トップが馬英九という愚かもので、愚かな命令をしてくるので、心中の葛藤は極限に達しているのだ。
案の定、台中県から借り出されていた警官が、心身とも憔悴しきって脳卒中を起こして病院に担ぎ込まれる事件も発生した。
台湾の記者に聞いたところでは、警官のブログなどで「駆り出されて、激務で、疲労困憊してやってられない」という声が吐露されている。
7日夕刻に行政院前で座り込みしていた学生を警察が排除(ごぼう抜き)に乗り出したが、警官の表情多くがやりきれなそうだった。それもあって、日本だったら10分くらいで終わりそうな作業が、1時間半もかかっていた。これは技術がないこともあるが、警官にもやりきれない気持ちがあるからだ。
技術がないといえば、1996年以降、台湾の官憲は抗議運動を基本的に放置し、逸脱したものだけ押し返す、というきわめてマイルドな方式を採用してきた。だから、日本の警察が持っているような高度な鎮圧技術を身に着ける機会がなかった。
持っていないなら、はじめから下手に鎮圧する動きなどしなければよいのだが、それが馬英九にはわからないようで、下手に取り締まろうとして、下手に民衆を刺激して、抗議行動に火をつけてしまっているのだ。
実はやる気がない警官、5日夜、リージェントホテル裏門